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第3話


「これがお母さんの家!?」


ででーん、と大きなお屋敷が経っていた。

木造二階建て、屋根は瓦で縁側に障子が見える。日本家屋っていうのかな。

温泉旅館に泊まったとき、こんな感じだった気がする。本当に旅館くらい大きそうで、少し離れたところにはまた別のお屋敷が建ってる。

時代劇のお殿様が住んでいそう。


なんだか急に緊張してきちゃった。

なかなか家に入る勇気が出なくてうろうろしていると、ガラリと引き戸が開いた。


「なにかご用ですか?」


赤い着物を着た女の子が、ひょっこり顔を出した。


「あ、わ、私、樫ノ木ことはと言います。千里さんに呼んでいただいて、来たのです、が……」


緊張し過ぎて声がどんどん小さくなってく。

でも女の子は「あ!」と言ってニッコリ笑った。


「ようこそお越しくださいました、ことはさま。中へどうぞ。千里さまを呼んでまいります」


女の子はパタパタと家の中に引っ込んでしまう。

私よりずっと小さい、小学校低学年くらいに見えるのにすごくしっかりしてるな。私なんて来年から中学生なのに、あんなたどたどしく挨拶してちょっと恥ずかしい。


「中へどうぞ」って言われたから、恐る恐る引き戸を開けて中に入る。

石畳の広い玄関に、目の前には大きな松の日本画が飾られてた。靴箱の上には壺のような花瓶にキレイな花が活けられている。


「ようこそ、ことはちゃん」


キョロキョロしていたら、いつの間にか千里さんが立っていた。

黒いシャツを着た千里さんが、眼鏡の奥で微笑んでいる。

お母さんも若く見えたけど、千里さんも若い。お母さんと同じで、まだ大学生くらいにしか見えない。

「おじさん」とは呼べる気がしないんだよね。


「こ、こんにちは」

「こんにちは。よく場所がわかったね。連絡くれれば迎えに行ったのに」

「駅でヨネコさんっておばあちゃんに会って、案内してもらったので」

「ああ、ヨネコさんね。あの人はみんなのおばあちゃんみたいな人だから」


みんなのおばあちゃんか。

お爺ちゃんお婆ちゃんはお父さんの方もお母さんの方も、私が生まれる前に亡くなってる。だからおばあちゃんって、なんだか嬉しい。


「さあ、上がって。まずはみんなにことはちゃんを紹介しないとね」


歩き出す千里さんに着いて行こうとすると、さっきの赤い着物の女の子がやって来た。


「お荷物お持ちします」

「自分で持てるから大丈夫だよ。ありがとう」


本当にしっかりしてるなぁ。私、家にお客さんが来たときこんなことできなかった。


「あの、お名前聞いてもいい?」

「楓と申します。千里さまのお世話係をしています」


お世話係? お手伝いさんみたいなものかな。

でもこんな小さいのに……? 親戚の子なのかな。


千里さんに連れられたのは、広い畳の部屋だった。

部屋の周りはふすまで区切られてて、部屋の奥には一段高くなった床の間があって、その上には掛け軸が飾ってある。


「御咲さまを呼んできましょうか?」

「桜に呼んでもらってるから大丈夫。あ、ほら来たみたい」


足音と共に、縁側の方から現れた高校生くらいの男の子。御咲さんだ。

Tシャツの上に藍色の着物の羽織りを着てる。

御咲さんはお葬式にも着てくれたけど、何も喋らなかったんだよね。一番下の弟だから千里さんよりもずっと若いはず。仲良くなれるといいんだけど。

その後ろをとことこついて来たのは、ピンク色の着物を着た女の子。この子が桜ちゃん、かな。


「こんにちは」

「……ああ、姉さんの子だっけ」


御咲さんにぼんやりした目を向けられる。

ま、まさか忘れられちゃってたわけじゃないよね……?


「前に話しただろ。今日から一緒に暮らすから、仲良くしなよ」

かずら兄さんには?」

「兄貴にはこれから……」


ドタドタドタ、とふすまの向こうから大きな足音が迫ってくる。



「どういうことだ千里!!」


パァーーン! と、勢いよくふすまが開いた!

現れたのは、紺色の着物を着た男の人だった。

ええっと、この人はたぶん……


男の人はつかつかと私の前を素通りして千里さんに詰め寄って行った。


「今呼びに行こうと思ってたんだよ、兄貴。ことはちゃんを紹介しようと思って」

「どうしてこいつがここにいるんだ!! 俺は聞いてないぞ!」

「こいつって、ひどい言い方しないでよ。今日から家族になるんだからさ」

「勝手なこと言うな! 家族なんて絶対に許さん! 今すぐ追い出せ!」


お、追い出せ!?

