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第1話 ソフィア・クラヴェウスという女

アライアンス帝国は数千年の間、アビステア大陸の支配権を握り続ける超国家である。

その君主たる王族は大陸の名に由来する女神アビステアを祖としているという。

そして、貴族たちもそれに属する一族だとみなされ人々の信仰を集めてきた。


その一旦は彼らが大陸に封印された闇の神マゴスに対抗する力を有しているとされているからだ。

数十年の周期でマゴスの力は強まり、復活の兆しを見せる。

それを抑え込むアビステアから授かったとされる神秘の力、魔法を扱う能力は平民より貴族の方が強いとされてもいる。


だから、人々は自分達を守ってくれる貴族たちを敬い、当事者である貴族は女神の眷属として彼らを導く。そうやって帝国は長い間、発展してきた。

だが、建国以来、貴族がマゴス陣営と戦った記録はない。

なぜなら、毎回復活前に聖女によって封印の強化が行われるからだ。


先の聖女は公爵家であるクラヴェウス家から誕生した。彼女はのちに王妃となった。

クラヴェウス家は聖女を輩出した一族として、また王族の親類とし権力を確固たるものとして帝国の中枢に食い込んでいるのである。


そうして再び魔の気配が忍び寄る頃、クラヴェウス家に娘が生まれた。藍色の髪と紫色の鋭い目力を秘めた彼女はソフィアと名付けられた。


「女の子…やっとね。ウフフ。貴女は聖女となるのですよ」


すでに何十年と歳を重ねている祖母の腕に抱かれたソフィアは生まれた時から自身の運命を決められていた。だが、それは彼女には重すぎた。なぜなら、ソフィアの魔力は微々たるもので聖女認定されるのは皆無に等しかったからだ。

