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14・騙されない


 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*



「ユフィ姉さまぁー!」


 くらくらする頭を抱えながらユフィリアが食堂に降りて行くと、見習い聖女のナディアがグリーンの大きな瞳をくりくりさせながら駆け寄ってきた。


 ユフィリアに憧れている、なんて奇特な事を言うナディアは、明るい栗色の髪をユフィリアと同じツインテールに結えている。そんなナディアが妹のように可愛く思えて、ユフィリアも日頃から気にかけているのだ。


「交流会、お疲れ様でしたっ。姉さまと一緒に食事がしたくて待ってたんです!」

「ナディア……お願いだから……大きな声を出さないで。頭痛がするのよ」

「頭痛って大丈夫ですか? そのくらいなら私でも治せるかもっ」


 言うが早いか、まだ身長の低いナディアが精一杯背伸びをして「えい!」と手のひらを翳してくるのを、ユフィリアは優しく制した。


「ありがとナディア。でも遠慮しとくわね。街の人が訪ねて来るかもしれない、グラシアはいつでも大事に取っておかないと」


 あっ、と何かに気づいたような表情かおを見せたあと、微笑んだナディアはこくりと頷いた。


「ユフィ姉さまのそういう真摯なところ、尊敬しちゃいます! それに——」


 胸の前で祈るようにして両手を組むと、頬を茜色に染め、意味ありげな上目遣いをユフィリアに向けてくる。


「あんなにすてきな人に見初められるなんて、やっぱり尊敬ですっ」

「すてき、な……って……誰のことかな……?」


 嫌な予感がして、ユフィリアは唇をヒクつかせた。


「決まってるじゃないですか、レオヴァルト様です! 私、交流会で見ちゃったんですよね……レオヴァルト様が子どもたちと戯れてるところっ。子どもが相手だと、聖騎士でも億劫そうな顔をする人が多いのに。レオヴァルト様はむしろ子どもたちを集めてみんなを楽しませてらっしゃいました。黒騎士って怖いイメージだったんですけど、レオヴァルト様は自分の子どもでも見るような、優しい眼差しで」


 ナディアは十三歳の少女らしい初々しさで、うっとりと瞳をとろけさせる。

 そう言えば聖騎士ルグランも小さい子を相手にするのは苦手だった……そんなことをつい思い出してしまう。自分もそうだから、今まで気に留めることは無かったが。


 一方でレオヴァルトの名を聞いてしまったユフィリアの頭痛が酷くなったのは、どうやら気のせいではないらしい。


「それに《魔力》を手品みたいに使えるなんて凄いです! 私、あんなの初めて見ました……っ」

「あぁ、なんか花とか鳥とか出してたよね」


 「はぁ」と小さく息と吐き、食堂の中央に円形に備えられたサーブスペースへと足を早める。食堂はガラガラにすいていた。


 サラダバーとスープバーに並ぶ食材はすでに残り少なかった。教会で振るまわれる食事はそもそも最低限の粗末なもので、マッシュポテトか硬いライ麦パン、メイン料理はわずかな鶏肉が主である。なので野菜だけはしっかり摂っておきたいところだ。


「急がないと。夕食の時間、終わっちゃうわよ」


 ユフィリアの隣でサラダ用の野菜を皿に盛り付けながら、ナディアはなおも続ける。


「レオヴァルト様、幼子の扱いに慣れていらっしゃる様子でした。小さい子がお好きなんでしょうね。おふたりの間に子供が生まれたら、間違いなく良いパパになってくれそうですぅ……!」


 レオヴァルトが彼にそっくりな赤子を猫なで声であやす様子がふと目に浮かび、「ぐふっ」と咳き込んでトングでつかんだ野菜を落としてしまう。頭痛がまたズキンと脈打った。


 ——ナディアが《パパ》なんて言うから、変な想像しちゃったじゃない!


