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第10話 容疑者達の顔

この国の王太子でソフィアの婚約者であるパトリック・アライアンス――


その友人で宰相一族の若き跡取りナサリエル・ベンストック――


ソフィアの弟ミルトン・クラヴェウス――


若き近衛騎士ハーラン・ジェフリー――


そして学院の教師カール・タイディ――


紛れもなくセイント・オブ・ラバーズに出てくる攻略対象達だ。

マニエルはゲームのシナリオと同様に彼らと親交を深めていたらしい。

だが、気になるのは彼らとの記憶になぜか微量の邪力の気配が見て取れた事だ。


まさか、彼らの中にマゴスに落ちた者がいるというの?


いや、一人どころか全員かもしれない。

どちらにしても、彼らの中に闇の勢力のスパイがいたとするならば、聖女であるマニエルを殺したのも合点がいく。

まだ、完全に覚醒していない彼女を手にかけるぐらい簡単だったはずだ。


だとすれば、微々たる力しか持たない私に太刀打ちできるのかしら?


そもそもマゴスの闇に取り込まれるのは彼らではなくソフィアだったはずなのに。

ゲームでは確かにそうだった。婚約者への歪んだ愛やマニエルへの嫉妬などルートによって多少理由が違っても悪の象徴として倒されるのは決まって私だった。


いいえ、すでにゲームとは展開が異なっているじゃない。


ソフィアは頭を振った。

誰が相手だろうと、臆している場合じゃないわ。

どうせ、捨てる命だもの。怖い物はない。


何よりマニエルの方がずっと怖かったはずだ。

そして、相反するはずの神聖な魔力の残り香が漂うマゴス信仰のチェーンは犯人の物である可能性が高い。きっと、この事実だって彼女が知らせてくれたのだ。

そう思いたい。だから、誰が相手だって私は必ず本懐を遂げて見せるわ。




ソフィアはマニエル殺しの犯人捜索に意欲を燃やしながら寮の自室に戻った。

そこまではいい。だが、部屋を入ってみれば、すべてのトラウマの元凶が立っていた。


「おっおばあ様、なぜこちらに?」


アン・クラヴェウスという女は現クラヴェウス家の当主にして、ソフィアの祖母だ。

そして、孫を聖女にする事に執念を燃やすイカれた人物でもある。

白髪交じりの髪は彼女が重ねた歳月を思わせる。表情に現れる険しさは公爵家を長年支えてきた凄みが滲み出ている。一言でいえば、威圧感がすさまじいのだ。


「貴女こそ、今まで何をしていたの?」


ただの質問だ。しかし、その言葉の端々に込められた音が責められているという感覚にさせられる。


「少し街に…」

「あら、そんなに悠長な事を言っていてよいのかしら?まだ、聖女の証は現れていないのに…」


明らかに高価と思われる杖で胸をつつかれる。その感触は忘れもしない痛みを思い起こされる。

しつけと称して何度となく体中を…背中を叩かれた日々の記憶が…。

考えただけで汗が吹き出しそうになる。


よくソフィアはこの人のそばで長い間、耐えてきたものだわ。

ゲームの中の彼女が歪んでしまったのも理解できる。


「なあに?言いたい事でもあるの?ソフィア!」


思わず肩がすくむ。鋭い刃に突き刺されたように胸がスースーする。


ここで踏ん張らなければ、いつものように壊れてしまう。

目を閉じて、必死に心を落ち着かせる。


背後でシエラの心配そうな視線が伝わってくる。


「大奥様。お嬢様は…」

「侍女には聞いていないわ」

「申し訳ありません」


アンに冷たく律されて、シエラは小さく頭を下げた。

下手な事をすれば、シエラは首にされてしまうかもしれない。

一度、ソフィアへの扱いに物を申した侍女がいた。彼女のその後は誰も知らない。

おばあ様は自分に異を唱える者には容赦しないのだ。

ソフィアは静かにシエラに目配せした。下がっていなさいという意味を込めて。

その間も祖母の小言は続く。


