次の日も御咲くんと練習を続けた。
「ことは。……ことは?」
「えっ? あ、ごめん。どこか間違ってた?」
「いや、振りは合ってるけど。ずっとぼんやりしてる」
う……集中できてないのはその通りだった。
葛さんにあんなこと言っちゃった手前、もっともっと頑張らなきゃいけないのに上の空なんて。
「なんかあった? ……って、葛兄さんのことなんだろうけど」
「うん……私、勝手に『巫女舞が復活すればみんな喜んでくれる』なんて言っちゃったけど、本当にそうなのかなぁって思って」
お母さんが巫女舞を踊ってたのってずっとずっと前の話だもんね。村の人だって見たことない人が多いはず。
それに、お母さんが私に巫女舞を踊ってほしいかどうかもわからない。だってお母さん、私に一言も巫女舞の話をしてなかった。銀狐のことは隠してたにしても、兄弟の話はしてくれてたのに……
スッと、御咲くんが音もなく立ち上がった。
「ちょっと出かけないか?」
「うん。神社のお掃除?」
「違う。村の方にちょっと散歩。ことは、ここ来てからこの家以外知らないだろ」
そう言えば、駅からここまで歩いて来たのと神社に行ったの以外、どこにも出てない。
「御咲くんが案内してくれるの? 嬉しい! あ、ちょっと支度するから待ってね」
洋服とかを持ってきた大きなリュックのほかに、ショルダーバッグを持ってきた。そっちにハンカチやティッシュ、お財布を入れて……
「これ……」
御咲くんがぽつりとつぶやく。見ていたのは、机の上に置いた押し花のカードだった。昨日出しっ放しにしちゃってたんだ。
「これ、お母さんが作ってくれた押し花なの。形見って言うのかな。ソメイヨシノかな」
「だと思うけど……これ、姉さんいつ作ったの?」
「いつだろう。病院に入院してたときかと思ってたけど」
あれ、でもお母さんが入院したのって冬だった。桜なんてどこにも咲いてないよね。去年の春に作ってたのかな。でも、どうして……
「支度終わった?」
「あ、大丈夫。お待たせ!」
この村に来たときはヨネコおばあちゃんと歩いた道を御咲くんと歩く。
舞の練習以外であんまり御咲くんと2人きりになることってないから、ドキドキしちゃう……
なーんて、心配はいらなかった。
「あら、御咲くんこんにちはー」
「お嬢ちゃんが佳乃さんの子かい?」
「ことはちゃんだっけ。ヨネコのばあちゃんに聞いてるよ」
「仲良くデート、いいわねぇ」
畑が続く道を一歩進むたび、仕事中の村の人たちから声が掛かる。「ええ」とか「どうも」とか短く答える横で、私はぺこぺこと会釈していった。
「御咲くん、人気者だね」
「村は狭いから、みんな知り合いなんだ。誰が歩いてもこうなる」
「そうかな?」
「そうだよ。ことはだって巫女舞をしてみんなに顔と名前が知れ渡れば、村を一周するのに何時間も掛かることになるさ」
そこからもちょくちょく話しかけられながら歩いて行くと、御咲くんが一軒の家の前で足を止めた。
「ここ、入らない?」
「ここ、誰のお家?」
「きつね食堂。うちの村唯一の食べ物屋だよ」
食堂……ってことは、レストラン!
外から見ると一階建ての平屋、普通のお家みたい。
御咲くんがガラガラと引き戸を開けると、「いらっしゃーい!」と明るい声が飛んできた。
「あら、御咲くんじゃない! 珍しいのね!」
「こんにちは」
前掛けをしたおばさんがパッと笑顔になった。それから、私に気づいて……
「まあ、もしかして噂のことはちゃん?」
「は、初めまして。樫ノ木ことはです。狐宮の家でお世話になってます」
「話はよく聞いてるよ。ささ、どうぞ好きなところへ座ってくださいな」
食堂の中は木のテーブルにパイプ椅子の四人掛けの席4つと、壁際にテーブルをくっつけた2人掛けの席が4つあった。
私と御咲くんは2人掛けのテーブルに座った。壁の上の方を見上げると、カレーやとんかつとメニューが書かれた紙がズラリと貼られてる。
「今日はことはちゃんの歓迎だよ。サービスしとくから、なんでも食べな」
「え、でも……」
「子供が遠慮しないの。佳乃さんはうちのお得意様だったって婆ちゃんから聞いてるからね」
お母さんがこの村にいたのは、ビデオが珍しくて白黒だった時代。『婆ちゃんから』って言ってたし、おばさんはお母さんと会ったことないのかも。
おばさんが水を取りに行ったので、御咲くんに少し顔を寄せる。
「狐宮の人って人間よりずっと若く長く生きてるんでしょ。村の人はおかしいと思わないの?」
「思わないみたいだね。何代も何代も『狐宮の者はみんなそう』って、生まれたときから思ってるから変にも感じないらしい。ことはみたいに、外から来た人じゃなければね」
