目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
ナツ恋。 ①

 ――六月。横浜もすっかり梅雨つゆ入りしており、茗倫女子大付属の制服も夏服――リボン付きの白い半袖ブラウスにグレーのハイウエストのジャンパースカート――へと衣替えした。


「はい、愛美。じっとして、動かないで!」


 ここは〈双葉寮〉の二〇七号室。さやかと珠莉の部屋である。

 放課後のひととき、長い黒髪が自慢の愛美は、さやかの手によってそのロングヘアーをいじられ……もといアレンジされていた。


「――はい、できた! 愛美、鏡見てみなよ。すごく可愛くなったから」


「えっ、どれどれ? ……わあ、ホントだ!」


 さやかから差し出されたスタンドミラーを覗き込んだ愛美は、歓声を上げた。

 鏡に写っている愛美の髪形は、プロの美容師がやってくれるような編み込みが入った可愛いヘアスタイルになっている。TVの中のアイドルや女優・モデルなどがよくしているのを、愛美も見ていた。


「スゴ~い、さやかちゃん! 手先、器用なんだね。もしかして美容師さん目指してるの?」


「ううん、そんなんじゃないんだけどさ。ウチ、小さい妹がいてね。中学時代はよく妹の髪いじってたんだ」


 さやかの口から、父親以外の家族の話題が出たのは初めてだ。 


「妹さん? 今いくつ?」


「今年で五歳。この春から幼稚園に通ってるよ」


「へえ……。可愛いだろうね」


 愛美はそう言って、山梨にある〈わかば園〉の幼い弟妹たちに思いをせた。

 施設を出るまで、愛美がずっと世話してきた可愛い弟妹たち。みんな元気かな? 今ごろみんなどうしてるんだろう――?


「――っていうかさ、愛美。たまには違うヘアースタイルにするのもいいもんでしょ? いつも下ろしてるから。暑くなってきてるしさ」


「うん。たまにはいいかもね。だってわたし、中学の頃はずっと三つ編みかお下げしかしてなかったんだよ」


「え~、もったいない。こんなにキレイな髪してるのに。好きな人もできたことだしさ、ちょっとはオシャレに気を遣ってもいいかもよ?」


 さやかが茶化すように言って、ウシシと笑う。〝好きな人〟というフレーズに、愛美の顔が赤く染まった。

 まだ恋を自覚して半月ほどしか経っていないのだ。しかも初恋なので、この状況に慣れるにはまだまだ時間がかかるのである。


「もうっ! さやかちゃん、からかわないでよっ! わたし、まだ恋バナとか慣れてないんだから!」


「はいはい、分かった! 悪かったよ! でもあたし、アンタの髪いじるの楽しいんだ。だから、時々はアレンジさせてよね。だって、珠莉はイヤっしょ? あたしみたいな素人に髪いじられんの」


 珠莉も少し茶色がかってはいるけれど、愛美に負けないくらいキレイなロングヘアーなのだ。さやかとしては、愛美と同じくらいいじり甲斐がいがありそうなのだけれど……。


「ええ。私は行きつけのヘアサロンの美容師さんにしか、ヘアケアはお任せしませんの。私の髪はデリケートなのよ。素人が触ろうものなら、すぐに傷んでしまうわ」


「……あっそ。だろうと思った」


 当初は珠莉といがみ合っていたさやかも、もう二ヶ月もルームメイトをしていたらすっかり彼女の扱いに慣れたようだ。多少のイヤミや高飛車な態度くらいはスルーできるようになったらしい。


「そういえば、もうじき夏休みですけど。お二人はご予定決まってらっしゃるの?」


 珠莉がやたら得意げな顔で、二人に訊いてきた。これはもう、自慢話をする気満々だと、愛美にもさすがに分かる。


「そういうアンタはとっくに決まってそうだね? 珠莉」


「ええ。私はヴェネツィーアに行くんですのよー。ああ、今から楽しみだわー♪」


「……ふーん。よかったね」


 イタリアの都市ヴェネチアをイヤミったらしくイタリア語風に発音し、歌うように答えた珠莉を、さやかは鼻であしらった。「コレだからセレブは」とかなんとかブツブツ言っている。


