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恋の予感……

 ――愛美の高校生活がスタートしてから、早や一ヶ月が過ぎた。


「愛美、中間テストの結果どうだった?」


 授業が終わった後、二〇六号室に遊びに来ていたさやかが愛美に訊いた。

 最初は殺風景だったこの部屋も、さやかと二人で買い揃えたインテリアのおかげで過ごしやすい部屋になった。

 カーテンにクッション、センターラグに可愛い座卓。三年生が開催していたフリーマーケットで安く買えたものばかり。さやかのセンスはピカイチだ。


「うん、よかったよ。学年で十位以内に入った」


「えっ、マジ!? スゴいじゃん!」


 愛美やさやかの学年は、全部で二百人いる。その中の十位以内というのだから、大したものだ。


「そうかなあ? でもね、あしながおじさんが援助してくれなかったら、わたし住み込みで就職するしかなかったんだ」


「へえ、そうなんだ……。じゃあ、そのおじさまにはホントに感謝だね」


 さやかにも珠莉にも、あしながおじさんのことは打ち明けてある。二人とも、愛美のネーミングセンスは「なかなか個性的だ」と言っている。

 ……もっとも、このニックネームの出どころがアメリカ文学の『あしながおじさん』だということは話していないけれど。


「うん、ホントにね。――ところで、さやかちゃんと珠莉ちゃんの方はどうだったの? 中間テスト」


「…………う~~、ボロボロ。というわけで明日、補習あるんだ。二人とも」


「あれまぁ、大変だねえ……」


「そうなのよ~。高校の勉強ってやっぱ難しくなってるよね」


 さやかだって、中学まではそれほど成績も悪くなかったはずだ。……珠莉の方はどうだか知らないけれど。


「でもさ、愛美は勉強はできるけど流行にはうといじゃん? こないだだって『〝あいみょん〟ってこの学年の子?』って訊いてたし。タピオカも知らなかったでしょ?」


 さやかが愛美のやらかしエピソードを暴露した。

 人気シンガーソングライター〝あいみょん〟を「この学年の子?」と言ってしまったのは、入学して間もない頃のことである。その話が学年全体に広まってしまったせいで、愛美は〝ボケキャラ〟認定されてしまったのだ。


