いつも楓ちゃんたちの声で目覚める朝。今日は自然と目が覚めた。
3月31日。この日は毎年こうだ。
だって今日は、私の誕生日だから!
着替えてから洗面所に行って、顔を洗う。
そういえば、今日誕生日だって御咲くんにしか言ってない。覚えててくれるかな。
別にプレゼントが欲しいってわけじゃないけど、「おめでとう」ってひとこと言ってもらえたら嬉しいな。
なんて考えながらタオルで顔を拭いて、顔を上げると……
「ひゃあああああ!!!?」
私の悲鳴を聞きつけて、ドタドタと足音が近づいてくる。
「ことはさま! どういたしましたか!?」
「だいじょぶなのです!?」
「ああっ! ことはさまの頭!」
楓ちゃんたちが口々に言いながら私の頭の上を指差す。
そう、鏡に映った私の頭には……銀色の狐の耳が生えていた!
「ことはさまが銀狐さまになったのです!」
「おめでとうございます!」
「桜、浅葱。まずは葛さまにご報告を……わわっ! も、申し訳ありません!」
振り返った楓ちゃんがぶつかったのは……葛さんだった。
「お前……その耳と尻尾……」
ハッとお尻に手を当てる。そこにはやっぱり銀色の狐の尻尾が!
「葛さ……ま、あ、あの、起きたら急に……」
「夢であれ……」
葛さんが片手で顔を覆った。
「うわ~、ことはちゃんおめでとう! ついに耳と尻尾が生えたんだね」
パチパチと拍手しながらやってきたのは千里さんだった。隣には御咲くんがいて、驚いたように私の耳と尻尾を見てた。
「でもどうして急に生えたんだろうね?」
「今日、ことはの誕生日だからじゃないか?」
「誕生日! そっか、12歳になったんだね。なるほど、巫女姫になれる年齢だね」
千里さんがニヤッと笑って葛さんを見る。
「兄貴、これでことはちゃんが銀狐だって証明されたよ。12歳の銀狐の女の子、巫女姫になる条件は揃ったね」
「……うるさい。元々巫女舞を舞うことだけは許可していただろう。俺を認めさせなければ意味がないことを忘れるな」
「ここまでくれば兄貴の承諾なんていらないはずだけどね」
葛さんがよろよろと部屋に引き上げていった。
楓ちゃんたちが、私をニコニコと取り囲む。
「ことはさま、お誕生日おめでとうございます。ご立派な銀狐さまのお姿でございます」
「おめでとうございますなのです! 今日はお誕生日のお祝いをするのです!」
「おめでとうございます。僕ケーキが食べたいです」
「ありがとう、みんな。後でケーキ買いに行こうか」
わーい! と浅葱くんと桜ちゃんがバンザイをした。楓ちゃんがやれやれと2人を見つめてる。
千里さんはもう部屋に戻ってしまったみたいで、振り返ると御咲くんだけが立っていた。
「おめでとう、ことは」
「御咲くん、ありがとう。誕生日、1回言っただけなのに覚えててくれたんだね」
「姉さんからも、聞いてたから」
「お母さんから?」
「ことはが生まれたときに。『弥生の晦日に生まれました』って、桜の史が届いたよ」
弥生は3月、晦日は31日のことだっけ。
御咲くんは私の誕生日、ずっと知ってたんだね。
「ところで、この耳と尻尾……外に行くときはどうやって隠せばいいの?」
「シュッてやって、パッてすれば隠れる」
「しゅっ? ぱっ?」
「言葉にすると難しいな。意識してやったことなかったから」
御咲くんにとっては、出したり隠したり、当たり前のことだもんね……。
結局、楓ちゃんたちにああだこうだと教えてもらいながら、なんとか引っ込めたり出したりすることができるようになった。
でもまだ慣れないから、油断すると出てきちゃう。練習が必要だね。
お昼が過ぎると、千里さんがどっさり何かを抱えて帰って来た。
「じゃーん! 生クリームにスポンジ、イチゴにオレンジにチョコレートだよ」
「わあい、いただきまーす!」
「浅葱、そのまま食べちゃダメなのです」
