イザベラの登場に驚きの表情を見せたユフィリアだが、すぐに目を反らせた。
湧き上がる感情を抑えようと唇を噛み締めている。
そんなユフィリアの反応を楽しむように微笑みながら、イザベラは尚も続けた。
「この婚約。ユフィリアのあまりに微弱なグラシアを、教会が案じてのはからいでしょうけれど? まさかあなたに先を越されるとは思っていなかったわ。私のグラシアは今でもじゅうぶん強力だから、結婚は急がなくてもいいってレイモンド叔父様はおっしゃっているけれど……私たちも婚約の宣告日を少し早めようかしら? ねぇ、ルグラン様っ」
ぴったり寄り添う聖騎士に甘ったるい眼差しを向ける。
イザベラの腕に絡めとられた聖騎士ルグランもまんざらではないようで、照れたような笑みを浮かべながらイザベラを見つめ返した。
「ああ、でも私……これ以上グラシアが強大化したら持て余してしまうかも? でもまぁ、グラシアの加護は強力なのにこした事はありませんものね」
聖女の治癒力であるグラシアの力は、聖女が結婚して夫と交わると強大化することが知られている。
そういえばレオヴァルトが今朝、同じようなことを言っていたのをユフィリアは思い出していた。
筆頭司祭レイモンド卿の姪であるイザベラが言うのだから、黒騎士との望まぬ婚約は、教会がユフィリアのグラシアを強大化させるために仕組んだもので間違いないだろう。
──でもっ、なんで黒騎士……。
そこだけはどう考えても理解が追いつかない。
王族に望まれでもしない限り、聖女は聖騎士と結婚するのが常である。わざわざ、黒騎士を連れてきて、くっつけなくても。
それにこの黒騎士、教会とはどのような関わりだろう。
黒騎士といえば、魔獣討伐の報酬目当てで国をも問わず、各地を放浪しているはずじゃないのか。
「そうだ、ユフィリア。あなたの
レオヴァルトは、先ほどから持論をまくし立てている美貌の聖女を見やり、次に彼女の隣でそわそわ落ち着かない聖騎士に視線を移した。
他の聖女はユフィリアがこのルグランという聖騎士に《推し活》をしていたと言った。《推し活》の意味はレオヴァルトでもなんとなくわかる。
要するに、ユフィリアはこの聖騎士を好いている。
──ユフィリア?
『わがままで傲慢な聖女ユフィリア』は、先ほどから何を言われても唇を閉ざし、俯いている。
傲慢なくせに何も言い返さないのだろうか。これではまるで非力な小動物が、白い蛇にジリジリと巻かれているようではないか。
そんな異様な光景に、レオヴァルトは目を眇めた。
「……あらまぁ、どうしちゃったの? いつもあれほど《無駄に元気いっぱい》ですのに。ああ、わかった! 昔からずっとあなたの《推し》だったルグラン様に、婚約者を紹介するのが恥ずかしいのでしょう、そうなのでしょう?」
一人芝居を続けるイザベラは柔らかな微笑みを絶やさない。誰に遠慮することもなく、内面から湧き上がる黄色い感情を余すことなく放出し続けていた。
「そうだわ……! ねぇ、ルグラン様。あなたから婚約のお祝いの言葉を贈って差し上げれば? ユフィリアにいつもの《元気》が戻るかも知れないわっ」
レオヴァルトが視線を斜め下に落とせば、ひゅ、と小さく息をのんだユフィリアがようやく顔を上げるのが見えた。
どこか怯えたようなその表情に驚いてしまう。
傲慢なはずの聖女は——まるで好いている相手から無碍な断りを受ける前の、純真無垢な少女の顔をしていた。
「あの、ユフィリア……その、婚約おめでとう」
そしてレオヴァルトは聖騎士の物言いに呆れた。
ユフィリアに負けじ劣らずの青くささ。
おまえは陳腐な恋愛小説に登場する当て馬役かとツッコみたくなる。
「………っ」
銀色のツインテールがくるりと宙に円を描いた。同時に、レオヴァルトの視界からユフィリアが消える。
レオヴァルトとイザベラ、ルグランは、唐突に背を向けて早足に遠ざかっていくツインテールの背中を唖然と見送る格好になった。