「あれは……、ボケとかじゃなくてホントに知らなかったの! 施設にいた頃はあんまりTVも観られなかったし、近くにコンビニもなかったから」


 流行に疎い愛美は、周りの子たちの会話になかなかついて行けない。さやかがいてくれなかったら、きっとクラスで一人浮いていただろう。


「あのさ、愛美。周りの子の話にピンとこない単語が出てきた時のアドバイス。そういう時は、スマホでググるといいよ」


「〝ググる〟?」


「うん。スマホ貸して?」


 さやかにスマホを手渡すと、彼女は画面を操作しながら愛美に教えた。


「ここに〝G〟のついてる検索エンジンあるじゃん? この部分に調べたい単語を打ち込んで、検索のキーを押すの。そしたら検索した結果がいっぱい出てくるから」


「なるほど……。ありがと、さやかちゃん! わたしもやってみる!」


 愛美はさやかにスマホを返してもらうと、早速検索エンジンに「あいみょん」と打ち込んでみた。


「へえ……、こういう人なんだ。一つ知識が増えた。ありがとね、さやかちゃん!」


「いいのいいの。また何か分かんないことあったら訊いてね」


「うん!」


 知らなかったことを一つ知れたことももちろんだけれど、スマホを通じてまたさやかと親しくなれたことが、愛美は嬉しかった。


「っていうか、部屋にパソコンあるんだからさ、そっちでも調べものできるじゃん?」


「あ、そっか。そうだよね」


 言われてみればそうだ。パソコンにも検索機能はついているのに、愛美はまだうまく活用できていない。


「――ところでさ。夏休みの予定ってもう決まってる? 行くとこあんの?」


 さやかが唐突に話を変えた。まだ五月の半ばだというのに、早くも夏休みの話題を持ち出す。


「ううん、まだ何も。おじさまに相談しようとは思ってるけど……。施設に帰るわけにもいかないし」


「だよねえ」


 どうやらさやかも、愛美がそう答えるらしいことは予想していたようだ。


「? 何が訊きたいの、さやかちゃん?」


「いや、せっかく女子高生になったのにさあ、女子校だと出会いがないなあと思って。夏休みになれば、恋のチャンスもあるかなーって」


「恋……」


 愛美の口からは、それ以上の言葉が出てこない。何せ、恋の経験が全くないのだから。


「ねえ、愛美のいた施設って男の子もいたよね? そこから恋に発展したりは?」


「ええっ!? ないよぉ。施設にいた男の子はみんな兄弟みたいなもんだったし」


「じゃあ、中学までの同級生とかは? 男女共学だったんでしょ?」


 さやかはなおも食い下がる。


「それもないよ。だって、学校の男の子たちからは同情しかされなかったもん。わたし、施設で育ったからって同情されるの大っキライなの」


「そうなんだ……。じゃ、今まで一度も恋したことないの?」


「うん、まあそうなるよね。……でも、初恋がまだって遅いのかな? 世間的には」


 自分が世間的にズレていることは愛美自身も分かっていたし、ずいぶん気にしてもいた。

 中学時代の友達の中には、好きな人どころか「彼氏がいる」という子もいた。愛美は「自分は自分、焦る必要なんかない」と自分に言い聞かせていたけれど、やっぱり少しくらいは焦るべきだったんだろうか?


「まあ、それは人それぞれでしょ。気にすることないよ。あたしもおんなじようなもんだし」


「えっ、そうなの?」


「うん。なんかねえ、同世代の男ってガキっぽく見えるんだよね。だから異性に興味なかったの」


 さやかはクールに答えた。

 確かに愛美も、同じ年代でも女子の方が考え方が大人で、男子の方が子供っぽいと雑誌か何かで読んだことがあったかもしれない。


「そっか。でも、そうだね。これから先、わたしたちにもいい出会いがあるかもね」


「うん、そうだねー。――あ、あたしはそろそろ部屋に戻るよ。宿題やんなきゃ」


 さやかは学校が終わるなり、制服のまま愛美の部屋に来ていた。

 おしゃべり夢中になっているうちに、夕方の五時半になっていたのだ。あと三十分ほどで夕食の時間になる。


「うん。またご飯の時にねー」


 愛美も立ち上がって、部屋の入り口までさやかを見送りに行った。……といっても、部屋は隣り同士なのでけれど。


「わたしも着替えなきゃ」


 愛美も制服のままだったので、長袖のカットソーとデニムパンツに着替えると、勉強机の上に国語の宿題を広げる。


(……そういえば今日、国語の先生に|褒《ほ》められちゃったな……)


 宿題を片付けながら、愛美は思い出し笑いが止まらない。

 それは、この日の国語の授業が終わった後のこと。愛美は国語の教科担当の女性教諭に呼び止められたのだ。



 ――『相川さん、ちょっといい?』


『はい。何でしょうか?』


 女性教諭はニコニコしながら、愛美にこう言った。


 ――『中間テストの最後の問題に出したあなたの小論文なんだけど、着眼点が面白かったわ。なかなか独創性豊かだったわよ。あなたは確か、小説家になるのが夢だったわね?』


『はい、そうですけど』


『やっぱりね。だからなのね、発想がユニークなのは。あなたになら、面白い小説が書けそうね。私も楽しみだわ』


『ありがとうございます!』



 定年間近の女性教諭は、どことなく〈わかば園〉の聡美園長に似ている。愛美のお気に入りの先生の一人だ。

 そんな先生から期待されたら、愛美にもますます「頑張ろう!」という意欲が湧いてくるというものである。


「よぉーっし! これからもっと文章力磨くぞー♪」


 愛美はぜんやる気になったのだった。



   * * * *



 ――その翌日。六限目までの授業が終わり、愛美がスクールバッグを持って寮に戻ろうとしていたところ。


「――ええっ!? 今からいらっしゃるんですの!?」


 スマホで誰かと電話をしているらしい珠莉の戸惑う声が、廊下から聞こえてきた。


(……珠莉ちゃん? 誰と話してるんだろう?)


