「姫りんごが食べてみたい」
ガブリエルが、食に関する要望を口に出すのは珍しい。
これもシルヴェーヌの影響だろう。
もちろんロニーは喜んだ。
「さっそく、擦りおろしてきましょう」
「シルと同じ食べ方がしたい」
「同じ食べ方というと……」
「分かったわ! この間のりんご飴ね?」
シルヴェーヌはぽんと手を打ち、数日前にした話を思い出す。
たわわになっていた姫りんごをもいで、一口かじってみたらまだ酸っぱかった。
顔をしかめたシルヴェーヌに、乳母が教えてくれたのがりんご飴だった。
甘い飴と酸っぱい姫りんごの相性の良さに、シルヴェーヌは感動したものだ。
「だったら厨房の料理人にお願いしないとね。あれは砂糖を溶かして、熱々にしないと駄目なのよ」
その作業を近くで見学させてもらったシルヴェーヌは、ふんすと鼻息を荒くする。
「よければ、作り方を説明してもらえますか?」
りんご飴はどちらかと言うと、庶民の食べ物だ。
王族に仕える料理長たちは、知らない可能性がある。
そう判断したロニーにつれられ、シルヴェーヌはワクワクしながら、離宮の厨房へ初めて足を踏み入れた。
「料理長、忙しい所すみませんが、殿下がりんご飴をご所望です。今から作ってもらえますか?」
礼儀正しいロニーの声掛けに、調理台の向こうから振り向いたのは、白髪が目立つおじいさんだ。
シルヴェーヌはここでも、自分の需要があるのではないかと感じた。
「何て言ったんだ、ロニー? 殿下が何を欲しがってるって?」
「りんご飴です」
「りんご味の飴かい?」
やはり離宮の料理長は、りんご飴の存在を知らなかった。
ロニーに促され、シルヴェーヌは前に進み出る。
一瞬、料理長の鼻が、ひくりと動いたのが見えた。
それには気づかない振りをして、シルヴェーヌは覚えている限りのりんご飴の作り方を、身振りも交え料理長へ伝授する。
「つまり、溶かした砂糖に姫りんごをくぐらせて、飴をまとわりつかせたらいいんだな?」
「砂糖が溶けてる間、絶対に鍋をかき混ぜては駄目なの」
「ふむ、気泡が入るからかな? 飴の色はどれぐらいだった?」
しゃがみこんで、シルヴェーヌと目線を合わせた料理長は、詳しく要点を聞き出していく。
そして、なんでも揃っている食糧庫から、いくつかの姫りんごと砂糖の袋を持ってくると、さっそく鍋を片手に作り始めた。
その手際の良さは、さすが厨房を管理する料理長だった。
ときおり、シルヴェーヌに手順を確認しつつ、それらしいものが仕上がる。
「どうだ、似ているか?」
「飴が固まれば完璧よ。ここが一番、重要なの」
串に刺さった姫りんごの表面は、艶々としていて美味しそうだ。
飴がカチンと固まって、ぱりぱりとしゃくしゃくの食感が生まれれば、成功したと言える。
「それにしても、殿下に食べたいものができたなんて、朗報じゃないか」
固まるのを待つ間、料理長がロニーに話しかける。
「こちらも頭をひねって考えているけど、スープばかりじゃ体に良くない。殿下には、もっといろいろな物を試してもらいたいね」
「りんご飴が、よい幸先となるといいのですが」
そこで気がついたように、ロニーがシルヴェーヌに話を振る。
「シルヴェーヌさま、よかったら殿下に、ほかの食べ物の話もしてくれませんか?」
ロニーがシルヴェーヌの名を呼んだことで、料理長はシルヴェーヌが、ガブリエルの話し相手だと理解したようだ。
「そうか、お嬢さんが噂の」
「シルヴェーヌ・ジュネと申します」
淑女の挨拶をして見せると、料理長は照れたように笑った。
「かしこまらなくていいよ。今さらだ」
「いつも美味しい料理をありがとう」
そう言って、シルヴェーヌは手を差し出す。
握手を求められて、料理長は気軽にそれに応えた。
シルヴェーヌが意味深に微笑む。
すぐには、その意味が分からなかった。
しかし――。
「ん、今日はなんだか、調子がいいな」
飴の乾き具合を見るために、調理台へ屈みこんだ料理長が、ふと腰に手をあてて呟いた。
ぐっと背筋を伸ばしたら、いつもギクリと鳴るはずの腰が柔らかい。
「やっぱり料理長も腰痛持ち?」
料理長がりんご飴をつくる間、シルヴェーヌはずっと側でそれを見守っていた。
さらには最後に、駄目押しの握手だ。
