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第8話 サイという男

すべてをあきらめようとしていた。

しかし、終わりを覚悟したその時、襲い掛かろうと牙をむく男は宙を舞い、お腹から地面に叩きつけられた。呆気にとられるソフィアとシエラ。


その場に立っていたのは彼女達より少し年齢が上とみられる青年だった。

服の間からのぞく肌は鍛え上げられ、野性的だ。

投げ飛ばされた男は呻きながら、青年を見上げ、その伸びきった爪を青年の頬を目掛けて、振り上げる。太陽に焼けたような肌に傷をつけるが意に返さないという態度で青年はやり過ごし、再び蹴り上げた。今度こそ、男は動けない。


「教会に放り込んどけ!」


手際よく指図する彼の後ろには同じような素朴な格好の男達がゾロゾロと出現する。


他にも仲間がいたのね。


男を慣れた手つきで縛り上げ、近づいてきた仲間の一人に男達を明け渡せば、ソフィア達に視線を向けてくる。


「ここは貴族のご令嬢方が来るような場所じゃねえぞ」


言葉は粗悪だがそこに悪意は感じられない。

屈託なく笑う青年にソフィアは少しばかりホッとした。

しかし、その瞬間、青年は膝をついた。


「ボス!」


彼の仲間達は心配そうに集まってくる。


「大丈夫だ。騒ぐな」


ソフィアはそう言いつつも苦しそうな青年に駆け寄った。


「見せてください。マゴスの闇に堕ちた者に傷をつけられたのです。苦しいのでは?」


彼やその仲間が何かを察する前に赤くにじむ褐色の肌に手を置いた。

邪力を根本的に浄化する事は出来ないが、この程度の傷なら私にも治療できるはず。


集中するのよ。


大きく息を吐き、腕に力を込める。

ブレスレットはそれに答えるように優しく光をともした。


青年の肌は古傷だらけであった。だが、流れる赤い血は消えていく。

当の本人も不思議そうに自身の体を確かめていた。


よかった。うまくいったみたい…。


ソフィアは安堵する。


「サンキュー。アンタいい奴だな。俺はこの辺りを仕切っているサイっていうもんだ」

「彼らをどうするつもりです?」


ソフィアが質問を投げかける間にサイの仲間達はボスが倒した奴と最初に遭遇した未だ眠ったままの男を回収していった。


「この辺りは邪力の影響で体調を崩したまま、くたばった司祭不在の教会が多くてな」


世間話でもするようにサイと名乗った青年は語る。

彼もその仲間の腕には狼と月を模したシンボルが掘られている。


なるほど。彼らが街の番人処…銀の月なのね。

貴族とはけして相いれないが、平民たちを守る影の存在。

ゲーム内ではエピソード回収されず、謎多き人々という印象だった。


まあ、前世の知識で言うところの義賊…いや、自警団って所かな?


そのリーダー格とこんな形で会うなんて。


「だが、主を失った教会と言えど、やはりアビステアの加護を受けた場所でもある。そこにアイツらを置いときゃおとなしくなるからな」


確かに今の王室は街にまで関心が向いていない。ただ、強まるマゴス復活に怯え、聖女復活を願っているだけだ。国の信仰心を司るはずの教会にも手が回さないとは…。

それでも街の人々は知恵を働かせ何とか折り合いをつけて生きているという事ね。


そんな風景を見た気がした。


「それよりアンタ、もしかして聖女様か?」


唐突にサイにそう問われドキリとした。


「私が?まさか…」


思わず本音が出てしまう。


「そうか。早く聖女様が現れてくれるのを祈るよ。そうすれば、おかしくなる奴もいなくなるだろ」


そうよ。この国の人々にとって聖女は絶対に現れる存在で、助けてくれる女神でもある。

だけど、その聖女様が覚醒前に亡くなってしまったなんて言ったら、どう思うのだろう。


「で、アンタたちはなんでこんな場所に?迷ったってわけでもないだろう」


「私たちは聖アビステア高等学院の学生です」


「ああ、それでこれを治療できたのか」


サイは笑いながら自身の体を指示した。どうしてこう、人々は我が校の生徒を神格化したがるのかしら。みんながみんな魔力が高いわけでもないのに…。

しかし、ここで私の力の正体を明かす理由もない。


「先日、ここで亡くなった同級生の事を何か知りませんか?」

「あの件か…。悪いな目ぼしい情報は知らない。その彼女は裏通りの人間じゃないだろ?」


確かに違う。マニエルは地方出身者だ。設定を思い出す限りでは小麦畑が広がる小さな村で温かい家族に囲まれて育ったはず。

すでに彼女の両親、兄妹にマニエルの死が届いているころだろう。それを思うとつらくなる。


「まあ、関係があるかは分からないがここ最近この辺りは行方不明者が多いんだよな」

「えっ!じゃあ、彼女もその被害者だと?」

「それはどうだろな。消えるのは年端も行かないガキばかりだ」


それは喜んでいいものなのかしら?