 愛美は首を傾げた。でも、誰か珠莉の知り合いがこれからこの学園を訪ねてくるらしいことだけは何となく分かる。


「もう近くまで来てらっしゃる!? ムリですわ! 私、これから補習授業がありますのに!」


 珠莉は相当困っているらしい。

 補習を受けなければならないのは中間テストの成績が思わしくなかったからで、それは自業自得なのだけれど。相手は珠莉の都合などお構いなしのようで、愛美としてもちょっと彼女がかわいそうに思えてきた。


「……分かりましたわ。私は案内して差し上げられませんけど、誰かに代わりをお願いします。それでも構いません? ……ええ、そうですか。じゃあ、失礼致します」


 通話を終えた珠莉は、大きなため息をついていた。


「珠莉ちゃん。電話、誰からだったの?」


「あら、愛美さん。叔父おじからですわ。これからこの学校を訪問するから、案内を頼みたいっておっしゃられて」


「叔父さま……」


(……あれ? 確か『あしながおじさん』にもこんなシチュエーションが出てきたような)


 愛美はふと思い当たり、そして次の展開の予想もできた。


(この流れだと、もしかして……) 


「ねえ愛美さん。あなたは今日、これで学校終わりよね?」


「えっ? ……あー、うん。補習受けなくていいし」


(やっぱり)


 愛美の予想は的中したようだ。珠莉はどうやら、愛美に叔父の案内役を頼むつもりらしい。


「なになに? 何のハナシ?」 


 いつの間にか、さやかも廊下に来ていた。


「じゃあ、あなたに叔父の案内をお願いするわ。補習は四時半ごろ終わる予定だから、その頃に私を電話で呼んで下さいな」


「ちょっと珠莉! 愛美にだって断る権利くらいあるでしょ!? そんな一方的に――」


 さやかが愛美をようする形で、二人の間に割って入った。


「いいよ、さやかちゃん。珠莉ちゃん、わたしでよかったら引き受けるよ」


 とはいえ、嫌々でもなかった愛美はこころよく珠莉の頼みを受け入れた。

 実は内心、珠莉の叔父という人物がどんな人なのか興味があったのだ。


「いいの、愛美? 引き受けちゃって」


「うん、いいの。今日は宿題もないし、部屋に戻っても本を読むくらいしかやることないから」


「あら、そうなの? ありがとう、愛美さん。じゃあお願いね。――さやかさん、補習に遅れますわ。行きましょう」


「え? あー、うん……。いいのかなあ……?」


 さやかは少々納得がいかないまま、後ろ髪をひかれるように珠莉に補習授業の教室まで引っぱっていかれた。 


 愛美は一旦部屋に戻ると、私服――デニムのシャツワンピース――に着替え、寮の管理室の隣にある応接室のドアをノックした。


「失礼しまーす……」


 中に入ると、そこにいたのは寮母の晴美さんと、スラリとした長身らしい三十歳前後の男性だった。

 整った顔立ちをしていて、落ち着いた雰囲気の持ち主だ。高級そうなベージュのスーツをキッチリと着こなしている。彼が珠莉の叔父という人だろうと愛美には分かった。


「あら、相川さん。いらっしゃい」


「晴美さん、こんにちは。――あの、珠莉ちゃんの叔父さま……ですよね? わたし、珠莉ちゃんの友人で相川愛美といいます」


「ああ、君が珠莉の代わりか。ぼくは辺唐院じゅんです。珠莉の父親の末の弟で、珠莉とは十三歳しか歳が離れてないんだ」


 彼の爽やかな笑顔からは、とてもイヤなセレブ感は感じ取れない。


(なんかステキな人だなあ……。珠莉ちゃんとは似てないかも)


「愛美ちゃん……だったね? 早速だけど、学校内の案内をお願いできるかな?」


「相川さん、お願いね」


 晴美さんにまで頭を下げられ、愛美は快く頷いた。


「はいっ! じゃあ行きましょう、純也さん」


(あ……、しまった! いきなりコレは|馴《な》れ馴れしすぎたかな) 


