ターラの提言により、神殿は布教活動の足掛かりとなる支部を、遠方の土地へ敷設しだす。
各支部に掲げる布絵の制作が始まると、ターラが伝授したパッチワーク技術が神殿に仕える者たちの中で拡散され、続々と作業への参加者が増えた。
多くの賛同者に助けられて、一回り小さな神様の布絵は1年ほどで出来上がり、各支部へと届けられる。
新しく支部ができた土地では、これまでの聖典の読み聞かせに神様の布絵が加わったことで、主に平民の間で神様への理解が深まり、またしても信仰の力が高まった。
そんなある日――。
「ターラよ、何かしているだろう? 知らぬ間に、私の制御できる土地が、とてつもない勢いで広がっているぞ」
近頃、つっけんどんな口調ながらも、神様がターラに話しかけてくる機会が増えた。
早朝に神の森を見回っているときが、最もよく神様に出会う時間帯だ。
「神殿長にお願いして、諸所へ神殿の支部を作ってもらいました。みんなが協力して制作したパッチワークの神様の絵が、それぞれに掲げられているのです。これで神様の姿が、広く正しく認識されます」
「む、そうか。……そう言えば、この姿になれたのはターラの布絵のおかげだと、前の聖女が言っていた」
それはターラにとって初耳だった。
「以前は、違う姿だったのですか? ステンドグラスには、今の神様の姿が描かれていましたが」
「あれは、私の成長を想像して描かれたのだ。以前は……もう少しだけ背が低かった」
フイとそっぽを向く神様の姿が、なぜか弟ビクラムと重なる。
ステンドグラスに描かれていた神様の姿は、光る球体から赤子へ、幼子へ、少年へ、青年へと変わっている。
「というと、少年の姿だったのですね」
ターラの言葉に頷かない神様は、少年という言葉が気に入らないのかもしれない。
「ある日、急激に祈りの力が集まって、私の背が高くなった。――その後に聖女から、ステンドグラスを模した布絵が、神殿に飾られたと聞いた」
なんということだろう。
ターラが夜なべして構想したパッチワークの布絵が、神様の成長に一役買っていた。
「貢献できたのなら幸せです」
「大人の姿になれたのは嬉しかった。ターラよ、礼を言う」
相変わらず、神様はむすっとしているが、もうターラへの嫌悪感はないようだ。
それが嬉しくて、ターラは微笑んだ。
ぎこちなかった神様とターラの交流が、そうではなくなっていった。
◇◆◇
それからは、神の森を見回るターラについて歩く神様の姿が、よく見られるようになった。
ついて歩きながら、神様はいろいろとターラに質問する。
これまで人に無関心だったとは思えない、興味津々な様子の神様に、ターラは丁寧に答える。
「その婚約者は、それからどうなったのだ? 妹のように死んだのか?」
「分かりません。父なら知っているでしょう。私はとくに知りたいと思わなかったので、聞きませんでした」
人の繋がりを説明するのに、ターラの家族を例に出して話していたら、いつの間にかターラが神殿へ仕えるようになった経緯まで話していた。
神様は婚約者の定義がいまいち分からないらしく、しきりに首をひねっていた。
「父親は知っているぞ。人は母親だけでは子が出来ないから、父親が必要なんだろう? ならばその婚約者というのは、父親の前身か」
これまでの聖女から教わった知識の欠片をつないで、神様なりに納得のいく答えを見つけようとしているのが分かる。
「人も動物も、同じ種族で子を作り、増えていく。だとしたら、私は……」
隣を歩いていた神様が立ち止まった。
ターラもつられて立ち止まり、神様の顔を見上げる。
「……私はずっと独りか?」
無表情で尋ねてきた神様の質問に、ターラは息を飲んだ。
しかし、間を置かずに、すかさず返答する。
「神様、可能性は無限大なんです。今は独りかもしれませんが、これから何が起きるかは、誰にも分かりません。人々の祈りによって、別の神様が生まれる可能性だって、私はあり得ると思います」
ターラの力強い声に、神様はふっと強張らせていた力を緩ませた。
