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拝啓、あしながおじさん。 ~令和のジュディ・アボットより~
日暮ミミ♪
現実世界青春学園
2024年09月03日
公開日
89,847文字
連載中
現代の日本。
山梨県のとある児童養護施設に育った中学3年生の相川愛美(あいかわまなみ)は、作家志望の女の子。卒業後は私立高校に進学したいと思っていた。でも、施設の経営状態は厳しく、進学するには施設を出なければならない。
そんな愛美に「進学費用を援助してもいい」と言ってくれる人物が現れる。
園長先生はその人物の名前を教えてくれないけれど、読書家の愛美には何となく自分の状況が『あしながおじさん』のヒロイン・ジュディと重なる。
春になり、横浜にある全寮制の名門女子高に入学した彼女は、自分を進学させてくれた施設の理事を「あしながおじさん」と呼び、その人物に宛てて手紙を出すようになる。
慣れない都会での生活・初めて持つスマートフォン・そして初恋……。
戸惑いながらも親友の牧村さやかや辺唐院珠莉(へんとういんじゅり)と助け合いながら、愛美は寮生活に慣れていく。
そして彼女は、幼い頃からの夢である小説家になるべく動き出すけれど――。

(原作:ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』)

ゆううつな水曜日……

「――はあ……」


 ここは山梨やまなし県のとある地方都市。

 秋も深まったある日、一人セーラー服姿の女子中学生が、学校帰りに盛大なため息をつきながら田んぼのあぜ道をトボトボと歩いていた。


 それは決して、テストの成績が悪かったから……ではない。彼女の成績は、学年ではトップクラスでいいのだから。

 彼女の悩みはもっと深刻なのだ。進路決定を控えた中学三年生にとって、進学するか就職するかは一大事である。

 彼女は県外の高校への進学を望んでいるけれど、それが難しいことも分かっている。


 なぜなら、彼女は幼い頃から施設で暮らしているから。


 彼女――相川あいかわまなは、ものごころつく前から児童養護施設・〈わかば園〉で育ってきた。両親の顔は知らないけれど、さと園長先生からはすでに亡くなっていると聞かされた。


 〈わかば園〉は国からの援助や寄付金で運営されているため、経営状態は決していいとはいえない。そのため、この施設には高校卒業までいられるけれど、進学先は県内の公立高校に限定されてしまう。県外の高校や、まして私立高校の進学費用なんて出してもらえるわけがないのだ。

 進学するとなると、卒業までに里親を見つけてもらうか、後見人になってくれる人が現れるのを待つしかない。


「進学したいなあ……」


 愛美はまた一つため息をつく。希望どおりの高校に進学することが普通じゃないなんて――。

 学校の同級生はみんな、当たり前のように「どこの高校に行く?」という話をしているのに。


(どうしてわたしには、お父さんとお母さんがいないんだろう?)


 実の両親は亡くなっているので仕方ないとしても、義理の両親とか。誰か引き取ってくれる親戚とかでもいてくれたら……。


「――はあ……。帰ろう」


 悩んでいても仕方ない。施設では優しい園長先生や先生たちや、〝弟妹きょうだいたち〟が待っているのだ。



「ただいまぁ……」 


 〈わかば園〉の門をくぐると、愛美は庭で遊んでいた弟妹たちに声をかけた。

 そこにいるのはほとんどが小学生以下の子供たちだけれど、そこに中学一年生のたにりょうすけも交じってサッカーをやっている。


「あ、愛美姉ちゃん! お帰りー」


「……ただいま。ねえリョウちゃん、先生たちは?」


「先生たちは、園長先生の手伝いしてるよ。今日、理事会やってっから」


「そっか。今日、理事会の日だったね。ありがと」


 この施設では毎月の第一水曜日、この〈わかば園〉に寄付をしてくれている理事たちの会合があるのだ。

 ここで暮らす子供の中では最年長の愛美は、毎月自主的に園長や他の先生たちの手伝いをしている。――〝手伝い〟といっても、お茶をれたりするくらいのもので、理事たちの前に出ることはめったにないのだけれど。