 愛美は初対面の彼を〝純也さん〟と呼んでしまい、ちょっと反省してしまった。今までこの年代の男性とはほとんど接点がなかったため、距離感がうまくつかめないのだ。


 ……けれど。


「ありがとう、愛美ちゃん。行こうか」


 純也に不快そうな様子はなく、彼の笑顔が崩れることもなかったので、愛美はホッとした。



 純也と二人、応接室を出た愛美は彼を案内して歩きながら、彼と話をしていた。


「――あれが体育館で、あの建物が図書館です。で、あの大きな建物は大学の付属病院で、その先は大学の敷地になります」


「へえ、大学はまた別の敷地なんだね。じゃあ、学生寮も高校とは別?」


「はい。だから、進学したら寮も引っ越すことになるそうです」


 もう入学して一ヶ月以上が経過しているので、愛美も学園内の建物の配置はほぼ頭に入っている。 


「――ところで、純也さんってすごく背がお高いんですね。何センチくらいあるんですか?」


 まず彼女が訊ねたのは、彼の身長のこと。

 応接室のソファーに腰かけていた時の座高も高かったけれど、こうして並んで歩いていると四十センチはありそうな彼との身長差に愛美は驚いたのだ。


「百九十センチかな。ウチの家系はみんな背が高くなる血筋みたいでね」


「ああ、分かります。珠莉ちゃんも背が高いですもんね」


 ちなみに、珠莉の身長は百六十三センチらしい。


「わたしは百五十しかなくて。だから珠莉ちゃんが羨ましいです」


 愛美はよく、「小さくて可愛い」と言われるけれど。本人はあまり嬉しくない。「せめてあと五センチはほしい」と思っているのだ。


「まだ成長じょうだろう? これからまだ伸びるんじゃないかな。だから気にすることないと思うけどな、僕は」


「はい……。そうですよね」


「ご両親も小柄な人だったの?」


「さあ……。わたし、施設で育ったんです。両親はわたしがまだ物心つく前に亡くなったらしくて」  


「そっか……。何だか悪いこと聞いちゃったみたいだね。申し訳ない」


「いえ! そんなことないです。わたしが育った施設はいいところでしたから」


 純也に謝られ、その口調から同情が感じられなかったので、愛美は笑顔でそうフォローした。

 そしてこう続ける。


「その施設を援助して下さってる理事のお一人が、わたしが中学の宿題で書いた作文を気に入って下さって。その方のおかげでこの学校に入れたんです、わたし。小説家になるっていう夢も応援して下さってるみたいで」


「小説家を目指してるの?」


「はい。幼い頃からの夢なんです。わたしが書いた小説を一人でも多くの人に読んでもらって、『面白い』って感じてもらえたら、と思って。――あ、すみません! つまらないですよね、こんな話」


 つい熱く自分の夢を語ってしまった愛美は、ハッと我に返った。


(からかわれるかな、コレは……)


 もしくはあきれられるだろうか? 「そんな夢みたいなこと言ってないで、現実を見た方がいい」とか。


 ――ところが。彼の反応は愛美のどちらの予想とも違っていた。


「いや、ステキな夢だね。僕も読書が好きだから、君の夢が叶う日が楽しみだよ」


(え……?)


 いかにも現実的そうな珠莉の叔父なのに、純也も自分の夢を応援してくれるらしい。――愛美の胸が温かくなった。


「はい! ありがとうございます!」


(やっぱりこの人、珠莉ちゃんと似てないな)


「純也さん、次はどこがご覧になりたいですか?」


 愛美は彼と一緒にいられるこの時間を、もっと楽しもうと思った。



   * * * *



 ――学校内の広い敷地を歩き回ること、三十分。


「愛美ちゃん、この学校は広いねえ。ちょっと疲れたね。どこか休憩できる場所はないかな?」


 純也が愛美を気づかい、そう言ってくれた。

 実は愛美も、少し休みたいと思っていたところだったのだ。


「はい。じゃあ……、あそこの松並木の向こうにカフェがあるんで、そこでお茶にしませんか? 行きましょう」


「うん」


 純也が頷き、二人は歩いて三分ほどのところにあるカフェに入った。


「――なんか、今日はいてるね。いつもこんな感じなの、ここは?」


 月なかばのせいか、店内はガラガラに空いていた。


「いえ。多分、月半ばだからみんな金欠なんじゃないですか。お家から仕送りがあるの、大体二十五日以降ですから」


「ああ、なるほど」


(そういうわたしのおサイフの中身も、そろそろピンチなんだけど)


 愛美は自分の財布を開け、こっそりため息をつく。

 〝あしながおじさん〟から今月分のお小遣いが現金書留で送られてくるのも、それくらいの頃なのだ。


「愛美ちゃん、支払いのことなら心配しなくていいよ。ここは僕が払うから」


「えっ? ……はい」


 またも表情を曇らせていた愛美を気遣い、純也はそう言ってくれたけれど。全額彼に払ってもらうのは愛美も気が引けた。

 金額次第では、自分の分くらいは自分で……と思っていたのだけれど。


「すみません。ここのオススメは何ですか?」


 純也はテーブルにつくなり、女性店員に声をかけた。


「そうですね……。季節のフルーツタルト、シフォンケーキ、あと焼き菓子やアイスクリームなんかも人気ですね」


「いいね、それ。じゃ、イチゴタルトとシフォンケーキと、マドレーヌとチョコアイスを二人分。あと紅茶も。ストレート……でいいのかな?」


「あ……、はい」


 愛美は訊かれるまま返事をしたけれど、メニューも見ないでドッサリ注文した純也に肝が冷えた。

 店員さんはオーダーを伝票に書き取り、さっさと引き上げていく。


(えーっと、コレ全部でいくらかかるの?)


