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二学期~素敵なプレゼント☆ ①

 ――夏休みが終わる一週間前、愛美は〈双葉寮〉に帰ってきた。


「お~い、愛美! お帰り!」


 大荷物を引きずって二階の部屋に入ろうとすると、一足先に帰ってきていたさやかが出迎えてくれて、荷物を部屋に入れるのを手伝ってくれた。


「あ、ありがと、さやかちゃん。ただいま」


「どういたしまして。――で、どうだった? 農園での夏休みは。楽しかった?」


 さやかはそのまま愛美の部屋に残り、愛美の土産みやげ話を聞きたがる。

 愛美はベッドに腰かけ、座卓の前に座っているさやかに語りかけた。


「うん、楽しかったよ。農作業とか色々体験させてもらったし、お料理も教えてもらったし。すごく充実した一ヶ月間だった」


「へえ、よかったね」


「うん! いいところだったよー。自然がいっぱいで、空気も澄んでて、夜は星がすごくキレイに見えたの。降ってくるみたいに。あと、お世話になった人たちもみんないい人ばっかりで」


「星がキレイって……。アンタが育った山梨もそうなんじゃないの?」


 〝田舎いなか〟というくくりでいうなら、長野も山梨もそれほど違わないと思うのだけれど。――ちなみに、ここでいう〝田舎〟とは「〝都会〟に対しての〝田舎〟」という意味である。


「そうかもだけど。ここに入るまでは、星なんてゆっくり見てる余裕なかったもん」


 施設にいた頃の愛美は、同室のおチビちゃんたちのお世話に職員さんのお手伝い、学校での勉強に進路問題にと忙しく、心のゆとりなんてなかったのだ。


「あ、そうだ。あのね、わたしがお世話になった農園って、純也さんとご縁があったの。昔は辺唐院家の持ちもので、子供の頃に喘息持ちだった純也さんがそこで療養してたんだって」


 彼の喘息が完治したのは、あの土地の空気が澄んでいたからだろう。


「でね、純也さんと電話でちょっとお話できたんだ♪」


「へえ、よかったじゃん。……で? 愛美はますます彼のこと好きになっちゃったんだ?」


「……………………うん」


 さやかにからかわれた愛美は、長~い沈黙のあとに頷いて顔を真っ赤に染めた。思いっきり図星だったからである。


(ヤバい! また顔に出ちゃってるよ、わたし! もうホントにスルースキルが欲しいよ……)


 純也さんとは電話で話しただけだったけれど、あの時でさえ胸の高鳴りをおさえられなかった。もしも本人と対面して話していたら……と思うと、何だか怖くなる。


 ちなみに、あの家の屋根裏で見つけた本は、そのままもらってきた。「愛美ちゃんが気に入ったなら、持ってっていいわよ」と多恵さんが言ってくれたからである。


「――あ、ねえねえ。このノートなに?」


 荷解きを手伝い始めたさやかが、愛美のスポーツバッグから一冊のノートを取り上げた。


「ああ、それ? 小説のネタ帳っていうか、メモっていうか。これから小説書くときに参考になりそうなこと、色々と書きめてきたの」


「小説? 愛美、小説書くの?」


 さやかが小首を傾げる。


(……あ、そういえばさやかちゃんにも珠莉ちゃんにも、まだ話してなかったっけ。わたしが小説家目指してること)


 入学してそろそろ五ヶ月になるのに、自分の大事な夢をまだ友達に話していなかったのだ。


「うん。実はわたし、小説家になりたくて。中学時代も文芸部に入っててね、三年生の時は部長もやってたんだよ」


「へえ、そうなんだ? スゴイじゃん! 頑張って! 愛美の書く小説、あたしも読んでみたいなー」


 夢とかいうとバカにされるこのご時世に、さやかはバカにすることなく、素直に応援してくれた。


「うん! いつか読ませてあげるよ。わたし、頑張るね!」


 純也さんに夢を応援してもらえることも嬉しかったけれど、親友のさやかというもう一人のファンができたこともまた、愛美は同じくらい嬉しかった。


(よし、頑張ろう! 二人に喜んでもらいたいもん)


