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第8話

「何なんですか?」


「ヘザー?」


「夜中にこっそり来るとか」


「ごめん」


「これ以上、私を翻弄しないでください」


「ヘザー?」


「アルフォンソさまの気持ちは、カサンドラさまにあるのでしょう?」




 ついに、ずっと心の中に押し留めていた感情が、顔を出してしまった。




「手紙に『僕のお嫁さんになって』と何度も書いておきながら、ちゃんと恋人がいるじゃないですか。こんな婚約者選定の儀なんてせずとも、カサンドラさまは誰からも認められる素晴らしい淑女です。どうしてさっさと婚約しないんですか。どうして私を呼び寄せたんですか。どうして今ここに――」


「ヘザー、僕が好きなのは君だけだ!」




 ヘザーの肩口から顔を上げ、泣いたせいで赤くなった目元を恥じもせず、アルフォンソは宣言する。




「何か勘違いをしている。カサンドラは僕の恋人じゃない」


「そんなはずはありません。カサンドラさまは、あなたを愛称で呼んでいた。それが許されるのは恋人同士だけです」




 ヘザーに根拠を突きつけられ、アルフォンソはぽかんと口を開けた。




「え……? ああ、そうか、ヘザーは知らなかったかな。カサンドラは僕の幼馴染なんだ」


「それは知っています」


「僕らは生まれたときから一緒にいたせいで、お互いに男女という概念がない。姉弟のような関係なんだよ」


「だから愛称で呼ぶと?」


「……カサンドラの恥ずかしい過去をばらすことになるけど、舌っ足らずだった彼女は、僕の名前を正確に発音できなくてね」


「あのカサンドラさまが?」


「ずっと『アルフォンソ』が言えなかったんだ。公式の場でも何度も噛むから可哀想で、特別にアルと呼ぶのを許したんだよ。それがなんとなく今まで続いているだけで、決して恋人なんかじゃ……」


「特別待遇で晩餐へ誘ってもいましたよね?」


「最初の日のこと? ヘザーだけ呼ぼうとしたら、二人きりになるのは駄目だと、側近たちに怒られたんだ。カサンドラがヘザーと友だちになりたいと言っていたから、同席させればちょうどいいと思って……」




 ヘザーの詰問に、オロオロしながらも答えるアルフォンソに、後ろ暗いところはなさそうだった。




「本当にカサンドラさまは恋人ではないんですね?」


「誓うよ。それに、カサンドラには僕じゃない想い人がいる。だから絶対に違うんだ」




 ヘザーの中で、しこりのように気になっていたものが、ぽろりと剥がれ落ちた。


 容姿への劣等感から気弱になっていたヘザーが、ケーキのように可愛らしいカサンドラに圧倒されて、勝手に先走っていただけだった。


 あの泣き通した夜は、無駄だったのか。


 いや、あの夜があったからこそ吹っ切れて、ヘザーは外見のことが頭から抜け落ち、婚約者選定の儀に素のままで挑めたのだ。




「では、試験で最後まで残った人が、アルフォンソさまの婚約者に……?」


「僕はヘザーがいい」


「今のままでは、カサンドラさまが婚約者ですよ」


「生まれたときから王妃教育漬けだったカサンドラが、高得点を叩き出すのは分かっていた。だからカサンドラとは協定を結んでいるんだ。カサンドラが最終選考に残っても、彼女は僕の婚約者にはならない」


「だったら、どうして彼女は参加しているんですか?」


「いろいろ思惑があるんだけど……今はまだ話せなくて。カサンドラ側にも事情があるんだ」




 カサンドラ側の事情は、アルフォンソが勝手に暴露していいものではない。


 だからアルフォンソはここで口を噤み、違う言葉を口に乗せた。




「信じて欲しい。カサンドラは僕の恋人ではない。僕の気持ちはずっとヘザーにある。手紙に書き続けたことは本当だよ。僕のお嫁さんになって欲しい。ヘザー、9歳のときから大好きなんだ」