「これでことはさまのお誕生日ケーキを作るのですね、千里さま」
「ピンポーン! みんなで作ってビックリさせよう!」
……って声が、台所から丸聞こえだった。聞こえなかった振りをしよう。
「ことは」
振り返ると、御咲くんが玄関を指差していた。
「神社、行かない?」
「うん! お掃除?」
「今日は違う。ソメイヨシノを見に」
「行く行く!」
家の裏口から山を登って狐宮神社へ行く。行く途中にも、はらはらと桜の花びらが舞っていた。
「わあ、満開!」
大きなソメイヨシノの木が、いっぱいにピンク色の花びらを付けていた。
「満開は今日までがギリギリかな。お祭りの日にはいつも散り始めてる」
「でも、後5日ならまだまだキレイな桜がみんなで見られるよ」
桜吹雪が私たちの周りを踊る。春が来たって感じで心地いいけど、でもまだ散らないでって思ってしまう。
ふと、巫女舞を踊る舞台を見るとそこにも花びらは散っていた。まるで、最初から桜の花びらが散りばめられた舞台みたい。
「予行練習、してみる?」
御咲くんに言われて、舞台に上がった。
そこから見る景色は、前に舞台に上がったときと違う。桜が見えるっていうこともあるけど、周りがシンとして神聖な空気を感じた。この前よりも、ずっと。
片手を挙げて、目を閉じた。後5日で、私は姫巫女になる。
スッと息を吸って舞を始めた。足袋だけ履いて普段着だけど、気持ちはすごく引き締まってた。厳かな気持ち、ってこういうことを言うのかな。
本番ではきっと、もっと緊張する。村の人たちが大勢、葛さんも私をじっと見ているはず。上手くできなかったら、もう私は狐宮の家にいられない。失敗するわけには……
あ、れ……?
途中まで舞ったところで、頭の中にモヤがかかった。どこまで踊ったのかわからなくなる。
と、舞台の下にいた御咲くんが私を見ながら舞い始めた。
私もそれに合わせて、慌てて舞を続ける。自分の身体が御咲くんと繋がったみたいに、身体が同時に流れていった。
一緒に舞っているのに、つい御咲くんの舞に見惚れてしまいそうになる。
両手を挙げて、膝をついて舞い終える。
「ありがとう、御咲くん。途中、わからなくなっちゃって」
「集中してなかったね。なにか考え事?」
「……本番のこと、考えてた。上手くできなかったらどうしようって」
せっかく御咲くんに教えてもらってるのに、今だって途中でわからなくなった。本番はもっと緊張してる中、最初から頭が真っ白になることだってあるかもしれない。
そうなったら……
「もっと練習しよう」
御咲くんの柔らかいけど芯のある声が飛んできた。
「そんなこと考えられないくらい、練習しよう。考えたって仕方ないんだから」
「御咲くん……」
「最終的に決めるのは葛兄さんだから、完璧に舞えればいいってわけでもないよ。ことははただ、巫女姫となって巫女舞を舞うんだ」
御咲くんが舞台に近づいて、私に腕を伸ばした。その手には、桜の花びらが。
「ことはならできるよ。ことははもう、銀狐なんだから」
御咲くんの頭から銀色の耳がぴょんと飛び出た。私もふっと力を抜くと、今日生えたばかりの耳が顔を出す。それから、まだ慣れないゆらりと垂れる尻尾の重さも。
「そろそろ戻ろう、姫巫女さま」
家に戻ると、千里さんと楓ちゃんたちがケーキを作って待っていてくれた。
フルーツがたっぷりデコレーションされたケーキ。手作りのバースデーケーキなんて初めてだったから、すごく嬉しくて2切れも食べちゃった。
「葛さんは、食べないのかな」
「兄貴は洋菓子嫌いだからねー」
「でも、抹茶のシュークリームは好きなんですよね」
「え、うそ」
「だって、浅葱くんが……」
千里さんが見ると、浅葱くんが口元にクリームを付けながらうなずいた。
「僕が持って行くと、もったいないからって食べてくれます」