もしかして、私がここで暮らすことって千里さんが勝手に決めちゃったの?


すごい剣幕で怒鳴られてるのに、千里さんは涼しい顔をしてこっちを向いた。


「ことはちゃん、紹介するよ。これがうちの長男、狐宮かずら

「兄に向かって『これ』とはなんだ!!」


お母さんが4きょうだいってことは聞いてたけど、葛さんと会うのは初めて。

長男ってことはこの中で1番年上のはずなのに、やっぱり20代くらいにしか見えない。


葛さんはお葬式にも来てなかったし、この様子だと私……全然歓迎されてないみたい。


そんな葛さんの後ろを見ると、緑色の着物を着た男の子が立っていた。揉めてる葛さんと千里さんを見てあわあわしてる。

楓ちゃんと桜ちゃんと同じ、お世話係の子かな。


「佳乃の娘だと言ったな」


葛さんにじろりと睨まれて、肩がビクッと跳ねる。


「あいつは親父が生きていたときにとっくに絶縁したんだ。もう狐宮の者じゃない。つまり、お前もこの家とは無関係だ。とっとと出て行け」

「で、でも私、もう他に行くところないんです」

「知るか! そんなこと俺には関係ない」


話が違うよ!

お父さんの親戚にはお母さんの実家に行くって言っちゃったし、家はもう引き払ってる。

今追い出されたら野宿しなくちゃならない。


千里さんはやれやれという顔をして口を開いた。


「お父さんの方の親戚にたらいまわしにされるより、うちに来た方がいいでしょ。うちは1人増えたって何も問題ない。それにことはちゃんは姉さんの大切な娘、困ってる姪っ子を助けたいと思わないわけ?」

「佳乃は勝手に家を出て行って勝手にあんな男と結婚したんだ。あの男が死んだとき、散々帰ってこいと言ったのに意地を張ったのはあいつだ。その子供を今更家族にできるわけがないだろう!」


あの男って、お父さんのこと?

お父さんとお母さんは結婚を反対されてたって聞いたことあるけど、まだ全然許してもらえてないんだ!

でも、絶縁してるからって私が伯父さんたちの姪っ子だってことは変わらないのに関係ないなんて。

それに私は、千里さんに言ってもらったから来たのに!


ふと見ると、御咲さんがつまらなそうな顔して2人を見上げてた。


「あ、あの……御咲さんはどう思ってるんですか?」

「どうって?」

「私、ここに居てもいいですか?」

「別に。どっちでもいい」


興味なさそうに御咲さんが言った。


「ふん、御咲を味方につけようとしても無駄だぞ。そいつは何にも考えてないからな」

「御咲は人に興味ないからね」


言われてる張本人の御咲さんは、他人事のような顔をしてる。

興味ないって、御咲さんにも関係ある話なんですけど……?

じゃあもう頼れるのは千里さんしかいない。助けを求める目を向けると、千里さんは「大丈夫」と言うようにうなずいた。


「兄貴、本当にことはちゃん追い出していいの?」

「いいに決まってるだろ」

「ことはちゃんがとぼとぼ歩いてるのをヨネコさんが見たりしたら、すぐ村中のウワサになるよ。『お狐様んちは行く当てのない姪っ子を追い出した。お狐様の子孫ともあろう人たちがなんてひどいことを』って。狐宮家末代まで言われ続けるだろうねぇ」


ニヤリと笑う千里さんを、葛さんが歯を食いしばって睨みつける。

村に悪いウワサが流れるのはマズイらしく、葛さんは何も言い返せなくなった。


「……わかった。ただし、春休みの間だけだ。その間に父親の親戚でも施設でも行く当てを探して出て行け。それまでは客人としてもてなしてやる」


ものすごく悔しそうに、葛さんが呻くように言った。

何も解決してないけど、とりあえず野宿はしなくてよさそうだ。


「葛さん、ありがとうござ――」

「俺のことは葛さま、もしくはご当主さまと呼べ!」


そう言い放って、ピシャンとふすまを閉めて出て行った。



大騒ぎの後、千里さんは「おいで」と何事もなかったかのように私を別の部屋に案内した。

6畳のたたみの部屋で、奥には押し入れ、それから部屋の隅には背の低い木のテーブルが置いてあった。


「本当は姉さんの部屋を使ってもらおうと思ってたんだけど、兄貴が立ち塞がってたからとりあえず客間を使ってて」


よっぽど私にお母さんの部屋を使わせたくないのか……というより、私に客間を使わせたいんだろうな。

私は家族じゃなくて、お客さんだから。


「あの、葛さんは私が来ること知らなかったんですか?」

「うん、言ってなかったからね」


そんな当たり前みたいな顔して言われても!