 彼女はメニューに書かれた価格とにらめっこしながら、頭の中で電卓を叩いてみた。


(イチゴタルトが六百五十円、シフォンケーキが四百円、マドレーヌが百五十円、チョコアイスが二百円、紅茶が四百五十円。これを二倍すると……、三千七百円! 一人前で千八百五十円!?)


 先ほども言ったけれど、愛美は現在金欠である。「自分の分だけでも払おう」と思っていたけれど、この金額ではそれもムリだ。


「純也さん……。ちょっと頼みすぎじゃないですか?」


「大丈夫だよ。支払いは僕が持つって言っただろう? それに、僕は甘いものが好きでね。いつもこれくらいの量は平らげちゃうんだ」


「はあ、そうですか。――じゃあせめて、珠莉ちゃん呼びましょう。そろそろ補習も終わる頃だと思うんで」


 愛美がポケットからスマホを取り出し、珠莉に連絡を取ろうとすると、純也に止められた。


「いや、いいよ。高校生がカフェインをりすぎるのはよくないし、あまりめいには気を遣わせたくないんだ」


「あの……、それ言ったらわたしも同じ高校生なんですけど」


 今日知り合ったばかりの相手なのに、ついツッコミを入れてしまう愛美だった。


「……ああ、そうだったね。でも、それは建前たてまえで、本当は僕、あの子が苦手でね」


「えっ、そうなんですか? 身内なのに?」


 純也の思わぬ言葉に、愛美は目を丸くした。仮にも姪の友人に対して、何というカミングアウトだろう。


「うん。珠莉は小さい頃からワガママで、僕の顔を見るなり小遣いの催促をしてきて。その頃から『可愛くない子だな』と思ってたんだ」


(……やりそう。あの珠莉ちゃんなら)


 入寮の日の一件を目の当たりにしていた愛美である。自分の部屋が一人部屋ではないことが気に入らないと、学校職員にかみついていた彼女なら、幼い頃からワガママだったと聞いても納得できる。


 ……けれど。


「そんなこと、わたしに言っちゃっていいんですか?」


 愛美の口から、珠莉の耳に入るかもしれないのに。


「ハハハッ! マズいかな、やっぱり。珠莉にはこのこと内緒で頼むよ」


「はい、分かってます」


 純也は話していると楽しい人物のようだ。愛美も自然と笑顔になった。

 そして何故か、愛美は彼に対して妙な懐かしさのような感情をおぼえた。


「――でも、いいなあ。その年でもうやりたいことがあるなんて。正直羨ましいよ。僕は経営者の一族に生まれたせいで、夢なんて持たせてもらえなかったからね」


 注文したものがテーブルに届き、紅茶をストレートで飲みながら、純也がしみじみと言った。


「えっ? じゃあ純也さんも社長さんなんですか? そんなにお若いのにスゴいですね」


 〈辺唐院グループ〉の一員ということは、当然そうなるだろう。――もっとも、ここにいる彼は一見そう見えないのだけれど。


「いやあ、僕はそんなに大したもんじゃないよ。グループの一社の経営を任されてるだけでね。でも、僕の好きなようにはさせてもらってるよ。身内はうるさいけどね」


 彼は淡々たんたんと語っているけれど、それって他の親族たちから浮いているということじゃないだろうか? がい感を感じたりしないのだろうか? ――愛美はそう考えた。


(ある意味、この人もわたしと同じなのかも)


「そもそも、ウチの親族は僕のことをあんまりよく思ってないみたいなんだ。でも愛美ちゃんは、亡くなったご両親からちゃんと愛されてたみたいだね」


「……えっ? どうして分かるんですか?」


 思いがけないことを言われ、愛美は目を瞠った。

 彼に自分の亡き両親と面識があったとは、とても思えないのだけれど。


「珠莉から教えてもらったんだけど、愛美ちゃんの名前って〝愛されて美しい〟って書くんだよね? そんなキレイな名前、君のことを大事に思ってなければ付けられないよ、きっと」


