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第2話 マニエル・リードという少女

聖アビステア高等学院は帝国の首都近郊に作られた教育機関である。

元々、マゴスが率いる闇の勢力と戦う戦士の養成機関として誕生した。

そして女神アビステアから選ばれた聖女を守り、その活動拠点としての意味も含まれている。

しかし、それは時代の流れと共に貴族の令息や令嬢の学び舎へと姿を変えた。

それでも、当初の設立理念も失われたわけではない。マゴスに対抗する術である魔法を扱える高い魔力を持つ者ならば平民の入学も許可されているからだ。この学院の卒業生たちは皆、魔法使いと呼ばれるのである。


「まあ、こんな所に下働きがいましてよ」


煌びやかなドレスを身にまとった令嬢が一人の少女を突き飛ばした。

令嬢の取り巻き達はそれを面白そうに嫌味に笑っている。

貴族生徒と平民出身者の間には越えられない壁が存在していた。

たとえ、魔法を持つ者同士であってもだ。


貴族達は自分達の方が女神の加護を受けていると信じ、平民生徒達を基本的に見下している。

校舎裏どころか、学院の至る所で見られる光景。

貴族達は忘れているのだ。この学院の平民出身者の方が実力があり、魔力が高いという事実を…。


多くの貴族は魔力をごまかしているからだ。

それはソフィアも同じであった。魔力のランクは上からS~Fに分類される。

彼女の保有する魔力はDクラスである。

だが、祖母の策略で彼女はAランクとして入学した。他の一部の貴族生徒達と同じように…。


以前のソフィアなら令嬢と名もなき平民の少女とのいざこざなど見て見ぬふりをしていただろう。

いや、むしろ自分から加担していたはずだ。

だが、不思議とそういう気分にはならなかった。寮生活となり、祖母と距離を取る事が出来たのが心にゆとりをもたらしたのかもしれない。

それに入学してもう二年目に突入しようとする時期だ。

ここは上級生として風紀の乱れを正すのもいいかもしれない。

これはただの気まぐれだ。


「一体、何の騒ぎです?」


ソフィアは扇の下で微笑みながら、令嬢に問うた。


「何よ。私たちの邪魔をする気!」


令嬢は女王気分丸出しだった。


「待って!貴女はソフィア様!」


取り巻きと思われる別の令嬢は口走った。


「ソフィア様って、聖女様の…」


女王気どりだった少女の顔はみるみる青くなる。


「あら、いやだわ。聖女だなんて。私はまだ印も現れてませんのに」


「そんな、クラヴェウス家のご令嬢がご謙遜を…」


ソフィアは令嬢の言葉を遮るように強く扇を閉じた。

その冷たい瞳に令嬢たちは肩をすくめる。それでも気分を害されたのは本当だ。


聖女が何だというのよ。どう考えても自分には程遠い存在だ。それなのに力量を遥かに超えた能力を求められるのが耐えられない。

むしろ、聖女候補としてふさわしいのは、令嬢たちのカモにされている少女の方だろう。

座り込んだまま、うるんだ瞳をソフィアに向ける新入生。


確か、名前はマニエル・リードと言ったかしら。


記憶に残っていたのは彼女が学院の歴史を塗り替えるほどの魔力を保有しているという噂が流れていたからだ。聞いた話では入学試験でSランクをたたき出したと教師陣始め、生徒の中でも騒がれていた。

平民出身者にしては整った顔をしている。そう考えている時点でソフィアも多くの貴族達と変わらない。それでも、本当にマニエルは壁画に描かれた天使のようだった。


女神に選ばれるのは彼女のような人だろう。

咄嗟にそう思ってしまった。今まで必死に考えないようにしていたのに、彼女の前ではなぜだか敗北を認めてしまいそうになる。

しかし、手の平に現れるとされる聖女認定の証はマニエルには見当たらなかった。

彼女のような人物でも聖女に選ばれないのなら、一体誰が選ばれると言うのだろう。


この短時間の間でも神聖な力がヒシヒシと肌で感じて、圧倒される。そして、気分が悪くなった。

自分が汚れているような気すらしてくる。マニエルをカモにしていた令嬢たちはこの力を感じていないのか。ソフィアの心は大いに乱れていた。


「あなた達、随分暇なようね。こんな所で油を売っているんですもの。家紋が泣きますわね。それに…」


ソフィアの言葉は令嬢たちに半分も届いていない。全身から逃げたいと叫んでいる。

しかし、それはマニエルの魔力のせいではない。格上の令嬢であるソフィアから家紋という言葉が出てきたためである。震えている令嬢達には、”お前達の家など簡単につぶせる”と聞こえているのだろう。