「――さて、わたしも着替えて手伝おう」


 玄関で靴を脱ぎ、散らかっている子供たちの靴と一緒に自分の靴も整頓してから、愛美は階段を上がって二階の六号室に向かった。

 ここは彼女の一人部屋ではなく、他に五人の幼い弟妹たちも一緒に暮らしている部屋。


 さいわい、この部屋のおチビちゃんたちは食堂でおやつの時間らしく、部屋には誰もいなかった。


(今日は進路のこと話すヒマなさそうだな……。園長先生、忙しそうだし)


 そんなことを思いながら制服から、お気に入りのブルーのギンガムチェックのブラウスとデニムスカート・白いニットに着替えた愛美は、一階に下りておチビちゃんたちがおやつ中の食堂を横切り、台所に入る。


「先生たち、ただいま! わたしもお手伝いします!」


「あら、愛美ちゃん。おかえりなさい。いつも悪いわねえ。――じゃあ、理事会の人たちにお出しするお茶、淹れてもらえる?」


「はーい」


 施設の麻子まこ先生にお願いされ、愛美はテキパキと動き始めた。

 急須にお茶っを量って入れて、その上からお湯を注ぐ。しばらくすると、いい香りのする美味しい緑茶ができ上がった。


「今日は何人の方が来られてるんですか?」 


「えーっと……、確か九人だったかな。だから、園長先生の分も合わせて十人分ね」


「分かりました」


 ということだったので、上等な湯飲みを十人分食器棚から出してお盆にせ、急須から出でき立ての緑茶を淹れていく。


「できました! わたし、運んできます!」


「いいから、愛美ちゃん! ありがとう。あとはわたしたちでやるから、部屋で休んでていいわよ。晩ごはんの時間になったら呼ぶから」


「……はーい」


 愛美はしぶしぶうなずいた。本当は「お茶を運ぶ」という口実こうじつで、理事たちの顔を確かめたかったのだけれど……。

 毎月こうなのだ。愛美が「お茶を運ぶ」と言うたびに、先生たちに止められる。そのため、愛美はこの施設の理事がどんな人たちなのか、全然知らないのである。


 ――ただ一つ、ハッキリしていることがある。


(……まあ、お金持ちなんだろうな。こういう施設に寄付できるくらいなんだから)


