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第12話

「ターラ、泣いているのか?」




 どれほどの時間、ここで祈っていたのか。


 ターラの背後には神様が立っていた。


 こらえたはずの涙が頬に流れ、それを神様に見られてしまう。


 慌てて拭うが、もう遅い。


 神様はターラの隣に膝をつき、ターラの頬に指を這わせる。




「これは悲しいときの涙か? 嬉しいときの涙ではないな?」




 言い当てられたターラは、とっさに嘘も付けない。




「子なら神殿へ帰った。もうこんなところに跪くのは止めよ」


「……こんなところではありません。神様の前です」




 ちょうど夕陽が差し込み、ステンドグラスの中にいる神様が立体的に見えた。


 ターラは潤んだ瞳で、それを見上げる。




「私ならここにいる。本物を放ってどうする」




 神様がいくぶんか強引にターラの肩をつかみ、自分の方へ振り向かせる。


 その拍子に、ターラの眦にたまっていた涙が、宙を舞った。




「っ……、私にはターラがなぜ泣いているのか分からない。人であれば、その理由が分かるのか?」




 神様の表情が苦悩に歪む。


 神様にこんな顔をさせたいわけではない。


 ターラは無理にでも微笑もうとする。


 しかし、こわばった頬がそれを困難にした。




「すみません、神様。私……聖女失格です」




 そこからターラは、堰を切ったように零れる涙を止め切れず、わあわあと声を上げて哭いた。


 みっともなくて、情けなくて、不甲斐なくて。


 神様のために神殿に仕え始めたというのに、自分のことしか考えられない現状が、ターラを貶める。




(もっと禁欲的に、神様に奉仕だけをして、生きていられたらいいのに――)




 そこで、ふっとターラの脳裏に、神様の眷属化の話が浮かんだ。


 神様の体の一部を与えられたら、まるで意思のない人形のように、命令をきくだけの配下になれるかもしれない。




(私が、私としての意思を、無くしてしまえば――そうすれば、醜い嫉妬に苦しまなくてもいい)




 こうして神様の前で無様な姿をさらし、困らせることもない。


 孤独を嘆く神様の側に、ずっと仕えていられる。


 もう、何も考えずに――。




 ターラがそう決意して、泣きじゃくった顔を上げると、そこには憂慮に満ちた眼差しをずっとターラに注いでいた神様がいた。


 両腕でターラの身体を包み、全てから護るような神様の姿。


 黄昏の光をもってしても他の色には一瞬たりとも染まらない漆黒の髪が床までたゆたい、ターラを夜のカーテンの中へ隠しているかに見えた。




(ああ、なんて神々しい……)




 あんなに美しいと思っていたステンドグラスだが、本物の神様の前では比べものにならなかった。


 星空に似た蒼い瞳からは、見つめるターラへの心配と慈愛が感じられる。


 まさしく神様は人々が祈りを捧げるにふさわしい至高の存在だった。


 一介の聖女が、恋い慕ってよい相手ではない。




「神様、どうか私を眷属にしてくれませんか?」




 ターラは、己の恋心を消してしまいたくて、震える声で懇願する。




「ターラがターラでなくなるかもしれないのだぞ?」


「……もう私は、私でいたくないのです」


「なぜだ? ターラの何がいけない?」


「神様、私はあなたを――」




(恋い慕い、そのせいで醜い嫉妬心を抱いた。しかも相手は、娘のように思っているシャンティで……)




 ――言えなかった。


 ターラの聖女としての最後の矜持が、口を閉じさせた。




(どこまで私は浅ましいの。それでも神様の側にいたくて、厚かましいことを願うなんて)




