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23・鳥籠の小鳥


 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




 ユフィリアの部屋では、グレースが《戦闘態勢》で待ち構えていた。


「グレース!」


 ドアを蹴破る勢いで駆け込んで来たレオヴァルトが叫ぶ。

 彼の剣幕に驚いたグレースが「ふぁっ?」と声をあげた。


「鞭で打たれたらしい。寝台はどこだ、寝かせるからすぐに診てやってくれ! 背中の怪我が……酷いんだ」


 寝かせると言いながらも、抱えままのユフィリアの顔を初めて見るかのように覗き込んでは、鼻先に自分の頬を近づけたりしている。


「ユフィリア……ッ、息、してる……?!」


 レオヴァルトはひどく慌てているが、もう何度もこのような修羅場に遭っているグレースはある意味、いる。


 ──きっとここまで、脇目も振らずに駆けつけてくださったのね。


「レオヴァルト様っ、落ち着いてください、すぐに治療を始めますから」

「落ち着けるわけないだろう、傷が……ユフィリアの、背中が……」


「心配なのはわかりますが、まずは寝台に寝かせてくださいますか?」

「……は?! ああ……そうだな、すまない……」


 いつも不機嫌そうな顔をしていて、他人を寄せ付けようとしないオーラしか放っていないこの黒騎士が、目を疑いたくなるほど慌てている。

 それほどユフィリアを案じているのだと思うと、グレースの頬がおのずと緩んだ。


 傷ついた背中を上にして、華奢な身体を寝台の上に注意深く下ろす。

 腕にべっとりと付着した血糊に狼狽えてしまうレオヴァルトは、そんな自分に戸惑ってもいた。


 ──この程度の流血が命に関わるものじゃないと知っている。なのに、これほど焦るのは……。私はいったい、どうしてしまったんだ……? 


 何度も振るわれた鞭によって聖衣が切り裂かれ、筋状にあかくただれた皮膚からじわじわと血液が滲み出ている。


「治癒を始めますね。そんなに時間はかからないと思います。私、今日は非番でグラシア満タンなので!」


 言いながらも、グレースが翳した両手のひらからすでに神聖力が放たれており、傷ついたユフィリアの背中を白々とした光で満たしていった。


「これが、グラシアの加護か」


 聖女の治癒を間近で見たのはレオヴァルトも初めてだ。

 煌めく光の粒が肉眼でもしっかりと見え、それらが吸い込まれるように傷口に浸透していく。滲んだ血液はそのままに、壊れた皮膚の細胞がじわじわと再生していく様子には目を見張るものがあった。


「私は下級聖女ですから治癒力弱いですが、筆頭聖女イザベラ様のものともなれば、このくらいの傷なら数分あれば完全に治ってしまいます。まぁ……イザベラ様が協力してくれるとは思えないですけどっ」


 ──ユフィは否定していたけど、レオヴァルト様はやっぱり、ユフィのこと……。


 ユフィリアは気を失っているようだ。

 背中の傷は順調に治癒できている。なのに終焉を迎えた世界の再生をハラハラと見守るようなレオヴァルトの、甘やかなこの視線は。


 ──目を覚ましたらユフィに教えてあげなくちゃね。レオヴァルト様は、あなたを助けようと必死だったって。


「いつもは神官たちに担架で運ばれて、部屋に戻ってくるんです。背中の痛みに耐えながらも意識があるんですけど、今日はレオヴァルト様に抱えてもらって安心したんでしょうね」


 グラシアを注ぎ続けながら、グレースが言う。


「ちょっと待て、……とは?」

「その、体罰を受けて部屋に帰って来る時、ですけど」


「レイモンドの体罰は、今日が初めてじゃないのか?!」

「いいえ違います。私が覚えている限りでも、聖女認定を受けた頃から始まって……そう、ここ二年くらい」


 ──二年だと? レイモンドの奴は、二年もこんな非道を繰り返してきたと言うのか……!


 レオヴァルトの眼前に、ふと、近衛騎士であり親友でもあった従者ゲオルクの、断末魔の顔がよぎった。


 同時に、レイモンドに捕えられたままの従者たち──ケイツビーとザナンザの、くったくのない笑顔も──残酷に鞭を振るうレイモンドの悍ましく醜悪な微笑みによって消されてしまう。


 そしてレオヴァルトの大切なものである彼らふたりが、痛みに必死で耐えるユフィリアの姿と重なった。


 ──くそ……っ! それと知りながら、私は何も出来ないのか。レイモンドの非道を見過ごすしかないのか。ケイツビーとザナンザだってどんな目に遭わされているか知れない。一刻も早く、ふたりをこの腐った場所から救い出さねば……!


 グラシアを注ぐ手元に集中しながら、グレースは治療を続けている。

 背中の傷の半分がすでに治癒され、苦しげだったユフィリアの吐息も随分と静かになった。


 大聖堂から……この街から、出ていきたいの。

 結界の外に出て、広い世界を見てみたい。

 もっと自由に、困っている人の役に立ちたい。

 自由にグラシアを使いたい。

 鳥篭を出て自由に生きてみたいの。


 あの時ユフィリアは遠い目をして語った。

 まるで、叶わぬ夢でも見るように。


 ──生意気で強がりな聖女の願い……か。


『いかがわしいのは誰なのよ、このエロ黒騎士!』

 むすっと頬を膨らませてそっぽを向く愛らしい顔を思い出すと、頬が緩んだ。


「こんなふうに弱ってる姿なんか見せられたら」


 小さく呟かれた言葉にグレースが反応する。


「何か言いました?」

「……いや」


 レオヴァルトは寝台に腰掛けると腕を伸ばして、汗で張り付いたユフィリアの前髪を額からそっと剥がしてやる。

 突然ふれた指先に驚いたのか、血の気を失った額がぴくんと揺れた。


 ──自由を求めるかごの中の小鳥。

 君の願いも、必ず叶える。


 そのためには早急にユフィリアと成婚式を挙げて神聖力の強大化を認めさせ、レイモンド卿に従者たちを解放させる。


 そんな想いが、レオヴァルトの胸の中を満たしていた。






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