 夏休み前まではこの学校に慣れること・流行に追いつくことで精いっぱいで、小説を書くヒマなんてなかった。

 でも、半年近く経った今は少し時間的にも心にもゆとりができてきたから、書き始めるにはちょうどいい時期かもしれない。


「――あ、そうだ。ご家族の写真、送ってくれてありがとね」


 さやかは夏休みの間に、約束通り愛美のスマホにメッセージをくれた。キャンプ先で撮った、家族全員の写真を添付して。


『これがウチの家族全員だよ('ω')』


 そんなメッセージとともに送られてきた写真には、さやかと彼女の両親・大学生くらいの兄・中学生くらいの弟・幼い妹・そして祖母そぼらしき七十代くらいの女性が写っていて、「さやかちゃんってこんなに大家族なんだ!」と愛美は驚いたものだ。


「いやいや、約束してたからね。ウチ、家族多くて驚いたでしょ?」


「うん。今時珍しいよね。あれで全員なの?」


「そうだよ。あと、ネコが一匹いる」


「へえ……、ネコちゃんかぁ。可愛いだろうなぁ」


 ちなみに祖母は父方の祖母で、祖父はすでにこの世にいないらしい。


「わたし、普通の家庭って羨ましい。将来結婚して家庭を持ったら、そんなあったかい家庭にしたいな」


 あの写真からも、牧村家の温かさが伝わってきた。さやかの家は、愛美の理想とする家庭そのものだ。


「それ言うんなら、あたしはアンタの方が羨ましいよ。兄弟姉妹がいっぱいいるじゃん」


 自分だって四人兄妹きょうだいの二番目なのに、さやかは施設でたくさんの〝兄弟姉妹〟と育ってきた愛美を羨んだ。


「まあ……、そうだけど。さやかちゃんのとこだって兄弟多いじゃん。お兄さんいるんでしょ?」


 愛美は施設を卒業する時、一番上のお姉さんだったのだ。下の年齢の子たちの面倒を見るのは、楽しかったけれど大変でもあった。

 上にもう一人兄弟がいる彼女さやかはまだ恵まれている、と愛美は言いたかったのだけれど。


「まあ、いるにはいるんだけどさあ。たよんないんだもん。二番目のあたしの方が、一番上のお兄ちゃんよりしっかりしてるってどうよ? って感じ」


「…………あー、そうなんだ……」


(さやかちゃん……、わたしにグチられても……)


 兄弟のグチをこぼされてもどう反応していいか分からない愛美は、苦笑いで相槌を打つしかなかった。


「――あれ? さやかちゃん、そういえば珠莉ちゃんは?」


 愛美は話題を変えようと、さやかのルームメイトであるお嬢さまの名前を持ち出した。

 彼女がなかなか自分の部屋に戻ろうとしないのは、珠莉がいないからだろうと思ったのである。


(最初は仲悪そうだったけど、この二人って意外と気が合うんだよね……)


 この半年近く、隣室の二人を見てきたからこその、愛美の感想だった。


「ああ、珠莉? 帰国は明後日あさってになるらしいよ。さっき本人からメッセージ来てた。コレね」


 さやかはデニムのハーフパンツのポケットからスマホを取り出し、珠莉から届いたメッセージの画面を表示させる。


『さやかさん、お元気? 私は今、ローマにおりますの。日本に帰国するのは明後日になりますわ。でも二学期のスタートには間に合わせます』


「……だとさ。だからあたし、明日まで部屋で一人なの! ねえ愛美、お願い! 明後日の朝まで、この部屋に泊めてくんない?」


「えー……? 『泊めて』って言われても」


 さやかに懇願こんがんされた愛美はただただ困惑した。 


「わたしは……、そりゃあ構わないんだけど。いいのかなぁ? 勝手にそんなことして。晴美さんに怒られない?」


 もちろん、愛美自身は親友の頼みごとを聞き入れてあげたい。けれど、寮のルールでは「他の寮生の部屋に泊まってはいけない」ことになっているのだ。

 真面目な愛美は、そのルールも破るわけにはいかないのである。


「だよねえ……。でもさ、晴美さんの許可が下りれば……って、下りるワケないか」


 寮母の晴美さんは普段は気さくな人柄で、温厚な性格から寮生に慕われてはいるのだけれど。ことルールに関しては厳しいのだ。


「……いいや。ムリ言ってゴメン。愛美が悩む必要ないからね」


「うん。わたしこそゴメンね。ホントはさやかちゃんとこの部屋で寝るの、楽しみだったんだけど」


 同い年の女の子、それも親友とのピロートーク。これまで年下の子たちとしか同室になったことがない愛美の、密かな憧れだった。


「そうなんだ? じゃあさ、来年は一緒の部屋にしようよ」


「うん! そうしよ!」


(来年の部屋替えでは、さやかちゃんと同室にしてもらえるようにお願いしてみよう。それまでは淋しいけど、一人部屋でガマンガマン!)


