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第3話

「姫りんごが食べてみたい」




 ガブリエルが、食に関する要望を口に出すのは珍しい。


 これもシルヴェーヌの影響だろう。


 もちろんロニーは喜んだ。




「さっそく、擦りおろしてきましょう」


「シルと同じ食べ方がしたい」


「同じ食べ方というと……」


「分かったわ! この間のりんご飴ね?」




 シルヴェーヌはぽんと手を打ち、数日前にした話を思い出す。


 たわわになっていた姫りんごをもいで、一口かじってみたらまだ酸っぱかった。


 顔をしかめたシルヴェーヌに、乳母が教えてくれたのがりんご飴だった。


 甘い飴と酸っぱい姫りんごの相性の良さに、シルヴェーヌは感動したものだ。




「だったら厨房の料理人にお願いしないとね。あれは砂糖を溶かして、熱々にしないと駄目なのよ」




 その作業を近くで見学させてもらったシルヴェーヌは、ふんすと鼻息を荒くする。




「よければ、作り方を説明してもらえますか?」




 りんご飴はどちらかと言うと、庶民の食べ物だ。


 王族に仕える料理長たちは、知らない可能性がある。


 そう判断したロニーにつれられ、シルヴェーヌはワクワクしながら、離宮の厨房へ初めて足を踏み入れた。




「料理長、忙しい所すみませんが、殿下がりんご飴をご所望です。今から作ってもらえますか?」




 礼儀正しいロニーの声掛けに、調理台の向こうから振り向いたのは、白髪が目立つおじいさんだ。


 シルヴェーヌはここでも、自分の需要があるのではないかと感じた。




「何て言ったんだ、ロニー? 殿下が何を欲しがってるって?」


「りんご飴です」


「りんご味の飴かい?」




 やはり離宮の料理長は、りんご飴の存在を知らなかった。


 ロニーに促され、シルヴェーヌは前に進み出る。


 一瞬、料理長の鼻が、ひくりと動いたのが見えた。


 それには気づかない振りをして、シルヴェーヌは覚えている限りのりんご飴の作り方を、身振りも交え料理長へ伝授する。




「つまり、溶かした砂糖に姫りんごをくぐらせて、飴をまとわりつかせたらいいんだな?」


「砂糖が溶けてる間、絶対に鍋をかき混ぜては駄目なの」


「ふむ、気泡が入るからかな? 飴の色はどれぐらいだった?」




 しゃがみこんで、シルヴェーヌと目線を合わせた料理長は、詳しく要点を聞き出していく。


 そして、なんでも揃っている食糧庫から、いくつかの姫りんごと砂糖の袋を持ってくると、さっそく鍋を片手に作り始めた。


 その手際の良さは、さすが厨房を管理する料理長だった。


 ときおり、シルヴェーヌに手順を確認しつつ、それらしいものが仕上がる。




「どうだ、似ているか?」


「飴が固まれば完璧よ。ここが一番、重要なの」




 串に刺さった姫りんごの表面は、艶々としていて美味しそうだ。


 飴がカチンと固まって、ぱりぱりとしゃくしゃくの食感が生まれれば、成功したと言える。




「それにしても、殿下に食べたいものができたなんて、朗報じゃないか」




 固まるのを待つ間、料理長がロニーに話しかける。




「こちらも頭をひねって考えているけど、スープばかりじゃ体に良くない。殿下には、もっといろいろな物を試してもらいたいね」


「りんご飴が、よい幸先となるといいのですが」




 そこで気がついたように、ロニーがシルヴェーヌに話を振る。




「シルヴェーヌさま、よかったら殿下に、ほかの食べ物の話もしてくれませんか?」




 ロニーがシルヴェーヌの名を呼んだことで、料理長はシルヴェーヌが、ガブリエルの話し相手だと理解したようだ。




「そうか、お嬢さんが噂の」


「シルヴェーヌ・ジュネと申します」




 淑女の挨拶をして見せると、料理長は照れたように笑った。




「かしこまらなくていいよ。今さらだ」


「いつも美味しい料理をありがとう」




 そう言って、シルヴェーヌは手を差し出す。


 握手を求められて、料理長は気軽にそれに応えた。


 シルヴェーヌが意味深に微笑む。


 すぐには、その意味が分からなかった。


 しかし――。




「ん、今日はなんだか、調子がいいな」




 飴の乾き具合を見るために、調理台へ屈みこんだ料理長が、ふと腰に手をあてて呟いた。


 ぐっと背筋を伸ばしたら、いつもギクリと鳴るはずの腰が柔らかい。




「やっぱり料理長も腰痛持ち?」




 料理長がりんご飴をつくる間、シルヴェーヌはずっと側でそれを見守っていた。


 さらには最後に、駄目押しの握手だ。


