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第4話 カデリアス・ファルボーという警部

ソフィアは群衆の中でただ一人を視界に取られていた。


この空間を漂う邪力の中で最も濃い波動を纏う男を…。


「奴が犯人よ!」


ソフィアが指さしたと同時に群衆をかき分けて一人の男が逃げ出した。


「捕まえろ!」


警部の声と共に制服警官たちは彼を抑え込む。

連行され男の身なりは整い、顔立ちも悪くない。女性ウケがよさそうな人物だった。

悪人には見えない。


「一体、何なんだ!」


男は不満そうに暴れていた。不当逮捕だと訴えている。


「警部、その懐中時計に残った邪力は彼から発せられてますわ」


ソフィアの発言に男は目を見開く。


「なっ!何を…。帝国の治安を守るべき人間がこんな小娘の言う事を信じるのか?」


男はその太く汚い指でソフィアを指さした。全身が怒りで震えている。


「小娘ですって!お嬢様は…」


血相を変えて男に掴みかかろうとするシエラを制するソフィア。

淑女らしく、扇で口元を隠して微笑む。


「嫌だわ。私になんのメリットがあって、嘘をつく必要があると?」


ソフィアの声は淡々としていた。だが、これでも社交界では絶対的権力者として気に喰わない人間をいびってきた女だ。見下すだけで相手を黙らせるだけの目力は備わっていた。

現に今だって、彼女に視線を送られただけで男はひるんで何もできない。


「私は…裕福なブティック経営者ですよ。泥棒なわけありません。この姿を見てください。どう考えても、その貧相な奴が犯人ですよ」


男はソフィアに怯えながらも言葉を紡いだ。

その様子にゆったりと笑うソフィア。


「それこそ、犯人だと言っているようなものでは?」


「どういう意味です?」


彼女の発言に警部も興味を示した。


「そもそも、この辺りにあるレストランは高級志向ばかりでしょう?先に連れてこられた彼の姿ではお店に入る前につまみ出されてしまいますわよ。でも、貴方はどうかしら?」


「だっ!だからって…」


「彼のポケットを探してみては?他にも盗んだ物が出てくるかもしれませんもの」


警部は部下たちに合図指示した。


「やっ!やめろ…」


男は複数の警察官に抑えられる。そのポケットから高価な時計や宝石がゴロゴロと出てきた。


「あらあら。これでは言い逃れできませんわね」


微笑むソフィア。青年はため息をついて、


「早く連れていけ」


と言えば、犯人は警官たちに連れていかれた。


「ところで彼はどうなさるの?」


最初に容疑者として連れてこられた男に向き直る。


「俺は何もしてない。そもそも邪力だって路地裏で過ごしていればどうやったって纏わりつくだろ!」


邪力は薄暗い場所にたまりやすい。さっきの犯人のようにマゴスの闇に落ち、闇の力を浴びる者は当然、体に痕跡が残りやすいのは当たり前。

そうでなくても長時間その空間にいれば、影響を受けるのはよく知られていた。


おそらく彼は、路上生活者だ。

彼らはアビステアの加護を受ける魔力とマゴスの協力者たる邪力の境界線にいるも等しい。


「はあ…もう行け。だが、もし次に会った時に犯罪に手を染めていると分かれば…覚悟しておけ!」


男は頭を掻いて、そそくさと姿を消した。

ああいう人々がこの先も増えていく。聖女が誕生しないかぎり。

おばあ様は私にその役目を担うように言う。


私だってできる事なら…。


「レディ。貴女にも感謝いたします。私は帝国内務省警察部第7刑事課所属のカデリアス・ファルボーと言います。失礼ながらお名前は?」


突然話しかけられてハッとする。なぜだか安心する。でも、

ファルボー?聞いたことない家名だわ。地方の下級貴族かしら。

仮にも公爵家の私とはつりあわないわ。


「警部さん。初めて会った女性に軽々しく名前を聞くものではありませんよ」


「いえ、私はそんなつもりでは…」


「シエラ。行きましょう」


ソフィアは振り返らなかった。残念だわ。結構、いい男だったのに。


しかし、もう会う事はないだろう。





「ええっ!このお店つぶれたんですの?」


盗難事件騒動を無事解決したソフィアはお目当てのブティックに足を進めた。

けれど、肝心の入口は鍵がかかり、人の気配はない。


「夜逃げでもしたんでしょうか?」


シエラはお店の中をのぞいていた。店内は商品一つ見当たらない。文字通りもぬけの殻だ。


