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第19話

 ターラは頭を抱えてしゃがみこむ。


 それをすかさず神様が支えた。


 強張るターラの体を、神様は優しく抱擁する。


 あまりの痛みに目を開けていられずに、ターラはぎゅっと瞼を閉じた。




(予想していた痛みと、違う――)




 もっと全身を貫くような、一度限りの痛みだと思っていたが、そうではなかった。


 ターラの頭蓋骨を粉砕せんばかりに、容赦ない連続した激痛が襲いかかってくる。




「うう……っ」


「探すんだ、ターラ。傲慢な欲望の中から、小さな助けを求める声を。それを聞き届けることが、神になるためには必要だ。ターラなら出来る。自分のことよりも、他人のことを思いやるターラなら、必ず」




 いつもより大きな声で、神様がターラを励ます。


 ガンガンと響く痛みの矢の猛攻に、負けたくないターラは、握りこぶしをさらに握り込む。


 それに気がついた神様が、ターラの握りこぶしを、大きな手のひらで包み込んでくれた。




(温かい……神様の手)




 ホッとしたターラは、神様の手の温もりと同じ感覚を、頭の中に見つけた。




(もしかして、これが声? 小さいけど、一生懸命なのが伝わってくる)




 乱暴に暴れまわる矢の間、か細く光る糸のようなものがある。


 キラッと煌めいては、かき消されるそれは、水面に反射する魚の背びれのように、とらえどころがない。




(待って、消えないで。あなたの声を、聞かせて)




 飛び交う矢を掻い潜り、ターラの意識が光を探す。


 そして、底の方に怯えるように、小さな光が集まっているのを見つけた。




『怖い……』


『痛い……』


『悲しい……』


『助けて……』




 かそけき声がターラに届いた。


 神様が握りこぶしを包み込んでくれたみたいに、ターラの意識が光たちを包み込む。




(環境が良いものとなりますように。体の痛みが和らぎますように。心の傷が癒えますように。あなたたちへ、信仰の光が届きますように)




 ぎゅうと抱き締めると、ターラの頭の中に、真っ白な光が満ちた。


 その光は瞬く間に広がり、暴れ回っていた矢を消滅させていく。


 ターラの意識が包んだ救いを求める声も、真っ白な光の中に粒となって溶けていった。


 そして完全に無となった脳内に、ターラの知らない声が響き渡ったのだ。




『ここに、ターラマヤヴィーアの誕生を祝す』




「ターラマヤヴィーア……?」




 そっと目を開くと、微笑んだ神様がターラを覗き込んでいた。




「おめでとう、ターラ。神としての、名前をもらえたな」


「神としての名前?」


「人には知られていないが、神には名前があるのだ。私の名前は、ガーシュヴィストルーゼ。意味は、人々に望まれし者」


「ガーシュヴィストルーゼ……さま」


「これからは、ガーシュと呼んで欲しい」




 嬉しそうな神様の顔に、呼ぶところを想像してしまったターラは頬を染める。




「私の、ターラマヤヴィーアとは、どういう意味ですか?」


「魂を導く者だ。ターラは、魂の浄化が出来るようになった」




 魂の浄化――それは黒ずんだ魂に、光を与えること。


 母親代わりだったターラが、シャンティにしてあげられなかったこと。


 心の中で、ターラはシャンティに誓う。


 助けたかったシャンティの分まで、これからは魂を救っていくと。


 ターラマヤヴィーアとなった今ならば、それが出来るのだ。




 ◇◆◇




「神様がシャンティと一緒に人の世に下りたのは、人の死がどんなものか、知りたかったからですか?」


「ガーシュ」




 どうやらその名前で呼ばないと、神様は返事をしてくれそうにない。


 ターラは、初めてのことに緊張しながら、小さく呼んでみる。




「……ガーシュさま」


「さまは要らない」


「……ガーシュ」




 それでいいと頷いて、神様はターラの質問に答える。




「それもあるが、ターラと距離を置いてみたかった。ターラが傍らにいない状況で、果たして思い出だけで生きていけるのかどうか、試したかった。その二つの意味で、子の提案は私にとって、価値あるものだったのだ」