「ふうん。抹茶なら好きなんだ、初耳。でもこれは普通の生クリームだからどうだろう」
「私、持って行ってみます」
「ええ? 追い返されるかもしれないよ。どうしてもなら僕が行ってくる」
と、ケーキの乗ったお皿に千里さんが手を伸ばした。でも、御咲くんが「兄さん」とストップを掛ける。
「千里兄さんが言った方が追い返される、どう考えても」
「まあ、そうだけどね」
「それで突っ返されたケーキ食べるつもりだろ」
「いいじゃない。材料用意したの僕なんですけど?」
言い合いながら、御咲くんが「早く行け」と目配せしてくれた。
千里さんには悪いけど、ケーキを持って行かせてもらう。
葛さんの部屋は家の一番奥。長い廊下を歩いて行く。
そういえば、葛さんの部屋に行くのって初めてだ。しかも1人でなんて。
巫女舞を舞う前、1度葛さんとちゃんとお話をしたかった。怒鳴られるだけかもしれないけど、それでも……
大切な巫女舞、なし崩し的に舞わせてもらうことになるの、罪悪感はあったから。
「葛さん……葛さま、ことはです。よろしいでしょうか」
縁側から障子に向かって声を掛けたけど、返事がない。よくよく見れば、部屋の中に人影もない。
もしかして、いないのかな。
捜す……って言っても、心当たりのある場所なんてない。しょうがない、引き返そう。
白いレースのカバーで蓋したまま、ケーキを持って戻る。
と、どこからかガタガタと音が聞こえてきた。もしかして、葛さん?
どこから音が聞こえるんだろう。耳を澄ますと、頭の上の銀狐の耳が動いてる気がする。
こっちだ……!
不思議と場所がわかる。
行ったことない通路に出ると、まだ入ったことのない部屋があった。襖には桜が描かれている。畳の上を歩く微かな音、ここだ。
「葛さま、ここにいるんですか?」
「っ!?」
息を飲む音が聞こえた。ここまで聞けばわかる。完全に葛さんだ。
「おやつのケーキをお持ちしました。楓ちゃんたちが作ったんです。召し上がりませんか?」
「…………」
だんまりを決め込んでるみたい。どうせ怒られるんだから、開けちゃえ!
「失礼します」
「だれが開けていいと言った!!」
いきなり吹き飛ばされそうな勢いで怒鳴られた。けど、いつもとちょっと違う。
葛さんの顔は、怒っているというより驚いているような。
「なぜ……ここに俺がいるとわかった」
「音が聞こえたので」
「音?」
「ガタガタ、と。あと畳の上を歩く音」
「俺が人間に聞こえる程度の音を立てるわけがない」
なんて言われても、聞こえたのに。
あ、もしかして……
「狐の耳で、聞こえたのかもしれないです」
「ああ……そうか、忘れていた……」
「この耳すごいんですね。耳を澄ますと、どんな小さな音でも聞こえそう」
「当然。ただの狐の耳ではない、銀狐の耳だからな」
葛さんが誇らしげに胸を張った。
「でも私が来た音は聞こえなかったんですね?」
「油断していたんだ! お前が俺の居場所に気づくとは思わなかったからな」
そういえば、夜中に葛さんたちが話してるの見ちゃったときもそう言ってたよね。葛さん、私を人間だと思って油断し過ぎなのかも。
くすっと笑ってしまうと、ギロリと睨まれる。
「何がおかしい」
「い、いえ、すみません。あの、ケーキ食べませんか?」
「ケーキ?」
「今日、私の誕生日なのでみんなが作ってくれたんです」
「まあ……もったいないから食ってやらんこともない」
葛さんが私の手からお皿を引ったくって、中の机に持って行った。私も続いて中に入る。
勉強机のようなベージュの机と、薄いピンク色のタンスが置かれていた。
ふんわりと何かの香りがする。これ、桜だ。
「葛さま、この部屋もしかして……お母さんの部屋ですか?」
「っ、何故わかった」
「なんとなく、ですけど」
葛さんが、観念したように肩を落とした。
「佳乃が家を出るまで使っていた部屋だ」
やっぱり!
