『シエラ・ウッドヴィルです』
彼女と初めて顔を合わせた日から何年たっただろう。
あの時はお互い子供だったがソフィアからすれば、彼女はいつまでも変わらない。
むしろ歳を重ねるごとに肌艶がよくなっている気すらする。
若返っているという言葉がしっくりくるのだ。以前、何歳なのかと聞いたら、ソフィアよりも上だと言っていた。学生をやる歳ではないと…。
それでもそこにいるシエラは少女と呼ぶ年齢に思える。
何か特別なケアでもしているのだろうか。そう聞いても、
「何もしておりません」
と返されるだけなのだ。
小窓から雲一つない青空が広がっている。こういう日は外に出たくなる。
「この後、授業はないわよね。街に行くから付き合ってくれる?」
「構いませんがまたお買い物ですか?」
「そうよ。またおばあ様から、聖女の刻印は現れないのか?って手紙が届いたの。ストレスが溜まってしょうがないわ」
ソフィアは仲睦まじげなマニエル達を見下ろした。
私もあんな風に笑える友…親しい人がいればいいのに。
「私がおそばにおります」
ソフィアの思いを察したのかシエラは答えた。
その顔は真剣そのものだ。
そうだった。私にはシエラがいるじゃない。
私のために平民には厳しいこの学院にもついてきてくれた彼女。
ソフィアがギリギリの所で立っていられる理由の一つだ。
だから、これ以上望むのはそれこそ罰が当たる。
そう思えるようになったのもあの屋敷を出た今だから感じれるのだ。
「ありがとう」
そして、自分を縛る手紙をこうして破り捨てる余裕で出来ているのも…自分が成長している気がした。
何より、祖母に小さな反抗ができるのだとちょっと嬉しくも思う。
「この辺りも寂れたわね」
腰のあたりに適度な振動を与えて動く馬車の中から見える街はレンガ調のよく似た建物ばかりが並ぶ。
女性は皆スカートで足を隠し、男性たちはいそいそと早歩きで去っていく。
一見すると賑わう繁華街。首都の中心部と言ってもいい。だが、少し路地に入ると家がない人々がうずくまっている。
最近、その数が増えたような気配が漂う。
「やはり、マゴス復活が近いからでしょうか?」
シエラはそう言った。
女神アビステアの対となる闇の神の名。およそ一万年前。この大陸を舞台に繰り広げられた争いの勝者はアビステアのものとなり、マゴスは地上奥深くに封印され世界への干渉を禁じられた。
それでも闇の神はあきらめてはいない。数年単位で訪れるアビステアの加護が弱まるたびにマゴスは復活しようと働きかけてくる。
その初歩的な手段の一つが、アビステアの力である聖なる魔力を弱める事。これにより人々の心に闇を植え付ける。
だから、マゴス復活前はいつも国が荒れる。そう言い伝えられてきた。
だが、アビステアだって黙ってはいない。女神はマゴスに対抗するために自らの使徒を選ぶ。
それが聖女なのだ。
ソフィアは自分の両手を見比べた。やはり、神聖なる証である八つの光の線で作られた紋章は現れてはいない。変わりに祖母がつけた赤いやけどがうっすらと残っていた。
今は、おばあ様の事は忘れよう。
「ここからは歩くわ」
ソフィアは笑顔でそう宣言して、馬車から勢いよく飛び出した。
後ろから慌てて追いかけてくるシエラの声が耳を通り抜けていった。
外に降り立つとやはり国を覆う魔力の結界に陰りが出ているのが肌で感じる。
自分が聖女になり、この状況を変えられたなら、どれだけ嬉しいか。
だが、それは無理だ。今、初歩的な魔力の揺らぎを感じ取れているのもソフィアの力ではない。
彼女の家に使わる法具のなせる業だ。
ソフィアは自身の腕に巻かれた装飾が施されたリングを無意識のうちに触る。
「待て!」
男の怒鳴り声で振り返れば、人をかき分けて、同じ制服を着た一団が通り抜けていく。
彼らの腕にはブローディアの花のエンブレムがつけられている。
