「ヘザーさえ良ければ、ウルバーノに乗ってみない?」
構ってもらう順番待ちをしていたウルバーノを、ヘザーが両腕を伸ばして撫でていると、アルフォンソがそんな提案をしてきた。
首回りをわしわし掻いてもらってご機嫌なウルバーノには、確かに鞍のようなものがついている。
「乗れるんですか?」
「ヘザーを驚かせようと思って、内緒で訓練していたんだ。この国境にも、ウルバーノに乗ってきたんだよ」
嬉しそうなアルフォンソと違って、護衛騎士たちはげっそりしている。
走るウルバーノについていくために、馬を全力で疾走させたのかもしれない。
ヘザーが呆れた目で見たせいか、アルフォンソが慌てて言い訳を始める。
「僕はウルバーノがいるから、護衛はいらないと言ったんだよ。それでもついてきたんだ」
「当たり前です。国外にも出さずに大切に育てている唯一の後継者が、護衛もつけずにホイホイ出歩ける訳がないでしょう?」
年の離れた姉たちに教育されているヘザーは、ひとりっ子のアルフォンソよりも、よほど従者たちの苦労をわきまえていた。
しっかりアルフォンソを叱ってくれるヘザーに、護衛騎士たちは感動している。
「僕だけ、はしゃぎ過ぎたよ」
護衛騎士たちに、迷惑をかけたと謝るアルフォンソに、ヘザーは好感を抱いた。
やや傲慢なところがあるのは、王太子として育った環境のせいもあるのだろう。
だがこうして注意をされれば、アルフォンソは素直に受け入れる。
「アルフォンソさま、私のために国境まで来てくれたのでしょう? 歓迎してもらえて嬉しいです」
反省してしょげているアルフォンソに、励ますつもりでヘザーは感謝の意を伝える。
まさかここで会えるとは思っていなかったので、本当に嬉しかったのだ。
ヘザーに一刻も早く会いたいというアルフォンソの気持ちが、ヘザーの心を温かくした。
「ずっと願っていたからね。城で待つなんて、無理だったんだ」
照れくさそうなアルフォンソの笑顔が眩しい。
ヘザーが目を細めていると、アルフォンソがしゃがみ込んで、ヘザーの背中と膝に腕を回す。
え? と思う間もなく、横抱きにされたヘザーは、アルフォンソによってウルバーノの鞍に乗せられた。
「私、重たいのに……っ」
「あはは、重たくないよ。重たいっていうのは、ウルバーノのことを言うんだよ。圧し掛かられると、僕が潰れるからね」
ウルバーノと比べたら軽いかもしれないが、それでも一般的な女性と比べたら、ヘザーは背丈や筋肉があるから重たいのだ。
恥ずかしくて俯いているヘザーをよそに、ウルバーノにまたがったアルフォンソは手綱を握る。
「僕に体を預けていてね。揺れ方が馬とは違うから、慣れるまではゆっくり歩くよ」
「このまま、王城へ行くのですか?」
「きつかったら馬車も用意しているから。しばらくは二人乗りを楽しみたいんだ。駄目?」
我が儘を言っている後ろめたさがあるせいか、眉尻を下げているアルフォンソ。
それに胸がきゅんとしてしまったので、ヘザーの負けは確定した。
「駄目じゃありません。私もウルバーノに乗ってみたかったから」
「良かった。ウルバーノは城壁だって飛び越えるんだ。すごくカッコいいんだよ!」
アルフォンソが早口になり出したので、ヘザーは思わず笑った。
9歳のときと、癖が変わっていない。
笑顔を見せたヘザーに、アルフォンソの表情も緩んでいく。
「会いたかったよ、ヘザー。こうして僕の腕の中に君がいるなんて、夢みたいだ」
ロゼワインのように赤い瞳を潤ませて、アルフォンソにそんなことを言われたら、たいていの女性は恋に落ちてしまうだろう。
かつてはアルフォンソの気持ちを疑っていたヘザーだって、例外ではない。
可愛い女の子の範疇から自分が外れていると知って、意気消沈していた10歳の少女はもうどこにもない。
6年間、一途に想ってくれたアルフォンソへ勢いよく傾いていく心を、ヘザーは止められそうになかった。
◇◆◇
頑健にできている身体のおかげで、ヘザーはウルバーノの乗り心地にこれといった不便を感じず、アルフォンソが徐々に速度を上げていっても、問題なく王城まで辿り着いてしまった。