「さやかちゃんは?」


「ああ、ウチは長瀞ながとろでキャンプ。お父さんがキャンプ場の会員でね、毎年行ってんだ。あとは実家でまったり、かな」


「へえ、キャンプか。いいなあ……」


 愛美も実は、施設にいた頃に一度だけ、施設のイベントでキャンプをしたことがあるのだ。みんなで力を合わせて火をおこしたり、ゴハンを炊いたり、カレーを作ったり。すごく楽しかったことを覚えている。


「愛美は? まだおじさまに相談してないの?」


「うん……。もうそろそろ相談してみようかなーとは思ってるけど」


 実は、つい数日前に〝あしながおじさん〟に手紙を出したばかり。その時には、夏休みをどうするか相談するのを忘れていた。


(おじさまもお忙しいだろうし、あんまりしょっちゅう手紙出されても困っちゃうよね……)


「最悪、寮に居残るのもアリかなーとも思ってたり」


「ダメダメ! せっかくの夏休みなんだよ!? 高校生活で最初のバケーションなんだからさあ、思いっきり楽しまないと!」


「う、うん……。そうだね」


 ついついさやかのペースに乗せられ、頷いてしまう愛美だった。

 さやかは周りを自分のペースに巻き込みがちだけれど、愛美はそれが楽しくて仕方がないのだ。


 ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ ……


「……あれ?」


 愛美の制服のポケットで、スマホが震えている。この長い震え方からして電話みたいだ。


「――あ、ゴメン! 電話かかってきてるみたいだから、わたしは部屋に戻るね! じゃあまた後で、ゴハンの時にねっ」


「あー、うん……」


(電話? 誰からだろう?)


 愛美は首を傾げた。〝あしながおじさん〟からこのスマホを持たされてもう二ヶ月になるけれど、電話をかけてくるような相手に心当たりがない。

 大急ぎで自分の部屋に戻り、おそるおそるディスプレイを確かめると――。


(コレ……、山梨の番号だ。もしかして……)


 そこに表示されているのは、ゼロで始まる電話番号。山梨の番号で、愛美に思い当たるのは一件しかない。


「……もしもし? 相川ですけど」


『愛美ちゃん? 私、〈わかば園〉の聡美です。分かる?』


 通話ボタンをタップして応答すると、聞こえてきたのは懐かしい、穏やかな年配女性の声。


「園長先生!? お久しぶりです! でも、どうしてこの番号ご存じなんですか?」


『田中さんがね、あなたにスマホをプレゼントしたっておっしゃってたから、一度かけてみようかしらと思ってね。……あら、〝あしながおじさん〟だったかしら?』


 フフフッ、と茶目っ気たっぷりに笑う園長に、愛美はバツが悪くなった。


「ゴメンなさい、園長先生! わたし、勝手にあの人にあだ名つけちゃったんです。まさか園長先生までご存じだったなんて……」


『あらあら、謝ることなんてないのよ。あの方ね、「面白いニックネームをつけてもらったんですよ」って嬉しそうにおっしゃってたんだから。「僕より愛美ちゃんの方がネーミングセンスいいですね」って』


「そうなんですか……」


 怒られる、と身構えていた愛美は、逆に褒められて嬉しいやら照れ臭いやら。


(でもおじさま、怒ってないんだ。よかった)