「……はあ」


「ほら、『名前は両親が我が子に与える最初の愛情だ』っていうだろう? 〝愛美〟って名前、すごくステキだね。僕は好きだな」


「あ…………、ありがとうございます」


(なんか……すごく嬉しい。お父さんとお母さんのこと、こんなに褒めてもらえて)


 それに……、愛美は純也に初めて会った時から、心が妙にザワザワするのを感じていた。

 まだ名前も分からないこの感情は、一体何なんだろう――? と。


「こんなに可愛い一人娘を遺して亡くなってしまって。ご両親はさぞ無念だったろうなあ……」


「…………可愛いだなんて、そんな。でも嬉しいです」


(――あ、まただ。何だか胸がキュンって。コレって何? わたし、どうなっちゃってるの?)


 彼に優しい言葉をかけられるたび、笑いかけられるたびに、愛美の心はザワつく。

 でも、それは決して不快ではなくて。むしろ心地よい感覚だった。



   * * * *



 ――信じられないことに、注文した品を二人がすっかり平らげてしまった頃。


「すみません、純也さん。わたし、ちょっとお手洗いに」


「ああ、うん。どうぞ」 


 ――ものの数分で愛美が戻ってくると、純也はスマホに誰かからの電話を受けていたようで、せわしなく通話を終えようとしているところだった。


「愛美ちゃん、すまない。僕はここの支払いを済ませたら、急いで帰らなきゃならなくなったんだ。だから今日、珠莉に会う暇がなくなった」


「えっ、そうなんですか? 大変ですね」


 純也は急いで席を立つと、レジで二人分の支払いをしてくれた。愛美も後ろからついていく。


「愛美ちゃん、今日はありがとう。楽しかったよ。珠莉によろしく伝えておいてくれるかな?」


「はい、もちろんです」


「よろしく頼むよ。じゃあ


「……はい。また」


 純也は車が迎えに来るらしく、駆け足で校門の方まで行ってしまった。


(…………また? 〝また〟ってどういうこと?)


 彼をポカンと見送っていた愛美は、首を捻った。

 普通に考えたら、今日は会えなかった姪の珠莉に会うために〝また〟来るという意味だろう。でも、もしもそういう意味じゃないとしたら……。


(……なんて考えてる場合じゃなかった! 珠莉ちゃん待たせてるのに!)


 しかも、彼女に会わずに純也は帰ってしまった。どちらにしても、怒られることは予想がつく。けれど、彼女の元に戻らないわけにもいかない。


(はぁー……、珠莉ちゃんになんて言い訳しよう?)


 足取り重く、愛美が寮に帰っていくと、ちょうど補習授業を終えたさやかと珠莉も戻ってきた。


「愛美ー、おつかれ。補習終わったよー」


「愛美さん、今日はどうもありがとう。ムリなお願いをしてごめんなさいね。――ところで愛美さん、純也叔父さまはどちらに?」


(う……っ!)


 珠莉に痛いところを突かれ、言い訳する言葉も思いつかない愛美はしどろもどろに答える。


「あー……、えっと。なんか急に帰らないといけなくなったっておっしゃって、ついさっき帰っちゃった……よ」


「はあっ!? 『帰られた』ってどういうことですの!? 私、言いましたわよね。補習が終わる頃に知らせてほしい、って」


(ああ……、ヤバい! めちゃくちゃ怒ってる!)


 怒られる、と覚悟はしていた愛美だったけれど、予想以上の珠莉の剣幕けんまくにはさすがにたじろいだ。


「純也叔父さまはあの通りのイケメンですし、気前もいいしで女性からの人気スゴいんですのよ! あなた、叔父さまを横取りしましたわね!?」


「別にそんなワケじゃ……。珠莉ちゃんには連絡しようとしたの。でも、純也さんに止められて」


「純也!?」


「まあまあ、珠莉。もしかしてアンタ、叔父さまにお小遣いねだろうと思ってたんじゃないの? だからそんなに怒ってるんだ?」


 さやかは、珠莉が怒っている原因を「彼女自身がやましいからだ」と見破った。


「そ……っ、そんなんじゃありませんわ! さやかさん、何をおっしゃってるんだか、まったく」


(こりゃ図星だな)


 さやかの読みは多分当たっているだろうと愛美も思った。


「言っとくけど、純也さんとは学校の敷地内歩きながらおしゃべりして、カフェでお茶しただけだから。――おごってもらっちゃったけど」


「なんですって!?」


「はい、どうどう。――それより愛美、アンタ顔赤いよ? どしたの?」


 さやかはまだ怒り狂っている珠莉をなだめつつ、愛美の変化にも気がついた。


「えっ? ……ううん、別に何もないよ?」


 慌ててごまかしてみても、愛美の心のザワつきはまだおさまらなかった。


(ホントにもう! わたし、どうなっちゃったの――?)



