*┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*
大司教ルグリエット様の面前に、向かい合ったユフィリアとレオヴァルトが立っている。
礼拝堂には聖女、聖騎士、神官たちが数多く
「……黒騎士レオヴァルト・ヴァルドフ。汝、誓いの辞を述べよ」
いつもは漆黒の騎士服を纏うレオヴァルトだが、婚礼式のしきたりに倣い、白と淡いグレーの配色が清々しい立派な騎士服を纏っている。
首の後ろでざっくりと纏めた髪は普段通りだが、レオヴァルトの正装はまるで王族の近衛騎士と見まごうほど精悍で美しく、婚礼式が始まるまでの間、観覧席の聖女たちは感嘆の溜息と羨望の眼差しを絶やさなかった。
「我、神の御名のもとに誓う」
レオヴァルトの艶やかな声が、聖堂の大空間に伸びやかに響く。
彼の黄金の双眸は、妻となるユフィリアをしっかりと見据えていた。
崇高なる聖女ユフィリア・ダルテ
汝は聖なる光
汝の微笑みは闇を祓い、汝の祈りは我が剣を導く
この命、この剣、この魂
すべてを汝に捧げ、永遠に仕えることを誓おう
汝が涙を流すとき、我が盾となり
汝が喜び歌うとき、共に祝おう
たとえ運命が我らを試そうとも、
我が誓い、決して揺らぐことなし。
「……よろしい。では、聖女ユフィリア・ダルテ。汝、誓いの辞を述べなさい」
ええっと──と、シルクで仕立てた純白の可憐な聖衣に身を包んだ花嫁が小さく呟く。
髪をツインテールに結ぶのはさすがに断念したのだろう。
たっぷりと長い銀糸の髪は、後頭部の高い位置で緩やかに纏め、一輪のマランの花を差していた。
この新婦が、数日がかりで暗唱した文言を大司教ルグリエット様の祝詞の最中ずっと呟き続けていたのは……暗唱がすこぶる苦手な彼女の努力に免じて大目に見てもらおう。
「ユフィリア?」
押し黙ってしまった新婦に、正面に立つレオヴァルトが心配そうに目を向ける。
ユフィリアの視線の先には、あの時
『その程度の傷なら治せるかも』
そう言って、ユフィリアがレオヴァルトの腕の傷に手を翳してから、まだ一週間しか経っていない。
婚礼式の準備など有って無いようなものなので、式の申請をしてからはトントン拍子に事が進んだのだ。
──まさか、私のグラシアが弱体化するなんて……!
レオヴァルトの腕に翳した手のひらからは消え入りそうな光がわずかに散るばかりで、切り傷の治癒はおろか、痛みの感覚を和らげる事すらできなくなっていた。
こんな事は初めてだ。
レイモンド卿の仕打ちによって傷ついた身体を、鞭打つように酷使し続けたからだろうか。
グラシアの弱体化など聖女たちの間でも聞いたことが無い。もっとも強大化があるのだから、弱体化があっても不思議では無いのだが。
一時的なものなのか、それとも。
──神聖力が戻らなかったら、どうしよう。
知識も情報も無いまま、不安ばかりが襲ってくる。
あの夜を境に、ユフィリアはその二つ名の通り『無能な聖女』になり果てていた。
──このままじゃ誰も救えない。乞い求める人たちのためにも、私は無能のままでいちゃいけないの……!
結果、婚礼式を早めたいと言ったのはユフィリアの方だった。
レオヴァルトは驚いた風だったが、申し出を断る理由もなく。ふたりは今、こうして大聖堂の神前に立っている。
「ゆ……勇敢なる……騎、士……」
婚礼式までのこの一週間、ユフィリアは昼夜を問わず「誓いの言葉」を懸命に覚えようとしていた。
そんなユフィリアの必死な努力を、レオヴァルトは暗唱を手伝いながら見守ってきた。
言葉を詰まらせながらユフィリアが見上げれば、緩やかに口角を上げたレオヴァルトが「大丈夫だ」と自信づけるようにうなづく。
「……っ」
勇敢なる騎士レオヴァルト・ヴァルドフよ
汝は我が守護者
汝の剣が我を守るように
我が祈りもまた、汝を導かん
聖なる力の加護のもと、汝の苦しみを癒し
汝の傷を癒やし、汝の心を支えよう
如何なる試練が訪れようとも
我は汝の傍にあり、共に歩むことを誓う。
──ちゃんと言えた……!