 愛美に、次の学年に向けての一つの楽しみができた。


(……あ。もしかしたら、珠莉ちゃんも「さやかちゃんと同室がいい」って言うかも。そしたら三人部屋か……)


 ちなみに、一年生の部屋が並ぶこの階には三人部屋はないけれど、二年生から上の学年のフロアーには三人部屋が何室かあるらしい。


(ま、いっか。賑やかな方が楽しいし)


 愛美は来年度、三人部屋になる可能性を前向きに考えた。

 彼女は元々、どちらかといえばポジティブな方なのだ。落ち込むことがあったとしても、すぐにケロリと立ち直ることができる。愛美の自慢の一つである。


「――んじゃ、あたしはそろそろ部屋に戻るわ。荷解き、あとは一人で大丈夫?」


 さやかは愛美の荷物をしまうのをだいぶ手伝ってくれ、ほとんど片付いた頃にそう訊ねた。


「うん、ありがとね。助かったよ。―あ、そういえばさやかちゃん。夏休みの宿題、もう終わった? わたしは全部終わらせたけど」


「それがねぇ……、数学の宿題が全っっ然分かんなくて。愛美、明日でいいから教えて?」


「いいよ。わたしでよければ」


「サーンキュ☆ じゃあ、また晩ゴハンの時に食堂でね」


 愛美が頷くと、さやかは淋しそうにルームメイトがまだ戻っていない自分の部屋に帰っていった。


 ――一人になった部屋で、愛美は半袖のカットソーから伸びた自分の細い腕をまじまじと眺めた。


「わたし、あんまり焼けてないなあ」


 幼い頃から愛美は色白で、夏に外で遊んでもあまり日焼けしなかった。それが元々の体質のせいなのか、育った環境によるものなのかは彼女自身にも分からない。

 夏休みに海へ行ったという友達は真っ黒に日焼けしていて、「健康的でいいなあ」と愛美は羨んだものである。

 農園へ行って毎日健康的に夏を過ごせば、自分もこんがりいい色に日焼けすると思っていたけれど――。


「……まあいっか。日焼けはオンナのお肌の天敵だもんね」


 あとからシミやそばかすとして残ることを思えば、焼けない方がよかったのかもしれない。


「――さて、片付けが終わったらまたあの本読もうっと。それまでもうひと頑張りだな」


 愛美は腰を上げ、残りの荷物の片付けに取りかかった。



   * * * *



 ――その二日後に無事珠莉がイタリアから帰国し、九月。二学期が始まった。


「――いやー、助かったぁ。愛美が宿題教えてくれたおかげで、あたしも恥かかずに済んだわ。ありがとね」


 三限目終了のチャイムが鳴るなり、さやかが愛美の席までやってきた。


「そう? 役に立ててよかった」


 始業式の日は授業がなく、ホームルームが終わるとあとは生徒たちの自由時間。寮にまっすぐ帰るもよし、街へショッピングに出るもよし。

 なので、さやかが愛美に放課後の予定を訊ねた。


「愛美、このあとどうする? 寮に帰る? それともどっかに買いもの行く?」


「う~ん。お買いものは行きたいけど、制服のまんまはちょっと……。一度寮に帰って着替えて、お昼ゴハンが済んでからにしようよ」


 他の同級生は、何の抵抗もなく制服のままで街にり出しているらしいけれど。愛美はそれに抵抗があるのか、まだ慣れないでいる。

 服を着替えることで、学校とそれ以外のスイッチを切り替えたいのかもしれない。


「あたしはどっちでもいいけど……。愛美がそうしたいんなら、あたしもそうするよ。ねえ、珠莉も行く?」


 さやかはいつの間にか近くに来ていた珠莉にも話を振った。


「お二人が行くのなら、もちろん私もご一緒するわ」


 珠莉という子は初対面の時はツンケンしていて、あまり好きになれないタイプだと愛美は思っていたけれど。半年近く付き合ってきて分かった気がする。

 本当の彼女は、淋しがり屋なんだと。――そう思うと、彼女に対する反感とか苦手意識がなくなってきた。


「うん。じゃあ三人で行こう」


「しょうがないなぁ。愛美がそう言うんなら」