 愛美はそういうお金持ちとか、セレブとかいわれている人たちの生活を知らない。学校の友達にもいないし、どれだけ想像力を働かせても思い浮かばない。


 彼女は幼い頃から、本を読むのが好きだ。想像力も豊かで、将来は小説家になりたいと思っている。その豊かな想像力をもってしても、具体的なイメージが浮かばないのだ。


 ――窓際の学習机で学校の宿題を終わらせ、一息ついた愛美は何げなく窓の外に視線を移す。

 もう夕方の六時前。外は暗くなり始めている。

 理事会は終わったらしく、門の外には黒塗りの高級リムジン車やハイヤーが何台も列を作っている。


「いいなあ……。わたしも乗ってみたいな」


 愛美はちょっとあこがれを込めた眼差しでその光景を眺め、机に頬杖ほおづえをつきながら想像してみた。――ピカピカに磨かれた高級リムジンに乗り込む自分の姿を。


 高級ブランドスーツに身を包み、後部座席にゆったりもたれてお抱え運転手に「家までお願い」とか言っている――。そう、自分はお金持ちの令嬢だ。

 そして高級リムジンは立派なゲートを抜け、大豪邸の敷地内へ入っていく――。


 けれど。愛美の空想はそこまでで止まってしまった。


「……あれ? 大豪邸の中ってどんな感じなんだろう?」


 一度も入ったことのない、大きなお屋敷の間取りがどんな風になっているのか、インテリアはどんなものなのか? 全くもって想像がつかない。

 友達の家に遊びに行ったことはあるけれど、そこだってごく普通の民家。〝豪邸〟と呼べるほど立派な家ではないのだ。


「はあ…………」


 なんだかむなしくなった愛美は、空想を打ち切った。ちょうど、おやつタイムが終わったおチビちゃんたちが戻ってきたからでもある。


 ――これが愛美の現実。高級リムジンで送迎してもらえるようなお嬢様にはなれないし、そんな人たちと自分は住む世界が違うんだ。彼女はそう思っていた。


 ――この日の夜、聡美園長先生から思いがけない話を聞かされるまでは……。 



   * * * *



「――ごちそうさまでした」


 晩ごはんの時間。愛美は半分も食べないうちに、箸を置いてしまった。今日のメニューは、大好物のハンバーグだったというのに。


「あら、愛美ちゃん。もういいの?」


 てる先生が、心配そうに愛美にいた。


「うん、なんかあんまり食欲なくて……。先に部屋に行ってます」


「そう? あとでお夜食に、おにぎりが何か持って行ってあげましょうか?」


「ううん、大丈夫です。ありがとう」


 ぎこちなく笑いかけて、愛美は食堂を出た。重い足取りで階段を上がっていく。


(……結局、園長先生に進路のこと話せなかったなあ)


 理事会はもう終わっているはずなのに、園長先生は晩ごはんの席にも来なかった。その前にでも、話そうと思っていたのに。


 部屋に戻ると、愛美はしおりが挟まった一冊の本を手に取った。

『あしながおじさん』――。彼女が幼い頃からずっと愛読している本で、もう何度読み返したか分からない。


 この本の主人公・ジュディも愛美と同じように施設で育ち、ある資産家に援助してもらって大学に進学。作家にもなった。


 ――もし、この本みたいなことが自分にも起こったら? 進学問題だって簡単に解決できちゃうのに……。


「……まさかね。そんなこと、あるワケないか」


 愛美は一人呟く。これではあまりにも妄想もうそうが過ぎる。

 それは、ジュディが物語のヒロインだから起こり得た奇跡だ。現実に起こる確率は限りなくゼロに近いと思う。


「……でも、ゼロだとも言えないよね」


 希望は捨てたくない。自分のきょうぐううれいて、手を差し伸べてくれる人がきっと現れる――。いつもそう思っているから、愛美はこの本を読むことをやめられないのだ。


 ――弟妹たちが食堂から戻ってきたことにも気づかず、愛美が読書に夢中になっていると……。


「――愛美姉ちゃーん! 園長先生が呼んでるよー!」


 部屋の外から涼介の声がした。愛美はすぐ廊下に出て、彼にたずねる。


「園長先生が? わたしに何のご用だろう?」


「さあ? オレはそこまで聞いてないけど。ただ『呼んできて』って頼まれただけだよ」


「……そっか、分かった。ちょっと行ってくるね。ありがと、リョウちゃん」


 涼介はこの施設の子供の中で、愛美と一番としが近いので、話も合うし仲がいい。だからこうして、たまに愛美の呼び出し係にされることもある。

 でも、彼は「イヤだ」と言わない。彼にとって愛美姉ちゃんは、血は繋がっていなくても実の姉のような存在だから。〝姉ちゃん〟の役に立てることが嬉しくて仕方ないのだ。


 ――それはさておき。


(園長先生、わたしにどんな御用なんだろ……?)


 一階まで階段を下りながら、愛美は首をかしげた。これといって思い当たることがないのだ。

 叱られるようなことは何もしていない。……少なくとも愛美自身は。

 でも、同じ六号室の幼い弟妹たちの誰かが、理事さんに失礼なことでもしていたら……? それは一番年上の愛美の責任でもある。


(ああ、どうしよう……?)


 ――でも。もしも、そうじゃなかったとしたら。


(もしかして、わたしの進路の話……とか?)