 思えば、彼女が一方的につけたニックネーム。返事がもらえないから、相手の反応すら分からなかった。怒らせていたらどうしようかと、内心ヒヤヒヤしていたのだけれど。


『どう? 学校は楽しい?』


「はい。すごく楽しいです。お友達もできましたし、寮生活も初めての経験が多くてワクワクしっぱなしで。――みんなは元気ですか?」


 まだ〈わかば園〉を巣立って二ヶ月ほどしか経っていないのに、愛美は兄弟同然に育ってきた他の子供たちのその後が気になっていた。


『ええ、みんな元気にしてますよ。あなたがいなくなって、最初のころはさみしがる子もいたけど、今はもう落ち着いてきてるわ。涼介くんがすっかりお兄ちゃんになって』


「そうですか。よかった」


 あの施設を出る日、愛美は涼介に後を託したのだ。しっかり自分の務めを引き継いでくれているようで、ホッとした。


『――ところで愛美ちゃん。もうすぐ夏休みでしょう? 予定はもう決まってるの?』


「……あ、いえ。まだなんです。そろそろ田中さんに相談した方がいいかな、って思ってるんですけど」


 家族がいる子なら、実家に帰るとかどこかに旅行に行くとか、すんなり休みの予定も決められるのだけれど。家族のいない愛美は、どう決めていいのか分からない。

 かといって、名目上の保護者でしかない〝あしながおじさん〟に相談するしかないのも、何だかなあと思う。――とはいえ、他に相談する相手がいないのも事実なのだけれど。 


『そうなの? だったら愛美ちゃん、ここに帰ってこない?』


「……えっ?」


『夏休みの間の里帰りってことで、ね? 前みたいに小さい子たちの面倒見たり、施設のお仕事を手伝ってくれたらいいわ。大した金額じゃないけど、アルバイト代は出すから』


「……そんな」


 愛美は困ってしまった。せっかくの厚意なので、甘えたい気持ちはある。

 けれど、あの施設の経営が苦しいことは、愛美がよく知っている。バイト代を出す余裕なんてないはずなのに……。そんな口実がないと帰れない場所なんだと思うと、何だかやるせなかった。


「園長先生、ホントはそんな余裕ないんですよね? だったら、見栄はらないで下さい。わたしはもう、そこに帰る資格なんてないんです。せっかくのご厚意ですけど、ゴメンなさい」


『…………そうよね。私の方こそ、あなたの気持ちも考えないで差し出がましいことしてゴメンなさいね。夏休みの過ごし方については、田中さんにご相談してお任せした方がいいわね。おせっかいを許してね』


 少し言い方がキツすぎたかな、と愛美は反省したけれど。逆に園長に謝られ、心がチクリと痛んだ。


「そんな、おせっかいだなんて! 電話下さって嬉しかったです。ありがとうございました。それじゃ、失礼します」


 電話を切った愛美は、ベッドにバタンとひっくり返った。園長の厚意を断った今、夏休みの予定を相談する相手はもう一人しかいない。


「こういう時こそ、あしながおじさんに相談しよう!」


 愛美は着替えを済ませると、急いで机に向かった。



****


『拝啓、あしながおじさん。


 お元気ですか? わたしは今日も元気です。

 実は先ほど、〈わかば園〉の聡美園長からお電話を頂きました。『夏休みの予定が決まってないなら、アルバイトとして施設に帰ってこない?』って。

 わたしはあの施設の経営状態をよく知ってます。それなのに、バイト代につられてのこのこ帰るなんてできません。

 あの施設がキライだったわけじゃないですけど、そんな口実で帰るしかないなんて哀しいです。

 他にいい過ごし方があれば、園長先生も安心されるんじゃないかな、と思うんですけど。おじさま、わたしはどうしたらいいでしょうか?

 お返事、お待ちしてます。


            六月七日        愛美』


****



 ――その四日後。午前中の授業を終えて寮に戻ってきた愛美が郵便受けを覗くと……。


「……あ! 来てる来てる! おじさまの秘書さんからの手紙!」


 一通の封書が届いていた。茶色の洋封筒で、差出人の名前は〈久留島栄吉〉となっている。


「それって、こないだ愛美が出した手紙の返事?」


「うん。夏休みの過ごし方について相談してたの。――さて、何て書いてあるのかなー♪」


 さやかの問いに答え、封を切って文面を読んだ愛美はすっかりテンションが上がってしまった。


「……へえ。わあ! スゴーい! 信じらんない!」


「ちょっと愛美! 何て書いてあんの? 教えてよー!」


「フフフッ♪ それよりお昼ゴハン行こう♪ お腹すいたよー♪」


「……ダメだこりゃ」


 ルンルン♪ とスキップしながら食堂に向かう愛美を、さやかはただ呆れて見ているしかなかった。


 ――五限目は英語の授業。でも愛美は授業を聞くかたわら、せっせとレポート用紙に〝あしながおじさん〟へのお礼状をしたためていた。

 もちろん授業は大事だけれど、彼女としては一秒でも早く感謝の気持ちを伝えたかったのだ。



****


『拝啓、あしながおじさん。


 おじさまはとてもいい人ですね!

 信州しんしゅうの高原へのお誘い、本当に嬉しかったです。ありがとうございます!

