ソフィアは軽やかにステップを踏んでいた。
なんだかいい気分だわ。
鼻歌も自然と口をついて流れてくる。
その後ろから何か言いたげなシエラの気配を感じる。
「どうしたの?いい買い物をした後なのに…」
「大丈夫なんですか?大奥様に何を言われるか…」
「シエラが心配するような事じゃないわ。おばあ様だって人助けに文句はつけられない。それに私が持ってる個人資産で買ったんだもの。気づかれないわ」
「そういうものですか?」
「そういう思いたいの。服を買うのと一緒。ああ、スッキリした」
ソフィアは学院に戻ろうとしてた。あたりは薄暗くなりつつある。
「お嬢様!」
急にシエラに呼び止められて思わず直立不動になる。
「その道に入ってはいけません」
気付けば、人気がまばらな空間に足を踏み入れようとしていた。
建物の間にぼっかりと開いた空間。店が立ち並び明るい表通りとは違う裏通りへの入口。
そこにいるのは主に夜で生きる者達や表から排除された者達だ。
例え、その境界線となるこの通りも例外ではない。そういう脇道が至る所にある。
普通の人々なら近づきもしないだろう。
「大丈夫でしょ。だって、街には銀の月がいると聞くし…」
「もう!彼らは貴族は守りませんよ」
シエラの返しも心地いい。ソフィアはやはり上機嫌だった。
その微笑みの向こうに人だかりが映る。
「また盗難でしょうか?」
「なら、また私が解決しようかしら」
ソフィアは軽口を叩いた。泥棒がまた出没したのなら、邪力の痕跡をたどればいい。
まあ、相手がマゴス陣営に落ちていなければ意味はないけれど…。
群衆をかき分けて、ソフィアは進んだ。行きついた先は表と裏にちょうどまたがるような路地だ。
複数の警官が立っていた。だが、ソフィアの目に彼らは映っていない。
その視線は地面に横たわる一人の少女に向けられている。それは彼女がよく知っている人間。
聖女にも等しい魔力量を保有するとされ、学院の入学を認められたマニエル。
けれど、太陽のように輝いていたマニエルではない。
その金髪は泥やゴミに塗れ、青い瞳は警官の手で閉じられていた。
人込みの中でかすめる白い肌から赤い液体が流れていた。大量の血液だ。
マニエルという少女は誰が見ても死を迎えている。それを実感したその瞬間、ソフィアの頭に痛みが走る。
『早く行かなきゃ…』
見知らぬ光景、世界。少女の声がこだました。
私は彼女を知っている。
体から血の気が引いていく。
どうして…
吐き気がして倒れそうになった。
「お嬢様!」
シエラの緊迫した声が遠くに聞こえる。
このまま、自分は倒れるのかと思った。だが、そうはならなかった。
そばで温かい人の気配を感じる。
「レディ。大丈夫ですか?」
その声はつい、数刻前、カデリアスと名乗った青年だと頭では認識できた。
しかし、彼に声をかける気力はない。
同級生だった少女はその間に布をかぶせられ、運ばれていく。
その光景をぼんやりと眺めていた。頭では彼女に駆けよりたい衝動が湧き上がっている。
だが、同時に混乱もしていた。手が震える。
溢れてくる見知らぬ記憶が次々、蘇る。
なぜ今なの?
