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13・月夜の女神

 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




 教会に住まう者たちがおおよそ寝静まった、深夜一時。


 ギン……!


 金属音に似た音が耳に届いたのを確かめて、ユフィリアは寝台に横たえていた身体をすっくと起こした。

 あの不快な音の正体は教会の正門に結界が張られる音で、明朝五時の時報を聴くまで、一般人は夜中に教会を訪れることができなくなる——同時に、中の者たちが外に出ることも。


 正門にまで結界を張るのは門番を休ませるため、というのが表向きの理由だが、実際のところは動ける人員の少ない夜間は一般人を遮断して、教会に多額な寄付をする金持ちの都民や貴族の緊急事態に備えて上級聖女の手を空けるためだとユフィリアは知っている。


 長い睫毛に縁取られた、マリンブルーの宝石をはめ込んだような瞳はぎんぎんに冴えていた。眠い目をこする朝とは真逆に。


「……よしっ!」


 気合いを口に出せば、ぴん、と糸を張るように《戦闘大勢》のスイッチが入る。

 薄い夜着のまま背筋を伸ばすと、腹の前に広げた片手のひらに意識を集中させた。


 ユフィリアの手のひらの上に小さな丸い光の粒が現れる。シュルシュルと音を立てながら青白い光は次第に大きくなった。

 そのうち、ぼわん、と一気に成長したかと思うと、手のひらに収まりきれなくなった光がぱあっと弾け飛ぶ。

 フィリアのたっぷりと長く美しい髪が、冷気をはらんだ青白い風に大きく靡いた。


 弾けた光に包まれたユフィリアは、もはや夜着姿ではない。

 きらめく銀糸の刺繍が美しい純白のローブを纏い、意思の強さを放つ瞳を凛然と見据えた《月夜の女神》が立っていた。




 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




「ポメラ、急いで……今夜は雨が降りそうよ」


 焦り気味の声に応えるように、ユフィリアを背中に乗せた巨大な銀狼——ポメラは、ちら、と背中に視線を送る。


『ご主人さま。ぼくね、今日はすごーく頑張ったんだよ。いっぱい病気の人、見つけたの。怪我して困ってる人たちも見つけたよ。ねぇ、ほめてほめて……!』


 ユフィリアが「ポメラ」と名付けた銀狼種ぎんろうしゅの魔獣は、男とも女ともつかない幼子おさなごの舌っ足らずな声で甘えてくる。ポメラ本人いわく『おす』の分類だそうだが。


「そっかぁ、よしよし、偉い偉いっ」


 背中を優しく撫でると、ポメラは嬉しそうにもふもふの被毛を震わせる。


「でも、いくら昼間はただの子犬の姿してるからって油断しちゃだめよ? 貧民街ってところは、普通じゃ想像できないような乱暴なことする人だっているんだから……」


 病や怪我で弱っている者は問題ない。

 けれど『飢え』という残酷な渇きゆえに動物を捕まえて食べたり、生き延びるための苦悩と苛立ちを弱者にぶつけたりする輩も多いのだ。


 かく言うユフィリアも、人助けをしているはずが『偽善者』と罵られ、ナイフで切りつけられた。幸い——と言うか、聖女の力ですぐに傷は治癒できたのだが。


『だいじょうぶだよ。もし襲われたら姿にもどって、逆に襲って牙で切り裂いてあげる』


 舌っ足らずな声でなかなか恐ろしいことを言う。


「襲うなんてダメよ、魔獣への嫌悪感を強めるだけ。あなたみたいな優しい魔獣だっていることを、人はもっと知るべきなの」


 雲隠れしそうな月を背負って夜空を駆けぬける銀狼の背中を、ユフィリアはそっと撫でた。


 人々は、ただ魔獣だと言うだけで大騒ぎをし、殺そうとする。恐ろしい見かけをしていると言うだけで判断を下し、その本質を《善》と《悪》との二つに分類しようとする。

 魔獣にだって人と同じくらい繊細な《感情》があって、ポメラのような優しい子もいるのだ。


『わかった。人間に襲われても何もしない。もしぼくが怪我したら、ご主人さまに治してもらう。初めて会ったあの日みたいに、治して元気にしてもらう……!』


「ふふ、治すのは構わないけど、素直でかわいいポメラに危ない時に取るべき、最っ高に有効な手段を教えてあげる。それはぁ……」


 ポメラがふんふん、と鼻を鳴らす。


「とっとと逃げること!」

『ええ〜っ、もっとすごい事かもって期待しちゃった……』


 ふふ、と知らずに笑みがこぼれる。


「なに言ってるのポメラ。は、最強よ?!」


 銀色の長い髪が朧月夜にさらさらと煌めいている。普段は去勢を張るように見た目が派手なツインテールを結えているが、下ろした髪をこうして夜風に遊ばせるのはとても気持ちがいい。


 貧民街で病める人を治癒し続ければ、翌日はすぐに起き上がれないほどに疲弊する。それでもユフィリアは自らを鞭打つように病める人を求めて月夜を駆ける。


 そのためには、昼間はなるべく聖女の力——グラシアを温存する必要があった。


 ——昼間に無駄なグラシアを使って動けなくなるくらいなら、私は《クズで無能な聖女》でかまわない。


 ユフィリアの眼裏まなうらにはいつも、悪夢の中で『お前のせいだ』と群がる赤黒い屍があった。幼さのせいにして「知らなかった」と、もう理由づけなどしたくはない。


 ——自分にしかできないことを、精一杯やる。それでも許されないのなら、グラシアを死ぬほど使って使い尽くしてから、この命をくれてやる。


 倒れそうなほど疲弊しても、暁を見る頃までには教会に戻らねばならない。

 教会に張り廻らされた結界の抜け穴を見つけたのは、敬愛する大司祭様のおかげだ。


 ——あのモップみたいに垂れ下がってる眉毛がかわゆいのよね♡ 


 大司祭様が結界の抜け穴を使っているところを目撃しなければ、こんなふうに教会を出入りするのは不可能だったろう。


 ——まぁ……あの時は大司祭様の後をたって、言えなくもない……けど? だってお一人でいらっしゃるとこ初めて見たんだもん。よぼよぼの足取りで、一人きりで転んじゃわないか心配にもなるでしょ、そりゃあ。


 ユフィリアは大司祭様の見守りの幸福な機会を与え賜うた《神という名の見えない存在》に心から感謝した。


 見守りという言葉に連なって、まるで監視役のようにユフィリアに付きまとう黒騎士レオヴァルトの面輪が浮かんだ。


 ——付き添いは自分の義務だ〜とか何とか言っちゃって。ったく……なにが義務よ。レイモンドに指図されて、私を見張ろうったってそうはいかないんだから。


 明日は聖都の子供たちを招いての《お遊び会》が教会で催される。

 ユフィリアはあまり子供が好きではない。というか、接し方がわからないのだ。

 なにせ子供の頃、誰かに遊んでもらった記憶も、人に優しくしてもらった記憶もないのだから無理もない。

 聖都の民と教会聖職者の交流会のようなものだが……控えめに言っても気が重い。


「う〜ん……あの黒騎士、交流会にもくっついて来るつもりかしら」

『ご主人さま、どうしたの、だいじょうぶ?』


 ポメラが心配そうにもふもふをぶるりと逆なでる。

 ユフィリアの不安が伝わったのか、空にかかる黒雲が、いつの間にかうっそりとぶ厚くなっていた。



「ん? ああ、雨……降りださなきゃいいね」




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