 〈わかば園〉にアルバイトとして帰るのは、わたしには切なすぎました。卒業した後まで、あそこに迷惑をかけたくありませんでしたから。

 レポート用紙にシャーペン書きでゴメンなさい。実は今、英語の授業中なんです。いつ先生に当てられるか分からないので、近況はパスします。』


****



「――では、相川さん」


「はっ、ハイっ!」


 英語担当の女性教師に指名された愛美は、レポート用紙に一言書き記してから慌てて姿勢を正した。



****


『あっ、今当てられました!』


****



「この一文の助動詞〈shouldシュッド〉は、どう訳すのが適切か分かりますか?」


「えっと……、『なになにすべきである』……でしょうか」


 ちゃんと授業は耳に入っていたので、答えることはできたけれど。


「正解です。でも、授業はちゃんと集中して聞きましょうね」


「……はい。すみません」


 集中して聞いていなかったことを注意され、愛美は顔から火をいた。



****


『先生の質問にはちゃんと答えられましたけど、注意されちゃいました。

 では、これで失礼します。              愛美』


****



 ――五限目と六限目の間の休憩時間に、愛美はレポート用紙に書いたお礼状を封筒に入れておいた。


「――で? あの手紙、一体なんて書いてあったのよ?」


 六限目までの授業が全て終わり、寮に帰る途中でさやかが愛美に訊いた。もちろん珠莉も一緒である。


「あのね、おじさまの知り合いが信州の高原で農園とかやってるんだって。だから、夏休みはそこで過ごしたらどうか、って。もう根回しは済んでるらしいよ」


「へえ、そうなんだ。よかったね、やっと行くとこができて」


「うん!」


「信州っていうと……、なが新潟にいがたあたりかしら?」


「うん、長野らしいけど。……珠莉ちゃん、もしかしてその場所に心当たりあるの?」


 突然口をはさんできた珠莉に、愛美は何か引っかかった。

 彼女はずっと、愛美には興味がないと思っていたけれど。愛美が純也と関わってから、急に愛美にごしゅうしんらしい。


「……いいえ、何でもないわ」


 けれど、何か言いかけた珠莉はすぐに口をつぐんでしまった。


「ところでさ、その手紙そのまま出すの? 清書しなくていいワケ?」


 さやかは愛美と教室の席が近いので、愛美が英語の授業中にせっせとこの手紙をかいていたのを知っているのだ。


「うん、いいの。だって、書き直したらせっかくの臨場感が台無しになっちゃうもん」


 授業中に書いたことが分からなければ、「早くお礼が言いたかった」という愛美の気持ちも伝わらない。


「手紙に臨場感なんて必要なのかしらね? さやかさん」


「さあ? あたしにも分かんない」


 二人して首を傾げるさやかと珠莉だけれど、愛美にとって〝あしながおじさん〟への手紙はSNSの書き込みのようなものなのだ。


 ――結局、そのお礼状は書き直されないままポストに投函されたのだった。



   * * * *



 ――そして、七月の半ば。


「さぁて、期末テストも無事終わったことだし。夏休みに向けての荷作り始めようかな」


「そうだねー。今回はあたしも珠莉も成績まずまずだったし」


 ちなみに、愛美は今回も十位以内。珠莉が五十位以内、さやかも七十位以内には入った。


「はー、私もこれでやっとお父さまとお母さまに顔向けができますわ」


 ホッとしたように珠莉が呟けば。


「それ言ったら、あたしもだよ。中間の時ボロボロだったからさあ、お母さんに電話で泣かれちゃって大変だったよー」


 珠莉よりも順位が下だったさやかも、うんうん、と同調した。


「今回も成績悪かったら、夏休みも補習ばっかりで楽しめなかったもんねー」


 愛美がしみじみと言う。……まあ、彼女にそんな心配はなかっただろうけれど。

 初めての恋を知ってから、愛美は時々妄想がジャマをして勉強に集中できなくなっていた。それでもこの好成績だったのは奇跡的である。


「――にしたって、アンタの部屋も荷物増えたねえ……。特に本が」


 さやかが愛美の部屋の本棚を見て、感心した。

 ちなみに、さやかと珠莉の部屋の本棚の蔵書は二人分を合わせても、この本棚の三分の二か四分の三くらいだろう。


 愛美の部屋にある作りつけの本棚には教科書や参考書のほか、小説の単行本や文庫本・雑誌類がビッシリ入っている。

 まだ入学して三ヶ月でのこの増えようからして、彼女がかなりの読書家だということがうかがえる。


