4月に入ってからも、もちろん毎日のように練習は続いた。
振り付けはもう完璧。寝てたって舞える。
でも失敗しなければいいわけじゃない。ちゃんと巫女姫になって、葛さんに認めてもらえないと。
本番当日。
普段はお守りやお札を置いてある授与所で、楓ちゃんと桜ちゃんに姫巫女の衣装を着つけてもらった。
「ことはさま、お美しいです!」
「すっごいキラキラです! キレイです!」
頭には桜の簪に、金色のティアラのような冠を付ける。そんなに重くはないけど、いつもと違ってちょっと動きにくい。この格好でリハーサルしたかったけど、本番まで身につけちゃダメなんだって。
「ことはさま、佳乃さまそっくり」
入ってきた浅葱くんが私を見上げる。
「私、お母さんに似てる?」
「はい。佳乃さまはもっとキリッとしてたけど」
なるほど。私もキリッとしなきゃ。巫女姫なんだから、顔つきも大事だよね。
「巫女姫様のご降臨だよ。神々しいね」
千里さんがスマホを片手にそう言った。ムービーで撮ってるみたい。
「あ、本番は高画質なカメラでバッチリ録画しとくからね。今後千年は残せるようにしておかなきゃ。ほら、御咲も何か言ってあげなよ」
「……緊張すると思うけど、普段通りやればいいから。頑張れよ」
「いや、カワイイねとかキレイだねとか何かあるでしょ。御咲ってそういうとこ気が利かないんだから」
みんなに言ってもらえて、私は少しずつ巫女姫になっていく気がする。
緊張するけど、大丈夫。普段通り、だよね。
「さあ、そろそろ出番だよ」
千里さんが授与所と舞台を繋ぐ通路への暖簾を上げた。まず着飾った楓ちゃんと桜ちゃんが先を歩いてくれる。
数歩遅れて、私が歩き出す……前に、御咲くんが耳元に顔を寄せてきた。
「ことは、キレイだよ」
「えっ!?」
「ことはちゃん、行って行って」
千里さんに促されて、授与所から一歩踏み出した。
舞台の周りには既に村の人たちがいっぱいいて、おお~と感嘆の声も聞こえてくる。
一歩一歩慎重に歩みを進め、舞台上までやってきた。
楓ちゃんと桜ちゃんは一礼すると、舞台をはけていく。ここからは、私1人。
村の人の奥、木の下に腕を組んでじっと私を見る人がいた。葛さんだ。
ふう、と息を吐き出す。
お母さん、力を貸して。
スッと右手を肩の高さに上げて、動く。
映像のお母さんのように、御咲くんのように、重力なんて感じさせずふんわり動く。巫女姫は人間じゃない。春の訪れと絆の象徴。まるで風になったように、私は舞い踊る。
ふと見ると、千里さんがカメラを構えているのが見えた。その横では、御咲くんが力強い目で私を見つめている。
その瞳に、私の心にもグッと力が入った。
時折見える村の人たちの顔は綻んでいた。お母さんもこの光景を見てた。みんなの幸せのために、みんなが幸せになるように。
あたたかく結ばれた絆を感じる。
私もこの村の一員に、狐宮の家族になりたい。私も村の人や、御咲くん、千里さん、楓ちゃんたち。それから葛さんと絆を結びたい。
そんな気持ちが、湧き上がってくる。
跪き、掲げた両手を振るわせて、ゆっくりと立ち上がった。
くるりと背を向けると、楓ちゃんと桜ちゃんが舞っている。2人に先導されて、また授与所へと戻る。
そのとき、パチパチと手を叩く音が聞こえてきた。それが波のように次第に大きくなっていく。
巫女舞はショーじゃなく神事だから拍手はNG。そう聞いてたけど、みんなが拍手をしてくれている。
あたたかく包み込んで、受け入れてくれるような音に聞こえた。
「ことはちゃん、お疲れさま~! すっごい良かったよ」
授与所で出迎えてくれた千里さんの声を聞いて、へなへなと座り込んでしまった。
「大丈夫か!?」と御咲くんが駆け寄ってくれる。
「平気。ホッとしたら気が抜けちゃった。ねえ、どうだった? 私、ちゃんとできてた?」
「うん、ちゃんと巫女姫様だった」
その言葉が心に落ちて、やっと肩の力が抜けた。
「ことはさま、とても素晴らしい舞でした」
「とってもおキレイでしたのですー」
「佳乃さまの巫女舞みたいだった」
楓ちゃんも桜ちゃんも、浅葱くんも飛び跳ねそうな勢いで顔を赤くしてた。
「バッチリ動画に撮ったからね。何十年、何百年経っても見られるように保存しておくよ!」
そ、それはちょっと恥ずかしい……かも。
と、ガラリと授与所の扉が開いた。葛さんだ。
「兄貴、見てた? ことはちゃん、バッチリ巫女姫を務めあげたよ」
「舞はよくできていた。短い期間で、よくできたものだ」
葛さんから褒めてもらえるなんて!
