いよいよ週末、ドラマの放送日だ。
親父がうるさいから、今日は部屋にこもってスマホから配信を見る。
愛斗と二人三脚で勉強した恋は、ついに苦手な数学で満点を取った。
放課後、誰もいない教室で2人が喜び合う。
『ありがとう! 愛斗くんのおかげだよ』
『恋が頑張ったからだろ。約束のご褒美、やらないとな』
窓の外に沈む夕陽が真っ赤になった。逆光に照らされ、2人はシルエットになる。
そして、2人の唇が重なり合った。
変に胸がザワザワした。友達がキスしてるとこなんて見ないもんな、普通。
アレ、本当にしてたのか? してないのか?
してるように見えたけど、わざわざシルエットになってるということは誤魔化してるのか?
いやでも、ただ単にそういう演出なだけなのかも……
……なに考えてるんだ、俺。そんなのどっちだっていいじゃないか。
それより健人に感想を送ってやろう。
『見たぞ! してたじゃんキスw』
精一杯ふざけたメッセージを書いたものの、送信できない。
後にしよう。
と思った瞬間、ポン♪と通知が鳴って健人からのメッセージがきた。
『見た? どうだった、俺のキス』
既読をつけてしまったから、スルーするわけにはいかない。
『微妙じゃん。シルエットで誤魔化して、ホントはしてないんだろ』
『さあ~? どうだろうね~?』
自分から聞いたくせに、はぐらかすなよ。
どうせファーストキスというわけでもないだろうし、ただの芝居だ。
健人はこれからもこういう仕事をしていく。俳優なんだからな。
翌週のテスト期間に、健人の姿はなかった。
仕事の合間に学校に来て、個別に受けるらしい。芸能コースではそんなに珍しいことではないようだ。
ドラマは無事最終回を迎えた。
放送中から人気は高く、すぐさま映画化も決まった。既に撮影も始まっているらしい。
俺はまた全然学校に来られない健人のために、ノートの写真を送っている。「ありがとう!」と律儀に返事はくるが、勉強する時間があるんだろうか。
誰もいない校舎裏で、段差に座って1人弁当を食べる。
太陽が雲に隠れてうすら寒い。外で食べるんじゃなかった。
「久しぶり!」と声がして顔を上げると、健人が走って来ていた。
「彰紘、こんなとこにいたんだ。捜したよ~」
「ビックリした。撮影の中抜けか?」
「ううん、今日は久しぶりに午後からオフなんだ」
「だったら家で休んでればいいのに」
「ずーっと休んでんだからサボれないだろ」
芸能コースは本人の活動によって、出席日数が足りなくても進級できるようになってると聞く。
せっかくのオフ、俺だったら絶対休んでるぞ。
「毎日ノートありがとな。おかげさまで、この前のテストは大丈夫だったから」
「健人、結構成績良いって聞いたけどホントか?」
「俺、教科書とかノートを写真みたいに丸暗記できるんだ。だから彰紘のノートさえあればバッチリ。台本もそれで覚えてる」
テレビでベテランの俳優が同じようなことを言ってた。天才ができるやつじゃん。
「健人、昼は?」
「食べてきた。隣、いい?」
言いながら、既に健人は隣に座っていた。
学校でゆっくり話すのは久しぶりだ。
「映画の撮影終われば、少し休めるのか?」
「いや、また次の仕事入ってる。今度は舞台だってさ。稽古多いんだって。あとCD出さないかって話もきてるから、ボイトレも始める予定」
「お前……倒れるぞ」
「平気だって。俺頑丈だもん」
言った途端、ふわ~と大あくびをした。
「寝てないのかよ」
「あんまりね。今日も撮影早くって」
「まだ授業始まんないし、ちょっと寝とけよ」
「ごめん……ちょっとウトウトしてる、だけなんだけど……」
健人がこてんと俺の肩に頭を預ける。寄りかかられてるのに、驚くほど軽い。
すぐに寝息を立てた健人の頬は、ちょっとこけたように見える。もともと痩せている身体が、ますます細く小さくなった気がした。
こんなか細い身体して、なにが頑丈だよ。
でも芸能人の健人にとって、忙しいのは喜ばしいことなんだろう。
人気商売なんだから、できる限り働かないと。
無理なんてするなと思ってしまうのは、のんきな一般人だからなんだろうな。