 さっそく影響が出たのだろう。




「もしかして、これがお嬢さんの能力なのかい? こりゃあ驚いた」


「我が家の料理長を始め、年配の料理人たちには、ありがたがられたわ」


「料理人なんて腰痛持ちばかりだ。この離宮でも喜ばれるだろうよ」




 ロニーは嬉しそうな料理長を見て、シルヴェーヌの信者が増えたのを確信する。




「お嬢さんがいれば、殿下の容態も改善しそうだな。長年患っていた儂の腰痛が、こんなに軽くなるんだ。間違いない」




 シルヴェーヌに太鼓判を押した料理長が、出来上がったりんご飴を渡してくれた。




「さあ、殿下に持っていっておあげ。お嬢さんから渡されたら、絶対に殿下は食べてくれるさ」




 カトラリーを用意したロニーと一緒に、二人分のりんご飴を両手に掲げ持つシルヴェーヌは、ガブリエルの部屋へ戻る。


 どうやらガブリエルは、寝ずに待っていたようだ。




「それが、りんご飴?」


「きれいでしょう!」




 艶やかな飴越しに、姫りんごの赤い色が透けて見える。


 それはまるで、ガブリエルの瞳のようだ。


 しげしげと眺めているガブリエルの体を、ロニーは枕を背もたれにして起こしてやる。




「これ、どうやって食べるの?」


「私が正式な作法を教えてあげる」




 シルヴェーヌは、左手に持っていたりんご飴をガブリエルに握らせる。


 そして残った右手のりんご飴の、てっぺんを指さした。




「ここに、飴の端っこがあるでしょ。まずはこの縁を先に、齧るのよ。けっこう硬いから、絶対に前歯で挑んでは駄目」




 お手本として、シルヴェーヌが奥歯で齧って見せる。


 がりがりという音がして、ガブリエルは驚いた。


 流動食ばかりだったガブリエルにとって、噛む食べ物は初めてなのだ。


 恐る恐る、かつんと飴に歯を立てる。




「無理そうだったら、舐めてもいいのよ。だって飴なんだから」




 ぐっと力を込めても、飴に太刀打ちできなかったガブリエルのために、シルヴェーヌが助け舟を出す。


 助言に従い、ガブリエルは飴をぺろぺろ舐めた。




「……ゼリーより甘い」


「砂糖の塊だもの、当然よ! 次はここを齧るわよ。りんごにかかってる部分は飴が薄いから、前歯をしっかり立てて――」




 ぱきぱき、しゃくっ!




 飴がひび割れる音に続けて、新鮮な姫りんごの瑞々しい音がする。




「甘酸っぱい!」




 美味しそうに食べるシルヴェーヌに、ガブリエルの視線が吸い寄せられる。


 ふくらむ頬、果汁で濡れた唇、サクサクという咀嚼音。


 そのどれもが、食べたいという気持ちを増幅させる。


 そして、ガブリエルは手元のりんご飴を持ち上げ、挑もうとしたのだが――。




「待って。最初の一口は食べにくいから、私が齧ったこっちをあげる。ここからなら、ガブも食べやすいよ」




 齧り跡を指さすシルヴェーヌと、そこを覗き込むガブリエル。


 カトラリーを並べていたロニーの手が止まった。


 きっとガブリエルに齧る行為は無理だろうから、ナイフでりんご飴をカットしようと思っていたのだ。


 長年、側付きをしていたロニーの常識が、食べかけをガブリエルに齧らせてもいいものか自問自答した。


 だがそれより早く、ガブリエルが躊躇いもせずに、シルヴェーヌの持つりんご飴に噛み付いてしまう。




 がりり。




 シルヴェーヌほど、いい音を立てはしなかったが、それでもガブリエルはりんご飴を小さく齧り取った。


 見よう見まねで、口中のりんご飴を奥歯で噛もうとする。


 うまく舌を使いきれず、りんご飴があっちへ行ったり、こっちへ行ったりしているのが分かる。


 見本になるよう、シルヴェーヌは改めてりんご飴に噛り付き、何度もしっかり噛み砕いてから飲み込んだ。


 ガブリエルはシルヴェーヌの口元を見て、同じタイミングでごくりと飲み込む。




「ん、う……」


「ゆっくりね、ガブ。喉につまらせないように」




 ロニーが差し出す白湯を受け取り、ガブリエルはなんとか初めてのりんご飴を飲み込んだ。




「僕、食べれたよ」




 達成感に、ガブリエルの頬は紅潮している。


 シルヴェーヌも笑顔になった。


 ロニーにいたっては涙目だ。




「やったわね!」


「頑張りましたね、殿下。素晴らしいです」




 この日から、ガブリエルは自発的に食事をするようになった。


 とくにシルヴェーヌの話に出てくるものを食べたがり、料理長も男泣きをして喜んだそうだ。

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