かなり速かったと思ったが、護衛騎士たちによると、行きよりも随分ゆっくりだったらしい。
「もっとヘザーと一緒に居たい」
そう言ってヘザーを抱きしめて、ウルバーノから降りようとしないアルフォンソを見るに、二人乗りの時間を長くするため、わざと遅く走ったのだろう。
飛び出して行ったアルフォンソの戻りを聞きつけて、側近たちが駆け付けるまで、アルフォンソはすりすりとヘザーに頭をこすりつけ、ウルバーノのようにくんくん匂いを嗅いでいた。
「まだヘザーが足りない」
悲しそうに告げるアルフォンソを、側近たちは容赦なくヘザーから引きはがし、執務室へ連行しようとする。
「婚約者候補のお迎えは、王子の仕事ではありません」
「担当の者にお任せください」
「ヘザーさまだけ特別扱いをしては、他の婚約者候補に顔向けができませんよ」
「もう少し我慢をしてください」
さんざん注意をされてしゅんとしているアルフォンソに、ヘザーは「また後で」の意味を込めて、こっそり小さく手を振った。
それを見たアルフォンソが目をキラキラさせて、ぶんぶんと大きく手を振り返してきたので、こっそりの意味がなくなってしまったのだが、それでもアルフォンソが元気になったようでヘザーは安心した。
◇◆◇
アルフォンソが引きずられていくのと入れ違いに、本来ヘザーを案内する役だった侍女が到着した。
すでにアルフォンソと一緒に派手に登場してしまったので、城中の視線を集めてしまったといっても過言ではないヘザー。
今さら背の高さで浴びる奇異の眼など、なんだか些細なものに思えてきた。
「どうぞ、こちらでございます。他の方々はすでに別の部屋を与えられ、滞在されています」
「私が一番遅かったのですね」
「仕方がありませんわ。ヘザーさまのオルコット王国が最も遠いのですから」
侍女はヘザーの長身に驚きもせず、親切に賓客用の部屋の説明をしてくれた。
もしかしたらヘザーの容姿について、前もってアルフォンソから通達があっていたのかもしれない。
気品のある部屋の中を見て回り、隣接する共同施設や談話室の使い方を教わっていると、ちょうど歓談をしている集団と出くわす。
おそらく、豪奢な長椅子に座っている淑女たちの全てが、アルフォンソの婚約者候補だろう。
「あら、もしかしてヘザーさまではなくて?」
その中から、豊かな金髪をなびかせ、輝石のような青い瞳をきらめかせた女性が立ち上がり、ヘザーへ声をかけた。
「わたくし、メンブラード王国ラモン公爵家の長女で、カサンドラと申します。どうぞ、お見知りおきください」
高貴なオーラをまといながらも、気さくな態度で自己紹介をするカサンドラに、ヘザーも挨拶を返した。
「初めまして。オルコット王国のヘザーです」
「ようやく、ご本人にお会いできましたわ。わたくし、6年前のお茶会を欠席してしまって、アルの騒動を見損ねたのです。ですから今度こそ、ヘザーさまとお友だちになりたいと思っていましたのよ」
(アル? それはアルフォンソさまの愛称?)
小柄で可愛らしいカサンドラが、アルフォンソを愛称で呼んだことに、ヘザーの心はざわつく。
オルコット王国で生まれ育ったヘザーと違い、カサンドラはアルフォンソと同じメンブラード王国出身だ。
公爵家という高位な立場であれば、王族と交流する機会も多く、アルフォンソと知己であってもおかしくはない。
それにしても愛称で呼ぶのは、親しい仲に限られるだろう。
「宜しければ、他の皆さまにもヘザーさまを紹介させてください。今も、わたくしの知っているアルの昔話を、皆さまに披露していましたのよ。何しろ同じ年に生まれたので、アルとわたくしは幼馴染で――」
これ以上この場に居たくなくて、ヘザーはとっさに疲れた風を装い誘いを断る。
「到着したばかりなので、私は先に休ませてもらいます。お話はまたの機会に」
「それは気がつきませんで……申し訳ございません。ええ、是非ともまたの機会に」
足早にあてがわれた部屋へ戻ったヘザーは、心配する侍女に一人にして欲しいと頼み、そのまま寝台へと倒れ込んだ。