 さやかもやっぱり、なんだかんだ言っても愛美と仲良しでいたいし、珠莉との距離も縮めようと努力しているんだろう。


 ――というわけで、この日の放課後は三人で、街までショッピングに繰り出すこととなった。


 三人は教室を出て、寮に向かうべく校舎二階の廊下を歩いていく。

 その途中、文芸部の部室の前を通りかかると――。


「……ん? 見て見て、愛美! コレ!」


 さやかが一枚の張り紙の前で立ち止まり、愛美に呼びかけた。


「どしたの、さやかちゃん? ――『短編小説コンテスト、作品募集中』……」


 愛美の目も、その張り紙に釘付けになった。

 それは、この学校の文芸部が毎年秋から冬にかけて行っている短編小説のコンテストの張り紙。よく読んでみると、「部員じゃなくても応募可」とある。


「ねえ愛美、ダメもとで出してみなよ。どうせ小説書くんなら、何か目標あった方が張り合いあるでしょ? チャレンジしてみて損はないと思うよ」


「そうねえ。愛美さんのお書きになる小説を読んでもらえる、いいキッカケになるかもしれないわよ?」


 二人の友人に勧められ、愛美は考えた。


(わたしの書いた小説を、読んでもらえる機会……)


 中学時代は文芸部に入っていて、部誌に作品を載せていたから、多くの人の目に自分の作品が触れる機会があった。そのおかげで〝あしながおじさん〟の目にも止まり、愛美は今この学校に通えている。

 それに、施設の弟妹たちに向けてもお話を書いて読ませてあげていた。


 高校に入ってから約半年、やっとめぐってきた機会だ。乗るかそるか、と訊かれれば――。


(もちろん、乗るに決まってる!)


「うん。――さやかちゃん、珠莉ちゃん。わたし、これに挑戦してみる!」


 愛美は二人の友人に、高らかに宣言した。


「愛美っ、よくぞ言った! 頑張ってね!」


「私も応援するわ! 頑張って下さいな」


「うん! 二人とも、ありがと! わたし頑張って書くね!」


 張り切る愛美は、このあと街で買うものを決めた。


(原稿用紙とペンが|要《い》るなあ。あと、資料になる本も)


 当初の予定では、秋物の洋服や靴だけを買いに行くつもりでいたのだけれど。これで立ち寄る店が二軒増えた。


「ねえねえ、百円ショップと本屋さんに寄らせてもらっていい?」


 原稿用紙とペンなら文房具店で買うよりも百均の方が安上がりだし、本は図書館で借りるよりも買ってしまった方が返却する手間がはぶける。


「いいよ。じゃ、十二時に食堂に集合ね」


「うん、分かった」



   * * * *



「――それにしても、スゴい荷物だねえ……。愛美、重たくないの?」


 すべてのショッピングを終えて寮に帰る途中、重そうな袋をいくつも抱えた愛美に、さやかが心配そうに訊ねた。


「うん……、大丈夫!」


 愛美は気丈に答えたけれど、本当はものすごく重かった。

 五十枚入りの原稿用紙が五袋とペンが入っている百円ショップの袋と、資料にしようと買い込んだ本が何冊も入っている書店の紙袋、それプラス洋服や靴などが入った紙袋。

 重いけれど、どれも必要なものだから愛美は自分で持って帰りたいのだ。


「あたし、どれか一つ持ってあげようか? ムリしなくていいから貸してみ」


「…………うん、ありがと。お願い」


 少し迷った末、愛美はさやかの厚意に甘えることにした。本の入った紙袋を彼女に手渡す。


「愛美ってば、友達に意地張ることないじゃん。こういう時は、素直に頼ればいいんだよ」


「うん……。でもわたし、『周りに甘えてちゃいけない』って思ってるの。だから、今のこの状況も実は不本意なんだよね」


 愛美には身寄りがない。〝あしながおじさん〟だって元をただせば赤の他人。いつまでも頼るわけにはいかない。――だから彼女は、「早く自立しないと」と思っているのだ。


「んもう! 愛美はいいコすぎるの! まだ子供なんだから、もっとワガママ言っていいんだよ? 『ツラい』とか『淋しい』とかさあ。あたしたちにはどんどん弱音吐いちゃいなよ」