「人の死を、実験的に扱うことは、決して良いことではありません」


「人の倫理というやつだな。私も人の世に下りて、少しは学んだ。街から街へ旅する間、人の話し声を聞き、人のする行為を見た」




 今は神の森の中、木陰のある大樹の根元に二人で腰かけ、暑い夏の日差しから逃れている。


 闇夜より黒い髪をたなびかせ、星空に似た蒼い瞳をきらめかせる神様の姿は、またしてもターラの心にスケッチされる。


 いくら髪や瞳の色を変えたとしても、この美貌が人の世に放たれてしまって、何もなかったのが不思議だ。


 騒乱が起きてもおかしくないほど麗しい神様の横顔に、ターラは質問を投げかける。




「人を見て、どう思いましたか? 先代の神殿長は、ガーシュが人の影響を受け過ぎないか、心配していました」


「とても興味深かった。最初は私の考察が追い付かず、訳が分からなかったが、そのうちに法則が見えてきた。人は社会という集団でしか生きられない。所属する集団から弾かれないため、守るべき数多くの決まりがある。……倫理というのも、そのうちのひとつだろう?」




 最後は少しだけ自信がなさそうな神様だったが、神の森にいた頃よりは見た目も大人びているし、しゃべりかたも流暢になっている。


 人の世に下りて、成長したのは間違いない。


 何しろ、ここを出て行く前の神様は、口づけなんて知らなかったはずなのだから。




「人を嫌いにはなりませんでしたか? 人には色々な顔があります。略奪をはたらく乱暴者が、家では良い父親であったりするのです。そうした相反するものを、人は少なからず持っています」




 これはターラにも当てはまる。


 妹のメリナや娘と思っていたシャンティに、いつも清い心ばかりで接してきたとは言えない。


 ターラが苦い思いを噛みしめていると、神様は複雑な顔をした。




 神様も、ターラが襲われた傲慢な欲望の矢に、激痛を感じながら生まれてきた。


 ターラは神様から、対処する方法を教えてもらえたからすぐに神になれたが、神様はどうしていいか分からず、もっと長く人に苦しめられた。


 そしてその中から、小さな助けを求める声を聞き届け、神様も神になった。


 人が強くも弱くもある存在なのは、もしかしたら神様が一番、知っていることなのかもしれない。




「人が単純であれば、おそらく私は生まれていない。魂の色が変わるように、人も変わりゆく。神という存在は、人のための存在だ。人はうまいこと神を利用して、より良い人生を送ればいいのに、とは思った」




 ターラが考えていたよりも、神様は人に対して大らかで大雑把だった。




「ターラが人でなかったら、ここまで人に対して興味を持つこともなかった。やはりターラには、私の傍らにいてもらわなくてはならない」




 そう言ってターラを腕に囲む神様。


 すりすりと頬をこすりつけてくる様が、愛おしい。


 思いを通じ合わせたターラも、神様に腕を回す。




「おかえりなさい、ガーシュ。……待っていました」


「ただいま、ターラ。もう離れたくない」




 人と神であったころは、結ばれるはずもなかった二人が、集まった祈りの力によって夫婦となる。


 神様の幸せをひたすらに願い、行動に移してきたターラの思いが、ここに来て報われた。




「ずっと幸せになって欲しかったんです。そればかり、祈っていました」


「知っている。ターラの声は、とても光っているから。私の幸せを祈る声を聞いたのは初めてで、驚いた」


「……ガーシュ、幸せですか?」


「ターラが傍らにいる限り、私は幸せだ」




 夏の空の青さが、どこまでも続く。


 ターラの心に、神様との思い出が、またひとつ増えた。




 神様が神の森に戻ったこととターラが神になったことを、神殿長へ報告しに行こうとしたターラに、離れたがらない神様がついていくと駄々をこねて、ひと悶着を起こすのはこのあとすぐだ。

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