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第6話 ソフィアの決意

今日も朝が来てしまった。

ある意味で嫌いだった女の死を目の当たりにした。

だが、一番会いたかった少女でもあった。

その事実を再び思い出してソフィアは絶望した。

もう、一生分の涙を流したと思ったのに、まだ溢れてくる。

体がだるい。ベッドから起き上がる気力すらわかない。


「私は本当にバカだわ」


優しいゆいな。要領の悪い私の事なんて放っておいてくれてもよかったのに…。



『先に帰ってて…』



そう言えばよかった。だけど、一緒にいてくれる彼女との時間が楽しかった。

私がわがままだったばかりにゆいなは死んだ。そして、その魂を持つ少女もまた逝ってしまった。

罪悪感が体を蝕んでいく。

この世界で生きる意味はもうない。目的は一生果たせないのだから。

ソフィアは枕の下に隠してあったナイフの刃を首に立てた。


冷たい感触が首筋を伝っていく。

痛みは一瞬で終わるはずだ。もしかしたら、また生まれ変わるチャンスがあるかもしれない。

後、少しでも力をかければこの世界からおさらばできるだろう。

しかし、頭の中に今世では殆ど縁を結べなかったマニエルの最後が浮かび上がってくる。

彼女の死から約二日が立った。


その遺体は無造作な状態で警察署に運ばれたと聞く。

貴族の令嬢だったならば、そんな扱いはあり得ない。

何より彼女は聖女になるべきだった人間だ。


私とは違う。

虫けらのように殺されていいわけがない。


何より、マニエルはセント・オブ・ラバーズの主人公だ。

ゆいなはマニエルに転生して、生きていた。

つまり、彼女が聖女なのだ。この世界の救世主。

そのマニエルがいなくなった。


世界の均衡を崩す事態だ。

主人公であるマニエルを一体誰が殺したのか?