もっと早く、思い出していれば…。
私は貴女に会うためにこの世界に生まれ変わったのに。
自分ではない女の声が心の中で叫ぶ。
そして、それはソフィアの思いでもあるような錯覚も広がる。
「ここはレディがいるような場所ではありません」
ソフィアは青ざめた顔で青年を見据えた。
カデリアスは何も発しないソフィアを軽々と抱き上げ、馬車へと向かう。
その間、魂が抜けたように静かな主にシエラは心配そうな表情を浮かべていた。
しかし、肝心のソフィアはそれに気づかない。うつろな瞳を馬車の外に向けるだけだ。
『これ、面白いから絶対やってよ』
いつも以上に上機嫌な親友――
ゆいなが勧めてきたゲームのパッケージには「セイント・オブ・ラバーズ」というタイトルがくっきりと書かれていた。
そして、印象的なイケメン達のイラスト。
よくある乙女ゲームだった。
正直、私はあまり好きな種類のゲームではなかったがゆいなが嬉しそうなのもあり、話を合わせられる程度にプレイした。なぜなら、ゆいなはこのゲームにどっぷりハマっていたから。公式から発売されたグッズは全部揃え、自分でも登場キャラのぬいぐるみを製作していた。
あの運命の日も推しキャラの限定フィギュアを求めていた。けれど、お目当てのものを手に入れる前に彼女は逝ってしまった。
本当ならもっと早く、学校を出られるはずったのだ。私の補習にさえ付き合わなければ…。
あの車に出会う事もなかった。きっと、ウキウキでフィギュアを手に入れて笑っていたはずだ。
けれど、そうはならなかった。そして、去ってしまった友人の事もこのゲームについても記憶の彼方に押し込めていた。
今の今まで…。
人生を終え、天界と呼ぶにはあまりにも殺風景なあの場所で目を覚ましたあの時ですら私はセイント・オブ・ラバーズという言葉の一文字すら出てこなかった。
「迷える者よ。そなたは何を望む」
そこにいたのは、姿なき声。だが、不思議と恐怖感はなかった。
どこまでも真っ白な世界。何も描かれていないキャンバスの上に放り出されたような気分にさせられる。私という存在もどこかフワフワしていた。
「貴方は誰?ここはどこ?」
無意識のうちに言葉を発していた。以前にもここに来たような感覚すらしていた。
「私はルーメ。人々を導く者。そして、ここは後悔を残した者や、若くして生を終えた者達に再生をもたらす場所である」
その者…。彼女はそう言った。
ルーメと名乗った者に性別があるのかは知らないが、私の印象では綺麗な女性のようだった。
姿は見えないがそういうイメージが湧いてくる。
「後悔?」
「多くのものが人生を振り返る。そして大抵の人間は後悔を残して生を終える。だから、彼らに選択の機会を与えるのだ。再び、生を巡るか。このまま、魂の存在となり天界へと昇るかを…」
「天界…」
「そう。そなたは十分に天界に上る資格を有している。それだけの時間を地上で過ごしたのだ。お前の父も母もそして夫も天上にいる。彼らに会いたいと言うなら…後悔を手放すと言うならこのまま、そこのエレベーターに乗るがいい」
彼女の声と共に私も前に見慣れた形のエレベーターが出現する。
「天界でみんなは何をしてるの?」
「いろいろだ。寝たり食べたり、踊ったり」
地上とあまり変わらないって事?
「そなたの旦那は…天界の民と戯れている」
「そう…」
アイツ、完全に私の事忘れてるわね。
会社の上司として出会い、結婚。長い年月を共にした男は私がいなくても楽しくやっていると告げられても何の感情も抱かないばかりか、飽きれてため息が漏れる。
「さあ、そなたはどうする?後悔を手放すか?」
彼女は抑揚のない声で再び選択を投げかける。
私の後悔…。そうだ。
「若くして亡くなった者もここに来ると貴方は言った。なら、彼女は?ゆいなは?天界にいるの?」
「彼女は天上に迎え入れられるだけの力を溜める事なくこの場所に来た。だから、再び生の道へと進んでいったよ」
「つまり生まれ変わっているって言いたいの?」
「そうだ。彼女は自分が望む世界で生きると選択した」
そう…。ゆいなは別の世界で生きなおしているのね。
姿なき彼女の言葉になぜか安堵感に包まれる。
「さあ、選択せよ。そなたは何を望む?」
「私は…」
胸に手を当てる。
周りになじめず、独りぼっちだった私に手を差し伸べてくれた優しいゆいな。
彼女に一言もお礼を言っていない。
ずっと後悔してきた。だから…
「私はゆいなのいる場所に行きたい」
「つまり、再び生を歩むと…?」
私は力強く頷いた。
「そなたの選択。受け入れよう」
次に彼女にあったら、絶対言おう。
“ありがとう”
私は救われたんだって。