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第20話

「お嬢ちゃん、こんな遠くまで、来てくれてありがとう」


「こちらこそ、決まっていた結婚の話を翻してしまって……申し訳ありませんでした」




 ガブリエルの婚約者となったシルヴェーヌが手を握っている相手は、カッター帝国で一番大きな貿易商を営むクラッセン翁だ。


 社長の座はすでに息子へ譲渡し、今は会長として悠々と過ごしているのだが、いかんせん齢のせいで体の節々が痛むらしい。




「どんな薬も効かぬこの痛みを、和らげてもらいたかったんじゃ。だが、お嬢ちゃんを呼ぶには、結婚が条件だと言われてのう」




 欲深なジュネ伯爵が提示した金額を払うだけでは、駄目だったそうだ。




「仕方なしに、後妻へ迎え入れると決めたが……お嬢ちゃんが好きな相手と結ばれるなら、こんなに喜ばしいことはないよ」




 シルヴェーヌのおかげで傷みが和らいできたクラッセン翁は、柔和に微笑む。




「僕たちはこれから、元カッター帝国領だった島へ居を移します。もしよかったら――」




 それまで二人を静かに見守っていたガブリエルが、ある提案をしようとした。


 しかし、クラッセン翁は手を挙げてそれを留める。




「嬉しいけれど、儂ももう老いた。できれば孫たちのそばで、その成長を見守りながら、余生を送りたいんじゃ」




 ガブリエルが何を言わんとしたのか、お見通しだったようだ。


 クラッセン翁は腰が曲がり、手足も枯れ枝のように細いが、まだ意識はしっかりとあり、かくしゃくとしている。


 シルヴェーヌと一緒に島へ渡れば、今後もこうした治療が受けられ、いずれはもっと動けるようになるだろう。


 それが分かっているシルヴェーヌは、クラッセン翁との別れを躊躇う。


 愛するシルヴェーヌの一挙手一投足を見守るガブリエルが、そんな心の機微を見逃すはずがない。




「その孫たちの中で、島に新規出店したい者はいませんか? ゲラン王国御用達の看板を掲げて、クラッセン翁から経営を学びつつ、一から店づくりをしたいという気概のある……」