その疑問が…真実が知りたいとソフィアの中にいる女が叫んでいる。


それに現実的な考えもよぎる。マゴスの脅威に立ち向かえる者がいなくなってしまったという事実。

となれば、取られる手段は一つしかない。


誰かを生贄にささげる。

聖女が出現しなかった時代に用いられる方法。

完全にマゴスを封印は出来ないが、その力を弱める事は出来る。

そう子供の頃に読んだ歴史書に書かれていたのを覚えている。

だが、実際にされた例は少ない。

必ずと言っていいほど、聖女は誕生し、役目を果たしてきたから。


その生贄に私が立候補しよう。その役目を担うのは悪女がふさわしい。

そのためにも犯人にはこの世界に生まれた事を後悔させてやらねば気が済まない。

彼女を殺した罪は償ってもらわなければ…。

心が湧きたつ感覚が体中を駆け巡る。

ソフィアはマニエル…ゆいなのような慈悲深い心など持ち合わせていないのだ。

それを実感できて、生まれて初めてこの身に感謝すらする。


まだ死なないわ。


前世の記憶を頼りに推測するなら、マゴスが復活するのは三か月先。

アビステア生誕の季節。それまでに犯人を見つけてやる。

ソフィアはゆっくりとナイフを脇に置いた。


「マニエル…待っててね。貴女の仇は私が絶対果たして見せるわ」


ソフィアはカーテンから漏れる日の光を頬に感じながら決意した。


やっと、ベッドから起き上がれそうだ。

そう思ったのと同時に扉のノック音が聞こえた。

そこには心配そうにソフィアを見つめるシエラがいた。


「お嬢様…」


数日ぶりにシエラの顔を見た気がする。

いつもは血色がいい肌は青白い。

眠れていないのかしら。


「今日もお休みいたしますか?」

「いいえ。授業に出るわ」


シエラは安堵した様子でテキパキと身支度を整えてくれる。

その間、ソフィアは何から手を付けようかと思案を巡らせているのであった。

久しぶりの学院はいつもと変わらなかった。授業に行く生徒。隠れて逢引する者。

同じ学び舎に通う学友が殺されたと言うのになんとも平和な空気が流れている。

まるで、マニエルという少女など最初から存在しなかったような空気を漂わせている。


「聞いた?ウチの学生が一人殺されたんですって…」


耳に聞こえてきたのは見知らぬ少女達の会話だ。


「ああ、知ってる。治安の悪い地区を歩いてたんでしょ。自業自得よ」

「本当よね。平民なんかがこの学院に通おうなんて考えるから罰が当たったんじゃない」

「一体、あんな所で何をしてたのかしらね?」

「あら、そんなの決まってるわよ。いわゆる夜のオ・シ・ゴ・ト」

「キャッ!いやらしいわね。ウフフフッ」


下品な笑い声にヘドが出そうになった。

好き勝手な事ばかり…。


「貴女たち!不謹慎ですよ。人の命をなんだと…」


すべてを思い出す前でもこれほど感情が高ぶった事などなかった。

自分達より格上の家の令嬢であるソフィアのすごみに押されて、少女達はブルブルと震えている。


「もっ…申し訳ありません」


血相を変えて、少女達は頭を下げたまま、立ち去っていく。

だが、その顔は何を今更と言った不満げにも見えた。

確かに以前の私なら彼女達に加担していただろう。


ああ、イライラする。


その姿が見えなくなっても胸の中がどす黒い物で満たされていた。

しかし、それは自分への嫌悪だ。


私だって嫌味を語る彼女達と何も変わらないのだ。それがとても悔しい。

だからこそ私は…。


「お嬢様!どちらへ?」


後ろに控えていたシエラの声が聞こえる。


「街に行くわ」

「授業はどうなさるのです?」

「今日も休むわ」


すでに足は出口へと向かおうとしていた。

しかし、手首をシエラにつかまれ動けない。


「それは賢明ではありません」

「放っておいて!」

「お嬢様のお優しさは十分に伝わっております。ですが、あまり休まれていますとあらぬ噂が大奥様の耳に届くやもしれません」


シエラは冷静に説明した。


「それがなんだって…」


シエラの瞳は真剣そのものだ。

確かに彼女の意見にも一理ある。おばあ様はこの学院に多大なる寄付をしている。その影響力は計り知れない。学内での私の素行はすぐさま耳に入るだろう。

何より、二日も休んでしまったのだ。このまま、授業に出ない日が続けば、家に連れ戻される可能性もある。本当に厄介な体に生まれ変わってしまったわ。

前世の記憶を思い出し、それまでのソフィアだと言えなくなってしまった今でもおばあ様への恐怖は残っているなんて…。


「分かったわ。ちゃんと授業を受ける」


あくまで今まで通り、貴族令嬢ソフィアを演じよう。

それが、真実に近づく最善の策だと信じて…。



聖アビステア学院の授業の大半は奇跡の力、魔力の向上とその技術習得に重きが置かれている。

その主な進路はマゴスの邪力や瘴気を祓う王宮付魔法使いや国周辺に出没する魔物の討伐に当たる国家騎士などが多い。後は変わり者は冒険者になったりする例もある。

とはいえ、それらは貴族の令息がほとんどで女性はいない。令嬢達がこの学院にいるのは、将来有望な結婚相手を見つけるという目的がほとんどである。

そんな事もあり授業は基本的に男女別であり、女子の授業は毎回、お遊戯会同然である。


「神聖なる天上界の女神アビステアは神々の休息地としてこの大陸をお作りになられました。しかし、その生命を生み出す強い力に嫉妬した彼女の兄であるマゴスは事もあろうに天上界を破壊し、神々達を殺してしまいました。アビステアは彼を止めるのに奔走しましたが、決着がつく事はありません。そこで自身の力のすべてを使い、マゴスをこの大陸に封印したのです。ですが、彼女は知っていました。ある一定の周期が近づくと自分の力が弱まる事を…。そこで、大陸を見守る者達を創造しました。それが、現王室に繋がる初代様とその親族方です。アビステアの代弁者たる聖女様が貴族の中から生まれるのはそのためです」


教師はそう、つらつらと説明する。もう何度も聞かされた話だし、情報としても初歩的で今更語るような内容ではない。教鞭を握る人間のやる気がないのが伝わってきて、怒りを通り越してため息がでる。いくらなんでも、男女間の差別がひどすぎる。


全く、仮にもこの国の信仰の中枢を担う教育機関とは思えない。女神を信仰していて、聖女に助けてもらうのが当たりまえの世界観のくせに女には教育を受ける権利すらないと言うの?

どこまでも矛盾している。

こんな状態でマゴスの脅威に立ち向かえるのか心配が募るばかりだ。

なんだか、胃が痛くなってきたわ。


「先生。女神の力である魔力は貴族に与えられた物ですよね」


教室の中央に座る女子生徒が手を挙げた。貴族らしい派手な装いだ。


彼女には見覚えがある。けれど、何という名前だったかしら?

有力貴族の家のご令嬢だったのは確かだったはずだけど…。


以前のソフィアは他人に当たり散らすわりに、記憶力はあまり良い方ではなかった。

覚える気がなかったといえば、それまでなのだが、社交界で生きる人間がそれでいいのか?と我ながら反省する。


まあ、聖女になってしまえば、そういう煩わしい人付き合いも意味をなさないと思っていたのだろう。何もしなくても、人々はあちらからやってくるのだから。かつての私は能力がないと分かっていてもどこかで期待していたという事ね…。

ああ、もう。今はこんな授業を受けている場合ではない。

早く、マニエルの亡くなった場所に行きたいのに…。

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