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28・葛藤、その理由は……


 顔が赤い猿、と聞いた取り巻きの聖女たちも、いよいよ堪えきれなくなったらしい。イザベラの周囲には、くすくすと含み笑いが漏れ聞こえていた。


 構うことなくレオヴァルトは続ける。


「大聖堂の筆頭聖女がどれほど有能かは知らないが。と並べば、その《自信》がどれほど浅薄か知るだろう。おまえは自ら有能だと公言しているが、実際、何かを成し遂げたのか? 真に有能な者は人の影となって成果を上げるものだ。有能だと公言する者と黙って成果を上げる者。さて本物はどっちだろうな」


 ますます頬を紅潮させたイザベラが反論する。


「黙って成果を上げる者ですって? どこにそんな聖女がいるって言うのよ!」

「さあな。金儲けにしか興味がない卑劣な悪党に平伏する者たちにはわかるまい」


「っ……!」


 ここまで説き伏せられてしまっては、口達者なイザベラもすっかりお手上げである。しかも、取り巻きの聖女たちの前で赤っ恥をかかされたようなものだ。


「あのう……イザベラ様……平気、ですか……?」


 レオヴァルトの背中を見送りながら、聖女のひとりが様子を伺うように言う。


 平気なわけがない。

 胸の中にぬらぬらと立ち昇る、激しい怒りと失望と羞恥心──それに 《人生初の失恋》までもが、突然、津波のように押し寄せたのだ。


「イザベラ様……?」


 案じた聖女たちが口々に声をかけてくる。

 けれど血が滲むほどに唇を噛み締め、虚空を睨みつけたまま、イザベラは身じろぎもせずに立ち尽くしていた。





 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




 くぅぅ。

 自室に戻ると、盛大に腹が鳴った。


「あ〜あ、お腹すいたなぁ。寝坊しちゃって朝ごはん食べ損ねたし……いつもの廊下は?」


 おまけに背中もまだ痛む。

 ユフィリアは「ふわぁぁ〜っ」と力無くベッドにダイブした。


 柔らかな枕にもふっと顔を埋めると、腹の虫がまた鳴った。


「催促したって、あと二時間はなんにも食べられないわよ? 仕方ないじゃない……だって、んだもん」


 残り物を拝借しようと、こっそり食堂に向かっていた時だった。複数人の人影に驚いて、物陰に隠れた。

 その時に見聞きした事を思い返してしまう。


 ──レオと、イザベラ。


 イザベラと取り巻き聖女らに囲まれたレオヴァルトは不機嫌そうで。

 すると、聖女たちが口々にユフィリアをけなしはじめた。


 まぁそれは良い、日常茶飯事だ。

 けれど《問題》は、そのあとに起こった。


『あなたをと言っているのです。』


 間近で聞くよりは不鮮明であったが、イザベラは確かにそう言った。


 柱の影に隠れて様子を伺っていたユフィリアの背中が薄ら寒くなる──かつて信頼を寄せていたルグランが、いとも簡単にイザベラに寝返ったのを想起したからだ。


 そもそも、レオヴァルトとの婚約はレイモンド卿が仕組んだもの。卿の姪であるイザベラが頼み込めば、イザベラとレオヴァルトの婚約が認められるかも知れない。


 ──もしもレオが、私との契約破棄を、望めば。


 レオヴァルトとは結婚の契約を結んでいる。一度交わした契約は簡単には破れない。

 破ろうとすれば『どちらかが死ぬ』。


 それでも双方が納得したうえでならまだ納得もいく。けれども。


 ── 一方的に裏切られるのは、もういやだ……!


 レイモンドの後ろ盾があるイザベラの夫になれば、ユフィリアと契約婚を結んでまで叶えようとしたレオの《望み》だって、すぐに叶うかも知れない。

 あのレイモンド卿のこと、イザベラが頼めばどんな手を使ってもユフィリアとの契約婚を破棄させようとするだろう。


 ──契約破棄でどちらかが死ぬのなら、それはきっと、私だ……。


 物陰に隠れながら、身の縮む想いでユフィリアはレオヴァルトの返答を待っていた。


 ふはは、とレオヴァルトがさも楽しげに笑う。ふふっ、とイザベラも同時に笑みを漏らした。


 それ以上は、もう見ていられなかった。


 ──レオはなぜ笑ったの?

 イザベラと微笑みあっていたのは、なぜ……?


 廊下を急いで引き返しながら、ユフィリアは心の中で問いかけた。同時に得体の知れない不安と寂しさに襲われていた。


「やだ……私ったら、なんで不安なのよ」

 ぽふっと、額で枕を叩く。


「レオとの契約を破棄させられて、死ぬのが怖いから? それとも……っ」


 ──ルグランに続いて、レオにまで裏切られたら。


 自分はいったいどうなってしまうのだろう。契約破棄の代償に命まで失って、残りの人生分の恨みを抱きながら冥府を彷徨うのだろうか。


 かつてろくに着るものも食べるものも与えられず、路傍の石のように床に転がされていた幼い日の自分と、貧民街の子供たちが重なった。


 ──貧民街で必死に生きようとしている人々を置いて死ぬなんて、そんなのはいや……!


 その時だった。

 扉をノックする軽快な音が鼓膜に届く。


 グレースが訪ねて来たのかとも思ったが、彼女は今頃、治癒当番の役目を果たしているはずだ。


「誰……?」


 上半身を起こして小声で聞けば、扉越しのくぐもった声が応える。


「レオヴァルトだ。……扉を、開けても?」


 ひっ! と肩が上がってしまう。

 こんな大袈裟な反応をするほどの事じゃなかろうにと、ユフィリアは驚いた。


「……うん。いいよ、入って」


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