ふう、と御咲くんが静かに息を吐き出した。
「だから、姉さんなんてよっぽど大変だったと思うよ。村の外なら全然歳を取らないこと、すぐに怪しまれただろうからね」
私の前ではそんなところ見せてなかったけど、陰では大変なことがあったのかもしれない。そういえば、お父さんはお母さんが銀狐だって知ってたのかな。さすがに知ってたよね、結婚してるんだから。
でも、それならなんで私には教えてくれなかったんだろう。
「はい、お水。ご注文はお決まりですか?」
「俺、月見そば」
「私も同じのお願いします」
満月みたいな卵と油揚げの乗ったおそばを食べる。おいしい。そういえば、お母さんも家でよく作ってくれたっけ。
ガラガラと戸が開いてお客さんたちが大勢入ってきた。
そういえば、お昼時だっけ。
「いらっしゃーい! 開いてるお席へどうぞ!」
「おお、珍しい。先客がいる」
「これまた珍しい。御咲くん、と……?」
おじさんおばさんたちが、私たちの周りに集まって来た。たぶんみんな私を知ってるとは思うけど、箸を置いて頭を下げる。
「狐宮でお世話になってます。樫ノ木ことはです」
「おお、あんたがことはちゃんか」
「佳乃さんとそっくりだってヨネコのばあちゃんが言ってたよ」
「はいはい、皆さんまずは席に着いてくださいね。ことはちゃんが食べられないでしょう」
おばさんの号令で、みんなどやどや席に着いて行く。なんとか月見そばに戻れそうだ。早く食べないと伸びちゃう。
「食べたら、みんなとよく話をしとくといいよ」
「え?」
「ところでことはちゃん、いつから村にいるんだい?」
御咲くんに聞き返す暇もなく、お喋りが再会した。あっちこっちから質問が飛んできて、まるで転校生になった気分。
「次の祭り、ことはが巫女舞を舞いますから」
御咲くんがそう言った途端、村の人たちが色めき立った。
「本当かい!? 巫女舞がまた復活するんだねぇ」
「俺は見たことねえなぁ。爺さん婆さんたちなら知ってっか」
「うちらにとっちゃ、巫女姫様なんて伝説の人だったからね。後継者ができて、葛さんも喜んでるでしょう?」
そう言われて、私の顔が引きつる。
「あんまり歓迎は、してもらえてないですけど……」
遠慮がちにそう言うと、まあまあと村の人たちが顔を見合わせた。
「葛さんは厳しい人だからなぁ。よっぽど巫女舞が完璧でねえと認めらんねえんだろ」
「でもことはちゃんは佳乃さんの子だよ。先代巫女姫様の子なんだから、何も心配はないさ」
「ええ、ええ。葛さんもことはちゃんに発破をかけるために厳しくしてらっしゃるんだねえ」
「そりゃそうだいな。ことはちゃんのことをよろしくって、わざわざ挨拶してまわっていたくらいだから」
え? と、今度は私と御咲くんが顔を合わせた。
「葛兄さんが?」
「ああ。『居候が1人増えて騒がしくなるが、よろしく頼む』って菓子折り持って」
「居候なんて言うからどんな人かと思ったら、佳乃さんの子だってヨネコ婆さんから聞いてビックリしたよ」
居候……言い方はともかく、私のことをそんな風に紹介しておいてくれたんだ。
御咲くんも初耳だったらしく、目をパチパチとしている。
「先代当主も立派だったが、葛さんも立派なもんだ。農作物のことも見てまわってくれて、気に掛けてくれる」
「若そうに見えるけど知識も豊富で、よく相談に乗ってもらってるよ」
「もうちょっと取っつきやすかったら良いんだけどねえ」
おばさんたちが苦笑いをした。私も釣られて笑ってしまう。
「葛さん、皆さんにも厳しいんですか?」
「そんなことはないけれど、いつも怒ったように眉間に皺を寄せているよねえ」
「仕方ないさ。当主としてのプレッシャーもあるんだろう。先代は偉大な人だったからねえ」
私は御咲くんに顔を寄せた。
「先代って、御咲くんのお父さんのことだよね?」
「うん。父さんはこの村をイチから作った人なんだ」
「イチから?」
「この村はもともと狐宮の者しか住んでない山だったんだけど、村を作って人間と共存したんだよ」
村を作ったなんて壮大過ぎて想像もできないけど、とにかくすごい人なんだ。
でも、お父さんがせっかく人間と共存する道を選んだのに、葛さんは人間が嫌いなんだよね。だけど、村の人たちには優しくて……。
葛さんのことが、全然わからない。
お昼が過ぎると、村の人たちはまた仕事に戻る時間だ。
「ことはちゃん、巫女舞頑張ってね。必ず見に行くから」
「応援しとるよ。これ食べてくんな」
おじさんおばさんたちから、畑で採れた野菜や果物をたっぷり貰った。
私はお礼なんて何にもできないから、言えることはこれだけ。
「ありがとうございます! 頑張ります!」