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5・司祭の画策(2)


 しかも他の神官たちより頭一つぶんは背が高い。今まさにこちらを向いている大司祭様から見れば、異質なのは一目瞭然であろう。

 あまつさえ周囲の若い神官や聖女見習いたちが目を剥いて、互いにコソコソと囁き始めているのだ。


 ——やばいやばいやばい。

 やっぱり黒騎士なんか連れて入るべきじゃなかった……!


 己の浅はかさを全力で呪いたくなる。

 大司祭・セントルグリエット様といえば、中央大聖堂に従事する神官や司祭たちの最高位にあたるお方である。神の化身と称えられ、ユフィリアたち古株の聖女でも話しかけることすら許されない。

 要するに、著名な教会関係者が一堂に名を連ねる巨大なピラミッドの、いちばんてっぺんに鎮座される神がかった存在なのだ。


 もしも黒騎士を連れて入ったのがユフィリアだと大司祭様に知られれば……。

 罰を受けて教会を追い出されるのならそれも好かろう、むしろ望むところだ。

 けれどあの腹黒い筆頭司祭・レイモンド卿は金儲けの道具をそう簡単に手放しはしない。グレースに治してもらったばかりの背中に、更なる傷跡を増やすだけだ。


 ——ここを出よう。こっそり入ってこられたのだから、こっそり出ていけるはず!


 額に冷や汗を滲ませながら黒騎士を見上げれば、黄金色きんいろの双眸がギロリとユフィリアを見下げてくる。


 『出るよ……?』


 顎で出口を促して(通じていれば!)、黒騎士の腕を引っ張った……のだが。


 微動だにしない。

 反対に、顎で何かを促される。

 くい、くい、と黒騎士の顎が指し示すその先にあったのは——白髪を肩まで伸ばし、白い髭を口元に湛えた聖ルグリエット卿がこちらを凝視する視線であった。


 ——終わった。


 がくん、と項垂れるユフィリアの耳に、よく通る低い声が届く。

 ユフィリアのみならず、大聖堂に集められた百名を越す聖職者たち一同が、天まで届きそうな礼拝堂の大空間に響くその声を聴いていた。


「聖女ユフィリア・ダルテ。そして黒騎士レオヴァルト・ヴァルドフ。前に出なさい」


 たましいの抜けがらになったユフィリアは「はい」と応えたつもりだったが、声にはならなかった。

 なのに黒騎士——レオヴァルトは、


「ははっ」


 と、何故だか堂々と礼を取っている。

 利き腕の拳を胸に充てるのは、相手に忠誠を誓うというしるしでもあった。


 ——ばかなの……。

 絶体絶命の場で堂々としていられるなんて。

 私たち、これからどうなるかわからないのよ。

 あなただって、神聖な大聖堂に穢れを持ち込んだ罪に問われるかもしれないのよ……!


 ユフィリアのあたふたを気にも留めていない様子のレオヴァルトは、下を向いて何やらぶつぶつ言っているユフィリアを「ほら行くぞ」と促した。


 大司祭様の面前なので声をあげての騒ぎにはならないが、祭壇前の長椅子に腰掛けた聖女たちがあからさまに冷たい視線を向けてくる。大聖堂の両サイドに並んで立つ聖騎士たちも、一様に眉を顰めた。

 司祭、聖女、聖騎士、神官。百名を越す聖職者たちの好奇の視線に刺され、レオヴァルトの背中に隠れながら幽霊のように影を薄くしたユフィリアが続く。


 あろうことか、ここに立てと促された場所は、聖ルグリエット様のお隣だ。


 ——大司祭様に諌められるくらいなら、ギロチンで処刑された方がましだわ。


 いつもは元気に跳ねているユフィリアのツインテールは、しゅんとしぼんでいた。

 大聖堂に祀られているセントファラエル神の彫像が、たおやかな表情でユフィリアたちを眺めている。


「頭を下げて、目を閉じなさい」


 八十六歳の御代を迎えられた老齢の大司祭様の、荘厳とも言える声が心地よく響いた。

 言われるままに目を閉じ、頭を下げる。

 もうどうにでもなれと、自暴自棄を決め込んだユフィリアには、何が起ころうとしているのかを考える余裕すら消え失せていた。


 大聖堂の隅々まで見渡した大司祭様は、こほんと小さく咳ばらう。


「皆の者、安心なされよ。ここに居る黒騎士の穢れは、すでにセントファラエル神の御許において祓われている。今後は教会と聖女ユフィリア・ダルテへの忠義を誓う者として、ここに立つ黒騎士は聖騎士と同等の待遇を与えられるものとする。すなわち聖騎士と対等に扱われると心得よ。」


 ——どういう事……っ


 ファラエル神の彫像前に組まれた巨大な祭壇には、穢れなき心を誓う純白のマランの花が飾られていた。その中の一本を手に取った大司祭様が、それをユフィリアとレオヴァルトの頭上に翳す。


「我、ルグリエット・ミラ・ファラエルは、セントファラエル神の名において、ここに黒騎士レオヴァルト・ヴァルドフと聖女ユフィリア・ダルテの婚約を認めるものとする」


 ——なんですって……?!


 瞬時に大聖堂の空気がざわめいた。

 中央大聖堂に属する聖女が王族、聖騎士以外の——ましてや黒騎士との婚約が認められるなど、前代未聞に等しいからだ。


 顔を上げて祭壇の奥を見れば、勝ち誇ったように口角を上げ、不適な笑みを漏らす筆頭司祭レイモンド卿が見えた。


 ユフィリアが婚約を拒むのなら、聖職者たちの面前で既成事実を作ってしまえばいい。大司祭様からの聖なる宣誓を受けたともなれば、ユフィリアの一存で婚約を逃れるのはもう不可能だ。


 ——嵌められた。

 ユフィリアがそう理解するのに、時間はかからなかった。




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