「事件かしら?」
アライアンス帝国内務省警察部に所属する者達の動向をソフィアは見守った。
彼らは思いのほか、彼女のすぐそばで立ち止まった。
「俺は犯人じゃない!」
警官と思われる男に連れられてみすぼらしい姿の男性が連れ出されてくる。
「ウソ言え!そこのレストランで盗みを働いただろう‼」
男は警官の怒号に耐えかねて萎縮している。
「あれがあの事件の犯人ですか?」
「知っているの?」
息をきらせてソフィアの隣に立つシエラ。
「この辺りのレストランで客の荷物が盗まれる事件が頻発していたらしいんです」
なるほど。それで、警察も張り込んでたってわけね。
暴れる男を警察官は彼を殴ろうとする。
「やめろ!」
そこに現れた青年の声で手を止める警察官。
「警部!」
警官はロング丈のスーツを着込んだ青年に敬礼した。
若いわね。
年齢は20代だろうか。銀色の髪に草原を思わせる透き通ったグリーンの瞳。
正直、警察官というより俳優と言われた方がしっくりくる。
あの歳で私服、それも警部ということは貴族ね。
容疑者扱いされている男は青年にすがりついた。
「断じて俺じゃないですって…」
「体中に邪力を纏っといてよく言うよ」
「うっ!それは…」
男の体はますます、貧弱に縮こまる。
「まあ、どっちにしても犯人が落としていった“これ”に残された邪力を解析すればおのずと答えは出る」
警部は布に巻かれた大きなサファイアが埋め込まれた懐中時計を男の前に差し出す。
おそらく、盗み損ねた代物だろう。
ソフィアは非日常に遭遇したようでワクワクしていた。
「それ、私が確かめましょうか?」
ソフィアは知性ある令嬢を演出して、警部と呼ばれた青年の横に進み出た。
「貴女が?」
突然の乱入者に青年は眉をひそめた。
「失礼。レディの手を煩わせる必要はありませんよ」
青年は礼節をわきまえているようだが、部外者はさっさと去れという心の声が聞こえてきそうだった。
失礼な人ね。これでも公爵令嬢の私に…。
それでもいつものように反論しなかったのは彼がソフィアのタイプに分類されていたからだろう。
「邪力の解析には時間がかかるでしょう?相当の魔力を保有する術者の手を借りなければいけないんですもの。でもここにそれをできる人間がいると言ったらどうなさいます?」
ソフィアはあくまで奥ゆかしい令嬢を演じた。
「シエラ」
シエラはソフィアが本題を語る前に聖アビステア高等学院の生徒である証となる生徒手帳を差し出した。青年はそれを確認してもあまり乗り気ではない様子だった。
だが、これで引き下がるソフィアではない。彼が止める間もなく、彼女は証拠品であろう懐中時計に手をかざした。聖アビステア高等学院の生徒であれば、邪力の解析など朝飯前。
それはソフィア以外の…それもごく一部の生徒だけではあるが…。
だが、彼女には奥の手があった。それが先の聖女。ソフィアの一族から出現した選ばれた使徒、リアーナ・クラヴェウスの魔力が込められたブレスレットだ。
祖母からお守りとして譲りうけ、腕に付けられたそれはソフィアにとっては重荷となっている。
しかし、たまには役立てたって罰は当たらないだろう。
「これは…」
懐中時計からマゴスの力である禍々しい邪力のオーラが漂ってくる。
ソフィアの瞳には赤と紫が混ざり合った炎が映り込む。
人の憎悪を掻き立てる色だ。
ソフィアは容疑者の男の顔を見据えた。確かに男からは邪力の波を感じる。だが、それは微量のものであり、なおかつ、この懐中時計に残っている邪力の波動とも異なる。
魔力も邪力もその人によってその色や形は個性が伴う。
慎重に辺りを見渡した。邪力の気配を追うのは集中力が伴うのだ。
彼も違う…。この人も…。彼女も違う…。
ソフィアの動きが止まった。
懐中時計に残された波長と同じ邪力の持ち主を捉えたのだった。