「全く、物騒な事件が増えてこっちも大迷惑だよ。どこもかしこも邪力に魅せられた者ばかりだ。こういうのは貴族様の仕事だろ?」

「なんです。お嬢様を責めるつもりですか?」


今まで静かだったシエラは声を上げた。

戦闘モードに入る気満々な彼女を咄嗟にいさめる。


「貴方がたの言い分は最もです。本来、貴族が今の地位にあるのはマゴスとその陣営たる邪力を扱う者達に対抗するという盟約があるからです。それを果たせていない今、何を言われても仕方がありません。申し訳ありません」


それは心からの言葉だ。しかし、頭を下げるソフィアにその場にいたすべての人が驚きを隠せない様子で眺めていた。


「いや、別にアンタが謝るような事は…」


罰が悪そうにサイは口ごもっている。


「こっちもなんだ。悪かった。令嬢に言う言葉じゃなかったな。アンタにはこの傷も治してもらった恩もある。よし。決めた。その少女についてこっちでも調べてみるか」

「いいんですか?」

「まあ、この辺りの連中は口が堅いからあまり期待はできないが…」

「それでも可能性があるなら、ありがたいお話ですわ。私は彼女が殺されなければならなかった理由…犯人がどうしても知りたいのです」


ソフィアの凛とした声がその場を包んだ。

そこにはかつて悪女と揶揄されてもおかしくなかった少女の面影はない。


ソフィアはサイ達に別れを告げ、賑やかな表通りを歩いていた。

子供達が姿を消しているのは気になるが、今の私にできる事は少ない。


「お嬢様…お疲れでしょう。学院に戻りましょう」


シエラの優しい声が通り抜けていく。


「そうね…。でもまだやる事があるから」


まだ、帰れないわ。マニエルの死から二日。ご家族が彼女を迎えに来る頃だろう。


なら、その前に…。


「公共安置所に向かうわ」

「ですが、あそこは女性は入れない…って聞いてます?」


驚くシエラをよそにソフィアの足は速かった。



目的の建物は薄気味悪い所だった。土埃と人の腐った匂い。

あの裏通りの入口に充満していたそれよりも遥かに劣悪だ。幽霊屋敷のような風格。


「ああ、悪いがここは嬢ちゃんが来るような場所じゃない」

「ほら」


やはりシエラが言った通り、守衛に門前払いを喰らわされた。


あっちに行けとばかりに手をはたかれて、頭にくる。


女性だからダメというのは時代錯誤すぎるわ。

死者と対面し、その悲しみを分かち合うのは男だけだとでもいいたいの!

記憶を思い出す前の私は疑問すら持たなかったのだろうか。

ここはよくある手を使うしかない。


「ではこれでどう?」


ソフィアは懐からひと袋を守衛に差し出した。中身は金貨だ。

どうだ。大体こういうのはお金で解決するというのが通説のはず。

素早く取引して目当ての物を手に入れるのができる女というものよ。


案の定、守衛が喉を鳴らしていた。そうよ。欲しいのでしょう。見たところまだ若い。あと一押しすれば、彼は落ちるはずだ。


「いえ、そんな物は受け取れません!」


守衛の返事は予想外のものであった。

ちょっと、寄りにもよってどうして、こんな真面目な奴に当たっちゃうのよ。


もうっ!思うようにはいかないわね。


でもここであきらめるわけにはいかないのよ。


「そう言わずに…」


ありったけの笑顔を作った。


「いえ…」


守衛と押し問答を続けるのもつかれる。この守衛、一向になびいてくれない。

こうなると、残るは身分を明かすしかないか。

例え女性禁制であっても公爵の名を出せば、恐れ慄くはず…。


だが、気乗りしないわ。それでも、彼女に会わなくては…。


すでにクラヴェウスという言葉が口をついて出ようとしていたその時…。

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