 ガブリエルがそこまで話したときだった。


 クラッセン翁の隣に控えていた少女が前に出て、ばっと勢いよく挙手をしたのだ。




「私、お店を出したいです! お姫さまが着るような、可愛いドレスのお店を!」


「これ、オードリー、お前はまだ15歳じゃないか。それに店を経営するのは、男子じゃないと――」


「おじいちゃんのその考え、もう古いと思う! これからは女子だって、どんどん店を持つべきよ!」




 そこから、クラッセン翁の孫オードリーによる、怒涛の説得が始まった。


 ガブリエルにしてみれば、それは説得なんてレベルではなく、ほぼごり押しの脅迫だったのだが。




「どうやら、オードリーが名乗りを上げるみたいなので、相談役として儂も島について行こう。……まんまと釣られた気がするがね」




 片方の口角だけを持ち上げて、クラッセン翁は苦笑いをした。


 これから島を治めるガブリエルにとって、カッター帝国随一の貿易商との繋がりを得られたのは大きい。


 しかも海に囲まれた島では、物流は必要不可欠な生活の要だ。


 どう見ても孫に甘いクラッセン翁は、オードリーの新規出店のために、航路や陸路を金の力で整えてくれるだろう。




「一等地を用意して、待っていますよ」




 腹黒さを隠して微笑み返すガブリエルの魂胆を正しく理解したのは、クラッセン翁だけ。




「怖い王子さまじゃ。カッター帝国の皇帝こそ大陸の覇者だと思っていたが、どうやら本物はなりを潜めていたようじゃな」




 ゲラン王国に有利な条件が、この一年間で次々と結ばれたのを、クラッセン翁も知っている。




「蛙の子は蛙と言う。やがて王子さまもゲラン王国の国王のように、その牙をちらつかせるときが来るのじゃろうな」




 ふぉっふぉっと、おかしそうに笑うクラッセン翁。


 ドレス好きなオードリーとさっそく意気投合し、お互いに自己紹介をしているシルヴェーヌ。


 賑やかな島生活が始まりそうで、ガブリエルは満足げに頷いた。




 ◇◆◇◆




 島に移ってから2年後、20歳になったシルヴェーヌと19歳になったガブリエルは、多くの島民からの祝福をうけて結婚する。


 そのころには、シルヴェーヌの体質をありがたがって、せめて一目だけでも会いたいと、大陸中から島へ人が押し寄せるようになっていた。


 クラッセン翁が整備した港にやってくる大型船は、そうした観光客で常に満員だと聞く。


 その経済効果を確認するため、ガブリエルはシルヴェーヌをつれて、城下町を歩いて視察していた。




「ドクダミ令嬢御用達の文字が、島のあちこちで見られるようになった。さすが僕のシルだよ」


「私は少し恥ずかしくもあるわ」




 第二王子妃になっても、シルヴェーヌは少女のように頬を染める。


 それに見とれている内に、ガブリエルは高級店が並ぶ一等地へと辿り着いた。


 オードリーが経営するドレス専門店も、ゲラン王国御用達の文字の下に、新たにドクダミ令嬢御用達と付け足している。




「ドクダミ令嬢御用達と書いてある方が、お客さま受けがいいんですよ!」




 ゲラン王国の第二王子であるガブリエルを前にしても、物怖じせずに強気な発言をするオードリーだが、ちゃんと内容がシルヴェーヌを持ち上げるものであるため、もちろん注意はされない。


