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第10話

「神の森に子どもを捨てれば、聖女さまに育ててもらえるという誤った認識が広がることは、絶対に避けなければなりません」




 ターラの希望に、硬い表情で神殿長は慎重に答えた。




「それに、子どもの口から『神様に会った』等と吹聴されるのも、好ましくありません。そうなれば、いくら神の森に捨てられていただけと言っても、子どもを庇うことは難しくなるでしょう。神殿は、神様の安寧を脅かす存在を、絶対に許すわけにはいかないのです」




 その言葉に、感情がなかった神様の眼差しを思い出し、ターラは顔をうつむかせた。


 ターラが想像していたよりも、聖女以外の者が神の森に踏み込むことや、あまつさえ神様と会うことは、大罪だった。


 親に捨てられた子どもを、このままにはしたくないという思いだけで育てると言ったが、そう簡単ではないようだ。




「私は、どうしたらいいですか?」


「子どもの素性を知る者を最小限にし、日頃は神殿ではなく、祈りの間で育てるのがいいでしょう」




 神様の姿を見てしまった子どもの存在を、他者との接触を極力減らして徹底的に隠す。


 それが神殿長の下した、苦渋の決断だった。




「子どもが禁忌を理解して、神様のことを黙っていられる年頃になるまで、匿うしかありません。聖女さま、できますか?」




 聖女となり、日頃から気軽に神の森を散策し、神様とも会話を楽しむようになって、ターラの中で禁忌への認識が緩んでいたのかもしれない。


 己の軽率さを反省し、それでもターラの決心は変わらなかった。




「やります。必ず、やり遂げます」




 そうしてターラのもとに、捨てられていた女の子『シャンティ』がやってきた。


 シャンティをお風呂に入れてくれた女性信仰者と神殿長だけが、本当の素性を知っている。


 聖女以外で初めて、神様の顔を見てしまった人物として、シャンティはターラに保護された。




 ◇◆◇




「ターラよ、これを何とかするのだ。邪魔だ」




 神様の長い脚にしがみつき絡まっているシャンティを、神様は嫌そうに指さしている。


 シャンティの世話が忙しく、神の森の見回りが一日おきになってしまったターラに会うため、なんと神様が祈りの間にやってくるようになった。


 これまで神様は、神の森から出ることはないとされていたので、初めて訪問されたときは驚いたものだ。




「シャンティ、神様の脚は遊具ではありませんよ。こちらへいらっしゃい、昨日の続きをしましょう」


「はあい」




 ターラにたしなめられると、シャンティは大人しくターラのもとにやってくる。


 そうして机に座ると、ターラの用意した子ども用の羽根ペンを握った。




 ターラは今、シャンティに文字を教えていた。


 教科書代わりにしているのは、分かりやすい言葉に直された改訂版の聖典だ。


 使用済みの紙の裏に、たどたどしくペンを走らせるシャンティ。


 ターラの指し示す簡単な単語を、発音しながら書きつけている。




 ターラはシャンティに文字を学ばせながら、神殿や支部でも同じように文字を教えられないか、と思いついた。


 文字を読み書き出来ない平民は、必然的に単純な仕事にしか就けず、それが貧しさの一因となっている。


 文字を覚えれば、優位な働き口が見つかるだろうし、貧しさから抜け出せば、捨て子が減るかもしれない。


 親に置き去りにされて泣いていた、シャンティのような子がいなくなって欲しい。


 文字を教える活動に賛同してもらうためには、どう掛け合うのがよいのか、ターラは思案した。




 神殿は、基本的に神様への信仰を深める活動を主目的としているので、ただの慈善事業であれば認可はしないだろう。


 だからターラは、改訂された分かりやすい聖典を教科書として用いることで、文字を学びながら神様への理解を深めてもらえると説くことにした。


 実際、神殿長にそう進言してみたところ、おおむね感触は良かった。




「聖女さまは、次々におもしろいことを思いつきますね。それもこれも、神様への深い信仰心の賜物なのでしょう」




 今回は神様ばかりではなく、シャンティへの思いもあったターラは、そう言われて恐縮したものだ。




 改訂された聖典を使って平民に文字を教えるというターラの発案は、多くの同志たちの賛同を得て始まった。


 神殿に行けば文字を教えてもらえると聞いた平民は、子どもたちを連れてきた。


 自分たちには仕事があって、昼間の時間を確保するのは難しい。


 しかし子どもが文字を覚えてくれたら、その子どもから自分たちも習うことが出来る。


 ターラの予想とは少し違った形となったが、それでも評判となり、神殿や支部には多くの子どもたちが集まった。




 ◇◆◇




 神殿や支部で文字を教える活動は、『学習の会』と名付けられ、すでに発足から5年が経とうとしていた。


 じわじわと平民の識字率が上がり、ターラが期待したような効果が見えてくると、ますます学習の会に子どもを連れてくる平民が増えた。




 およそ10歳となったシャンティは、神様と会えるのは聖女に限られていて、神の森に侵入すれば厳罰の対象になると理解した。


 そこでターラは、神殿長と相談をして、シャンティを学習の会へ参加させた。


 これまで祈りの間で隠して育ててきたが、子ども同士の交流がシャンティにも必要だろうと判断したからだ。




 学習の会が催されている講堂では、様々な年代の子どもたちが、文字とその意味を教わっている。


 それまで大人しい挙動が多いシャンティだったが、同年代の子どもたちに混ざると、闊達さを見せるようになった。


 その姿が、本来のシャンティだったのだろう。


 親に捨てられ、頼る相手が母親代わりのターラしかいない状況で、ずっと我慢をしていたのだ。


 ターラは心底、シャンティを学習の会へ連れてきて良かったと喜んだ。




 ◇◆◇




 シャンティが学習の会に参加して喜んだのは、ターラだけではなかった。


 これまでターラの関心を独り占め出来なかった神様は、やっと邪魔者がいなくなったと、早朝の時間だけでなく、ずるずると祈りの間に居座るようになった。


 そうして長々とターラとおしゃべりをするのだ。




「人の子は恐ろしいな。数年で背が伸びるとは」




 神様が人の子どもを見たのは、シャンティが初めてだ。


 5歳だったシャンティは、神様の太ももくらいの背丈だったが、10歳になったシャンティは、神様の腰よりも大きくなった。


 神様は、青年の姿になるまで数百年もの間、少年の姿だった。


 そんな自分と比べて、日に日に成長するシャンティの様子が、奇怪に映るようだ。




「あと10年もすれば、シャンティは大人になります。そうしたらここを出て、独り立ちしなくてはなりません。それまでに、シャンティにいろいろなことを学んでもらいたいと思っているのです」


「10年だと? 一瞬ではないか」




 神様は改めて、人の育ちの速さに度肝を抜かれていた。




「大人になれば、身体的な成長は止まります。そして年月を経て、今度は衰えていくのです」


「衰えるとはどういうことだ?」


「働き盛りを過ぎると、頭も体も思うように動かなくなると聞きます。私の父は、60歳になるまでには家督を弟に譲ると言っていました」


「……ターラは今、何歳になった?」


「33歳ですよ、神様」




 ターラの外見は、おそらく聖女になったときの27歳のままだ。




「ターラは人よりも長く生きる」


「先代の聖女さまも、三百年は生きたと聞きました」


「そうだ。ターラも300歳まで……」




 そこで神様は黙り込んでしまう。


 しかし、恐る恐るといった感じで続きを口にした。




「300歳になったら、ターラは死んでしまうのか?」

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