「ターラと申します。これから神様の側にお仕えします。よろしくお願いします」
真新しい聖女服をまとうターラの眼前には、あのステンドグラスからそのまま抜け出したような、眉目秀麗な青年が立っていた。
腕を組んで、口をムスッと噤んでいるところを見ると、機嫌はよろしくないようだ。
「なんだ、子どもではないか」
「子ども、ですか?」
「お前の顔は、これまでの聖女と違う。これまでの聖女はシワがあって大人だった。つまりシワがないお前は子どもだ」
ターラは、神様の判断基準がこれまでの聖女しかなく、本当に全く人と触れ合ってこなかったのだと理解した。
寿命を迎えようとしていた先代の聖女から、ターラが聖女の仕事を引き継ぐとき、心の赴くままに仕えるようにと助言を受けた。
つまり神様に何と返答するかも、ターラ次第ということだ。
「私は27歳で、人としてはもう、子どもではありません」
「27歳? 私は1000歳を超えたぞ。だが、まだシワが出来ない」
神様が頬を触りながら首を傾げる。
「神様、シワがあるかどうかは、大人か子どもかに関係しません。病に冒されれば、症状によっては、若くても肌にシワが寄ります」
数年前に見送った、メリナのことを思い出した。
皮膚から水分が抜け、笑うことも困難なほど、顔中がシワだらけだったメリナ。
「人は年齢で判断します。20歳を超えれば、大人なのです」
「では神は、何歳を超えれば大人なのだ?」
「神様は外見だけで言えば、もう大人と変わりないようですが……」
ターラが言葉を濁したのは、神様の内面が、まだ子どもっぽいと感じたからだ。
しかし、それは伝わらず、神様はもう大人という部分に反応した。
「そうか、もう大人か。それなら聖女の世話になる必要もないだろう。お前は神殿に帰っていいぞ」
くるりと背を向けられ、神様は神の森の中に消えた。
それがターラと神様の初めての出会いだった。
ステンドグラスの神様には涙を流して感動したターラだったが、実物の神様は想像していたのとは違った。
しかし、恐れ多くてまともに仕えられないのではないか、というターラの杞憂は消えた。
むしろ、物知らずで尊大な態度の神様に、仕え甲斐があるとすら思ったのだった。
◇◆◇
ターラが感じた通り、神様は大きな子どもだった。
14歳になったビクラムと比べてはいけないが、人に関する知識で言えば、ビクラムのほうが物知りだろう。
「まだいたのか? 何をしているのだ?」
早朝にターラが神の森の見回りをしていると、どこからともなく神様が現れた。
神様はこの神の森の中で、何をするでもなく寛いで過ごすことが多いのだという。
神様の精神が落ち着いているのは、人々の安寧のために大切だと習った。
だからターラはできるだけ静かに、森の中を歩いていた。
「森の中に異常がないか、見回りをしていました」
「もう聖女の世話にはならないと言っただろう」
「もしこの森の中に侵入者がいたら、神様はどうしますか?」
外見が大人な神様は、フンと鼻を鳴らし、威張ったように答える。
「人は神を畏れ敬うのだろう? だったら私の姿を見れば、侵入者とやらは逃げ出すはずだ。何しろ私はもう、大人の神なのだからな」
ターラは眉尻を少し下げて、申し訳なさそうに伝えた。
「神様の姿が人型であると広まったのは、ここ数年のことで、まだ多くの人は神様の本当の姿を知りません。だから森の中で侵入者に出会ったとしても、相手は神様が神様と分かるかどうか……。私も、昔は神様とは発光する物体だと思っていました」
「な!? 私が光の姿だったのは、生まれて間もない頃だけだ」
「神殿から遠くの土地ほど、神様に関する情報はおぼろげなのです」
「それはいけない。私が大人の姿の神だと、もっと知らしめなくては。――私はもう、人など怖くはないのだから」
ターラは、神様が最後に呟いた言葉が気になった。