嬉しくなって顔を上げると、レオヴァルトが見たことも無いほど優しい目で微笑んでいる。
向かい合ったまま見つめ合い、互いの呼吸と声を重ね合わせた。
神の御名にかけて、我ら誓わん
汝は我が光、汝は我が剣
共に歩み、共に支え
いかなる運命が訪れようとも
この絆、決して断たれず
汝を愛し、守り、導くことを
永遠に誓う。
レオヴァルトとしっかり視線を合わせたまま、ユフィリアはごくりと喉を鳴らす。
「……こほん。それでは、誓いのキッスを」
大司教ルグリエット様の良い声が、ユフィリアの胸の鼓動を
──面倒な事はこれが最後。あとは、誓いのキスさえ耐えれば……っっ
顔にかかったレースのベールが捲られて、レオヴァルトの整いすぎた顔がゆっくりと近づいてくる。
美しい金色の瞳に、伏した長い睫毛が影を落とした。
──く、来る……!
頭の先からつま先まで硬直させ、直立不動のまま「ぎゅっ」と目を閉じていると。
ユフィリアのまぶたに影が差して暗くなり、顔面に何かが近づく気配がした。
不意に、冷たく柔らかなものが唇に触れる初めての感触にどきりと身体が跳ねる。けれど
引き結ばれたレオヴァルトの唇が、控えめにユフィリアの唇に触れている。
『キス』というものを経験したのは生まれて初めてだ。
ルグランとは手を繋ぐか繋がないかの清すぎる関係だったし、孤児だったため親にされた記憶もない。
──よ、良かった。初めてでちょと怖かったけど、キスなんて、思ってたほど大した事ないじゃない?
まぶたを「ぎゅーっ」と力任せに閉じたまま、もう終わるだろうかと身体を強張らせていると。
突然背中に手を回され、ぐい、と引き寄せられた。
「あっ」と声が漏れそうになって顔を上げる。
同時に開いてしまった唇の隙間を塞ぐように「はむっ」と食べられた。惰性で侵入してきた相手の舌先と自分の舌とが僅かに触れる。
「ッ!?」
驚いて、目を瞬く。
レオヴァルトは悦に入ったように目蓋を閉じたままだ。
その一瞬が過ぎると、名残惜しそうにレオヴァルトの唇が離れていく。
翼の睫毛がゆっくりと持ち上がり、薄く覗いた黄金の眼差しがユフィリアの蒼い瞳を捉えた。
どくり、と胸が脈打つ。
『……いっ、今の、なに……!?』
レオヴァルトに抗議の目で訴える。
ユフィリアの心の声が聴こえたのか、
「せっかくの婚礼式に、ただ触れるだけの口づけではつまらぬだろう?」
小声で応えたレオヴァルトの瞳が
『つまらぬだろう? ……じゃないわ~!』
──公衆の面前でも緊張とか恥じらいとか無いのか?! この男は……!!
拍手の中に、唇を喰まれた時の、痺れるような感覚の余韻までもが紛れてしまう。
ユフィリアのはじめての口づけは、とても長くて、けれど一瞬の出来事であった。
──はっ、初めて口づけを経験する乙女との婚礼式に、ああああんな、
無言で焦りまくるユフィリアを見て、レオヴァルトが甘さを含んだ声で言う。
「初夜の交わり云々の前に、キスの仕方から教えないといけないな」
「うぐっ」
揶揄われたような、小馬鹿にされたような。
腹を立てている筈なのに酷く気恥ずかしくて、自分でも驚くほど顔が火照って熱い。心臓は今も鋼のように跳ねている。
「……レオのばか」
厳かな拍手のなか、ぼそりと呟いた言葉はレオヴァルトには届いていないだろう。
ファラエル神の彫像前に組まれた巨大な祭壇には、穢れなき心を誓う純白のマランの花がふんだんに飾られている。
その中の一本を手に取った大司教様が、膝まづいたユフィリアとレオヴァルトの頭上に翳した。
「我、ルグリエット・ミラ・ファラエルは、
中央大聖堂の荘厳な鐘の音が、聖都中に響き渡る。
抜けるような青空が広がる快晴の日の朝。
契約上の結婚とはいえ、ユフィリアはレオヴァルトの正式な妻になった。
退場のとき、手袋の指先が大きな手の中に包まれた。
突然だったけれど、レオヴァルトに手を繋がれた事に不思議と嫌悪感は感じなかった。
無能のクズだと罵られた聖女ユフィリアも、黒騎士レオヴァルトとの交わりによって聖なる力の加護グラシアを強大化させ、今後はまともな聖女としてこの中央大聖堂に貢献するだろう……そんな期待が神官たちの安堵の表情から読み取れる。
祝福モードな拍手のなか──聖堂の片隅で、煮えたぎる怒りにアメジストの