血を流して倒れているのはウェーブのかかった金髪の青い瞳の――
誰が見ても振り向くであろう美少女。
この薄暗い路地には似つかわしくない彼女を私はよく知っている。
しかし、それは愛情によるものではない。仲が良かった相手ですらない。
悲しみなど感じるはずなどない…。
そのはずなのに…。
それでも今、私は雷にでも撃たれたかのように動けない。
地に足がついているはずなのにフワフワする。
いっそのこと、意識を失ってすべてを忘れてしまいたかった。
けれど、この瞬間にも凍ったような感覚が心臓を、背中を伝っていく。
『早く行かなきゃ…』
頭の中で、この世界の文化とは程遠く、身動き一つしない彼女の容姿とも全く異なるけれど綺麗な少女。少し日に焼けた健康そうな彼女の映像が流れていく。
その瞬間、私の中ではある女の記憶が曖昧なれど、確実に再生されていた。
その女はある世界において、ごく普通の家庭に生まれた。兄妹はいたと思う。両親もよくいる他の家族と同様にその女を自分の子供として可愛がったし、教育もした。
見た目もごく一般的だった。その体系も中肉中背で特段優れていたわけではない。
その女の欠点を上げるとすれば、気弱だったことぐらいだろう。
その女の性格は思春期を迎えると他の同年代の子供達との関係に影響した。
彼らとうまく付き合えないのだ。言いたい事はあるのに言葉が出てこない。
その女は身を守るように、内にこもった。
その選択はクラスメート達を付け上がらせるとも知らずに…。
女は同年代の者達から、からかってもいい相手。
イジメてもいい相手として認識された。
女も仕方がないものとしてその日常を受け入れたのだ。
しかし、そんな女の考えを否定する者が現れた。
『同じ学校に通う仲間なのに。傷つけていいわけない!』
校舎裏でいつものように同じ顔触れ達に、聞くに堪えない言葉を投げかけられていた。
そんな女をかばうように立ちふさがったのは同じ制服に身を包んだ少女。
女と同じ黒髪に同色の瞳を持つ彼女は、はっきりとした口調で女を取り囲む少女達に向かって叫んだ。
彼女の迫力に先ほどまでは威勢の良かったクラスメート達はすごすごと立ち去っていく。
少女はその女に振り返り、満面の笑顔で手を差し出してきた。
『大丈夫?』
女は思わず彼女の手を握り返した。
『ああいう連中には強く出なきゃ、つけ上がるわよ』
彼女の発言に肩をくすめるしかない。それが出来れば苦労しないと言いたげに彼女を見つめた。
だが、この少女にはその視線の意味は届かなかった。
『あなた、同級生よね。よく図書館にいるの見かけるよ。私はゆいな。よろしく』
女は”知っている”と言った。
”私もよく見かけるから”と…。
『なんだ。じゃあ、声をかけれくれればよかったのに…』
楽しそうに、はにかんだ少女、ゆいな…彼女とこの日、友人となった。
それからの学校生活は女にとって楽しいものだった。
されど、それも長くは続かなかった。
高校生活最後の年。
『早く行かなきゃ売り切れちゃう』
ゆいなは好きなゲームの限定グッズを買いに行こうと慌てていた。
それでも、規律は守る少女だった。
横断歩道の前で信号を待っていた。
青信号になり、いつものように渡る。
この先も一緒に帰る日々が続くと思っていた。
それなのに…。
“キーン”
突然、けたたましいエンジン音が女の耳を通り抜ける。
二人の少女の前に猛スピードで突っ込んでくる車が出現した。
『あぶない!』
ゆいなの叫び声と同時に女の体は投げ飛ばされた。
それは親友に突き飛ばされたからだと気づいたのは数秒後だ。
鈍く伝う腕の痛みを感じながら、起き上がる。
人々は叫び声をあげ、辺りは煙に覆われている。
突っ込んできた車はガードレール越しで妙な音を立てて止まっていた。
それでも女の瞳には親友がぐったり倒れている光景が焼き付いている。
体のあちこちから赤い血が地面に流れている。
まるでスローモーションのように人々の声が流れていた。
親友、ゆいなは18歳という短い生涯を終えたのだ。
だと言うのに、女の人生は続いた。
ごく一般的な大学に進み、就職し結婚した。
そして、母となり祖母となった。
それなりに充実した人生だろう。
かつての親友の事など日々の中で忘れていった。
そうして、女の人生の終わりが近づいていた。
自身の子供達はそれぞれの道を歩んでいる。
夫も旅立った。女は思い残すことはないと思っていた。
『私はゆいな…』
もはや、自分では起き上がれない老体に青春時代に喜びを与えてくれた親友の声が小さく響いた。
弱くて、一人で立ち上がる事が出来なかった私に手を差し伸べ、光の元に連れ出してくれたゆいな。
彼女なら素敵な女性として人生を謳歌したはずだ。それなのに神は、私を生かし、彼女を連れ去ってしまった。
ゆいなにお礼の一つも言えなかった。
私は人並みの幸せを手にしたのに。
女は死の直前、酷く自分を嫌悪し、その人生を後悔したのだ。
「どうして…」
絞りだす声は震えていた。
なぜ、今なの?
もっと早く、思い出していれば…。
再生される前世の記憶に震えが止まらない。
体から力が抜けていく。
「お嬢様!」
うずくまる私に仰天して、控えていた侍女が駆け寄ってくる。
汚らしい道でドレスが汚れようと、もはや気にもならない。
とめどなく涙が溢れそうになるも、流れてこない。
唇は震えている。立っていられない。
どうして…。
もう一度、その言葉が頭を駆け巡る。
私は貴方に会うためにこの世界に生まれ変わったのに…。
かつての親友と同じように動かない少女。ゆいなとは似ても似つかない容姿の彼女。
それでも私にはわかる。この少女は私がずっと会いたかった親友なのだと…。