でも、葛さんの表情は硬いまま。
「だが、巫女姫として認めることはできない」
その一声で、あたたかだった部屋中の空気が凍った。
最初に口を開いたのは、御咲くんだった。
「どうしてだよ。ことはの舞は完璧だった。それに、村の人たちの拍手も聞いただろ。みんなことはを巫女姫として受け入れてくれていた」
御咲くんに反論されるとは思わなかったのか、葛さんの頬がピクリと動いた。
けど、すぐに厳しい顔つきに戻る。
「完璧に舞えれば良いというわけではない。巫女舞は代々狐宮の女が舞ってきた者だ。よそ者の舞を認めるわけにはいかない」
ハッと千里さんが肩を竦めた。
「いつまでそんなこと言ってるの。姉さんの大切な子なんだから、僕らにとっても大切な家族でしょ。意地を張ってるのは兄貴だけだよ」
「俺も、ことははとっくに家族だと思ってる」
「千里さん、御咲くん……」
私には家族がもういないと思ってた。
お父さんが死んで、お母さんまで……
でも私にも家族がいたって、家族になりたいって思った。
「葛さま、どうかことはさまを家族とお認めください」
「ことはさまは、毎日一生懸命舞を練習していたのです」
「誕生日ケーキ、1番おいしいところを葛さまに持って行ってました。ことはさまは優しいです」
楓ちゃんたちにまで言われて、葛さんがグッとたじろいだ。その瞳は揺れている。
「お前たちはそんなに……狐宮家に人間を入れたいのか」
葛さんの低く、うめくような声。
「兄貴の人間嫌いもいい加減にした方がいいよ。村の人たちだってみんな人間なのに、なんでそんなこと――」
「わかっているのか! 佳乃は人間のもとへ行ったせいで死んだんだぞ! 親父が……俺がなんとしてでもあいつを止めていれば、死ぬことなんてなかったのに……ッ」
その瞬間、葛さんに耳と尻尾が生えた。銀色の毛並みが逆立っている。
ドン、と壁を叩いて葛さんは出て行ってしまった。
部屋の仲がシンと静まり返る。
「ごめん、ことは」
音のない部屋の中で、御咲くんがポツリとつぶやいた。
「姉さんが死んだのは人間のせいじゃない。もしそうだったとしても、ことはが巫女舞になることには関係ないのに」
「ありがとう、御咲くん。でも、葛さんもそれはわかってると思う」
怒ってばかりの葛さんだけど、ときどき見せるあの悲し気な瞳。
私が半分人間だからって理由じゃない。何か他にきっと、理由があるはず。
「私、葛さんを捜してきます」
「いいよ、放っておけば。兄貴も子供じゃないんだし」
「でも――」
「心配しなくても、みんなことはちゃんの味方だよ。もうキミは立派な家族、新しい巫女姫様だから」
千里さんの言葉に、みんながうなずいてくれる。
このままいけば、私はあの家に住み続けることができる。家なき子にならなくて済む。
「ありがとうございます。でも私、葛さんの気持ちを無視したまま家族にはなれません」
考えるより早く、身体が動いてた。
みんなが止める声が聞こえたけど、授与所を出て山の中に走る。
「葛さーん! どこですかー! ギャッ!?」
地面に思いっきり転んでしまった。巫女服のままくるんじゃなかった……。
走りまわったから裾は泥だらけ。これ、洗えたりするのかな。弁償になっても払えないよ。
って、今はそんなこと考えてる場合じゃない!
山の中を走りまわっても、どこにも見当たらない。
1度戻って……と振り返ると、神社はもう見えなくなっていた。
「ここ、どこ?」
マズい! これじゃ迷子だよ!
思えば、山の中なんて神社に行く道を御咲くんと通ったことしかない。葛さんを見つける前に、私が迷っちゃったよ。
ふと、私の眼の前をひらりとピンク色のものが舞い散った。
今の……桜だ!
