「何のことかしら。さっぱりわからないわ」
「伯父であるレイモンド卿に頼んで、モロー伯爵家の領地内に聖女の一時滞在所を設営するって約束させたのは、イザベラ、あなたよね。モロー伯爵領にはルグランの生家がある。そこにはルグランの病弱なお母様も。滞在所に聖女を置いておけば、いつでもお母様は病の治療ができる」
取り巻きの聖女たちが一斉に顔を見合わせる。しかし所詮はイザベラの崇拝者たちである。驚いて顔色を変えても、イザベラに不審な目を向ける者はいない。
ユフィリアとて、過去の事を今更とやかく問い詰める気はない。ただ、一刻も早くこの不愉快で不毛なやり取りを終わらせて、この場を去りたかった。
「……知らないわ」
「そう? ならいいけど。美しく聡明だと名高い筆頭聖女に見初められたうえに美味しい餌を目の前に吊るされたのだから、ルグランはもう断る理由がないわね。完全なるあなたの勝利よ。さあ、これで気が済んだでしょう、もう行くわ」
きびすを返したユフィリアの背中に、くくっ、と小さな笑い声が届く。
「そうだ、ユフィリア。もう一つ伝えたいことがあったのよ。あなたという人は、今度は何をしでかしてくれたの? レイモンド叔父様、もうかんかんでしたわよ」
「何をって、なに?」
「まさか自分がやった事さえ覚えていないとか?」
「もともとオツムが弱いとは思っていたけど、カビでも生え始めたのかしらね」
別の聖女が次々と嫌味を盛りつける。そんなものには少しも動じないユフィリアだが、イザベラが放った次の言葉に絶句する。
「教会の目を盗んで《悪鬼付き》の貴族様に精神治療を施し、金銭を受け取った」
「えっ?」
もちろん、ユフィリアの記憶に無いことだ。
「私、してない……そんな事……!」
「してないって言っても《事実》だもの。だって
──嘘だ。イザベラは嘘をでっち上げている……!
「イザベラ、あなた」
「ふふ、わたくしはただ叔父様に《事実》をお伝えしたただけ。ああ、そういえば」
信じられない、と呟く取り巻きたちのなか、アメジストの双眸を眇めたイザベラが続ける。
「叔父様のあのお怒りようだと『懲罰室行き』はどうやら免れなさそうね。気の毒だけれど!」
気の毒だと言っておきながら、イザベラの薔薇の唇には明かな微笑みが浮かんでいる。『懲罰室』と聞いた周囲の聖女たちが怯えたふうに目を見開き、恐々とユフィリアを見遣った。
「……懲罰、室」
一瞬にして頬が蒼白となったフィリアが、ごくりと喉を鳴らす。背中が冷たくなって、額にじゅわりと厭な汗が滲んだ。
*┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*
時はこの日の明け方にまで遡る。
自室に戻ると、レオヴァルトは部屋の広さにしてはやたら小さなスツールに腰をはめ込むようにして座った。額に手をやって項垂れると、大きな吐息がほうっ、とひとつ吐き出される。
「……いったいどういう事なんだ」
──私が見た《月の女神》は、確かにユフィリアだった。
昨夜も従者たちの居場所を探して教会の敷地を探っていたレオヴァルトだが、ネズミ一匹いないはずの裏庭に不審な影を見た。
気になってあとをつけると、黒いローブを羽織った人影は幾重にも折り重なった低木の茂みの中に入っていく。
距離を取りながら、息を殺して追っていく。しばらく行くと根元が微かに光る巨木があり、影はその手前で立ち止まった。
巨木の後方は堅牢な教会の塀が続き、この場所には四六時中、魔獣除けの結界が張られている。魔獣はもちろん人が通り抜けることもできない。
どうするつもりかと眺めていると、影はチラと周囲を見回してから、ローブのフードを下ろした。
──あれは……
派手なツインテール姿ではなかった。
おろした長い髪はたっぷりと長く、月光ともみまごうような美しい銀髪だ。
──ユフィリア……?