「9歳のときは、私が大きいから好きだったのでしょう?」


「そうだね。僕には君が光り輝いて見えたよ。こんなにカッコいい女の子がいるなんて、信じられなかった」




 アルフォンソの赤い瞳が、とろりと蕩けた色をまとう。


 泣いたせいだけじゃなく、頬まで赤く染まっているのは、アルフォンソの正直な気持ちの現れだろう。


 今度こそ間違えないように、ヘザーはしっかりとそれを見つめる。




「僕にとって、大きくてカッコいいという誉め言葉は、最大の賛辞だった。だから君に何度もその言葉を贈った。それで僕の気持ちが伝わると思ってね。だけど、カサンドラから怒られたんだ」


「想像がつきます」


「女の子にとっては、その言葉は賛辞ではないのだと叱られて、どうしてなのか分からなかった。ヘザーはこんなにも素晴らしいのに、それを褒め称えることの何が悪いのだろうと悩んだよ」




 しょぼんとアルフォンソの眉尻が下がる。


 こういう表情は、悲しいときのウルバーノとそっくりだ。




「だけど、手紙に愛していると書くのは、違うと思ったんだ」


「っ……!」


「とても大切な言葉だから、直接ヘザーに伝えたかった。こうして君の顔を見て、僕の眼を見てもらって。どれだけ本気か分かってもらうには、これが一番いいよね?」




 真摯にヘザーを見つめるアルフォンソの表情は、凛々しい青年のものだ。


 姿かたちに憧れただけでは、6年間も、会いもせずに文通が出来るはずがない。




「僕はね、もちろんヘザーの大きくてカッコいいところに惚れたのだけど、それだけではないんだよ。あのお茶会のとき、ウルバーノがじゃれようとしても、落ち着いて対応してくれた。ウルバーノが食べられないお菓子を、そっと遠ざけてくれた。それを見て思ったんだ。ヘザーは強くて心優しい。やんちゃだった仔犬のウルバーノが、ヘザーに従おうとしたのも、きっと僕と同じ理由だ」


「あんなに短い時間で?」


「ヘザーの外見も内面も、僕は一瞬で大好きになったんだ。だからヘザーに、お嫁さんになって欲しいんだよ」




 今夜は月明りが眩しくて、アルフォンソの顔がよく見える。


 ヘザーに恋焦がれ、必死に求愛する姿のどこにも、嘘偽りはなかった。




「オーガの血が顕現した私の容姿が、他国ではどのような評価をされるのかを知り、アルフォンソさまの隣に私は立てないと思っていました」


「ずっと手紙でよそよそしかったのは、そのせいだった?」


「婚約者選定の儀に参加したのも、最後にアルフォンソさまとウルバーノに会いたいと思ったからで、自分が選ばれようとは微塵も考えていなかったのです」


「それは……悲しいな」


「でも、少し考えを改めようと思います」




 ヘザーは、アルフォンソのロゼ色の瞳を覗き込む。


 そこにはわずかに緊張をにじませた、ヘザーが映っていた。


 微塵もためらいがないアルフォンソのひたむきな気持ちに、ヘザーも真っ向から答えよう。




「私を望んでくれた最初のお茶会のときから、心に何かが刺さったようでした。アルフォンソさまのことを忘れようと何度も試みたけれど、文通をしている間は難しくて。もう一度、会えばハッキリするだろうと思っていたんです。そしてメンブラード王国へ来てみて……私は、あなたに恋をしました」


「ヘザー!」


「だけど、アルフォンソさまにはカサンドラさまがいた。失恋したんだと思いました。オーガ姫を本気で好きになる人なんていないと、夜通し泣いたんです」


「……ヘザー」


「そのおかげで肩の力が抜けて、いろいろどうでもよくなって、婚約者候補の皆さまとは仲良くなりました。アルフォンソさまを恨んだ瞬間もあったと思います。でもそれは、アルフォンソさまを信じなかった私が、弱かったのだと分かりました」


「今は? 僕をどう思っている?」


「今は……最終選考に、残りたいと思っています。あなたの隣に、立ちたいから」




 それがヘザーの出した答えだった。


 アルフォンソは嬉しそうにはにかむと、ぎゅっとヘザーを抱きしめた。


 おそるおそる、ヘザーもアルフォンソの背に腕を回す。


 二人はお互いの心の内を、ようやく正しく伝え合えたのだった。

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