「お……おふたりって、誰と誰のことかしら……」

「もちろんユフィ姉さまとレオヴァルト様です」


 きょとんと目を丸くしたナディアが平然と言う。

 ユフィリアとレオヴァルトは婚約関係にあるのだから、ナディアの想像はもっともだ……もっともだけれども。


「あのねナディア。婚約したからって、絶対に結婚するかって言えばそうじゃない場合だってあると思わない? 成婚式までに何らかの理由で婚約破棄ってことになるかも知れないし」


 何も知らないナディアのおかげで、不本意ながら昼間の交流会を思い出してしまう——それはユフィリアの頭痛の理由でもあるのだが——レオヴァルトのユフィリアに対する態度が、明らかにのだ。


「ユフィ姉さまったら、そんなに照れなくてもっ。レオヴァルト様ってば、暇があったらユフィ姉さまのこと見てるんだもの。愛されてるっていいなぁ……憧れちゃいます。私も十六になって聖女認定受けたら、すぐに恋人が欲しいです!」

「ナディアの夢を壊すようで悪いけど、私たち、そんなんじゃないのよ」


 ——クズとか無能とかけなされるのは平気。でものは平気じゃない。


 ふと気づけばレオヴァルトの視線が刺さる。

 ユフィリアが見返せばすっと目を逸らす。仕返しをすべく睨めつければレオヴァルトが落ち着きを失くして狼狽える……今日は半日そんな事を繰り返していた。


 ——私を監視してるっていうのはわかる。けどはいったい、何のつもり……?


 これまで他の聖女たちと同様にダメ出しを浴びせてきたレオヴァルトが、突然こんなことを言った。今朝も日課のごとくユフィリアを無能呼ばわりしてきた聖女に対してだ。


『東洋の古い格言で《脳ある鷹は爪を隠す》というものがあるのを知らないか? 有能な者ほどその力を隠すという意味だ』


 レオヴァルトは何故だが、今日は一度もユフィリアを《無能だ》と言わなかった。それどころか格言を持ち出してユフィリアを擁護するように見えたのは気のせいだろうか。そして極めつけはである。


『その髪……綺麗なのに、まとめてしまうのだな』


 そう言って腕を伸ばし、あろうことかユフィリアの髪に触れようとしてきたのだ。ユフィリアがのけぞって拒否したので相手も腕を引っ込めたが——《綺麗》だなんて、言われたことのない褒め言葉にぞくりと悪寒が走る。


 ——ユフィリアの綺麗なこの髪が好きだ。


 どこからか声が聴こえたような気がして振り返った。だが近くに声の主となるような男性がいるはずもない。

 同時に朧の記憶のなかで、自分を抱きしめた大きな手のひらにゆったりと髪を撫でられているような感覚に陥る。


 ——今の、なに……?


「ユフィ姉さま?」


 ナディアが訝しげに見上げている。

 はっ、と我に返ったユフィリアは幾度となく首を振った。


「ううん、なんでもない。あの黒騎士の話をしていたわね? ナディアが思うほど善い人かどうかわからないわよ。私もね、あの人のことはまだよく知らないの」


 えっ、とナディアが丸い眼を更に丸くする。


 ——綺麗だなんて思ってもないこと言っちゃって……! またレイモンドに諭されでもしたんでしょう。優しい言葉で手懐けて、とっとと結婚を承諾させろって。


 そう思えばなおさら、根拠もない褒め言葉が気味悪く思えてくる。


 ——子供たちへのふる舞いだって演技かもしれないじゃない。ナディアや何も知らない無垢な子たちに好印象を植えつけて何がしたいのかしら。あの悪魔レイモンドの手下のくせに。善人を装ったって、私は騙されないんだから……。



 食事を終え、日が落ちで暗くなった廊下をナディアととも歩いていた時だ。

「ぁ……」ナディアが声を漏らしたので顔を上げれば、聖女たちの寄宿舎の入り口でイザベラと彼女の取り巻きらがたむろしているのが見えた。


 イザベラも彼女の取り巻きの聖女たちとも極力関わりたくはない。反射的に目を逸らしたが、めざといイザベラがユフィリアを見過ごすわけがない。


「あら、あなたたち。随分と遅いお戻りね?」


 案の定、声を掛けられたが、ユフィリアは聞こえなかったふりをした。

 慌てたふうにイザベラに頭を下げるナディアに、ユフィリアは「先に行きなさい」と目配せをする。


「ひ、筆頭聖女さま、ごきげんよう……っ」


 空気を察したナディアが、身を低くしてイザベラたちの前を通り過ぎた。

 ユフィリアを気にして振り返るので、「いいから行きなさい」と視線で促す——イザベラの前を、ユフィリアが何事もなく通り過ぎられる筈はなかった。


「そうだわ、ユフィリア。あなたに話しておきたいことがあるの。こっちにいらっしゃい」


 優雅に手招きをするイザベラは、目を細く眇め、口元に冷たい薄ら笑いを浮かべている。



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