「あら? ユフィリアったら、どうしちゃったのかしら。きっとあんまり嬉しくて、ルグラン様の顔を見るのが恥ずかしくなったのね。えっと、あなたは黒騎士の……」
ユフィリアという標的がいなくなると、人差し指を立てて唇に寄せたイザベラは、今まで一瞥もくれなかった黒騎士に媚びるように首を傾ける。
「………………レオヴァルトだ」
面倒くさいと思いながらも、ボソリと呟くように応えた。
レオヴァルトを上から下まで値踏みをしたイザベラは、ふぅん、と小さく鼻を鳴らす。
「あなた、黒騎士と言うからには魔力の使い手でしょう? 身体も大きいし、何だかとっても強そうだけれど、今後は教会に身を置く者の自覚を持つべきね。仮にも聖女の婚約者という立場上、もう少し《身なり》には気をつけなさい」
言葉が終わりに近づくほど、声色が冷ややかさを帯びていく。最後はまるで、立場の上の者が下の者にくだす命令のようだった。
「大聖堂一の美丈夫、聖騎士ルグラン様のようにねっ」
そうかと思えば聖騎士を見上げて甘ったるい声を放つ。
──なんなんだ、この女は。
レオヴァルトは終始無口を貫いていた。
こいつらに声を聴かせるだけの労力すら無駄であり、億劫だ——それでも。
レオヴァルトの眼裏には、今にも泣き出しそうなユフィリアの顔が浮かんでいた。
「イザベラとか言ったな。筆頭聖女だか何だか知らないが、私の身なりを諭す前にあなたも一端の聖女として、人の心の痛みを察する能力でも身につけた方がいいんじゃないか」
彼らの関係性をレオヴァルトはよく知らない。けれどこの筆頭聖女がユフィリアの想い人に言葉を迫った挙句、ユフィリアが傷ついたのはわかる。
あぜんと口を開けた聖女と聖騎士を背中に見て、レオヴァルトはその場を後にした。
「あの黒騎士……ユフィリアに似て、
今度はイザベラがひゅ、と喉を鳴らす番である。
立ち去る黒騎士の背中を睨むように見送りながら、ルグランの腕に回した自分の腕に、ぐ、と力を込めた。
*┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*
聖女の加護を求めて次々とやって来る人々の治癒に翻弄される一日が、今日も終わろうとしていた。
「ふあぁ」と大きく息を吐きながら、グレースは自室に置かれたベッドに勢いをつけてダイブする。
南から渡ってきた移民が聖都に持ち込んだ流行病のせいで、教会の
重篤な病や怪我は中級以上の聖女が出張などで治癒にあたるため、流行病の治癒はグレースたち下級聖女の役目だ。
命をうばうほど重篤にならない病ではあるものの、一人を治癒すれば数時間は寝たきりになる。治しては休み、また治すを繰り返しているうちに、あっという間に日が暮れた。
「……ユフィっ」
怒涛の一日を終えて落ち着けば、親友への想いがどっと頭にのぼってくる。
ユフィリアが卒倒しそうになったのも、自分の治癒力が弱かったせいではなかろうか。背中の傷の治りが悪いのも気がかりだった。
今朝の礼拝でユフィリアの突然の《婚約宣告》を聞いたグレースだが、その後ユフィリアには会っていない。礼拝を終えてすぐ神官に呼び出され、聖都への遣いを頼まれてしまったからだ。
それにしても、昨夜ユフィリアの部屋を訪れた時には、婚約宣告を受けるなんて話は聞かなかった。それどころか、今まで黒騎士の「く」の字すら会話に登場したことはない。
「ユフィったら、いつの間にあの黒騎士と……」
幼い頃から教会で共に育ち、お互いに何でもすぐに打ち明ける仲なので、グレースはユフィリアの生理周期まで知っている。ユフィリアが自分の事なら何でも知っているように。
ユフィリアの部屋を訪ねてみよう。
そう考えていたところに部屋のドアをノックする音がした。
慌てて扉を開けに走れば、いつになく頼りない親友の声が、ドア越しにかろうじて聞こえたのだった。
「グレース……私よ、ユフィリア。ちょとだけいいかな……」