この辺りに桜は神社にしかない。これが飛んできた方向に行けば、帰れるかも。
大急ぎで花びらが飛んできた方向に走る。もう陽が落ちかけてる。夜になったら本当に迷子……遭難しちゃう。
ああ、どうしてそんなことまで考えずに出てきちゃったんだろう。私のバカ。
「あった! 桜だ!」
でも、あれは神社の桜じゃない。でもソメイヨシノ。
山の中にぽつんと咲いた桜の木。その下に、何かがいる。銀色の……狐?
「あの時俺が、もっとちゃんと止めていれば。お前が死んだのは、俺のせいだ。許してくれ、佳乃」
俯いた狐が震える声でそう話している。
「葛……さん?」
銀狐がビクッと身体を震わせ、振り返った。
「お母さんが死んだのは、葛さんのせいじゃないです。お母さんはそんな風に思っていないはずです」
ぼんやりと私を見上げていた葛さんが、ふいと視線を外した。
「俺があんなに反対していなければ、佳乃も頑なにならず、お前の父親が死んだときに戻ってきたかもしれない。俺のせいで……」
私にとっては大切なお母さんだけど、葛さんにとっては大切な妹。それに、千里さんや御咲くんにとっては大切なお姉さん。
みんな、大切な人を失った気持ちは同じだったんだ。
それを葛さんは、ずっと自分のせいだと思ってた。
「私も……私もそう思ってました。私がもっとしっかりしてれば、お母さんのお手伝いをちゃんとして、勉強もして、良い子でいれば死ななかったかもしれないって」
葛さんがハッとして顔を上げる。
「おめでとうって、言えなかった。俺はあいつ……お前の父親に妹を取られた気がして、意地になっていた。本当は誰よりも、祝ってやりたかったのに」
「葛さん……っ」
突然、胸元があたたかくなった。
なんだろうと手を入れてみると、あったかくなっていたのはお守り代わりに持っていた桜のカードだった。
「どうして、急に……」
手のひらに乗せると、カードが金色に光り始める。そのカードから、光が飛び出した。
葛さんの眼の前に、別の銀色の狐が現れる。
この狐さん、前にも見た。お母さんの狐だ……!
「ことは、私のメッセージを聞けてるってことは姫巫女になったんだね。おめでとう。銀狐のこと、内緒にしててごめんね。12歳になったら話そうと思ってたんだけど、間に合わなかった。でもきっと、ことはなら姫巫女になると思ってたから」
お母さん……やっぱりお母さんのメッセージだったんだ。
銀狐は驚いてる葛さんの方に向き直った。
「葛兄さん、私は幸せだった。それだけは、どうしてもわかってほしいの」
「佳乃……悪かった、本当に。俺は」
「いつもケンカしてばかりだったけど、私は兄さんのこと大好きだったから。短い人生だったけれど、私後悔は何もないの。素敵な旦那様に出会えて、可愛いことはに出会えた」
葛さんの目からポロリと涙が零れた。
「姉さん!?」
「姉さんの狐だ……」
気づくと、千里さんと御咲くんが駆けつけていた。
「千里、私に代わって狐宮に新しい風を吹き入れてくれてる? でも、あんまり兄さんとケンカしちゃダメだよ。兄さんは兄さんで、当主として守らなきゃいけないものがあるんだから」
千里さんがチラリと葛さんを見た。
狐のお母さんは、今度は御咲くんを見る。
「御咲、きっと大きくなってるんでしょうね。でも見た目ではことはと同じくらいかな。だからまだまだ子供扱いしちゃう姉さんを許してね。あんたは我の強い兄さんたちに囲まれて委縮しちゃうところがあるけど、言うところはちゃんと言うのよ。それからできたら、ことはと仲良くしてあげてね」
「……してるよ、言われなくても」
御咲くんを見ると、御咲くんも私に微笑んでくれていた。
「実態はなくなっても、魂となった私はいつでもみんなを見守っているから。元気で仲良く、過ごして行ってね。さよならは言わないわ」
お母さんの銀狐は、光になってパッと弾けた。
カードも少しのあたたかみを残して、元に戻る。
狐のままの葛さんが、私の足元にやって来た。
「……悪かった。自責の念をお前にぶつけて、当主としたことが大人げない」
罰が悪そうな表情は、狐になってもわかる。
千里さんと御咲くんは、しおらしい葛さんの姿に顔を見合わせていた。
私はそんな葛さんの前にしゃがみ込む。
「私、葛さんとも仲良くなりたいです」
「……これからおのずとなっていくだろう。家族なんだからな」
家族。
葛さんの言葉が、優しく響いた。
「葛さんって本当はとっても優しいんですね。浅葱くんの言った通り」
「――っ!」
銀狐さんの顔が、ほんの少しだけ赤くなったような気がした。