 さやかが姉のように、愛美をさとす。

 彼女は頼られる方が嬉しいんだろう。だから、もっと愛美に「頼ってほしい」と思っているのかもしれない。


「そうですわよ、愛美さん。困っている時に誰かを頼ったり、甘えたりできるのは子供だけの特権ですわ」


「それに、おじさまだって愛美に『甘えてほしい』って思ってるかもよ? わが子も同然なんだし」


「……うん、そうだね」


 と頷いてはみたものの。これまでつちかわれてきた性格というのは、なかなか直らないものである。

 そして彼女の〝甘え下手な性格〟が、この先彼女自身を苦しめてしまうことになるのだけれど、それはさておき。


「――さて、ボチボチ帰ろっか。それともどっかで一休みして、お茶でもしてく?」


「そうですわねえ。それなら私、いいお店を知ってますわよ」


(お茶……)


 盛り上がっている二人をよそに、愛美はその一言にじょうに反応してしまった。初めて純也と二人でお茶した日のことを思い出し、彼女の顔はたちまち真っ赤に染まる。


「……ん? 愛美、どした? 顔赤いけど」


「…………なんか今、純也さんのこと思い出しちゃった」


「あらまあ、叔父さまのことを?」


 珠莉が目を丸くした。けれど、気を悪くした様子はない。


「うん……」


「恋するオトメは大変だねえ」と、さやかは笑った。


「オッケー。お茶は寮に帰ってから、ウチの部屋でやることにして。帰ろ。その代わり――」


「えっ?」


「愛美が書こうとしてる小説の構想、聞かせてよ。……あっ、もしかして恋愛小説書くつもりだったり?」


 さやかが愛美をからかってきた。ただし、彼女に悪意はない。女子高生は、人の恋バナを聞きたがるものである。


「ぇえっ!? まだ何にも決まってないよ、ホントに!」


 恋愛小説なんて、今の愛美に書けるわけがない。今まで恋愛経験が全くないんだから。


「あー、そっか。今が初恋だったね。でもさ、これで恋愛小説も書けるようになるんじゃないの?」


「…………まあ、そのうちね。考えとく」


 さやかに食い下がられ、愛美はそう答えた。

 今も想像でなら、書けないこともないかもしれないけれど。とりあえず今は自分の気持ちだけでいっぱいいっぱいで、この経験を小説にしようなんて発想は浮かばないのだ。


「うん……、そっか。まあ、今回はどんなの書くかわかんないけどさ、頑張ってね。書けたらコンテストに出す前に、あたしたちに一回読ませてよ」


「私も読んでみたいわ。楽しみにしてますわよ」


「うん、もちろん!」


 小説というのは、自己満足で終わってはいけないと愛美は思っている。

 自分では「いい作品が書けた」と思っていても、客観的に読んで評価してくれる人に一度は読んでもらわないと、それが本当に〝いい作品〟かどうか分からないのだ。

 親友になりつつある二人が最初の読者になってくれるなら、これ以上喜ばしいことはない。


「その代わり、忖度そんたくナシでズバズバひょうさせてもらうから。覚悟しといてね」


「ええ~~~~!? お手柔らかにお願いっ!」


「ハハハッ! 冗談だよ、冗談っ! ――さ、帰ろっ」


 愛美のブーイングをさやかが笑って受け流し、三人は改めて寮への帰路きろについた。



   * * * *



 寮のさやかたちの部屋でお茶を飲み、自分の部屋に帰ってきた愛美は、荷物をすべてしまい終えると机に向かった。

 開いたのは買ってきたばかりの原稿用紙……ではなく、ネタ帳兼メモ帳として使っているあのノート。開いたページには、夏休みに千藤農園で書き留めてきた小説のネタがビッシリだ。


「よしっ! 書こう」


 まずは真新しいノートに、プロットを作成する。

 書こうと決めたのは、子供時代の純也さんのエピソードをもとにした短編である。都会で育った男の子が、あるキッカケで農園で暮らすことになり、そこで色々な初めての〝冒険〟をする、というストーリーだ。


 愛美があの時に感じたドキドキ感を、そのままこの小説の主人公に投影しようと思ったのだ。……もっとも、愛美自身は元々都会っ子ではないのだけれど。


(このプロットがひと段落ついたら、おじさまに手紙書こう)