(もしかしたら、聖女以外の人との間に、神様を脅かす何かがあったのかもしれない)
そのせいか、聖女以外の人と接さずに、1000年以上の時を生きた神様。
ターラを遠ざけようとするのも、神様が人に対して不信感を抱いているためだとしたら、悲しいことだ。
(神様の心の憂いが、無くなりますように)
ターラはこっそりと心の中で祈った。
その瞬間、神様がこちらを向いたので、ターラの祈りが聞こえたのかと思ったが、またすぐにそっぽを向いたので偶々だったようだ。
こうして、ターラと神様の交流はぎこちなく始まった。
◇◆◇
「神殿の支部を作ることは可能でしょうか? 出来るだけ神殿から遠い土地が好ましいのですが」
「先代の聖女さまから、あなたの提案は唐突だと聞いていましたが、その通りですね。まずは、あなたがどうしてそう思ったのか、きっかけから話してもらえますか?」
ここは神殿内の通路で、たまたま通りがかった神殿長を、ターラは追いかけて捕まえたばかりだ。
ターラは先走りすぎたと神殿長に謝り、神様との間に起きたやり取りを丁寧に説明した。
それを踏まえて、再度、提案してみる。
「神殿から遠ざかれば、それだけ伝達の力は弱まり、正しい神様の姿を知る人は少なくなります」
「今は布教活動として、遠方の土地に赴いて聖典の読み聞かせを行っていますが、それでは足りないと言いたいのですね?」
「聖典を所有する貴族と違い、識字率が低い平民の間では、読み聞かせで覚えた聖典の内容だけが、信仰の対象という人も多いと聞きます。だからこそ、神様の誕生や偉業を伝える布絵は、人々に衝撃を与えました。もっと身近に、もっと分かりやすく、神様の存在や姿を感じるものがあれば、信仰の力は強まるのではないでしょうか?」
「その一歩が、神殿の支部ですか」
「支部ごとに、神様の布絵を掲げましょう。パッチワーク作業に参加した者は、すでに技術を獲得しています。次の布絵を制作するならば、より短い時間で完成させるでしょう」
神殿長はターラの話を聞いて、真剣に思案している。
追撃とばかりに、ターラは続ける。
これは決して大きな一歩ではなく、気軽に踏み出せる、小さな一歩であると強調するために。
「支部については神殿を一から建設しなくても、既存の建物を利用すれば、すぐにでも発足できると思います。また神様の布絵についても、今あるものより一回り小さく作ることで、制作にかかる費用を抑え、日数を縮めることができます。手始めに2、3支部ほど、検討してもらえませんか?」
畳みかけるようなターラの物言いに、神殿長が思わずといったように噴き出した。
「ははは、聖女さまは元子爵令嬢なのに、なかなか交渉の手腕がありますね。お父さま譲りですかな?」
実は神様の布絵をパッチワークで制作するにあたって、大量の布と糸と裁縫道具を寄贈してくれたのは、ターラの父であるドルジェ子爵だった。
始動はしたものの、資金難で行き詰まり完遂できないという状況を、前もって防ぐことが目的だったのだろう。
ターラが発案した試みを成功させるため、親として可能な範囲で協力をしたいと、わざわざ神殿長に申し出てくれたのだ。
そもそも神殿長は、ターラを全面的に後押しするつもりだったが、ドルジェ子爵の物資的な援助を受けて、完全に退けない形になった。
「聖女さまのお父さまは、かなりの策士でした。聖女さまもしっかり、その血を引き継いでいらっしゃる。ここまでよく考えを練られましたね。その聖女さまの努力に、私も報いたいと思います」
「ありがとうございます、神殿長さま」
「ああ、いけません。呼び方が以前に戻っていますよ。もうあなたは聖女になったのですから、私に敬称は不要です」
「そうでした……すみません」
朗らかに笑う神殿長は、ターラにとっては父親ほどの年齢だ。
まだ失敗もある新米聖女のターラを、温かく見守ってくれる。
「支部については、私に任せてください。全て聖女さまの希望通りにいたしましょう」