 愛美は今日、学校で担任の先生と面談したのだ。卒業後の進路について、まだ決められないのでどうしたらいいか、と。

 その連絡が、園長先生に入っていてもおかしくない。この施設の園長が、愛美の保護者にあたるのだから。


(……いやいや! まさか、そんなこと――)


 愛美は首をブンブンと横に振った。

 もしそうだとしたら、この展開は愛美の愛読書・『あしながおじさん』のエピソードにそっくりじゃないか!


 でも、「ない」と否定しきれない自分がいて、愛美はソワソワしながら暗くなった一階の職員用玄関の前を通りかかった。

 ――と、そこには一人の人影が見える。

 暗いので顔は見えず、見えるのはシルエットだけ。その後ろ姿から分かることは、背の高い男性だということだけだ。


(……わ、すごく背の高い人だなあ。それに……結構若い?)


 どうしてそう思ったのかは、愛美にもよく分からない。けれど、何となく「この人、そんなに年齢としいってないんじゃないか」と思ったのである。


 愛美が彼の後ろ姿にしばらく見入っていると、外が一瞬パッと明るくなり、愛美はまぶしさに目がくらんだ。外に迎えの車が停まり、ヘッドライトで照らされたらしい。


 次に彼女が目を開けた時、目にしたのは壁に映ったヒョロ長い影――。


(……えっ!? 待って! これって……同じだ!)


 愛美にはピンときた。『あしながおじさん』の本の中に、同じシチュエーションが登場するのだ。

 あの時、ジュディはそのコミカルな影を目にして笑い出した。愛美も笑顔になったけれど、理由は違う。


(もしかして、奇跡……起きちゃうかも!)


 ジュディのような幸運が、自分にも待っていそうな気がして嬉しかったのである。



   * * * *



「――失礼しまーす……」


 家と同じなので、愛美がノックせずに園長室のドアを開けると、園長先生はニコニコ笑って彼女を待っていた。


「愛美ちゃん、待ってたのよ。お座りなさいな。急に呼んじゃって悪いわねえ」


「はい。――園長先生、わたしに何かご用ですか?」


 愛美は応接セットのソファーに、聡美園長と向かい合う形で浅く腰かけた。

 わか聡美園長は六十代半ばの穏やかな女性で、愛美を始めとするここの子供たちにとっては優しいおばあちゃんのような存在である。 


「ええ。あなたに大事な話があるの。――その前に、今しがたお帰りになった方、愛美ちゃんも見かけたかしら?」


「あ、はい。後ろ姿だけチラッとですけど……。あの方、理事さんなんですか? ずいぶんお若く見えましたけど」


「ええ。二年くらい前に理事になられて、この施設に多額の援助をして下さってる方なの。ただ、ご事情がおありだとかで、本名は伏せてほしいって言われてるんだけれど」


「はあ……、そうなんですか」


 愛美は面食らった。先ほど見かけただけのあの理事は、聞いた限りではちょっと変わり者のようだ。

 けれど、園長先生だってわざわざ「あの理事さん、変わっててねぇ」なんて世間話をするためだけに愛美を呼んだわけではないだろう。


「あの方、これまでここの男の子たちには目をかけて下さって、二人ほどあの方のおかげで私立に進学できた子がいるの。ただ、女の子はその対象からは外れてたのよ。理由は分からないけれど、もしかしたら女の子が苦手なのかしらねぇ」