「引き出しとか、見てもいいですか?」
「おもしろいものはないがな」
タンスの中はほとんど着物だった。薄いピンク、紫、赤。この家に住んでたときは、着物を着ていたのかな。家ではお母さんの着物姿なんて、見たことなかったけど。
机の引き出しを開けると、ペンや消しゴム、髪飾りなんかがゴロゴロ出てきた。細かいモノがいっぱい突っ込まれてて、ごちゃごちゃしてる。
「言っておくが、俺が荒らしたわけではないぞ」
「お母さん、整理苦手だったんですね。昔から」
「母親になっても治らなかったのか」
「あはは。いつも片付けはお父さんがやってましたから……」
あ、と思わず口元を押さえる。葛さんの眉間に皺が刻まれた。
やばい、お父さんの話は地雷だったんだ。でも、葛さんは何も言わずに視線を畳みに落としてた。
沈黙が怖い。何か話題を変えなくちゃ。
「えっと……こっちの引き出しはなんだろう」
「あ、待てっ」
制止の声を聞く前に、もう一つの引き出しを開けてしまった。
キチンと整理されたカードの束が入っている。桜の花びらが押し花のようになっているカード。
私がお母さんに貰ったのと似てる。
「もしかして、お母さんが作ったものですか?」
「……ああ、佳乃からの手紙だ。御咲には折に触れて手紙を寄こしていてな」
「これ、手紙なんですか?」
葛さんはカードを1枚取ると、掌の上にカードを乗せた。
カードから、ぼわわんと青い炎が上がる。
「火!?」
「見たいのならば大人しくしていろ」
バシュッと音と共に、炎の中から何かが飛び出て畳の上に着地した。
白くてぼんやりとした……狐だった。その狐が口を開く。
「御咲、元気にしてる? そっちはまだ親父と兄貴がうるさいと思うけど、千里と協力して頑張ってね。あ、子供の名前決まったんだ。言の葉で『ことは』いい名前でしょ~。哲弥さんと頑張って考えました! いつか御咲にも会ってほしいな。じゃあ、またね。弟思いの素晴らしい姉でした」
しゅんっと小さく音を立てて、狐は消えてしまった。カードの青い炎も消えてる。
今の声って……
「今の、お母さん!?」
「我々狐はこうして史を出す。千里は『めえる』とかいうモノも使っていたらしいがな」
「私、このカード持ってます。お母さんから貰ったんです」
「なに!?」
慌ててポケットを探って、桜のカードを取り出す。葛さんがしげしげと眺めた。
「確かにこれは佳乃の手紙だな」
「今みたいにお母さんの狐が出てきますか?」
「貸してみろ」
葛さんがさっきと同じようにカードを右手に乗せる。でも、何も起こらなかった。
「お前がやってみろ」
「私がですか?」
「手紙だからな。決められた相手にしか読めないようになっている可能性もある」
カードなんて何度も触ったことがあるけど、何も起きたことないのにな。半信半疑でカードを右手に乗せたけど、やっぱり何も起こらなかった。
「普通の押し花、なんでしょうか」
「いや、これはただの桜ではない。佳乃が銀狐のチカラで出した桜だ。いつ渡された?」
「去年病院で……お母さんが亡くなる前に」
葛さんが罰が悪そうに黙って、私の手に乗ったままのカードを見た。
「……それ自体が、お前へのメッセージなのかもしれないな」
「そう、かもしれません」
実際、これはお母さんの形見になった。お母さんだと思ってこれを大切にしてって意味だったのかもしれない。
葛さんが机に置いたケーキのお皿を取った。
「俺はもう戻る。お前も部屋に戻れ」
「あ、はい」
この部屋に入ってから、1度も葛さんに怒鳴られなかったな。こんなにちゃんと話をしてくれるなんて。それに……
「どうしてさっきのカード、私に見せてくれたんですか?」
わざわざお母さんの狐さんを出してくれて。久しぶりに聞けたお母さんの声だった。葛さんが教えてくれなければ、聞けなかった。それに、お母さんの狐の姿も。
「……誕生日なんだろう?」
葛さんがぽつりとつぶやいて背を向けた。
お祝いして、くれたんだ。
「ありがとうございます! 葛さん!」
「俺のことは葛さま、もしくはご当主様と呼べ!」
ああ、結局怒鳴られちゃった……。