   * * * *



 ――それから数日間、愛美は純也のことばかり考えていた。

 夜眠ろうとすれば夢の中にまで登場し、土日は寝不足で欠伸あくびばかり。三日経った今日は一限目から上の空で授業なんて耳に入らない。


「愛美、なんかここ数日様子がヘンだよ。ホントにどうしちゃったの?」


 普段は大らかなさやかも、さすがに心配らしい。けれど、愛美自身にはその原因が何なのか分かっていないため、答えようがない。


 六限目までの授業を全て終え、寮に戻ってきた愛美・さやか・珠莉の三人はまず寮監室に立ち寄った。普通郵便は個人の郵便受けに届くけれど、書留や小包みなどは寮監の晴美さんが預かり、本人に手渡されることになっている。

 そして今日は、愛美が待ちに待った〝あしながおじさん〟からの現金書留が届く日なのだ。 


「お帰りなさい。相川さん、現金書留が来てますよ」


「わあ! 晴美さん、ありがとうございます!」


 愛美は満面の笑みでお礼を言い、晴美さんから封筒を受け取った。開けてみると、中身はキッチリ三万五千円!


「コレでやっと金欠から脱出できる~♪」


 何せ、サイフの中には千円札が二・三枚しか入っていなかったのだから。


「――あ、それから。辺唐院さんには荷物が届いてますよ」


「はい? ……ありがとうございます。――あら、純也叔父さまからだわ」


 珠莉が受け取ったのは、レターパック。差出人は純也らしい。


「えっ、純也さんから? 何だろうね?」


 愛美もワクワクして、珠莉とさやかの部屋までついていった。彼女も中身が気になるのである。

 何より、理由は分からないけれど気になって仕方がない純也あいてからの贈り物なのだから。……自分宛てじゃないけれど。


「あら、チョコレートだわ。三箱もある。しかもコレ、ゴディバよ! 高級ブランドの」


 開封するなり、珠莉が歓声を上げた。


「えっ、マジ!? 一粒五百円もするとかいう、あの!? っていうか、なんであたしの分まで」


「あ、待って下さい。メッセージカードが付いてますわ。――『金曜日はありがとう。珠莉と愛美ちゃんにだけお礼を送るのは不公平だと思って、珠莉のルームメイトにも送ることにした』ですって」


「なぁんだ、義理か。でもあたし、チョコ好きだし。ありがたくもらっとくよ。でもコレ、もったいなくていっぺんには食べられないね。……ね、愛美?」


「…………えっ? あー、うん。そうだね」


 さやかに話を振られ、愛美の反応がワンテンポ遅れる。そこをさやかが目ざとくツッコんできた。


「やっぱりヘンだよ、愛美。どうしちゃったのよ?」


「うん……。ねえ、さやかちゃん。わたしね、金曜日からずっと純也さんのことが頭から離れないの。夢にも出てくるし、授業中にもあの人のことばっかり考えちゃって。……この気持ち、何ていうのかな?」


