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29・レオヴァルトと謎の《声》


「起きていて良かった。朝食、まだだろう?」


 レオヴァルトの片手が持つトレーの上には、柔らかそうなパンが二つと色鮮やかな野菜サラダの盛り合わせ、まだほんのりと湯気の立つスープとナプキン、カトラリーが品よく並んでいる。


「食べてないって、なんでわかったの」

「聖女たちが口を揃えて、怠惰な聖女ユフィリアがまた寝坊して、朝ごはんを食べてないと言っていたから」


 ──あれほど休めと言ったのに。頑固なユフィリアの事だ、無理を押して貧民街に出向いたのだろう。


 ユフィリアの使命感に呆れながらも、冷え切っていたレオヴァルトの心はすっかり温められてしまう。


「やだ、嘘でしょ……」


 いや、嘘ではない。

 レオヴァルトの話の由来が、先ほどの聖女たちとのやりとりによるものだとユフィリアは知っている。


 目の端を柔らかくほころばせるレオヴァルトだが、イザベラと微笑みあっていた姿が眼前をよぎり、ユフィリアは「はっ」と目を逸らせた。


 ──朝ごはんでお腹を満たして機嫌を取って、婚約破棄の話でも切り出そうって魂胆じゃ……?


「最近ずっと優しいのはどうして? なんか、変」

「そうか?」

「ちょっと前まで他の聖女たちと同じように、私を無能だってくさしてたくせに」

「契約上とはいえ、ユフィリアは私の妻になる人だ。優しくしたいと思うのはおかしいか?」


 ──おかしいわよ。妻にしたとしても、私のことなんか、好きでもなんでもないくせに。


「もしかして、また何か企んでる……? レオがあのレイモンドの手先だってことも、忘れてないんだからっ」


 ジト目で睨んでいると、レオヴァルトは困ったように眉根を寄せる。


「私は、君が思っているほど浅慮で軽薄な男じゃないつもりなんだが。どうすれば、それを信じてもらえるだろうか」


「け、軽薄よ……! だって見たんだもん。今朝、廊下でイザベラと……楽しそうに微笑みあってたの、見たんだもん……っ」


 頬を膨らませてうつむくユフィリア。

 レオヴァルトは一瞬驚いたふうだったが、ふ、と眉根を下げて目元を緩めた。


「イザベラに嫉妬したのか?」

「ちがっ、嫉妬って、そんなの違うから……」

「あんな事で嫉妬するのか。ユフィリアは可愛いな」


 ズクリ、と脳髄の底が唐突に痛んだ。


『ユフィリアは可愛いな。』


 ──まただ……!


 これまで幾度となくレオヴァルトの声と重なって届いた、聞き覚えのある青年の《声》が頭の中に語りかけてくる。


 ──あなたは一体、誰なの……?


 けれどそれは、今いる現実のレオヴァルトとは異なる人物のはずで。


 ──レオの声に似てる。

 だから、レオの言葉と、重なるの……?



 レオヴァルトの熱っぽい視線を感じて、ユフィリアは《現実》を知らされる。

 今は、あの声の正体について、とやかく考えている場合ではないのだ。


「まって、かかか可愛いって、わわわ私が?! ばば、ばかなこと、言わないでっ」


 あたふたと両手を振りながら、薔薇色に染まった顔を隠すように背を向けてしまったユフィリアを見て、レオヴァルトは頬を緩めた。


 ──そうやって焦るところが、とても可愛い。


 不意に、ふわりと後ろから抱かれる感覚があった。


 ──なぬ?!


「少し……疲れた」


 レオヴァルトの胸に覆われた背中に、暖かさが伝わってくる。


「いきなり何よ、離してっっ」


 抵抗したところで、レオヴァルトの力強い腕はものともしない。


「少しだけでいい。婚約者がすることだと思って、このままでいることを許してくれないだろうか」


 いきなり真面目に「許してくれ」だなんて、どういう心づもりだろう。


「……仕事の疲れが癒える」


 耳元で囁かれる、吐息混じりのレオヴァルトの声に困惑する。


 ──ひいっ。まったく、こやつは声までエロいんだから!


「ちょっとくらいなら、その、いいけど……」


 ──べつに、嫌な気持ちはしてないし……? でも、で癒されるって……なんで? レオには癒しの力、使ってないわよ?


 ユフィリアはきょとんと小首を傾げてしまう。

 疲れが癒える、と言ったレオヴァルトは、ゆったりとユフィリアの背中を抱いたままだ。

 生まれて初めて経験した『バックハグ』なるものに、一体どう対応すれば良いのか、わかない。


 ──んもうっ。もぞもぞしたいけど、今は動いちゃいけない気がする……!


「し、仕事って、魔獣の討伐に行ったの?」

「……ああ。明け方にな」


 ──そっか。レオだから、魔獣一頭を倒すのにも、苦戦するのかも?


「……ふぅん」


 なんて、今度は抱きしめられている間の手持ち無沙汰さに困惑する。

 胸の前で組まれたレオヴァルトの腕に目をやると、漆黒の騎士服に滲む「色」の違和感に気づいた。


「ねぇレオ。二の腕、ちょと見せて?」


 背中から回された腕をほどいて、違和感のあるレオヴァルトの右腕を取ってまじまじと見つめる。


「ここ、怪我してるでしょ」

「ああいや、大したことはない。適当に処置しておけばそのうちに治る」

「だめよ。適当にして、もし感染でもしたら。そこの椅子に座って?」


 レオヴァルトが抵抗しないのを良いことに、肌に張り付いた騎士服の袖をそうっと捲り上げた。

 生々しい鮮血がぬるりと肌の上を滑る。


「ちょっと、だいぶ斬れてるじゃない!」


 深い傷ではないものの、レオヴァルトの二の腕に沿って縦一文字に走る紅い線の上には、いまだジクジクと血が滲み出ている。


「痛かったでしょう、なんで黙ってたの? こんなのすぐに治してあげ」

「治せるのか?」


 レオヴァルトがユフィリアの言葉に被せるように言う。

 はっと気づいて、口元を押さえた。


 ──しまった、つい口が滑って!


「えええと、わわ私には、治せ……ない、かなぁぁ……」


 なにしろユフィリアは《切り傷さえも治癒しない無能聖女》で通しているのだ。


「グレースが部屋に帰ってきたら、治癒できるか頼んでみるからっ」

「この程度なら簡単な消毒で大丈夫だ。グレースの手を煩わせるほどじゃない」

「でも、傷が残るかもしれないし」


 レオヴァルトは小首を傾げると、口角を上げて微笑む。

 そして立ち上がりざまに、ユフィリアの頭にぽん、と手を置いた。

 大きな手のひらの温かさが頭の上に伝わると、また「すっ」と離れてしまう。


「スープが冷めてしまったな。私がいると食事も落ち着かないだろうから、もう行くよ」


「ねぇ」と、漆黒の騎士服の裾をつかんで引っ張った。

 ひどく遠慮がちな上目遣いで、ユフィリアはレオヴァルトを見上げる。


「その程度の傷なら……その……。治せる、か、も……?」






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 次話はいよいよ婚礼式!

 お砂糖盛りの甘い?初キッスシーンをがんばりました♡

 (そのあとはもちろん蜜月の夜も……攻めと逃げの攻防戦、どうなる?!)


 終盤戦に向けてレオヴァルトの従者たちや心強い新キャラが登場する後半!

 引き続き、我がまま聖女ユフィリアと波乱の黒騎士レオヴァルトをどうぞよろしくお願いいたします。



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