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26・レオヴァルトの『初めて』



「ななな、何言ってるの?! そんな、わけっ……この私があの《月夜の女神》?! 何を根拠にそんなこと……ありえないし……いやいやいや、ありえないありえないありえない……!」


 ぶんぶん頭と両手を左右に振って大袈裟に何度も否定する。

 明らかな動揺を披露するユフィリアに、レオヴァルトは「くくっ」と含み笑った。


「そうか? 私の予想はたいがい百発百中なのだが……違ったか」

「違うも違わないもっ、ち、違うんだからあっ!!」


 ── ユフィリアの事だから平然と否定するものと思っていたが。どう見てもバレバレなのに必死で隠そうとして……なんか可愛い。


「そもそもっ、な、なんでそう思ったの?! こここ、根拠を示してよ……!」

「……根拠?」


 レオヴァルトは冷徹な仮面の下に隠した己の腹黒さを知っている。

 「月夜の女神を目撃した」と打ち明ければ話は早いが、あからさまに動揺するユフィリアをもう少し見ていたくなった。


「ユフィリアが昼間の治癒を拒むのはグラシアを温存し、夜間『月夜の女神』として貧しき者たちを救うためだと私は睨んだ」


 ちらとユフィリアを見やれば、大きな瞳を鳩のようにまん丸く見開いている。文字通り豆鉄砲を喰らったようなその表情かおが滑稽に見えて。ぷ、と吹き出しそうになるのを必死で堪えた。


 ──否定しないところを見ると、やはり図星か。


 契約婚を持ちかけた際、ユフィリア本人に直接尋ねたものの、邪魔が入って答えを得られぬままだったのだ。


 ──しかしユフィリアの困り顔は……可愛すぎるだろう……!


 胸の奥底から得体の知れない、けれど心地よい胸苦しさが込み上げてきて思わず眉を顰める。もしや「キュンときた」とはこういう胸苦しさを示す言葉ではと……この時、生まれて初めて知ったような気がした。


 初めての「キュン」を慈しみながらレオヴァルトは続ける。もちろん表情かおは平静を装ったままだ。


「数々の目撃証言から『月夜の女神』は中央大聖堂の聖女だと噂がある。もし筆頭聖女のイザベラだとすれば矛盾が生じる。まずイザベラの背後にいるレイモンドが許すはずがない。貧民に与えるほどのグラシアがあるのなら一人でも多くの金持ちを治癒させたいだろうからな。それに……」


 ユフィリアを見ればあおい瞳を上下に動かしながらモジモジと落ち着かない。今にも尻尾を巻いて逃げ出しそうなほど頼りない顔をしている。


「あののイザベラが貧しい者たちのためにグラシアを使う理由が無い」

「い、イザベラじゃないのかもしれないじゃない? 聖女なんて他にも大勢いるんだし……」


「短時間で多くの怪我人や病人の治癒をするほどのグラシアを持つ有能な聖女が、イザベラの他にもいると?」

「いるかも……しれないじゃない」

「例えば?」

「えと、えっと……」


「教えようか? 昼間に駄々をこねて働かずグラシアを温存するような不届者がいるとすれば、可能だろうな」

「だから、私じゃないもん! 私は……見ての通り無能で、グラシアも微弱で、使い物にならないだけでっ」


 レオヴァルトは「ほう」と短く呟くと。

 わざとらしく顎に拳を当てがい、不思議がるていを装って淡々と述べる。


「……そうか、参ったな。それなら目の前の聖女ユフィリアは名実ともに『無能』という事になる」

「今更ツッコまなくたって、そんなの前からわかってたでしょ?!」


 ならば──と、レオヴァルトは寝台に起き上がったユフィリアに手を伸ばし、銀糸の髪をひと束掬い上げると口元に持っていく。

 ユフィリアを見下ろすレオヴァルトの切れ長のが妖艶に眇められた。


「私との《交わり》が必要だな」

「な……?! 何を言い出すのよ、エロ黒騎士!」


「ユフィリアのグラシアを強大化させ、レイモンドの要求に応えるためだ」

「ま、交わりは要らないって言ったじゃない。だから契約を結んだのに……」


「要らないとは言っていない、良い考えがあると言ったのだ。だがそれはあくまでもユフィリアが『月夜の女神』である事が大前提だ」


「わかったわよ、もういい。結婚の契約なんて今すぐ破棄してやるからっ」

「残念だが《契約》という文言にはある種の力が宿る。一度結べば血印を押したのと同様の効力を持つ破約不可能な締結であって、無理に破ろうとすればどちらかが死ぬ」


「う……嘘でしょ……?!」


 ──聞いてないわよ、そんな事……っ


 契約不履行が困難なのは事実だ。一度交わした《契約》は、たとえ口約束であってもそう簡単に解除できるものではない。


 ──「どちらかが死ぬ」とまで言ったのは、ちょっと揶揄いが過ぎたかな。


 今度は蒼白になって両手で口元を覆っているユフィリアの可愛い焦り顔を見ながら「まぁいいか……」とほくそ笑み、レオヴァルトは慌てるユフィリアに更なる追い打ちをかける。


「婚礼式を挙げて夫婦となり、男女の交わりでグラシアを強大化させるしか道は無いようだな?」


 不敵な笑みを浮かべる眼前の美しい手慣れ男と、初心の自分が一糸纏わぬ姿で身体を重ねるところを想像すれば、避けようのない恥ずかしさと抵抗できない胸苦しさが襲ってくる。頬はすっかり紅潮して火を吹きそうだ。


──しかも奴は《エロ》や。下手に交わったりしたら、何されるかわからん〜!


「まって……一旦、落ち着くから……」


 ──もうっ、どうすれば良いの。《月夜の女神》は自分ですと、今ここでレオに打ち明けるべき……?


 いや、言えない。

 レイモンド卿から折檻されているところを救われたとはいえ、レオヴァルトがレイモンド卿の支配下にある事実に変わりは無いのだ。《月夜の女神》の正体を打ち明けてレイモンド卿に密告されでもしたら。


 ──貧民街の皆んなを救えなくなってしまう。でもこのまま否定し続けたら、私……レオと? いやいやいや、無い無い無い……!


 ユフィリアが必死な葛藤を続けるなか、照れ隠しに手のひらで口元を覆ったレオヴァルトは嬉しそうに「ふふん」と鼻を鳴らす。


 ──赤くなったり青くなったり、一人でぶつぶつ呟いたり。可愛い婚約者ユフィリアは、どれだけ私をキュンキュンさせれば気が済むんだ……!






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