「互いに利害一致の結婚、いわゆる《契約婚》というやつだ」
「けい、やく、こん……」
レオヴァルトは尚も続ける。
「レイモンド卿は私の望むものと引き換えに、聖女ユフィリアを手名付け、私との結婚でグラシアを強大化させる事を条件に出してきた」
──やっぱりね。
レイモンド司祭がこの黒騎士を婚約者にあてがった理由は、ユフィリアの想像通りだったと言える。
「だが傲慢で手強い聖女ユフィリアを生ぬるいやり方で落とすのは簡単じゃないし、不効率だろう?」
──確かにその通り……って、なにを納得してるのよ私!
掴まれていた手がようやく解放されてホッとする。
ああ、今度は色仕掛けですか。
あの腹黒司祭が考えそうなことだとユフィリアは唇を噛んだ。
「おとなしく私の妻になってくれれば、私もおまえの望みを叶えてやる。それに」
レオヴァルトは真剣な眼差しを崩さない。
「互いに望むものが無事に手に入ったら、婚姻関係は解消すればいい」
──また《おまえ》に戻ってるし。こっちが要求を受け入れたらこれだもの。
「お互いの望みが叶うまでの期間限定婚ってことね?」
「その通りだ。理解が早いな」
「お互いの利害一致はいいけど。あなたに私の望みが叶えられるのかしら?」
「私は万能だからな。なんでも叶えてやる。言ってみろ」
——私のことを傲慢だとか言っておいて。自分のことは万能だなんて、傲岸蕪村はそっちでしょ……
口に出したくなるが、堪えた。レオヴァルトとここでやり合っても仕方がない。
「へぇ……なんでもですか。じゃあ、もし私が『この世界を手に入れたい』って言ったら、叶えてくれるのかしら〜?」
いかにも信じていないというふうにユフィリアが不適な笑みを浮かべるが、レオヴァルトは平然としていて動じない。
「ああ、叶えてやる」
「さすがに嘘でしょ、世界征服でも叶えられるって言うの? 大口たたくのもいい加減に……っ」
唐突にレオヴァルトの手のひらがユフィリアの後頭部を、ぐい、と引き寄せた。
──なっ?!
息を吐く間もなく、顔と顔とが急接近する。
「私は万能だと言ったろう………信じろ」
レオヴァルトの視界に捉えられれば、剣呑な光を宿した黄金の瞳が額に落ちた前髪の奥に揺れていた。
不思議な
透き通る瞳は冷たく威圧的で、征服されそうな印象を受ける。けれどその瞳の裏側には、あたたかく柔らかな灯火を宿しているようにも見えて。
「ご……ごめん。信じるから、離して」
互いの姿勢がもとに戻ると、レオヴァルトの眼差しが少しだけ緩んだ。
どうやらレオヴァルトは、ユフィリアが思うよりもよほど真剣なようだ。
「それで。ユフィリアの
「望み……ね。さすがに世界征服は嘘だけどっ。ほんとに何でも叶えてくれるの?」
出会って間もないこの男をどこまで信用して良いのか正直わからない。けれどレオヴァルトの話ぶりや真剣な眼差しに嘘はないように思える。
契約婚に応じてレオヴァルトに尽力してもらえるのなら………。
たとえユフィリアの望みが叶わず利用されただけの結果になったとしても、今の状況がただ延々と続くだけのこと。
それならば、持ちかけられた契約婚とやらに応じてみるのも悪くないのかもしれない──この傲岸蕪村な男に望みを託すのが、浅はかで儚い希望だとしても。
「大聖堂から……この街から、出ていきたいの。聖都の周りには強力な結界が張られていて、私たち聖女は聖都から外へは出られない。狭い鳥籠のなかで教会に飼われているようなもの……私は結界の外に出て、広い世界を見てみたいの。レイモンドの支配下の聖女として貴族相手に生涯を終えるんじゃなく、もっと自由に困っている人の役に立ちたい……自由にグラシアを使いたい。鳥籠を出て自由に生きてみたいの」
叶わぬ夢に憧れを抱く無垢な少女のように、《我がまま聖女》はどこか遠い目をしている。
レオヴァルトは驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに頬を緩めてふ、と微笑んだ。
「その望み、必ず叶えてやる」
レオヴァルトは力強くうなづく。
そしてゆるりと笑みを浮かべたが、ユフィリアは視線をそらせた。
「でもレイモンドは、私の力の強大化を条件に出してきたんでしょう? そこはどうするの? 私っ、あなたとその……
ユフィリアのグラシアを強大化させるためには、夫となった者との性的な交わりが必要だ。
「私に考えがある。だがそれを話す前に確認しておきたい。人助けをしたいと言いながら、なぜ聖女の役割を放棄する? さっきから聞いていればやたら貴族を避けているようだが。貴族だって平民と同じでグラシアを必要としている。救いを求める者が目の前にいるのに、なぜ助けようとしないんだ。言っていることが矛盾してはいないか?」
レオヴァルトに非難の目を向けられているような気がした。
「そっ、それは……」
レイモンド司祭は貴族からの多額な金銭目当てで他の聖女が持たないユフィリアの
知らずに命じられるまま無駄にグラシアを消耗し続けた挙句、死なせてしまった幾多もの尊い命があった。
その命に報いたいがため、昼間は我がままで傲慢な聖女を装ってグラシアを温存している──そんなことを、今レオヴァルトに打ち明けるなんてできない。この男がレイモンド司祭とどのような関係にあるのかわからないからだ。
「今はちょっと言えない。レイモンドと繋がってるあんたのこと、完全に信用したわけじゃないし」
「レオヴァルトだ」
「っ?! もう、いちいちうるさいなぁっ。じゃあ……長いし呼びにくいからレオね? レオっ」
「ああ、それでいい」
ユフィリアは億劫そうに項垂れるが、レオヴァルトは嬉しそうにゆっくりまばたきをして頷いた。
「私がユフィリアを信用させられたら、治癒を拒む理由を話してくれるんだな?」
「レオ……は、私のことをただの傲慢なクズ聖女だって思ってるんでしょう? だったら理由なんてわざわざ聞く必要ないじゃない」
文机にもたれたままの黒騎士の腕が伸びてくる。
しなやかで綺麗な指先が、そっぽを向いたユフィリアの顎をくい、と持ち上げた。
「傲慢なだけのくだらない女に、万能の私が妻になって欲しいなんて頼むと思うか?」
目を眇めたレオヴァルトの形良い唇が、緩やかな弧をえがく。
耳に届くのは、まるで愛でも囁いているかのような、甘い響きを伴った低い声だ。
──え……っと。
なんなの、この