「どうしてですの?経営にはそれほど苦労しているようには見えませんでしたのに」

「まあ、このご時世ですし…」

「これもマゴスの力が強まってるからだと言いたいのね?」


ソフィアの言葉にシエラは肩をすくめて同意した。

仕方がない。振り返るとまだ営業していたブティックを見つける。

正直、あまり好みの服が置いてあるようには見えないけれど、このまま帰るのも癪だ。


「あそこに入りましょう」


ソフィアはシエラの返事を待たずに向かいのブティックに入った。

一般的な店内にカフェも併設してある。少し休むにはちょうどいいだろう。

店の外からは分からなかったが、ソフィアの目に留まるドレスもある。


「いらっしゃいませ」


やってきた老人はきちんとスーツを着込み、数少ない白い髪は整われている。

その動きの一つ一つに無駄は見られない。洗練された執事そのものだ。

この辺りでもまだ、熟練した人物はいたという事ね。


「紅茶をいただける?シエラもそれでいいわよね?」

「えっ!私もいただけるんですか?」

「もう、そのセリフ毎回するつもり?」

「あっ!申し訳ありません。ありがたく頂戴いたします」

「それでいいのよ」


ソフィアはにっこりと微笑んだ。

運ばれてきた紅茶は澄み切った琥珀色だった。カップも温かい。口に含んだ程よい苦味が体に心地いい。いいお店を見つけたわ。今まで気づかなかったのが不思議なぐらい。

これを飲み干したら、もっと詳しく店内を見てまわろう。

そう思っていた矢先、入口のベルが慌ただしくなった。


「お祖父ちゃん!どうしよう。オーナーが捕まったって!」


そう叫んだのは12歳ほどの少女だった。


「なんだって!一体、なぜ?」


「最近、頻発してたレストラン盗難事件の犯人だったんだってあの人!」


それってさっき、私たちが遭遇した奴よね。

そういえば、ブティックをやってるとか言ってたけど、ここがそうなの?」


「お祖父ちゃんからこの店、奪っといて自分は犯罪者だなんて。だから、あんな奴にお店売っちゃだめだって言ったじゃん!」


少女の全身から怒りと喪失感が同時に溢れている。


「だが、昔ならいざ知らず借金も膨らむ一方だ。それに自分にオーナーの権利を譲れば、お店には立っていいと言われた…はっ!今はお客様がおられる。その話はまた…」


老人はすぐさま、余所行きの顔になる。ソフィアはこれは好機かもしれないと思った。おばあ様も言っていた。聖女とは心優しき人間だと。


「支配人。オーナーが捕まったというのは気の毒ですね」

「これは耳障りな言葉をお聞かせてしまって…」


ソフィアはゆったりと笑った。


「なら、私がこのお店を買い取るわ」

「お嬢様!」


シエラが驚いて紅茶を吹きだしそうになっている。


「しかし…」


老人はこの初めてきた令嬢の申し出に困惑していた。


「ちょっとアンタ急に何なのよ!」

「メアリー!」


老人が孫娘であるメアリーを引き留める。少女の瞳はソフィアを得体のしれないものでも見るように鋭い。実に威勢がいい少女だ。実家にいたころなら間違いなく処罰していただろう。

けれど、今はそんな気分ではない。


「心配いらないわ。貴方は今まで通りこのお店に立ってくれればいい。まあ、服なんかのデザインは少々変えてもらう事になるかもしれないけれどね」


「しかし、どうして?」


「この紅茶が美味しかったのと、暇つぶしよ」


「暇つぶし!そんな理由で…」


ごく当たり前のように語ったソフィアにメアリーはますます口調が荒くなってくる。


「あら、それでも貴方にはいいお話でしょう。だって、口ぶりからしたら、このお店を続けたいようだから」


老人は反論できず、押し黙ってしまう。


「心配しないで。悪いようにはしないわ。クラヴェウス家の名にかけてね」

「ク…クラヴェウス!公爵家の…。これは失礼しました」


支配人は深々と頭を下げた。


ソフィアは小切手を取り出して、筆を動かした。


「気楽にして。これから長い付き合いになるんだから。提示金額はこれでいいかしら?」


ソフィアは支配人に小切手を手渡した。そこには1憶ルブーンと記されてる。


「こっこんなに?」

「だから、気楽に考えて。これは暇つぶしなんだから。じゃあ、また来るわね」


呆気にとられる老人とその孫娘に微笑みかけて

ソフィアは颯爽とブティックを後にした。

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