 むしろガブリエルは賛成の意を表すように、うんうんと頷いている。




「シルの素晴らしさを、これからもどんどん布教してもらいたい」


「任せてください! うちのおじいちゃんは、一代で豪商になった成り上がりです。私にもその血は確実に流れていますから!」




 どんと胸を叩くオードリーだが、クラッセン翁から見て、まだまだ手腕は危なっかしいようだ。


 ほとんど毎日、ドレス専門店にやってきては、帳簿をチェックしてやっているという。




「閃きや思いつきで商品を仕入れるのはいいんじゃが、桁を間違えるときがあってな」




 ドレス専門店の相談役に就任してから、やりがいを見出したのか、クラッセン翁は元気になった。


 こうしてオードリーの店で会うたびに、シルヴェーヌが手を握っているせいもある。


 自分以外と手を繋ぐシルヴェーヌの姿に、嫉妬心を必死に抑えつけているガブリエルを見て、クラッセン翁がくっくと偲び笑う。




「こんなに心優しいお嫁さんだと、王子さまは苦労するじゃろ?」


「シルヴェーヌは求められたら断らないから、僕が目を光らせるしかありません」




 ほんの数日前、シルヴェーヌに手を握って欲しいと近づいた、くたびれた老婆の姿に扮した誘拐犯が捕まえられたばかりだ。


 その背後には、ドクダミ令嬢を我が物にせんとする、とある国の存在があった。




「幸いにも、ここは島です。不審な輩が上陸する手段は、限られているので助かります」


「儂の港での荷物検査が増えたのは、そのせいだったか」


「ガブ……もし、その国に病気で困っている人がいるなら、私……」




 荒っぽい手段を講じてまで治癒の力を欲しているなら、事態は急を要するのではないかとシルヴェーヌは心配していた。


 それならば、シルヴェーヌは自分だけでもその国へ赴くつもりだった。




「僕はいつでもシルの気持ちを尊重したいけど、安全性が確認されない内は駄目だ。その国については、父上が探りを入れているから、大人しく結果を待とう」




 だが、それからしばらくもせぬ内に、その国の王太子がお忍びで島に入ろうとして検挙された。




「シルの力を借りたいのなら、どうして頭を下げて頼めないのかな。ゲラン王国が小さな国土しかないからと、侮っているのではないだろうね?」




 睨みを利かせて詰問するガブリエルに、件の王太子はたじたじとなる。


 まったくもってその通りだったので、反論ができないのだ。


 しかし、やられっぱなしでは駄目だと思ったのか、的外れなことで噛みついてきた。




「か、神の御業をもつ少女を、独り占めするのがいけない。聞くところによると、己の病気の治療を口実にして、無理やり妻に迎えたというじゃないか!」




 この卑怯者! とガブリエルへの罵りまで付け加える始末だ。


 これにはシルヴェーヌが仰天した。




「一体、どこでそのように捻じ曲がってしまったの。ガブがそんなことするなんて、絶対に考えられないわ」


「まったくだよ。シルと結婚したくて、僕はあらゆる手を尽くしたというのに」




 ガブリエルはそう言うと、シルヴェーヌの左手を持ち上げ、薬指の指輪へ口づけを落とす。


 結婚してからシルヴェーヌは、ガブリエルの瞳を彷彿とさせるルビーの指輪をよく身につけていた。




「この指輪を見るだけで、私、幸せなの」




 ほわっと笑うシルヴェーヌが可愛くて、ガブリエルはたまらずに頬にも口づける。


 いきなり目の前で始まったイチャイチャに、王太子は目を丸くした。




「ど、どうなってるんだ? 俺はドクダミ令嬢を、助けるつもりで来たのに……」




 あまりにも間抜けな王太子に戦意を削がれたガブリエルが、大陸行きの船にその身柄を乱暴に放り込む。




「シルに怪我がなかったから見逃すけど、次は容赦しないから」


「相分かった。ドクダミ令嬢が不当に扱われているわけではないと知れて、安心した。――また来る」




 最後に王太子がシルヴェーヌを見て顔を赤くしていたのが気がかりだったが、それでもガブリエルはそれ以上の追求はせずに船を出航させた。


 船を見送るシルヴェーヌを両腕の中に囲い、ぎゅうと抱き締めるとガブリエルは心を落ち着ける。




(これからも、シルは狙われるだろう。父上や兄上とも連携をとって、大国からの要求を跳ね返せるだけの力を僕自身が勝ち得なくては)




 決意を固めていたガブリエルを、シルヴェーヌが振り仰いで労う。




「ガブ、お疲れ様だったね」


「あんな当てずっぽうな王太子の相手は、もうこりごりだよ」




 すりっと頬を寄せ、ガブリエルはシルヴェーヌに甘える。




「ねえ、シル。僕の意欲を復活させてくれる?」


「ま、またアレをするの?」




 途端に赤面し、わたわたと慌て出すシルヴェーヌ。


 それもそのはず、ガブリエルが要求するアレは、シルヴェーヌにとっては羞恥の塊なのだ。


 だが、大好きなガブリエルには元気になって欲しい。


 シルヴェーヌは恥じらいに踏ん切りをつけた。




「王子さまへ、お姫さまから愛を贈ります」




 この台詞の時点で、ガブリエルの口角は持ち上がり、嬉しくてたまらないという顔をする。


 そしてシルヴェーヌのために背をかがめた。


 近づいてきたガブリエルの両頬に手を添え、シルヴェーヌはちょっとつま先立ちをする。


 もうガブリエルの顔には、どこにも火傷の形跡は残っていない。


 それにホッと一安心して、シルヴェーヌは唇をガブリエルの唇へ寄せていく。




 ちゅ……




 シルヴェーヌが軽く吸いつくと、待ってましたとガブリエルの腕が腰に回され、体を密着させて舌を吸い返された。


 可愛らしいシルヴェーヌの口づけとは違い、貪り喰らいつくすガブリエル。


 真っ白なシーツに力なく横たわり、言葉を発するのも精一杯だった弱々しい少年の面影はもうない。


 シルヴェーヌの口腔を堪能し、すっかり英気を養ったガブリエルは、ようやく腕の力を緩める。




「やっぱり、甘い。火傷が治っても、味は変わらなかったね」


「私もね、ガブのを甘く感じるの。これは、好きな人同士だからじゃない?」




 無垢なシルヴェーヌが、無自覚に煽る。


 ガブリエルは天を仰ぐと、シルヴェーヌを抱え上げた。




「僕の大好きなお姫さまは、僕を血気盛んにさせるのがとても上手だ」


「私、ガブの役に立ててる? それなら嬉しいわ」




 シルヴェーヌとガブリエルの幸せな日々は、まだまだ続く。


 ――お姫さまと王子さまの物語のように。

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