「えへへっ。古本屋さんでコツコツ買い集めたの。新書もあるけどね」


「ほぇー……。大したモンだわこりゃ。っていうか、『あしながおじさん』率高くない?」


 さやかが目ざとく指摘する。

 本棚にはもちろん、他の本もたくさん並んでいるのだけれど。『あしながおじさん』のタイトルだけで十数冊もあるのだ。これはこの本棚の蔵書の中でもっとも多い。


「うん。小さい頃からこの本好きなんだよねー。よく見て、さやかちゃん。翻訳してる人、全部違うでしょ? 一冊一冊、文体が違うの。読み比べするのも面白いんだ」


 愛美はその中でも一番のお気に入りを一冊手に取った。


「コレね、施設にいた頃からずっと読んでたの。もう表紙とかボロボロなんだけど。で、コレを読みながら、わたしの境遇をこの本のジュディと重ねてたんだよね」


 でも、と愛美は続ける。


「現代の日本に生きてるわたしの方が、ジュディより色々と恵まれてるよね……」


 このれいの日本では、憲法であらゆる権利が認められているし、「施設出身だから」といって社会的に差別されることもない。

 一九一〇年代の、差別や偏見がまかり通っていたアメリカに生きていたジュディとは、似て非なる境遇だ。


「……なんか、よく分かんないけど。〝あしながおじさん〟に援助してもらえなかったら進学できなかったっていうのは、ジュディもアンタもおんなじじゃん? だから、アンタが『恵まれてる』って思えるのはおじさまのおかげなんじゃないの?」


「…………あ、そっか。そうだよね」


 自分とジュディの境遇を重ねるなんておこがましい、と思っていた愛美は、さやかの言葉にハッとさせられた。


「――あとね、洋服とか靴とかも増えたの。先々月のお小遣いで買いまくっちゃって。……で、金欠に」


 愛美はえへへ、と笑った。


 横浜といえば「オシャレのまち」である。可愛い洋服や靴、バッグなどのショップも多い。

 山梨時代にはこんなにオシャレなショップに入ったことがなかった彼女は、すっかりテンションが上がってしまって思わずばくいしてしまったのだ。

 そして、こういう服や靴はたいていが張る。本を買いあさった分の金額も合わせると、三万円以上があっという間に消えてしまったのだ。


「アンタ、買いすぎだよ。服とか買うなら、もっと安く買えるお店あるんだし。ファストブランドとかさ」


「へえ……、そうなの? じゃあ、次からそうしてみる」


 ――話し込んでいると、荷作りがちっとも進まない。


「ねえねえ愛美。荷物、一ヶ月分でしょ? スーツケース一個で入るの?」


「う~ん、どうだろ? 一応、スポーツバッグもあるけど」


 入学して三ヶ月でここまで増えてしまった洋服類と本を前に、愛美はうなった。

 もちろん、全部持っていくわけではないけれど。一ヶ月分となると、荷物も相当な量になるはずだ。本はお気に入りの分だけ持っていくとして、服はどれだけ詰めたらいいのか愛美には目安が分からない。


「じゃあさ、スーツケースとスポーツバッグに入らない分は箱に入れよう。あたしと珠莉とでいらない段ボール箱もらってくるから。――珠莉、晴美さんのとこ行くよ」


「ええ!? どうして私まで――」


「あたし一人じゃムリに決まってんでしょ!? アンタもちょっとは手伝いなよ!」


 手伝わされることが不満そうな珠莉を、さやかがピシャリと一喝いっかつした。


「…………分かりましたわよ。手伝えばいいんでしょう、手伝えばっ」


 プライドの高いお嬢さまも、さやかにかかれば形無しである。渋々だけれど、彼女についていった。


 ――数分後。さやかが二つ、珠莉が一つ段ボール箱を抱えて愛美の部屋に戻ってきた。


「愛美、お待たせ! これだけあったら足りるでしょ」


「まったく、感謝してほしいものですわ。この私に、こんな手伝いをさせたんですから」


(珠莉ちゃんってば! 〝手伝い〟ったって、段ボール箱一コ運んできただけじゃん)


 珠莉の態度は恩着せがましく、愛美もさすがにカチンとはきたけれど。ここは素直に感謝すべきだろうと大人の対応をして見せた。


「ありがと、二人とも。じゃあ、荷作り始めるね。あとはわたし一人でできるから」


 二人も荷作りやら準備やらがあるだろうし、これ以上手伝わせるのは申し訳ない。……特に、珠莉にこれ以上文句を言われるのはたまらない。


「そっか、分かった。んじゃ、あたしたちはこれで」


 さやかと珠莉が部屋を出ていくと、愛美は早速荷作りにかかるのかと思いきや。


(おじさまに、手紙書こうかな)