 さやかはその言葉を聞いて、全てを理解した。


「それってさあ、〝恋〟だよ。愛美、アンタは純也さんに恋しちゃったんだよ」


「恋? ――そっか、これが〝恋〟なんだ……」


 愛美もそれでしっくり来た。生れてはじめての感情なのだから、誰かに教えてもらわなければこれが何なのか分からないままだったろう。


「にしても、初恋の相手が友達の叔父で、十三歳も年上なんて。大変かもしんないけど、まあ頑張って。……ところで珠莉、純也叔父さんって独身なの?」


 確かに、彼くらいの年齢なら既婚者でもおかしくはないけれど。愛美は彼からそんな話は聞いていない。


「ええ、そのはずですわ。叔父の周りには打算で近づいてくる女性しかいらっしゃらないから、そもそも女性不信ぎみなんですって」


「女性……不信……」


 愛美の表情が曇る。自分だって女の子だ。好きになってもらえるかどうか。


「大丈夫だって、愛美! アンタに打算なんてないでしょ? 彼がお金持ちだからとか、名家の御曹司おんぞうしだからって好きになったんじゃないでしょ?」


「うん。それはもちろんだよ」


 お茶代だって、金欠でなければ自分の分は払うつもりでいたのだから。 


「だったら可能性あるよ、きっと。だから自信持ってよ」


「うん! ありがと、さやかちゃん!」


 愛美は大きく頷くと、チョコレートの箱を大事そうに抱えて自分の部屋に戻った。

 ――初めての恋。このドキドキの体験を、〝あしながおじさん〟に知ってもらいたい。愛美は便箋を広げ、ペンを取った。



****


『拝啓、あしながおじさん。


 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 

 この学校に入学してから早いもので一ヶ月半が経ち、学校生活にもだいぶ慣れてきたところです。

 わたしは勉強こそできますが、どうも流行には疎いらしくて、クラスの子たちの話題になかなかついていけません。そんな時はさやかちゃんに訊いたり、スマホで調べたりするようにしてます。

 ところでおじさま、聞いて下さい。わたし、どうも初めて恋をしてしまったみたいです。

 お相手の方は、珠莉ちゃんの親戚で辺唐院純也さんという方。珠莉ちゃんのお父さまの一番下の弟さんだそうで、手短にいえば珠莉ちゃんの叔父さまにあたる人です。

 彼はおじさまと同じくらい背が高くて、優しくて、ステキな方です。ご自身も会社の社長さんらしいんですけど、お金持ちであることをまったく鼻にかけたりしないんです。「むしろ、自分は一族の中で浮いてるんだ」なんておっしゃってたくらいで。

 金曜日、学校を訪れた彼を、補習があって抜けられない珠莉ちゃんに代わってわたしが案内してさしあげて、学園内のカフェでお茶もごちそうになりました。

 本当はわたし、自分の分だけでも払いたかったんですけど、残念ながら金欠で。一人分で千八百五十円もかかったんですもん。 

 ところが、彼は珠莉ちゃんに会う前に急にお帰りになることになっちゃって。わたしに「またね」っておっしゃって行かれました。

 多分、本当は珠莉ちゃんに会いたくなかったんじゃないかとわたしは思ってるんですけど。どうやら彼は、珠莉ちゃんのことが苦手らしいので。

 珠莉ちゃんは叔父さまに会えなかったから、わたしが叔父さまを横取りしたってめちゃくちゃ怒ってました。

 あの叔父さまはものすごくイケメンで、気前がいいから女性にすごく人気があるんだそうです。そして、彼女はどうも、叔父さまにお小遣いをねだろうと思ってたみたいです。

 それ以来、珠莉ちゃんはわたしと口もきいてくれなかったんですけど。今日純也さんから「金曜日のお礼に」って高級なチョコレートが三箱届いて(さやかちゃんの分もありました)、すっかり彼女の機嫌は直ったみたいです。

 わたしはというと、あの日からずっと純也さんのことが頭から離れなくて。夜眠れば夢に出てくるし、授業中もついついあの人の顔が浮かんできて、得意なはずの国語の授業中に先生の質問に答えられなくて注意されました。

 こんなこと、生まれて初めての経験で。「これはなんていう感情なの?」って二人に訊いたら、さやかちゃんが教えてくれました。「それは〝恋〟だよ」って。

 恋をするって、こういうことだったんですね。本では読んだことがあったけど、実際に経験するのはまた別の感覚です。ドキドキしてワクワクして、フワフワした気持ちです。

 もちろん、おじさまはわたしにとって特別な存在です。なので、いつかおじさまもわたしに会いに学校まで来て下さらないかな。校内を案内しながらおしゃべりしたり、お茶したりして、わたしとおじさまの相性がいいのか確かめたいです。それで、もしも相性が悪かったら困っちゃいますけど、そんなことないですよね? おじさまはきっと、わたしを気に入って下さるって信じてます。

 では、これで失礼します。大好きなおじさま。


                   五月二十日  愛美より  』


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 手紙の封をし終えると、愛美は純也が送ってくれたチョコレートを一粒口に運んでみた。


「美味しい……。こんな美味しいチョコ食べたの初めてだ」


 それが高級ブランドのチョコレートだからなのか、好きな人からの贈り物だからなのかは分からない。

 でも、愛美はできれば後者であってほしいと思った――。 

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