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第7話


その日から、御咲くんに教わって舞の練習を始めた。

本番まであとちょっとしかないから、覚えられるかだけが本当に不安。でも、振りはゆっくりで繰り返しの動作が多くて何度かやってみたらすぐに覚えられた。

これなら安心! ……と、思ったんだけど。


「手はもう少し上に掲げて。それだと上げ過ぎ」「指先までしっかり伸ばして。指の間に隙間があかないように揃えて」「足音を立てないで。でも足を引きずっちゃダメだ」「ここは身体に力を入れないと姿勢が保てないよ。でも力んでるように見せないで。優雅に」


御咲くんの指導はすごく細かい。まさに一挙一動。すべての動作に気が抜けない。


「じゃあ、もう一回頭からやるよ」

「ちょっ、ちょっと待って……。少し休憩してもいい?」


お昼を食べてからすぐ始めた練習だったけど、もう3時になるところだった。途中水くらいは飲んだけど、ほぼノンストップ。


「そうだね。少し休もうか」


よかったー。

御咲くんが言ってくれた瞬間、畳に膝から崩れ落ちる私。

御咲くんだって私にお手本を見せるために何度も何度も舞ってくれてるのに、涼しい顔をしてる。

私が体力なさ過ぎ? それとも、この超人パワーも銀狐のすごさ?


「御咲さま、ことはさま。お茶菓子をお持ちいたしました」

「おやつにしてくださいですー」

「僕もおまんじゅう食べていいですか?」


タイミングを見計らっててくれたのか、楓ちゃんたちがお茶とお茶菓子を持って来てくれた。

おまんじゅうは小さなひとくちサイズ。こし餡、白餡、うぐいす餡、桜餡。まずはピンク色の桜餡をつまんで食べた。甘くてちょっぴりすっぱい桜の匂い。

「どうぞ」と楓ちゃんが私の前にお茶を置いてくれる。


「ことはさま、もう巫女舞を覚えられたのですね。さすがでございます」

「まだ本当に覚えただけだよ」


白いおまんじゅうを食べていた桜ちゃんが、首を傾げた。


「覚えられただけじゃダメなのですか?」

「やっぱりキレイに見えないとか、そういうのがあるんじゃないかな。ね、御咲くん?」

「それもあるけど、巫女舞は神聖な舞だから」


お茶を啜ってた御咲くんが、ことんと湯呑を置いた。


「周りの風や木々なんかと一体になって舞う。そのためには、普段と同じような動きじゃダメなんだ。自分は透明になって、自然と溶け込む。村の人たちに銀狐のことは言えないけど、それでも何か感じ取ってもらうために練習が必要だ」

「お母さんも、そうしてきたんだね」

「それが伝統だからね」


御咲くんの舞を見せてもらったときの神秘的な気持ち。あれがそうだったんだ。

私も、それができるようにならなきゃいけない。


「本当は姫巫女の舞は姫巫女が代々振り写しをして受け継いでいくものなんだ。俺が間に入ってる段階で、伝統は途切れてるかもしれないけど」

「そんなことないよ。御咲くんだって銀狐なんだから」


御咲くんが薄く笑った。

葛さんに言わせれば、伝統は途切れてるのかもしれない。でも私はそう思わない。御咲くんはお母さんの舞を見て巫女舞を覚えた。ってことは、お母さんの想いを受け継いでるってことだもんね。

私もその気持ち、ちゃんと受け継がなきゃ。


「あー! 浅葱、食べ過ぎなのです!」

「うぐいす餡ばかり食べましたね。同じ味は1人1個ずつですよ」

「だって、うぐいす餡好きなんだもん」


浅葱くんが黄緑色のおまんじゅうを頬張ってる。御咲くんがクスッと笑った。


「御咲くん?」

「あ、ごめん。昔を思い出してた。兄弟4人もいるから、うちもお菓子の争奪戦は激しかったんだ。葛兄さんが『長男だから!』って1番多く取るから、姉さんが奪い取ろうとして」