 ふとそう考えた。とりあえず、期末テストが無事に終わったことと、夏休みの準備を始めたことを報告しようと思ったのだ。


 いつもは勉強机の上で書くのだけれど、今日はピンク色の座卓の上にレターパッドを広げ、ペンを取った。



****


『拝啓、あしながおじさん。


 お元気ですか? わたしは今日も元気です。

 一学期の期末テスト、無事に終わりました。わたしは今回も学年で十位以内に入ることができましたよ。喜んでくれるといいな。

 もうすぐ楽しみな夏休み。しかも、高原の農園で過ごす一ヶ月間! すごくワクワクしてます。

 畑や田んぼは山梨の施設にいた頃、毎日のように見てきましたけど。実際に農場で生活するのは初めてです。すごく楽しそう!

 この夏はのびのび過ごして構わないんですよね? 誰に遠慮することなく?

おじさまだって、わざわざわたしの生活態度を千藤せんどうさんご夫妻に監督させたりしないでしょう? だって、わたしはもう高校生なんだから!

 では、おじさま。これから荷作りがあるので、これで失礼します。

 夏休み、思いっきり楽しんで、いろいろ学んできますね。 かしこ


           七月十七日   夏休み前でワクワクしている愛美』


****



 ――その後、無事に荷作りも完了し。それから四日後。


「じゃあねー、愛美! また二学期に! 夏休み、楽しんでおいでよ!」


 寮に居残る生徒以外はみんな、それぞれの行き先へと向かって校門を出ていく。

 さやかは学校の最寄り駅までは愛美と一緒だったけれど、駅からは行き先が違うのでそこで別れた。――ちなみに、珠莉は今ごろ、とっくになり空港に着いているだろう。実家所有の黒塗りリムジンが迎えに来ていたから。


「うん! ありがと! さやかちゃんもいい夏休み送ってね!」


「サンキュ! 夏の間にメールかメッセージ送るよ」


「うん、楽しみにしてる! じゃあ、バイバ~イ!」


 ――さやかは埼玉方面に向かうホームへ。愛美はここから地下鉄で新横浜まで出る。そこから東京まで出て、そして――。


とうきょう駅からは、北陸ほくりく新幹線か。おじさま、新幹線の切符まで送ってくれてる」


 新幹線に乗るまでの交通費はお小遣いで何とかなるけれど、新幹線の切符代はさすがに高い。高校生が自腹を切るのはかなり痛い。


(自分が行くように勧めたんだから、新幹線の切符くらいは自分で負担してあげようって思ったのかな? おじさまって律儀な人)


 愛美は切符を見つめながら、フフフッと笑った。


 ――「東京駅は乗り換えのためだけ」という、他の人が見ればもったいない経験をして、愛美は北陸新幹線の車両に乗り込んだ。

 切符は指定席で、眺めのいい窓際の座席。しかもリクライニング機能付きだ。


 新幹線に乗るのはこれが二度目だけれど、今回は始発からの長旅。駅ナカのお店で買ってきたジュースやサンドイッチで昼食を済ませながら、愛美は車窓からの景色を楽しんでいた。


 熊谷くまがやを過ぎたあたりから、外の景色は徐々に田園風景に変わっていく。


(懐かしいな……。山梨にいた頃の景色によく似てる)


 まだ三ヶ月しか経っていないのに、愛美はどこか懐かしさを覚えていた。


 ――高崎たかさきかるざわなどの観光地を通過し、愛美は長野駅で列車を降りた。


 改札を出たところで、スーツケース(キチンとパッキングしたノートパソコンも入っている)と段ボール箱三つを積んだキャリーを引っ張った彼女は切符と一緒に送られてきた久留島氏からのパソコン書きの手紙をもう一度読みながら、キョロキョロとあたりを見回す。


「確か、駅まで迎えの車が来てるはずなんだけど……」


 手紙には、「新幹線が長野駅に到着する頃、千藤さんが迎えに来ているはずですので」と書かれている。

 農園は駅からだいぶ遠いので、迎えに来るなら車に間違いない。


「――あ、あれかな?」


 愛美は何となくそれっぽい、白いライトバンを見つけた。自分からその車に近づいていき、運転席の窓をコンコンとノックする。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?