そんなつもりは全くないのだけれど、入学前のソフィアの言動を思えば、気分を害した公爵家の令嬢が自分達をターゲットにするかもしれないという恐怖が押し寄せているのだ。

彼女達は大いに震えがっている。


失礼ね。おばあ様なら他家を潰すぐらい容易でしょうけど、私に権力なんてありませんのに…。


令嬢たちは小さく会釈をして、立ち去って行った。

これで静かになるはずだ。


「あの…」


マニエルの鈴の音のようなかわいらしい声が耳を通り抜ける。

だが、ソフィアは立っているのがやっとだった。そこにいるだけで、彼女に飲み込まれそうで恐怖とも、高揚感ともつかない感情に振り回されていた。

もし、彼女と目を合わせたら、まともにいられる自信はない。


「失礼しますわ」


扇で顔を隠して、振り返らずに足を動かした。

彼女の魔力にあてられて、酔ったようだ。


私が…いえ、おばあ様が欲して仕方のない力を持つ少女。


その存在に嫉妬と怒りが募る。

けれど、同時になぜこんなに胸がざわつくのか…。


この時のまるで理解できなかった。

あの出会い以降、ソフィアはマニエルと関わる事はなかった。

ただ、その動向だけは耳に入って来た。

そのほとんどは貴族生徒達が流した聞くに堪えない噂で、男に媚びる女だとか、授業の半分もついていけてないのに学院にいるのはおかしいと言ったものばかりだった。

彼女の実家は平民の中でも貧しい方らしい。まともな教育を受けてきたのかも怪しいとささやかれている。そんなマニエルが魔力の高さだけで学院に入学したのだ。

もし授業についていけてないというのが本当なら仕方がない話だろう。

しかし、前者に関してはあながち嘘でもないとも思った。


「お嬢様。よろしいんですか?」


侍女がいつものように紅茶を注いでくれる。


「なんのことかしら?」


侍女の何かしらを訴えるような視線とぶつかる。


「シエラ?言いたい事があるなら、はっきり言ってちょうだい」


「パトリック王太子殿下の件です」


最近、マニエルは複数の男子学生といると令嬢達が悪口を言っていた。

その中には、パトリックも含まれているし、ソフィアもその様子何度か目撃している。


「よろしいじゃないの。楽しそうですもの」


このテラス席からは庭がよく見えた。現に今だって、逢引中の生徒達が丸見えだ。


「もう。そんな呑気に!パトリック王太子殿下はお嬢様の婚約者ではありませんか。それが得体のしれない女の餌食に…」


ソフィアはシエラの言葉に首を振って否定した。

その意味にシエラが気づいているとは思えないけれど…。


この侍女はソフィアがパトリックに惚れていると思っているのだ。確かに笑顔すら見せてくれない殿下に思うところがあるのは事実だ。

しかし、それを恋と呼ぶのはなんとなく違うのは理解できた。正直な所、パトリックが誰と付き合おうが何の感情もわかない。


むしろ、マニエルとうまくいってくれれば婚約破棄をしてくれるかもしれないと思った。

そうすれば、祖母も壮大な夢から覚めてくれるのではないかと期待した時期もある。

それが、実現不可能な事ぐらいよく分かっているくせに。

万が一、王子とマニエルが恋仲になったところで彼らの恋愛が成就することなどありえない。

たとえ彼女が聖女になったとしても同じだ。

一番現実的なのは愛妾としてそばに置く事だろう。


あの天真爛漫な雰囲気を持つマニエルからは最も遠い気がする。

けれど、もしそうなった時…おばあ様はどうするのだろう。


自分の野望を成就できないとあの人が理解したら、私は…。


それ以上は考えたくなかった。せめて、この学院にいるときぐらい好きに過ごしたい。

湧き上がってくる恐怖を必死に押し込める。

小さく息をして、長年仕えてくれれている侍女に微笑んだ。


「ところで、シエラ。学院にいる間はお嬢様って呼ぶの禁止だって言ったわよね?」


そこには公爵令嬢と呼ばれるような格式的な言葉は存在しない。事情を知らない者達が見れば、普通の少女がそこにはいた。


「そうは言いましてもお嬢様はお嬢様ですし…」


シエラは申し訳なさそうにつぶやいた。


「固いわよ。今は同じ生徒同士なんだもの。気楽にして」


「いいえ。そうはまいりません。私はお嬢様の身の回りの世話をするためについてきてるんですから」


「そのためなら、“学生の身分もこなす”でしょ?何度も聞いたわ」


「その通りです」


きっぱりと宣言するシエラ。


「自分でどう思ってるのかは知らないけれど、シエラ…貴女、私より学生っぽいわよ」


「そうでしょうか?」


解せないと言いたげなシエラにソフィアは微笑み返すだけである。

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