さっそく影響が出たのだろう。
「もしかして、これがお嬢さんの能力なのかい? こりゃあ驚いた」
「我が家の料理長を始め、年配の料理人たちには、ありがたがられたわ」
「料理人なんて腰痛持ちばかりだ。この離宮でも喜ばれるだろうよ」
ロニーは嬉しそうな料理長を見て、シルヴェーヌの信者が増えたのを確信する。
「お嬢さんがいれば、殿下の容態も改善しそうだな。長年患っていた儂の腰痛が、こんなに軽くなるんだ。間違いない」
シルヴェーヌに太鼓判を押した料理長が、出来上がったりんご飴を渡してくれた。
「さあ、殿下に持っていっておあげ。お嬢さんから渡されたら、絶対に殿下は食べてくれるさ」
カトラリーを用意したロニーと一緒に、二人分のりんご飴を両手に掲げ持つシルヴェーヌは、ガブリエルの部屋へ戻る。
どうやらガブリエルは、寝ずに待っていたようだ。
「それが、りんご飴?」
「きれいでしょう!」
艶やかな飴越しに、姫りんごの赤い色が透けて見える。
それはまるで、ガブリエルの瞳のようだ。
しげしげと眺めているガブリエルの体を、ロニーは枕を背もたれにして起こしてやる。
「これ、どうやって食べるの?」
「私が正式な作法を教えてあげる」
シルヴェーヌは、左手に持っていたりんご飴をガブリエルに握らせる。
そして残った右手のりんご飴の、てっぺんを指さした。
「ここに、飴の端っこがあるでしょ。まずはこの縁を先に、齧るのよ。けっこう硬いから、絶対に前歯で挑んでは駄目」
お手本として、シルヴェーヌが奥歯で齧って見せる。
がりがりという音がして、ガブリエルは驚いた。
流動食ばかりだったガブリエルにとって、噛む食べ物は初めてなのだ。
恐る恐る、かつんと飴に歯を立てる。
「無理そうだったら、舐めてもいいのよ。だって飴なんだから」
ぐっと力を込めても、飴に太刀打ちできなかったガブリエルのために、シルヴェーヌが助け舟を出す。
助言に従い、ガブリエルは飴をぺろぺろ舐めた。
「……ゼリーより甘い」
「砂糖の塊だもの、当然よ! 次はここを齧るわよ。りんごにかかってる部分は飴が薄いから、前歯をしっかり立てて――」
ぱきぱき、しゃくっ!
飴がひび割れる音に続けて、新鮮な姫りんごの瑞々しい音がする。
「甘酸っぱい!」
美味しそうに食べるシルヴェーヌに、ガブリエルの視線が吸い寄せられる。
ふくらむ頬、果汁で濡れた唇、サクサクという咀嚼音。
そのどれもが、食べたいという気持ちを増幅させる。
そして、ガブリエルは手元のりんご飴を持ち上げ、挑もうとしたのだが――。
「待って。最初の一口は食べにくいから、私が齧ったこっちをあげる。ここからなら、ガブも食べやすいよ」
齧り跡を指さすシルヴェーヌと、そこを覗き込むガブリエル。
カトラリーを並べていたロニーの手が止まった。
きっとガブリエルに齧る行為は無理だろうから、ナイフでりんご飴をカットしようと思っていたのだ。
長年、側付きをしていたロニーの常識が、食べかけをガブリエルに齧らせてもいいものか自問自答した。
だがそれより早く、ガブリエルが躊躇いもせずに、シルヴェーヌの持つりんご飴に噛み付いてしまう。
がりり。
シルヴェーヌほど、いい音を立てはしなかったが、それでもガブリエルはりんご飴を小さく齧り取った。
見よう見まねで、口中のりんご飴を奥歯で噛もうとする。
うまく舌を使いきれず、りんご飴があっちへ行ったり、こっちへ行ったりしているのが分かる。
見本になるよう、シルヴェーヌは改めてりんご飴に噛り付き、何度もしっかり噛み砕いてから飲み込んだ。
ガブリエルはシルヴェーヌの口元を見て、同じタイミングでごくりと飲み込む。
「ん、う……」
「ゆっくりね、ガブ。喉につまらせないように」
ロニーが差し出す白湯を受け取り、ガブリエルはなんとか初めてのりんご飴を飲み込んだ。
「僕、食べれたよ」
達成感に、ガブリエルの頬は紅潮している。
シルヴェーヌも笑顔になった。
ロニーにいたっては涙目だ。
「やったわね!」
「頑張りましたね、殿下。素晴らしいです」
この日から、ガブリエルは自発的に食事をするようになった。
とくにシルヴェーヌの話に出てくるものを食べたがり、料理長も男泣きをして喜んだそうだ。