 無事に寮に帰ってきたこと、二学期が始まったこと、小説のコンテストに挑戦することを報告しなきゃ。愛美はそう決めた。



****


『拝啓、あしながおじさん。


 お元気ですか? わたしは今日も元気です。

 夏休みも終わって、寮に帰ってきました。そして今日から二学期です。

 先生たちが「二学期から勉強が難しくなるよ」って言ってたので、わたしもほんのちょっとだけ不安です。本当に、ほんのちょっとだけ。

 おじさまに、わたしから一つご報告があります。さやかちゃんの勧めで、わたしは毎年この学校の文芸部が行ってる短編小説コンテストに挑戦することにしました! いよいよわたし、作家への一歩を踏み出したんです!

 このコンテストは文芸部員じゃなくても応募できるそうで、わたしも部員じゃないけど出すことにしたんです。入選したら、賞金も二万五千円出るそうです。

 題材は、千藤農園でお世話になってる時に書き溜めておきました。

 豊かな自然、農園での生活風景、農作業、それから子供の頃の純也さんのこと。これを全部組み立てたら、「都会育ちの男の子が初めて暮らすことになった農園での冒険」のお話ができました。

 まだプロットができたところですけど、これから頑張っていい小説にします。

 書きあがったら、まずはさやかちゃんと珠莉ちゃんに読んでもらうことになってますけど、ぜひおじさまにも読んで頂きたいです。

 また進み具合をお知らせしますね。ではまた。    かしこ


    九月一日             愛美           』 


**** 



 ――それからあっという間に二ヶ月半が過ぎ、十一月の終わり頃。


「よしっ! 書けたぁ!」


 夕食後の部屋で、愛美は達成感の中、原稿を書いていたペンを置いた。


 授業の合間や夜の自由時間、学校がお休みの日に少しずつ書き進めていたので、原稿用紙三十枚分の短編を書くのに二ヶ月もかかってしまった。

 でも、かかった時間と引き換えに「いい作品が書けた」という満足感が得られるなら、この時間も無駄ではなかったと思える。


『――ねえ。愛美は小説、パソコンで書かないの?』


 書き始めの頃、愛美はさやかからそう訊かれたことがある。


『うん。わたしは手書きで勝負したいんだ。今までもそうしてきたし』


 愛美はそう答えた。

 部屋には〝あしながおじさん〟がプレゼントしてくれたパソコンがあるんだから、そのパソコンで執筆することもできたと思う。文章を書くことは、施設にいた頃にもうマスターしていたから。

 でも、愛美は自分の書く字の丁寧さに自信を持っているし、何より手書きの方が心が込もるはずだから、あえて手書きで勝負することにしたのだ。


 文芸部の短編小説コンテストの応募締め切りは十一月末なので、何とかギリギリ間に合ったようだ。


「さて。コンテストに出す前に、二人に一度読んでもらおうっと」


 愛美は書き上げたばかりの原稿を手に、隣りの二人部屋へと向かった。

 それが書き始める前の親友たちとの約束だったし、自分では満足のいく作品になったと思っているけれど、二人の客観的な意見も聞いてみたいと思ったのだ。

 小説とは、人の目に触れて初めて評価されるものだから。今回のことも、今後小説家を目指すうえでのいいトレーニングになる。


 コンコン、とドアをノックして――。


「さやかちゃん、珠莉ちゃん。愛美だけど。入っていい?」


「愛美? ――いいよ。入んなよ」


 さやかの声で返事があったので、愛美はドアを開けて二人の部屋に入った。


「どしたの?」


「あのね、小説できたから。まずは約束通り、二人に読んでもらいたくて。で、感想とか、アドバイスとかもらえたらなーって」


 そう言いながら、愛美はダブルクリップでじた原稿を、二人がくつろいでいるテーブルの上に置いた。


「そっか、書けたんだ。頑張ったね! 分かった。さっそく読ませてもらうね」


 原稿を取り上げたさやかは、テーブルの向かいにいた珠莉を手招き。


「珠莉もこっち来て。一緒に読もうよ」


「ええ、いいですわよ。愛美さん、私も僭越せんえつながら、読ませて頂くわ」


「うん。じゃあわたし、自分の部屋で待ってるから」


「えー? いいじゃん、ここにいなよ。ここにあるミルクティー、飲んでていいからさ。お菓子もあるし」


 一度部屋に戻りかけた愛美を、さやかが部屋に引き留める。

 愛美としては、誰かに自分の小説を読んでもらう時、その場にいると落ち着かないので離れていたいのだけれど……。


「……うん、分かった」


 自分がお願いしたことだし、こう手厚い待遇だと「イヤ」とも言いづらいので、この部屋に留まることにした。


(っていうか、この寮のルールでお菓子の持ち込みってどうなってたっけ?)


