「救いたいか?」
神様の、いつにない真剣な顔と声に、ターラは緊張した。
ここは安易に答えてはいけない場面なのだと、伝わってきた。
ターラは、妹のメリナを思い出す。
メリナは母を亡くした寂しさから、ターラの物をなんでも欲しがる悪癖を身につけてしまった。
その結果、ターラの婚約者を奪うという暴挙に出たが、死産を経験し、己の死を前にして、改心した。
(もしかしたらメリナの魂も、悪癖を身につけてしまったときに、少し黒ずんでいたのかもしれない)
しかし、神様を信仰し、祈りを捧げたことで、メリナは安らかに旅立った。
悲しいことに、シャンティはターラを恨んで死んだが、もし違う未来があったのならば、そちらに導いてやりたかった。
「救いたいです」
だからターラは、毅然と答えた。
それを聞いた神様の蒼い瞳が、ふっと和らいだように見えた。
「ターラと離れている数十年の間に、私に祈りの力が集まり、何度か神格が上がった。ターラと神殿長が、布教活動を頑張っているのだろうと思った。おかげで心根や魂の色が分かる以外にも、新たな能力を身につけた」
そこで言葉を途切れさせた神様は、別れた日の前日と同じく、ターラを腕の中に囲った。
久しぶりの抱擁に、ターラの顔は急激に赤くなる。
続いて何を言われるのか、ターラには想像がつかない。
だからしっかりと、神様の口元を見つめた。
そこから紡がれる言葉を、決して聞き逃さないように。
しかし神様の唇は、ゆっくりと下りてきて、ターラの唇と同じ高さにやってくる。
背を屈め、目線を合わせた神様は、囁くようにターラに話しかけた。
「私と同じ神になれるとしたら、どうする? ターラが新たに、魂を救う神になるのだ」
言われたことは確かに耳に届いたが、ターラがそれを理解するのに少しの時間が必要だった。
それほどに神様の提案は、想定外だったのだ。
「私が……神様と同じ?」
「配下の眷属ではなく同等の神だから、ターラの意思はそのままだ。命の長さは、人々の祈りの力に依存する。もしかするとターラの方が、私より人々に望まれ、長く生きるかもしれない。そして神としての格が上がれば、さまざまな能力を身につける」
「……本当に、神様みたいですね」
「大切なことを言おう。――神になれば、私と夫婦になれる」
「っ!!」
神様の腕の中で、ターラの体が跳ねる。
すでに真っ赤だった顔が、さらに赤くなった。
首をちょこんとかしげた神様が、蒼い瞳で尋ねてくる。
『どうする?』と――。
「神様、私は……」
ターラが神様を恋い慕っているのは、間違いない。
この数十年、神様がいない間も、神様へのあふれる想いと信仰を、心の拠り所にしてきた。
歴代の神殿長と、二人三脚で頑張ってきたのも、神様のためだった。
とこしえの神様の幸せを願って、ターラは今日まで駆け抜けてきた。
神様の哀しみを知ったときから、毎晩、神様の心の安寧を祈り続けた。
いつでも笑っていて欲しくて、人々の信仰が深まるよう構想を練った。
孤独な神様に寄り添う存在がいればいいと、神様の神格を上げる努力をした。
愛してやまない神様の隣が、今、ターラに差し出されようとしている。
ターラは娘同然のシャンティの振る舞いに、嫉妬してしまった。
醜い感情のまま、神様の眷属になりたいと望んだこともあった。
あれから反省して、初心に帰り、神様のために身も心も捧げると誓った。
そんな過去のあるターラが、神様と同じ神になるのに相応しいだろうか。
ターラの脳裏には、これまでの神様との思い出が去来する。
どれもこれも、大好きな神様との情景だ。
その一場面を切り取って、新たな神様の姿絵として、パッチワークで布絵にしてきた。
この試みの結果、神様の神格が上がり、ターラを神にする能力に目覚めたのか。
神様の腕の中で、ぐるぐる考えを巡らせていると、ターラの鼻につんと、神様が鼻を押し当ててきた。