 涙は枯れていた。


 残ったのは、惨めで卑小なターラの心だけ。




「すみません、取り乱してしまいました」




 ターラは神様から体を離し、立ち上がる。


 神様も立ち上がり、下を向いたままのターラの顔を覗き込む。




「ターラは立派な聖女だ」




 泣き腫らし、傷ついている様子のターラに、そう言ってくれる神様へ返す言葉を、ターラは持ち合わせていなかった。




 ◇◆◇




 それからターラは、早朝の森の見回り時間以外を、神殿で過ごすようになった。


 神様に、聖女としてあるまじき姿を、これ以上見せたくなかった。


 ターラが祈りの間にいなければ、神様も祈りの間にはやってこなくなる。


 これに腹を立てたシャンティがターラに文句を言ってきたが、神様に最小限度でしか会えないのはターラにとっても心痛なのだ。


 だがそもそも、歴代の聖女と神様の距離は、こんなものだった。


 これまでの聖女の中で、ターラだけが、神様から特別な扱いをされていたのだ。




 神殿長に言われ、シャンティはしぶしぶ、独り立ちするための技術習得を始めた。


 本当ならばターラが教えるはずだったが、あまりにもシャンティがターラに反発するため、間に神殿長が入ることになったのだ。


 パッチワークを制作している作業場に入れてもらい、裁縫の手ほどきを受けているシャンティ。


 ターラはそっとそれを覗き見て、溜め息をついた。




「聖女さま、シャンティの気質は持って生まれたもので、育て方がどうとかじゃありません。それに今は思春期だか反抗期だかで、余計に荒々しくなっている。あまり気にしてはいけませんよ」




 見かねた神殿長が、消沈しているターラに声をかける。




「私がシャンティを育てると言ったばかりに、神殿中にご迷惑をかけてしまって……」


「ほらほら、そうやって自分を責めないで。先代の神殿長から言われたんですよ。聖女さまはとんでもないことを突然要求してくるから、心しておくようにって。私はそれを、いつでも待ってますからね」




 そう言えば、学習の会を発案して以降、ずっと子育てにかかりきりで、新しい布教方法を考えてこなかった。


 神様の幸せを願う身として、これはれっきとした無精だ。


 ハッとしたような顔をするターラに、神殿長はニコニコと満足そうだ。




「シャンティだって、いつまでも母親が必要な年齢ではないでしょう? それに独り立ち前の神殿にいる間は、誰かしらが親代わりになりますから。子育ては一段落したと思って、また聖女さまらしい布教活動を提案してください」


「神殿長、ありがとうございます。私、見失っていた道を、思い出したようです」




 ◇◆◇




 その日から、ターラは初心に帰るべく、改めて神様に祈りを捧げる生活を始めた。


 神殿に足を踏み入れたときから、身も心も神様への信仰に奉ずると決めた。


 その誓いを今一度、自分に問いかける。




(これからも祈りある限り、永年の時を生き続ける神様に、心安らかに過ごしてもらうため、私にできるのは何なのか)




 これまでにターラが発案し、実際に活動してきたことを振り返る。


 ステンドグラスで描かれた神様の誕生と偉業の絵に圧倒されて、この感動を共有したいと始めたパッチワークによる布絵の制作。


 神殿長の計らいで神殿の玄関に布絵を飾ってもらい、多くの人々が神様の姿を目にして胸を熱くし、祈りの力が集まった。


 この力で、神様は青年の姿へと変化を遂げたという。


 そんな青年の神様の姿を正しく知ってもらうため、神殿の支部を開設してもらい、神様の布絵を掲げて遠方への布教に成功した。


 このときは神様の統制の及ぶ地域が、拡がったと聞いた。


 目で読む聖典ではなく、耳で聴く聖典を目指して、読み聞かせる際に分かりやすい言葉を使用した新たな聖典を編んだ。


 改訂した聖典を用いて、神殿や支部で文字を教える学習の会を始め、増えた祈りの力で神様は人を眷属化させる能力を得る。




 聖女となる前も、聖女となった後も、ターラは神殿の信仰者とともに、神様へ仕える生活を続けた。


 神様の孤独を知って心を揺さぶられ、感情豊かな神様の表情に目を奪われた。


 いつしか神様へ恋心を抱くようになり、神様との距離の近さにときめきを覚えた。




(私ばかり幸せになって、駄目ね。――もっと、神様の幸せを追求しないと)




 心新たに、神様のとこしえの安寧を祈る。


 人であるターラが愛してしまった神様のために。

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