「はあ……」


 愛美が何だかよく分からない相槌あいづちを打っていると、園長はガラリと口調を変え、真剣そのものの表情で愛美に訊いた。


「愛美ちゃん。あなたは確か、県外の高校への進学を希望してるんだったわね?」


「……はい。難しいっていうのはよく分かってますけど」


 愛美もいよいよ本題に入ったのだと察し、姿勢を正して答えた。


「実は今日、あなたの担任の先生からお電話を頂いてね。今日の理事会でも、あなたの進路について急きょ話し合うことになったの」 


「はい……」


 一体、どんな話し合いがされたんだろう? ――愛美はかたを飲んで、園長先生の話の続きを待った。


「愛美ちゃんも知ってるでしょうけれど、この〈わかば園〉は経営が苦しくて、愛美ちゃんの希望どおり、私立の高校へは進ませてあげられないの」


「それは分かってます」


 愛美が堅い表情で頷くと、園長先生は表情を少し和らげ、申し訳なさそうに続けた。


「愛美ちゃん、あなたには本当に感謝してるし、申し訳ないとも思ってるのよ。私たち職員の手が回らない分、小さい子たちのお世話や施設の仕事も手伝ってもらって」


「いえ、そんな! わたしが進んでやってることですから、気にしないで下さい!」


 それは、弟妹たちやこの施設が大好きだから。ただみんなの役に立ちたくてやっているだけだ。


「そう? それならいいんだけれど……。でもね、私はあなたの夢を知ってるし、応援してあげたいの。だから、進学はするべきだと思うわ」


「えっ!? でも――」


「話は最後まで聞きなさい、愛美ちゃん」 


 言っていることがじゅんしている、と抗議しかけた愛美を、聡美園長がたしなめる。


「私が理事会のみなさんにそう言ったらね、先ほどのあの方が私に賛同して下さって。『彼女の文才をこのまま埋もれさせるのはしい』って」


「えっ? いま、〝文才〟って……」


「そうなの。あの方ね、中学校の担任の先生からお借りしてきたあなたの作文をここで読み上げられたの。あれには他の理事さんたちもビックリされてたわ」


「作文?」


「ええ。夏休みの宿題で書いていたでしょう? 『わたしの家族』っていう題名の」


「ああ、あれかぁ」


「そう。あの人、その作文の内容にいたく感動されてね、『彼女は進学させるべきだ!』って強く主張なさって。自分が援助するとまでおっしゃって下さったのよ」


「え……。じゃあわたし、進学できるんですか!?」


 聞き間違いかと思い、愛美がビックリして大きな声を出すと、園長は大きく頷いた。


「ええ。あの方も、あなたの夢を応援したいそうよ。そのための援助は惜しまないっておっしゃってたわ。……ただね、あの方からは色々と条件を出されたんだけれど」


「条件……ですか?」


 進学できると浮き足立っていた愛美は、園長先生のその言葉を聞いて改めて背筋を伸ばした。


「まず、受験するようにすすめられた高校なんだけれど。横浜よこはまにある女子大付属高校なの。――ここよ」


 園長がそう言って、ローテーブルの上にパンフレットを置いた。それは、高校の入学案内。


「私立……茗倫めいりん女子大学付属……。横浜ってことは県外ですよね」


 愛美は表紙に書かれた文字を読んだ。

 本当は県内の高校がよかったのだけれど、そんなわがままを言っていい立場ではないことくらい、彼女自身も分かっている。


「そうなの。ここは名門の女子校でね、全寮制なの。寮に入れば、住むところには困らないだろうって。それでね、愛美ちゃん。学校や寮の費用は全額あの方が負担して下さって、直接学校に振り込まれるんだけれど。そのうえで、あなたにも毎月お小遣いを下さるそうなのよ。一ヶ月で三万五千円も」


「さ……っ、三万五千円!? すごい大金……」


 高校生のお小遣いにしては、多すぎはしないだろうかと愛美は目をみはった。


「そうよねえ。ここにいる間、あなたには十分じゅうぶんなお小遣いをあげられてなかったものねえ。でもね、あの学校でやっていくには、その金額が最低ラインなんじゃないかってあの方がおっしゃるのよ」