より一層の近距離に迫った神様の麗しい顔に、ターラの頭が思考能力を手放してしまう。
「私は、ターラを愛している。ターラに死んでほしくない。これからも、夫婦神として私の傍らにいてくれないか?」
人の世の夫婦の誓いを、神様なりの言い回しにした、ターラへの求婚だった。
いろいろなことを難しく考えていたターラだったが、もう駄目だった。
コクコクコクと高速で頷くだけの、人形になってしまう。
それを見て、微笑んだ神様が、ターラの唇を奪っていく。
これまで痛いばかりだったターラの胸が、違う苦しみを訴えてきた。
(神様が、私を愛しているって。ずっと、傍らにいて欲しいって――)
嬉しくて、幸せで、昂って、神様への愛がターラの心からあふれ出す。
ターラはそっと、神様の体に腕を回し、自分の気持ちを伝えるように、抱きしめ返した。
◇◆◇
「ターラを神にするために、私の魂とターラの魂を、半分ずつ交換する必要がある」
そう言うと、神様は自分の胸に右手を当てた。
ぽわっと光ったかと思うと、神様の手のひらの上に、クリスタルのように透き通った丸い珠が現れた。
「これが私の魂だ」
そうして次はターラの胸に、神様は左手を当てた。
ターラの心臓がドキドキしているのが、きっと神様に伝わっているはずだ。
ぽわっと光って出てきたターラの魂は多面体で、銀色の星が散りばめられた紫色の輝石のようだった。
「これが、私の?」
「美しいだろう? ターラの魂の形は球に近く、濁りがなくて透き通っている。いくつかある銀色の星は、ターラが傷ついたときに出来たものだ。心の傷、とでも言おうか」
神様の手のひらにあるターラの魂の中には、ひときわ輝く大きな星がある。
きっと、シャンティの死と、その真相を知って生まれた、新しい傷だろう。
「多くの傷は、時間と共に癒えていく。小さな傷も、以前は大きな傷だったのだ」
例えば、母との別れだったり、妹との別れだったり、父との別れだったり。
先代の聖女や、先々代の神殿長とも、ターラはお別れをしてきた。
それがこうしてターラの魂に残って、星となっている。
ターラは、星のひとつひとつが、大切な人がいた証なのだと思った。
神様がそっと、両手の上にある魂同士を、くっつける。
硬質に感じられた外見に反して、魂たちはふんわりと隣り合い、そして接したところから溶けて、混ざっていった。
お互いの抱擁するものを交換するように、しばらく行き来した魂たちは、やがてまた二つに分かれていく。
そうして神様の右手の上には少し色づいた球状の魂が、左手の上には傷が小さくなった多面体の魂が、出来上がったのだった。
「これをターラに戻せば、ターラは神になる。神になる瞬間、おそらく激痛に苛まれるだろう。それは人々の欲望が、無遠慮に突き刺さるからだ。そこで意識を失ってはいけない。その欲望の中をかき分けて、人々の祈りを探すのだ。本当に救わなくてはいけない魂を、見逃さないために」
神様の忠告を、頷きながらターラは真剣に聴く。
もしかしたら神様も、この世に生まれたときに、経験したのかもしれない。
生まれてすぐは癇癪持ちだったと伝わっているが、話を聞く限り、神様が激痛に耐えていた姿だったのだろう。
「分かりました。頑張ります」
ターラは握りこぶしを作って見せた。
これは、ベテランのパッチワーク作業班から教わった、やる気を漲らせるときの動作だ。
「では戻すぞ。それぞれの魂を、それぞれの元に」
神様は右手の魂を自分の胸に、左手の魂をターラの胸に、近づけた。
そうすると魂はふわりと浮いて、すうっとお互いの胸に吸い込まれていく。
ガガンッ!
ガガガガガガガンンンッ!!!!
ガガガガガガガガガンンンンンッ!!!!!
その瞬間、ターラの頭蓋骨の中に、何万本もの矢が乱反射しているような痛みが走った。