 原稿を読む二人をチラチラ気にしながら、テーブルの上のクッキーをつまんでいた愛美は小首を傾げた。

 多分、「お菓子の持ち込みはなるべくひかえましょう」くらいしか書いていなかったような気がする。もし見つかっても、人に迷惑さえかけなければ寮母の晴美さんも何も言わないだろう。


 ――小説は原稿用紙三十枚ほどの短編なので、読み終えるのに三十分もかからなかった。


「――ねえ、どう……だった?」


 さやかが原稿を置いたタイミングで、愛美はおそるおそる彼女に訊いてみた。

 本物の編集者とかなら、ここはもったいぶって間を作るところだけれど。さやかはド素人なので、すぐに感想を言った。


「いいじゃん! 面白いよ、コレ。コレならコンテストでもいいところまで狙えるんじゃない?」


「えっ、ホント!?」


「うん。あたし、難しいことはよく分かんないけどさ。愛美らしさが出てていいんじゃないかな。文章で大事なのって、他の人には書けない文章かどうかってことだと思うんだよね。個性……っていうのかな。この小説には、それがちゃんと出てる」


「そっか。ありがと。――このお話はね、子供の頃に、私が夏休みにお世話になった農園で過ごした頃の純也さんがモデルになってるの」


 愛美はそこまで言ってから、はたと気がついた。


(……あ、そういえば、珠莉ちゃんにはまだ話してなかったな。農園で純也さんの子供時代の話聞いたこと)


 さやかには夏休みが終わる前に話して聞かせたけれど、珠莉には話す機会がなかった。さやかから彼女の耳に入っているかな……とも思ったけれど、どうやらそれもないようで。 


「純也叔父さまが? ――そういえば、私もお父さまからそのお話聞いたことがありますわ。純也叔父さまは子供の頃、喘息持ちだったって」


「うん、そうらしいの。その頃はまだ農園じゃなくて、辺唐院家の別荘だったらしいんだけどね。そこのおかみさんが昔、辺唐院家の家政婦さんだったんだって」


 それで、純也が病気の療養のために長野に滞在するさい、彼女も同行していたのだと愛美は話した。


「へえ……、そうでしたの。その家政婦さん、多恵さんっておっしゃったかしら? 私が物心ついた頃にはもういらっしゃいませんでしたけど」


「なんかね、五十代でお仕事辞めて、ご夫婦で長野に移住されたらしいよ。せっかくあの家と土地を純也さんが譲って下さったから、って」


 千藤夫妻には子供がいない、と愛美は聞いた。我が子も同然の純也さんから譲り受けたあの広い土地を、早く有効活用したいと思った多恵さんの気持ちは、愛美にも分かる。


「確か純也さん、中学卒業まではよく多恵さんたちに会いに行ってたって聞いたよ。その頃にはもう、農業始めてたんじゃないかな」


 珠莉が生まれたのが十六年前。その頃にはもう辺唐院家あの家にいなかったということは、純也さんが中学生になった頃にはもう長野に移住していたことになる。


「……私、愛美さんが羨ましいですわ。私の知らない叔父さまのことをご存じなんだもの。……あっ、別にしっじゃありませんわよ!? ただ単に姪として羨ましいだけですわ!」


(珠莉ちゃん……、なんか可愛い)


