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9・グレースの憂鬱


 扉を開けて、うつむきがちな親友を部屋に招き入れた。

 大きな犬の耳のように見えるツインテールがしゅんと萎んでいる。


「ユフィ……?! どうしたの、顔色が悪いわ」

「ううん、平気。疲れてるのにごめんね……ただ、ちょっと落ちてて。グレースの顔を見たら元気になれるかと思って」

「私とあなたの仲じゃない、そんな遠慮しなくていいのよ。私もちょうどあなたの部屋に行こうと思ってたとこなの」


 グレースはユフィリアを窓際のテーブルに座らせると、「美味しいジュースがあるんだった」と部屋に備え付けのパントリーに向かった。


「会ったらまずお祝いを伝えようと思っていたのよ、ユフィ。婚約……したのよね? おめでと……っ」


 グラスと葡萄ジュースをトレイに乗せたグレースが笑顔でユフィリアの隣に腰掛ける。婚約の話題にはふれず、ユフィリアの表情は相変わらず硬いままだ。


「あのね、ルグランの事なんだけど」


 グレースはジュースをグラスに注ぐ手を止めた。

 透明な硝子の中でワインレッドの水面みなもがゆらゆらと揺蕩たゆたっている。


「そろそろ全部、忘れた方がいいのかな……って」

「ユフィ………」

「イザベラが、ルグランとの婚約を早めるかも知れないって」


 聖都にタウンハウスを置く貴族出身で爵位を継がない男児の志願者は、二十歳になると結婚するまでの数年間、聖騎士として寺院や教会に奉仕する。

 なかでも聖女がいる中央大聖堂を志願する者は多い。聖騎士は有能な聖女との結婚を目的とする者が多く、大人気な職業だ。


 はじめは聖騎士になんか目もくれず相手にしなかったユフィリアに、ルグランは毎日のようにモーションをかけ続けた。


 ——君は他の誰より愛らしい。

 少し力が弱いくらいが庇護欲をそそる、僕にはちょうどいい。

 媚を売って近づこうとする女性は苦手だ。君のつっけんどうな態度がむしろ可愛い。

 君が好きなんだ、付き合ってほしい。


 聖騎士の中でも、聖女たちからピカイチの人気を誇る美丈夫から毎日のように告白を受ければ、いくら色恋に興味がなかったユフィリアでもその気になってしまう。


「私っ……今までルグランの何を見てきたんだろう」


 聖女が十八歳になると恋仲の聖騎士と婚約し、ふたりで怪我人の治療に出掛けたり、教養や夫婦となるための《交わり》の教育を受ける。そして聖女が二十歳の成人を迎えた時点で結婚するのがならわしだ。


 十八歳になって告白を受けたばかりのユフィリアと、二十一歳のルグランとの恋愛期間はさほど長くはない。

 けれどユフィリアにとってルグランは、初めて自分を『守る』と言ってくれた頼れるべき騎士だった。


「誰よりもルグラン様が、あなたに婚約を申し出るものだと思っていたのに」


 ひと月ほど前、筆頭聖女イザベラが聖騎士ルグランに夢中だと流れ聞いてから、イザベラとルグランが連れ立って歩く姿が度々目撃されていた。


「イザベラが強引に迫ったのよ。だってルグラン様がそう言ってたんでしょ?! イザベラが言い寄ってくるから仕方なく一緒にいる、自分が好きなのはユフィだって………」


 ユフィリアがふるふる首を振れば、ツインテールもつられて小刻みに揺れる。


「ルグランは初めから私じゃなく、イザベラが目当てだった。イザベラの気を引くために、私を利用したんだと思う」


「そんな……」

「今朝、私が大司祭様から婚約宣言を受けたのは知ってるでしょう? 私のことがまだ本当に好きなら、イザベラを振り切ってでもなぜ婚約したんだって私を問い詰めても良かった。そんなそぶりすら見せずに、ルグランは……」


 婚約おめでとう。

 よそよそしく目を逸らせながらそう言った。


「容姿端麗で文武両道の聖騎士たちのなかでも、ルグラン様は目立ってる。聖都の女性たちはもちろん、聖女たちにとっても憧れの存在だもんね……イザベラに目をつけられても仕方がないかもしれない。でもひどいわ、ユフィだってルグランのこと……っ」


 あれが『恋』だったのかは正直わからない。

 けれど周囲に堅牢な壁を作るほど頑ななユフィリアも、ルグランには心を許していた。


 心の霧を晴らそうとするように、ぎゅ、と目を閉じると。

 ユフィリアはテーブルの上のグラスを取り上げて、半分ほど入ったワインレッドの液体をぐぐっと一気に飲み干した。


「ぷはーーーーっ!」


 飲んだくれが酒場でエールを一気飲みするような飲みっぷりに、グレースは丸い両目を見開いた。お酒を飲んだわけでもないのに、ユフィリアの目がすわっている。


「ゆ、ユフィ?!」



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