「そうか、別の神が……私のように、突然、生まれるかもしれないな」
「私たち神殿に仕える者は、これからも布教活動に力を入れていきます。祈りの力が集まれば、より可能性が高まるでしょう。気落ちしないでください。私は、――諦めません」
だから神様も諦めないで。
締めの言葉に、そう思いを込めた。
空気が和らいだと思うと、眼前の神様が、微笑んでいた。
それはターラが初めて見る顔で、途端にターラは胸が苦しくなる。
「ターラは不思議だ。祈りを捧げるのも、自分のためではなく他人のため。毎日、私を案じて、祈っているのも知っている。人は自分のことを願うばかりだと思っていたが、ターラはそうではないのだな」
どっどっと、心臓が激しく脈動するのをターラは感じる。
どうしてしまったのか。
かあっと頬が熱くなり、頭に血が昇るのが分かる。
神様が聖女としてではなく、ターラ個人として認識してくれたのが、嬉しかったのだろう。
「神様の憂いを払えるのなら、私はなんでもします」
気がつけば、神様に向かってそう宣言していた。
まるで熱烈な愛の言葉のようで、ターラはますます赤くなる。
「心強いな。ターラがいてくれたら、私は寂しくない」
神様がそんなことを言うから、ターラはそれからどう歩いて祈りの間に帰ってきたのか、覚えていなかった。
◇◆◇
夜も更けたが、神様への信仰を高める方法がないか、ターラは寝ずに考えていた。
独りぼっちなことに寂しさを感じている様子だった神様のために、何らかの行動を起こしたかった。
しかし決め手となる案が思い浮かばず、手慰みに、枕元にあった聖典をぱらぱらとめくってみる。
これは熱心に神様を信仰する少女だったターラに、ドルジェ子爵が購入してくれた聖典だ。
貴族御用達らしく、革張りの表紙には輝石が埋め込まれ、中の紙は漂白の効いた高級品、筆跡も黒々と美しいものだった。
児童向けのため文字が大きく、単語が易しいので、ターラは読み聞かせの活動時には、この聖典を多用していた。
それでも、意味が伝わらず、聞き返される単語があった。
例えば、「暗所」は「暗いところ」と言い直さなくてはならない。
目で見る単語と、耳で聞く言葉は、使い分けなくてはならないと、ターラは気づかされたものだ。
それ以来、一度でも質問された単語は、ターラなりに言い換えの言葉を用意している。
この聖典には、そんなターラの書き込みが、びっしりとされていた。
それを見ていて、ターラは思いつく。
「これだわ……読み聞かせ用の聖典を、すべて聞き取りやすい言葉にするのよ」
手がかりを閃いたターラは、今すぐにでも神殿長に相談したいのをこらえ、今や遅しと朝が来るのを待ち構えたのだった。
◇◆◇
ターラの早朝突撃を受けた神殿長は、嫌な顔一つせず、ターラの話を聞いてくれた。
「つまり、今の聖典は目で読むために書かれているから、耳で聞き取るのが難しいというのですね?」
「これを見てください。今まで、私が聞き返された単語です。どれも字面で見れば難しくはありませんが、耳から入るとすぐには言葉に結び付きません。こうした単語を、分かりやすい言葉に直すことで、聖典の内容を変えることなく、読み聞かせの場での伝わりやすさを、向上させられるのではないかと思ったのです」
ターラの手には、昨夜、何度もページをめくった聖典がある。
それを神殿長に開いて見せながら、ターラは前のめりに話す。
書き込みは随所にあり、一つ一つにターラの字で、言い換えの言葉が添えられていた。
「聖女さま、実は読み聞かせをする宣教師からも、同じ要望が上がってきています。とくに字が読めない平民が多い支部が、抱える課題ですね」
ターラの提案は、すでに神殿長まで持ちあがっていた問題だった。
あまり役には立てなかったとガッカリしたターラに、しかし神殿長は優しく付け加える。
「分かりやすい言葉に直す作業を、これから行おうとしていましたが、聖女さまの聖典があれば、大いに助けになるでしょう。この聖典をお借りしてもいいですか?」