 顔を真っ赤にして、ムキになって言い訳する彼女に、愛美は好感が持てた。

 いつもはツンとしていて澄ましているけれど、こういう姿を見ると「やっぱり彼女も一人の女の子なんだな」と思うから。


「――で、珠莉ちゃん。小説の感想は?」


「えっ? ええ、面白かったですわよ。私、あなたにこんな文才があったなんて驚きましたわ」


「あ……、ありがと。二人とも、読んでくれてありがと! わたし、さっそく明日の放課後、コレ文芸部に出してくるね!」


「そっか。あ、じゃああたしも付き合ったげるよ。一人じゃこころもとないっしょ?」


「いいの? さやかちゃん、ありがと!」


 頑張って書いた小説を、久しぶりにめてもらえた。しかも、親友二人に。

 愛美にはものすごく心強くて、「これなら本当にいけるかも!」と根拠のない自信が彼女の中にあふれてきていた。



   * * * *



 ――そして、翌日の放課後。


「じゃあ、さやかちゃん。ちょっと行ってきます!」


 文芸部の部室の前で、愛美は原稿が入った茶封筒を抱え、付き添ってくれたさやかに宣言した。


「うん、行っといで。あたしはここで待ってるから」


 さやかに背中を押され、部室のスライドドアを開けようとするけれど、ためらってしまう。


(うわぁ……、緊張するなあ。でも、頑張れわたし!)


 深呼吸して、もう一度スライドドアに手をかけた。


「……失礼しまーす」


「はい? ――あ、入部希望者?」


 出てきたのは、ポニーテールの落ち着いた感じの女の子。多分、三年生だと思われる。彼女の左腕には〝部長〟と刺しゅうが入った白い腕章がある。


「あ……、いえ。入部の予定はないんですけど。――あの、わたし、一年三組の相川愛美っていいます。コレ、短編小説のコンテストに出したいんですけど……」


 緊張でしどろもどろになりながら愛美は答え、抱えていた封筒を文芸部の部長に差し出す。


「ああ、コンテストの応募ね。ご苦労さま。確かに受け付けました」


 彼女は愛美から原稿を受け取ると、笑顔でそう言った。


「部外の人の応募って珍しいのよねー。応募要項には書いてあるんだけど、なかなかハードル高いみたいで。あなたの勇気、心から歓迎するわ。結果は一月に出るから、少し待っててね」


「はいっ! よろしくお願いしますっ! じゃ、失礼します」


 部室を出た愛美は、書き上げた時以上の達成感を感じながら、意気揚々ようようとさやかの元へ。


「おかえり。――ちゃんと渡せた?」


「うん! ちょっと緊張したけど、なんとか」


「そっか、お疲れ。よく頑張ったね、愛美! じゃあ帰ろ」


 実は、初めて上級生と話したのでものすごく勇気が要ったのだ。そんな愛美は、自分の頑張りをさやかがねぎらってくれたことがすごく嬉しかった。 


「結果は一月になるんだって」


 ――寮に帰る途中、愛美はさやかに文芸部の部長さんから聞いたことを伝えた。


「そっか。楽しみだねー」


「うん……。でもちょっと不安かな。だって、部外の人からの応募って珍しいらしいもん。いつも部活で書いてる人たちに比べたら、わたしなんか素人だよ」


 部長さんも言っていた。「部外の人からの応募はハードルが高いみたいだ」と。だから、結果が貼り出された時、その中に自分の名前があるという光景が想像できないでいるのだ。


「そんなことないよ。文芸部の部員っていったって、プロってワケじゃないっしょ? みんなアンタとおんなじ高校生なんだからさ。文章書くのが好きなのは変わんないじゃん。もっと自信持ちなって」


「……うん、そうだね」


 愛美は頷く。

 この高校に入れることになったのだって、〝あしながおじさん〟が自分の文才を認めてくれたからだった。それを、愛美自身が「自信がない」と言ってしまうと、彼に人を見る目がなかったということになってしまう。

 愛美が自分の文才に自信を持つということはつまり、「〝あしながおじさん〟の目は正しかったんだ」と肯定こうていすることになるわけで。


(こうして目をかけてもらった以上、ちゃんと認めてもらいたいもんね。おじさまだって、期待してくれてるワケだし)


 愛美だって、期待には応えたい。だからといって、その才能におごるつもりはない。もちろん、ずっと努力は続けていくつもりでいるけれど――。


「まあ、やれるだけのことはやったからね。あとは運任せってことかなー」


「そうなるね。あたしも、愛美が入選できるように一生懸命けんめい祈っとくよ。珠莉にも言っとくから」


「……うん、ありがと。そこまでしてくれなくてもいいけど、気持ちだけもらっとくね」


 ちなみに、さやかはクリスチャンでも何でもないらしい。珠莉はどうだか知らないけれど。

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