「そうなんですか」


 そういえば、〝名門〟だと園長先生がさっき言っていたっけ。お嬢さま学校でみんなと同じように生活していくには、やっぱりそれくらいのお金が必要なのだろうか。


「とりあえず、高校三年間は援助を続けて下さるそうよ。卒業後にそのまま大学へ進むか、就職するかはあなたに任せたいって」


「そうですか。……もし大学に進んでも、援助は続けて頂けるんでしょうか?」


 大学までとなると、学費もバカにならない。そこまで見ず知らずの人の厚意に甘えていいものかと、愛美は思ったけれど。


「ごめんなさい、そこまでは聞いてないわ。その時が来たら、またあなた自身から相談すればいいんじゃないかしら」


「そうですね……」


 まだそんな先のことまでは考えられない。まずは、進学できることになったことを喜ぶべきだろう。


「――それでね、あなたに出された条件は、毎月お手紙を出すことだそうよ。それもお金のお礼なんていいから、あなたの学校生活のことや、日常のことを知らせてほしいんですって」


(……あ、やっぱり同じだ。『あしながおじさん』のお話と)


 愛美はふとそう思った。あの物語の中でも、ジュディが院長から同じ内容の話を聞かされていたのだ。


「このデジタル全盛期の時代に変わってるでしょう? でも、あの方のお話では、文章力をやしなうには手紙を書くのが一番だって。それに、あなたの成長を目に見える形で残すには、メールよりも手書きの文字の方がいいからって」


「へぇー……。あの、手紙はどなたてに出したらいいんでしょうか? お名前、教えて頂けないんですよね?」


 多分、何か偽名を指定されているはずだと愛美は思った。

 あのお話の中では「ジョン・スミス」だけれど、あの人は一体どんな偽名を考えたんだろう……?


「一応、仮のお名前は『なかろう』さんだそうよ。いかにも偽名って感じのお名前でしょう?」


「はい」


 園長先生が笑いながらそう言うので、愛美も思わずつられて笑ってしまう。


「でも、それじゃ郵便が届かないから。宛て名は個人秘書の久留くるしまえいきちさんにして出すように、って」


「分かりました。秘書さんからその〝田中さん〟の手に渡るってことですね? そうします」


 個人秘書がいるなんて……! どれだけすごい人なんだろう?


「残念ながら、お返事は頂けないそうなの。自分からの手紙が、あなたのプレッシャーになるんじゃないかと心配されてるみたいでね。だから何か困ったことがあった時には、同じように久留島さん宛てにお手紙を出して相談するように、ともおっしゃってたわ」


「はい」


 そして多分、秘書の名前で返事が来るはずだ。それも、今の時代だからパソコン書きの。


「愛美ちゃん。私も田中さんも、あなたの夢を心から応援してるのよ。だからあなたは何も心配しないで、安心して高校生活を楽しみなさい。あなた自身が信じる道を歩みなさい。あなたの人生なんだから」


 園長先生はまっすぐに愛美を見つめ、真剣な、それでいて愛情に満ちた声でそう言った。


「はい……! 園長先生、ありがとうございます!」


 愛美は嬉しさで胸がいっぱいになった。

 ――自分の人生。今まで、そんなこと一度も考えたことがなかったし、考える余裕もなかった。

 いつも弟妹たちや施設のことばかり考えて、自分のことは二の次で。でも、「これでいいんだ」と思ってきた。


 けれど、進路と向き合うということは、自分のこれからの人生と向き合うということなんだと、愛美は気づいたのだ。


 ――ボーン、ボーン ……。園長室の柱に取り付けられた、年季の入った振り子時計が九時を告げた。


「長い話になってしまってごめんなさいね。明日も学校があるでしょう? そろそろお部屋に戻りなさい」


「はい。園長先生、おやすみなさい。失礼します」


 聡美園長にお辞儀じぎをして、愛美は退室した。


(ウソ……? 信じられない! ホントに奇跡が起きちゃった……!)


 二階の部屋まで戻る途中、愛美は春からおとずれるであろう新しい生活に、ワクワクと少しの不安とで胸をふくらませていたのだった――。

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