「葛さまと佳乃さまの戦いは壮大でございました」

「いつも勝つのは佳乃さまなのです!」


それは大騒ぎだったんだろうな……。

というか、お母さん葛さんより強いんだ。


「姉さんは葛兄さんの分まで全部奪い取って、俺にも分けてくれたよ」

「あ、あはは……じゃあお菓子はお母さんと御咲くんで山分けだったんだね」

「1番ゲットしてたのは千里兄さんだけどね。姉さんと兄さんがバトルしてる隙に自分の分を確保してたから」


うん、千里さんならやりそう。


「お母さん、御咲くんには優しかったの?」

「俺とは年も離れてたしケンカしたことなかったよ。兄さんたちには怖いけど、俺にはいつも優しくて、いつも俺を……」


そこまで言って、御咲くんが黙り込んだ。

妙な沈黙に、楓ちゃんたちも揃って御咲くんの顔を覗き込んでる。


「で、でも、御咲くんもすっごく優しいよね! 千里さんも優しくしてくれて」

「いや、千里兄さんは違う」


御咲くんが急にきっぱりと言った。


「千里兄さんが必要以上に優しくするときは注意した方がいい。ことはを何か利用しようとしてる気がする」

「え、そんな、千里さんが?」

「正面切って文句言ってくる葛兄さんより、よっぽどタチが悪い」

「そ……」

「そんなことはありません!」


私が言う前に、楓ちゃんが立ち上がった。


「千里さまは、いつもこの狐宮家のことを考えていらっしゃいます。だから、ことはさまのことを悪いようになど致しません」


私たちが呆然と見上げてると、楓ちゃんはハッと顔を赤くした。それから、小さくなるようにして座り直す。


「す、すみません……御咲さまに失礼なことを申し上げました……」


しゅんとしてしまった楓ちゃんに桜ちゃんが慌てて「あの!」と御咲くんに向き合った。


「楓は千里さまのことが大好きなのです! だから――」

「別に、気にしてない。俺も悪かった」


楓ちゃんたちはそれぞれお世話をする3兄弟が決まってる。長いこと千里さんの担当をしてる楓ちゃんは、いくら御咲くんでも悪く言われるのは黙ってられなかったんだろうな。


「楓ちゃんは千里さんが大好きなんだね。じゃあ、桜ちゃんは御咲くんが好き?」

「はい! 御咲さまはあんまりお話してくれませんし、何を考えてるのかよくわかりませんが、葛さまのように怒鳴ったりされないので大好きなのです!」


褒めて……るんだよね?