健人が規則正しく寝息を立てている。
できればこのまま、ずっと寝かせておいてやりたい。
思わずその薄い肩を抱き寄せた。
「仕事なんて、辞めちまえよ」
パチッと、健人の目が開いた。
「そんなに俺と一緒にいたい?」
「っ、お、起きてたのかよ!」
「ウトウトしてるだけって言ったじゃん。悪いけど俺、まだまだ仕事は辞めねえよ」
「まあ、そりゃそうだろうな……」
健人がどれだけ一生懸命にやってるかはわかってる。俺が軽々しく口出ししていいことじゃない。
それはわかってる、けど。
ふっ、と健人が弱々しく息を吐き出した。
「今忙しくても、いつ仕事なくなるかなんてわからないけどさ」
「そんなことないだろ」
「あるんだよ、この仕事は。なんとか『子役』から『若手俳優』に切り替えられたけど、それだっていつまでも使える武器じゃない。いつお払い箱になるかいつも不安なんだよ。そのうち俺のことなんて、誰も必要なくなるんじゃないかって」
初めて聞く健人の弱音だった。
芸能界の荒波……なんて俺は言葉でしか知らないけど、その真っ只中にいる健人の言葉は重い。俺が簡単に励ませるようなことじゃない。
それでも、少しでも健人の不安を和らげてやりたかった。
「芸能界のことは俺にはわからないけど。健人を必要とする人は、絶対にいなくならない」
そう言った俺を、健人は不思議そうな顔で見た。
「俺はずっと、健人が必要だから」
「彰紘……?」
って、これじゃまるで告白じゃないか!
取り繕う言葉も見つからなくて、健人の反応を待つしかない。いつもならすぐ茶化してくるのに、なんで何も言わないんだよ。
健人が笑いもせず、少し首を傾けた。
「本当に?」
「う、ウソ言ってどうするんだよ」
「じゃあ、キスして」
「は!?」
「口ならいくらでも言えるだろ。キスしてくれたら信じる」
健人が静かに目を閉じた。
キスしろって? なんで……え、どうしてこんな展開に……!?
でも俺はウソなんて言ってない。健人に言ったことは本心だ。
だったら……
俺は目を閉じて待つ健人に、ゆっくりと顔を寄せた。
爆音のように鳴る心臓の音が、健人に聞こえそうで怖い。
自然と固く目を閉じ、健人のその唇に、触れるように……キスをした。
「し、信じた……か?」
ゆっくり目を開けた健人の頬が、ほんのりと染まっている。
「信じてあげる。ウソじゃないんだな」
「だ、だからそう言って――」
「俺のファーストキス奪ったんだから、責任取れよ」
健人の言っていることが頭に入ってくるまで、たっぷり5秒はかかった。
「え、ちょっ、な!? ファ、ファーストキス!? ドラマは?」
「あれはしてないよ。ファーストキスまだだって言ったら、監督がしなくてもいい演出にしてくれたんだ」
「でもお前、今まで彼女……」
「告白されたことは何度もあるけど、誰とも付き合ったことないよ。俺、最初にキスするのは好きな人って決めてんだ」
「え、じゃ、マジで、え……」
というか今、『好きな人』って……
まだ頭が整理できない俺に、健人はいたずらっぽく笑った。
「彰紘、俺のこと好き?」
なに聞いてるんだよ!?
健人は俺にキラキラした世界を見せてくれて、一緒にいると楽しくて、傍にいられなくてもいつも思ってて、それで……
俺みたいな平凡な一般人とはどう考えても釣り合わない。こいつに似合うのは渡辺舞花みたいな美少女だ。そうに決まってる。
でも、それでも……
「俺が、好きになってもいいのかよ」
「いいに決まってるだろ。な? 俺のこと、好き?」
「……好き、だよ」
健人が幸せそうに笑った。こんな顔、ドラマでも見たことない。
俺の『好き』だけで、健人がこんな顔をしてくれる。
――キーンコーンカーンコーン
雰囲気ぶち壊しのチャイムが遠くに聞こえた。
「授業、始まるな」
「サボっちゃおうぜ。そうだ、どっか遊び行こう!」
「授業出るために来たんじゃないのかよ」
「いいんだよ。俺、彰紘に会いに来たんだからさ」
キラッキラの健人の笑顔が眩しかった。
でもそれに負けないくらい俺もキラキラに、笑えている気がする。
曇り空からはいつの間にか陽が射して、俺たちを照らしていた。