それでも祖母はあきらめなかった。彼女に魔法を…聖女の力を開花させるという名目で英才教育を施したのだ。


そして、彼女の不幸に追い打ちをかけたのは不慮の事故で両親が亡くなってしまったことだ。

優しい家族の死に拍車をかけるように祖母はソフィアに聖女となる事を強要した。

それは傍から見れば虐待に近い。

しかしソフィアは黙って祖母に従い、ある時は鞭を打たれ、ある時は食事を抜かれ、部屋に閉じ込められた。すべては魔力を高めるためだと言われて…。


「ソフィア…早く聖女になって、王妃となるのですよ」


それが祖母の口癖だった。そして、当たり前のようにソフィアは王太子の婚約者となったのだった。

思春期を迎えた彼女は夜に咲く一輪の薔薇のように美しく成長した。しかし、心は愛に飢えていた。

誰も寄せ付けないような冷たさを帯びていたのだ。



「まあ、そのみすぼらし服はなんです?本当に貴族ですの?」


祖母からの仕打ちを発散するようにソフィアは自分よりも地位の低い者をからかう事に喜びを感じるようになっていた。

若い貴族の集まりに現れた女性をソフィアはいつものように見下した。

泥に塗れた白い服を身にまとう彼女はソフィアよりも遥かに年齢は上だが、この場で最も高貴なのはソフィアなのである。


だから、誰も反論しない。


「仕方ありませんわよ。彼女は男爵家の私生児ですもの」


ソフィアに同意するようにある令嬢は言った。


「だから、医学なんてバカな真似事に手を出してるんですわ」


別の令嬢が付け加えた。

この国で医学を志すものは庶民か、男性の貴族、それもかなりの変わり者がほとんどである。

貴族令嬢の嗜みは着飾り、政治に口を出さず、パーティーに明け暮れる。それが美徳とされていた。

そのため、目の前の彼女は変人扱いされているのである。

ソフィアは周りの令嬢たちの態度に気をよくしたのか、彼女にお茶をかけようとした。

それで満たされない想いが解消されるのではないかと思った。

だが、それは太い手につかまれた事によって叶わなかった。


ソフィアは手の持ち主を睨みつけた。


「放しなさい!」


その男の腕にはクロスした二つの剣が描かれたエンブレムが縫い付けられていた。

王族直轄の騎士団である事の証だ。

ソフィアは自分よりも格下のこの男の太い指で腕を掴まれた事にいら立ちを覚えた。

自由な方の手で奴を殴ってやろうかとも思っていた。


「ハーラン…」


別の男の声を合図にハーランはソフィアから手を放す。


忌々しいこの男はハーラン・ジェフリー。


平民でありながら王太子付き騎士となった青年。この国にはよくある茶色の髪と同色の瞳の青年ははつらつとしていた。人生を自分で切り開いているという自負が見て取れた。

祖母の操り人形である自分とは対極にいる男。それを感じるだけでますます吐き気がした。


そして、先ほどハーランを呼んだ男。

この国の王太子でありソフィアの婚約者であるパトリックと視線が合う。

その澄んだ青い瞳が鋭くソフィアを睨みつけている。

なぜこんな女が自分の婚約者なのかと言わんばかりだ。


「これはパトリック殿下。ご機嫌麗しゅう」


ソフィアは流れるようなしぐさで挨拶をした。


「またお前か?」


「はい?何のことでしょう」


ソフィアは素知らぬ顔で微笑んだ。

パトリックは大きなため息をついた。


「まあ、いい」


切りそろえられた金髪が太陽の光にあてられて、まさにおとぎ話の王子そのものだ。彼はソフィアが内心、落胆しているのを知らない。


叱ってくださらないのね。


なぜだか、寂しさがこみあげてくる。伝説上の勇者とヒロインと違って彼が自分に愛情を向けてくれる事はないと分かっていた。

そして、別の令嬢に八つ当たりをしても意味がないとも…。

それでもソフィアは自身の心と向き合う事は出来なかった。

ただ、置かれている状況を誰かのせいにしたくてたまらない。


ソフィアは踵を返す王太子のそばに控えていた青白い肌の青年を見据えた。


「あら、ナサリエル。家から出られたんですのね」


ソフィアはからかうように言葉を紡いだ。

だが、ナサリエルは彼女から視線をそらす。


失礼ね。一応幼馴染ですのに…。


ナサリエルの実家であるベンストック家は代々宰相を輩出している。幼いころはよく遊んだ仲だが、いつからか彼は家に引きこもるようになった。

もしかしたら、本当に体調が悪いだけかもしれないが、彼と会う時間は祖母からの仕打ちを忘れられる時間だっただけに、ナサリエルの行為はなぜだか裏切られた気がした。


そんなに私が嫌いなんですの。


昔は活発で、ソフィアの軽口にも応戦するよく話す少年だったのに今では声すらまともに聞かない。


ああ、本当にイライラする。


ソフィアはグッと拳を握りしめた。その視線は一人の青年に向けられる。

彼らと同じくパトリックの取り巻き、ソフィアとよく似た容姿を持つ彼には他の者達よりも遥かに歪んだ感情が渦巻いていた。


「ミルトン。私への挨拶はないのかしら?」


「朝も会ったんだ。今更…」


ミルトンはそっけなく返してパトリックの後に続いていく。


姉に対して、何という物の言い方かしら。


ソフィアはミルトンに怒りの感情が湧き上がってくる。

祖母からの呪縛に縛られているのが自分だけのような気がしたからだ。


弟は好きな時に望んだ場所に行ける。

彼らのような素敵な友人にも恵まれているのだ。

ソフィアには絶対に手に入らない世界だ。

何より、弟には祖母からの干渉が一切ない。


時間単位で日常のすべてを決められているソフィアはミルトンがうらやましくてならなかった。

気づけば、先ほどからかった令嬢は姿を消し、ソフィアの周りには誰もいなかった。

皆、現れた褐色肌の男性に視線が移っていたから。


「聖アビステア高等学院は皆さんの来訪を楽しみにしています」


比較的近い場所で司祭の声が聞こえる。


確かカール・タイディと言ったかしら。


一定の水準に達した魔力を持つ若者たちが集う学院で教師をしていたはずだ。

この集まりはいわば、入学前の顔合わせと言った所だ。

まあ、全員が同級生になるというわけではないけれど…。


ソフィアは人知れず胸の前で手を組んだ。心は大いに乱れていた。

本来、彼女は聖アビステア高等学院に入れるだけの魔力を所有していない。

それでもおそらく入学することになるだろう。

祖母には強い権力がある。ソフィアの能力を偽るぐらい簡単なはずだ。


そう思うだけで憂鬱であった。

だからこそ、こんな集まりでもソフィアにとっては気が休まる瞬間でもあった。

あの青年の話が終われば、ソフィアは家に帰らなければならない。

また、いつもの日常が始まるのだから。


「本当にいつまで続くのかしら…」


ソフィアのつぶやきなど誰も聞いていない。

ため息だけが、空気に溶けていく。


どうやら、学院での生活に胸をときめかせる同世代の若者たちの中で自分が場違いな気がした。

このパーティーでは気分転換にはならないと思い知らされる。

湧き上がってくる言葉と言えば、今日は鞭うちがなければいいのに…という事だけなのだから。

そして、時が経つのは早いものでその後、ソフィアは学院に入学した。

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