楓ちゃんがやれやれと桜ちゃんを肘で小突いてる。相変わらず、御咲くんは気にしてないみたいにすましてるけど。

浅葱くんは葛さんの話が出てるっていうのに、まだもぐもぐおまんじゅうに夢中。


「浅葱くんは、葛さんどう?」

「葛さまは優しいです」


さらっと言った浅葱くんに、楓ちゃんと桜ちゃんが「ええ?」と声を揃える。


「浅葱、いつも葛さまに怒られているではないですか」

「お前はぼんやりし過ぎている。お前も長男ならばもっとしっかりハッキリしろ! ってよく言われているのです」

「あれ? そうだっけ?」


……浅葱くんがこういう感じだから、葛さんと上手くやっていけるんだろうな。



「右手を前に、首の角度はこう……もっと顎を引くのかな……」


昼間は御咲くんと練習。夜は夕食の後から自分の部屋で鏡に向かって自主練。

ううん、合ってるような気がするんだけど、やっぱり御咲くんの動きとは違う気がする。お母さんのは、どうだったかな……。

千里さんにもう1回見せてもらおうかな。


千里さんの部屋に行くと、障子越しに影が見えた。まだ寝てないみたい。


「千里さん、ことはです。今大丈夫ですか?」

「いいよ。どうぞ」


障子を開けると、千里さんが眼鏡を掛けるところだった。


「あの、お母さんの巫女舞の動画、もう1回見せてもらえませんか?」

「ああ、もちろん。ちょっと待ってね」


千里さんがタブレットを取り出す。


「もっと大きい画面で見せてあげられればいいんだけど、うちテレビないからさ。やっぱり買おうかな」

「タブレットでも十分です。ありがとうございます」


千里さんがテーブルにタブレットを立てかけた。

白黒のお母さんが再生される。

自分が踊ってみてわかったけど、優雅に見えるこの動きは本当はすごく力が必要。普通に動くのとは違う筋肉を使ってるみたいで、身体のいろんなところが筋肉痛になる。のんびりゆったり踊ってるわけじゃないんだ。

それなのに、見てるこっちにはその大変さは全然伝わってこない。まるで自然の流れに身を任せて、風に乗っているみたいに自由に舞っている。ように見える。


全部見られたらよかったのに、お母さんの舞は途中でぷっつり切れてしまう。

これを最後まで、できればカラーで、目の前で見てみたかったな。


「ことはちゃん、スマホ持ってる?」

「持ってないんです」

「残念。持ってたらこのデータあげようと思ったんだけど」


スマホがあればお母さんの舞を何度も手元で見ることができるのに。

と、千里さんがタブレットをケースに畳んで「はい」と私に向けた。


「あげる。好きに使っていいよ」

「え!? でもこれ千里さんのものなのに……」

「僕はスマホもPCも持ってるからね。どうしてもタブレットが必要なことってないんだ。気にしないで」

「でも、こんな高価なもの……」

「遠慮することないのに。そういうところは姉さんに似てないね。ことはちゃんって、お父さん似?」


お母さんにも『ことははお父さん似ね』って言われてた。私はお父さんのこと、あんまり覚えてないけど。


「お母さんって、千里さんから見るとどんな感じだったんですか? この家にいたとき」

「兄貴とよくケンカしてたね」


それ、みんなが言ってるやつだ……。


「2人もいじっぱりだったから折れたり引いたりしないんだよね。小さい頃からあんなの間近で見てきたから、御咲があんな大人しい子になっちゃったんだよ。可哀想に」


でも今は葛さんとケンカしてるの千里さんなのに……。

って、ツッコんでもいいのかな。まだ距離感がよくわからないよ。


「ことはちゃんのお父さんが亡くなったときもさ、兄貴も父さんも勘当を取り消すから帰って来いって言ったんだよ。でも姉さんは帰ってこなかった」

「どうして……」

「外の世界で生きていくって決めたから今更うちを頼りたくないと思ったんだろうね。僕が電話したときも『そっちから勘当したくせに勝手なこと言ってんじゃねえっつっとけ!』って怒鳴られたからね」


強い……。


「でも僕はそういう姉さんが結構好きだったよ。カメラとかラジオとかテレビとか、まだ一般的じゃない頃からいち早く手に入れて僕に教えてくれた」

「お母さんはそういうの好きだったんですね」

「こんな古臭い家に住んでるのに、姉さんは昔からミーハー……新しいものが好きだったからね。これからはどんどん新しいことを取り入れなくちゃ、っていつも言ってたよ」

「うちでも流行り物はいつも買ってました。私の誕生日やクリスマスには、毎回新しいゲームを買ってくれて」

「姉さん、自分がやりたかったんじゃないの?」


だと思う。私より夢中でやってたし。


「そういえば、千里さんだけはお母さんが家を出ることやお父さんと結婚すること賛成だったんですよね」

「姉さんはこんな田舎にいるのはもったいないと思ったんだよ。絶対に外の世界で生きるべきだってね」

「千里さんは家を出ようと思ったこと、ないんですか?」

「僕は家を出るんじゃなくて、ここから狐宮を変えていきたいんだよ。もっと風通し良く、未来に向かっていきたい」


千里さんが私を見つめて、ふっと笑った。


「外で生まれ育った君がこの家に来れば、否が応でも何かが変わる。期待してるよ、ことはちゃん」


千里さんのメガネが怪しく光った。


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