「ここ二日ほど、授業を休んでいるそうじゃないの。聖女としての自覚が足りないわ」


やはり、ソフィアの行動は筒抜けという訳ね。記憶が戻る前のソフィアの行いは聖女と呼ぶにはふさわしくなかったというのに。その事に対しては何も言ってこなかった女。

それなのに、数日休んだだけで、すっ飛んできた。

今まで祖母と呼んできたこの人物の事が全く理解できない。


「ソフィア。聞いてるの?聖女はこの学院に通う者達から出現するのです。気を抜かれては困るわ。こうなったら、私が直々に指導するしかないわね。もうすぐ、夏休みに入るのだし…」


おばあ様の瞳は冷たく、ゾッとした。今までだったなら、彼女の気が済むまで聞き流していただろう。しかし、もうおばあ様が知っているソフィアではない。


「おばあ様。わかっていますわ。だからこそ、人々のために行動しているのです。聖女は皆、心優しく困っている者達には寛大なはずです。何より、街はマゴスの脅威に常にさらされています。少しでもその苦しみを癒す事こそが最大の幸福なのです」


あくまで穏やかに、優しく語る。そう、まるで伝説の聖女をイメージして。


「分かっているじゃない。やっぱり、この学院に入れてよかったわ。これなら聖女の刻印が現れるのも近いわね。そしてゆくゆくは…」


王妃になれ…でしょ。


聞き飽きたわよ。全く、女の幸せはそれしかないみたいな言い方をするんだから。

でもここで反論しても面倒よね。ほんとに執念深い女って厄介だわ。

大きなため息が出そうになりながらも、グッとお腹に力を込める。


「ええ、おばあ様のお心遣いに感謝いたします」


心の底から慕っていると装って満面の笑みを浮かべた。

案の定、おばあ様は嬉しそうだ。


意外とおどらされやすい人なのかもしれない。


「今日はもう遅いですし、早く帰られてはいかがです。領地までは馬車走らせれば日帰りで帰れる距離ではありますが、近いわけでもないでしょう。皆、おばあ様が不在で悲しんでおられますわよきっと…。私の事は心配には及びません。さあ、どうぞどうぞ…」


呆気にとられるおばあ様の背中をゆっくりとさすりながら、外へと促す。

内心は早く帰れと悪態をついているが、表情は従順な孫娘を演じた。

どうやら、私は役者としての才能があるのかもしれない。

祖母は機嫌よく帰っていった。



招かれざる客が去るのを見届けるとドッと疲れが押し寄せてきた。

ソフィアは思わず、ベッドに頭から突っ伏す。

貴族令嬢にあるまじき失態だ。


おばあ様は本当に疫病神みたいな人だわ。


「お疲れ様です。カモミールでもいかがですか?」


カップを差し出してくるシエラはいつも通りだ。


「ありがとう。いただくわ」


そのスッキリした味わいに体中の毒素が抜けていく。


「ですが、感激いたしましたわ。まさかお嬢様が大奥様に物申せる日が来るなんて…」


ハンカチ片手に涙を流し始めるシエラに驚きを隠せない。


「もう、大げさね。実直な意見を述べたまでよ」


赤ん坊が初めて立った事に喜びを感じる母親のように”うんうん”と首を盾に振り続けるシエラ。

確かに彼女にとっては今まで仕えてきた主が成長した瞬間を目のあたりにして嬉しいのだろう。

しかし、私は本来のソフィア・クラヴェウスではない。

なんだか、シエラを騙しているようで心苦しい。

けれど、それでも立ち止まるわけにはいかないのだ。

決意を新たにするように残っていたカモミールを飲み干す。


あの人のバカげた夢にこれ以上付き合わされては身が持たない。

幸い、うまくあしらえた。しばらくはおとなしくなるはずだ。

とりあえず嵐は去ったと思っていいだろう。

これでマニエルの事件に集中できる。


「シエラ。もう一杯もらえるかしら?」

「もちろんです」


明日から忙しくなるわ。


攻略対象達に話を聞かなくてはならないのだから。

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