「言ったら絶対反対するから、来てもらっちゃえば追い返すことなんてできないと思ってね。村はウワサが広まるの早いし、兄貴はめちゃくちゃ世間体を気にするから」


あの展開は千里さんの作戦勝ちってことだったんだ。

でも突然怒鳴りつけられたから心臓縮んじゃうかと思ったよ。


「また兄貴がごちゃごちゃ言ってくるかもしれないけど、気にしなくていいからね。何かあったら俺たちか、楓たちに伝えて」


じゃあまた夕食のときに、と言い残して千里さんは出て行った。

瞬間、荷物の横にへなへなと座り込んでしまった。

ずっと電車に揺られて、初めてのお母さんの実家に緊張して、しかも怒鳴られて……


ごろんと大の字に寝転んで、天井を見上げる。

四角い照明から垂れた紐をじっと見つめた。


私、本当にここに居ていいのかな。ダメだと言われても、私に行く場所はないんだけど。

そもそも葛さんに許してもらえたのは春休みの間だけ。新学期からはどうすればいいんだろう。

千里さんはきっとまたムリヤリ葛さんを納得させる方法を考えてくれてるんだろうけど、でも本当にそれでいいのかな。


「失礼いたします。ことはさま、今よろしいでしょうか」

「うあっ、はい!」


この声は楓ちゃん?

飛び起きると、ふすまがゆっくりと開いた。楓ちゃん、桜ちゃん、その後に続いてあの男の子が入って来る。

3人が畳の上にきちんと正座したので、私も思わず背筋を正して座り直す。


「ことはさま。改めて、ご挨拶させていただきます」


楓ちゃんがそう言うと、3人揃って畳に両手をついて一礼した。

私も慌てて頭を下げる。自分よりずっと小さい子たちなのに、きちんとし過ぎてて緊張するよ。


「私は楓と申します。千里さまのお世話係をしております」

「私は桜です。御咲さまのお世話係です」


楓ちゃんに続いて、桜ちゃんがニコッと微笑む。2人ともかわいくて、私まで自然と笑顔になる。


「僕は浅葱あさぎと言います。葛さまにお世話になっています」


浅葱くんが言うと、楓ちゃんが「違うでしょ」と口を出した。


「お世話になってるんじゃなくて、お世話係でしょう」

「でも僕たちはこの家にお世話になってるって、いつも楓も言ってるじゃない」

「そうだけど、そうじゃないの」


ふふっと笑っちゃうと、3人が一斉にこっちを見た。楓ちゃんがしゅんとしてしまう。


「失礼いたしました。こんなところお見せして……」

「あ、違うの。3人ともかわいいなぁって思って。私ここに来てからずっと緊張してたから」

「そうでしたか。お茶とお茶菓子をご用意しましたので、どうぞごゆっくりなさってください」


3人はお茶と、それからお饅頭を出してくれた。本当に旅館みたい。

用意だけして帰ろうとしたから、「一緒に食べよう」と誘って話し相手になってもらうことにした。

この家のこと、千里さんたちには聞きにくいけど、楓ちゃんたちなら聞きやすいしね。


狐宮家4きょうだいは上から、葛さん・お母さん・千里さん・御咲さん。

楓ちゃんたちは狐宮家の親戚の子で、お母さんが家を出て行ってからこの家でお世話係をしてるらしい。


「お父さんやお母さんと離れて? 寂しくないの?」

「寂しくはありません。狐宮の一族は、本家で行儀見習いをすることが習わしなのです」


楓ちゃんがきっぱり答える。

なんだかすごい話。時代劇みたい。


「小さいのに偉いね。みんな何年生なの?」

「桜たちは小さくないです。ことはさまよりずっと――」


楓ちゃんがバッと桜ちゃんの口を塞いだ。


「なんでもありません!」

「え、でも……」

「ことはさまー、僕お饅頭もう1個もらってもいいですか?」

「あ、うん。どうぞ」


楓ちゃんと浅葱くんに誤魔化されちゃって、それ以上はなんとなく聞けなかった。桜ちゃんも黙っちゃったし。


それから、楓ちゃんたちは夕食の支度があるからと行っちゃった。

なんだか気まずくしちゃったな。

私、なにかマズいこと聞いたのかもしれない。










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