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10・グレースの憂鬱(2)


「ん——。なんか思ってること吐き出したらスッキリした。聞いてくれてありがとね、グレース!」


「えっ、えええ——っ?!」


 ユフィリアの切り替えの素早さには感心してしまう。

 空になったグラスをテーブルの上に置くと、ユフィリアは両手を高く掲げて頭の上で組む。そして「んあぁぁ!」と大きく伸びをした。


「くよくよしてたって仕方ないもんね、頭切り替えるわ! あのいけすかない黒騎士も、どうにかしなきゃだし」


 泣き出しそうだった表情はどこへやら。

 今度は悩ましげに眉を顰め、思案に暮れている。


「っ、あの黒騎士って……」

「うん。なんか勝手に婚約させられちゃったみたい」


「えええ————っ!」


 グレースの頭が追いついていない。


「ほら、私って神聖力が微弱すぎるでしょ? だから教会側は早く結婚させたいんだと思う」


 特にあのレイモンドがね、とユフィリアはウィンクしながら付け加えた。


「じゃあユフィは、知らない男の人をいきなり婚約者に仕立て上げられたってこと? 確かにユフィの《心の病を治す能力》は唯一のものだけれど……そこまでしてユフィひとりの力を増幅させたいって理由が、よくわからないわね?」


「さすがグレース。それは私も疑問なのよね…… しかも、なぜか黒騎士」


 ——おまえが聖女として無能だからじゃないのか。

 レオヴァルトの嫌味な微笑みが浮かんで、ユフィリアはむっ、と唇を尖らせる。


 大聖堂で卒倒しそうになった時、

 『ユフィリア。』

 自分の名を呼ぶ声を耳の奥で聞いたような気がした。

 《予知夢》で聞いた声のはずなのに、どこか懐かしさを覚える……そんな不思議な感覚にとらわれた。


「王弟、陛下……?」


 思わず口を突いて出た言葉にグレースが首を傾げるのを、「ううん何でもない」とふるふる首を振る。


「でも、彼。遠目に見ただけだけれど、ワイルドな感じがちょっとかっこよくなかった?」


 かっこよい、という言葉にユフィリアは世界が終わったような声で「グレース……」と反論する。


「なに言ってるの、ちゃんと見えてた? ワイルドって言えば聞こえはいいけど、身だしなみに気を配ってないだけでしょう」

「ふふ、魔獣を討伐するのがお役目の黒騎士だもの。身だしなみなんて気を配っていられないのよ」


 他の聖女たちがレオヴァルトの身なりが見すぼらしいだの穢れているだのと散々ばかにしたものを、グレースは聖母様のような優しさで庇護しようとしている。

 そんなグレースに改めて尊敬の眼差しを向けながらも、ユフィリアの見方は懐疑的だ。


「グレースは知らないからよ、あの黒騎士のいけすかなさを」


 ユフィリアが来るのを待ち構え、事情も告げずに既成事実を作らせたあの黒騎士は間違いなく教会、つまりはレイモンド卿の差し金だ。


 婚約させられてしまったものは、どうしようもない。

 けれどさすがに結婚の儀式までユフィリアが知らぬうちに、とはいかないだろう。


「拒否権がないとか言ってたけど。正式な結婚を拒みさえすれば、まだ争うチャンスはあるはずよ? あの黒騎士が教会とどんな契約結んだのか知らないけど、残りの長い人生棒に振るような夫婦生活なんて誰だって望まない。こうなったらとことんクズっぽく振るまって、黒騎士あっちから断らせてやるっ……こんな《クズ聖女》との結婚なんかお断りだって……」


 テーブルの上に組んだ両手をポキポキと鳴らし、ユフィリアは瞳に炎のような闘志をみなぎらせる。


 ——ユフィがクズ聖女のレッテルを貼られるのはいや

 なのにユフィったら、クズを加速させようとしてる……っ


 「ふっふ」と不適な笑みを浮かべる親友に微笑みを返しながら、グレースは冷や汗を滲ませた。




 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




 寝台に腰掛けたレオヴァルトは、窓際に置かれた小さなテーブルを呆けたように見つめていた。

 四角い窓辺から差し込むまばゆい朝陽が、殺風景な部屋の隅々までを容赦なく照らし出す。


 レオヴァルトは思う。

 この強烈な暁光が、暗鬱とした心の影さえも消し去ってくれればいい。


 テーブルの上に置かれた騎士服の銀製の装飾が煌めいている。

 金属板で繊細に構成された艶やかな肩当てやゴーントリットが、陽光を反射して眩しいほどの光を放っていた。


 ——こんなもの。


 水も食事も、この華美な騎士服も。

 教会から与えられるものは全て、レオヴァルトの従者三人の露命ろめいの上にある。


 水を飲むたび、食事を口にするたび……そしてあの聖女と関わるたびに、レオヴァルトの胸は軋み、救いようのない恐怖と嫌悪感とに悪寒が走るのだ。


『レオヴァルト様ッ、我々のことなど構わずお逃げください!』


 彼の豪快で屈託ない笑顔が好きだった。

 追われながら血走った双眸を見開いていたゲオルクの声を、もう二度と聞くことは出来ない。


 ——どこにいるんだ……ケイツビー、ザナンザ。


 レイモンド卿に囚われた残りの二人を案じるレオヴァルトは、膝の上で握りしめた拳を射るように睨んだ。

 そんなレオヴァルトですら、教会という名の牢獄の中にいる。監視の目を盗んで内部を探ってはいるものの、彼らの居どころは一向に掴めない。


「くそ……ッ」


 全ては、あの忌まわしい日。

 レイモンド卿を魔獣から救ったことが始まりだった。





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