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第六話 二

「楽しんでるところ悪いが、その手離してくれるか」


 その声は突然、未來の背後、少し上から降ってきた。

 急に呼ばれたことに驚き、振り返ると。


「何だお前」


 腕を引いていた男が、威嚇する様に声を飛ばしたその先にいたのは。


「岡田先生」


 未來が探していた、その人であった。

 別れたときには両手に持っていた、たこ焼きとイカ焼きは、食べ終わったのだろう。

 身軽になった渋也は、まっすぐに未來たち三人を見据えていた。


「「先生!?」」

「不本意ながらな。高校教師なんだよ」


 驚く二人の男に、渋也がうんざりしたような声を出す。


 不本意というのは、私の教師なことだろうか。

 それとも、高校教師であること自体だろうか。


 そんなことを考えていると、渋也はすっと未來の斜め前に立ち、掴まれていた手を外してくれた。


「学祭で浮かれるのもわからんでもないが、限度があるぞ」

「限度って……」


 渋也の言葉の意味がわからないのか、男が怪訝な顔をする。

 と、渋也は男を払うように手を振って。


「自分のレベルに見合った女引っ掛けられねえならナンパなんてやめとけっつってんだよ」


 その言葉に、男たちは一瞬未來に目をやった。

 だがもう白けてしまったのだろう。

 互いに顔を見合わせて、その場を去っていく。

 喧嘩や言い合いにならないのは、大人だからだろうか。

 それとも渋也が遠回しに、アホを狙うなと言ったからだろうか。

 渋也や草太に言われ続けて自覚はあるので、とくに怒りは生まれない。

 それよりも。


 ――あ、っていうか、今のナンパだったんだ。


 握られていた手首を見て、未來はやっと、なぜ男が手首を掴んだかを理解したのだった。


 ※


 つかず離れず先を歩く渋也を、未來は大股で追いかけている。


「お姫さんは高校生にもなって一人で歩くこともできねーのかよ」


 振り返らないまま、呆れたような声が飛んできて。


「すみません」


 思わず謝ると、渋也の目線だけが、未來を向いた。


「保護者はどーした」

「あ、いえ。私が先生を探しに来たんです」


 そう伝えた途端。


「ああ?」


 渋也が足を止め、振り返った。

 驚きぶつかりかけながら、未來も慌てて立ち止まる。


「ええと、あの」


 まさかこんなふうに、ちゃんと聞いてくれようとするなんて思ってもいなかった。

 ゆえに、話す準備ができていない。

 それでも未來は、どうにか思考をまとめて、口を開いた。


「先生って、死んでほしくない人とか、いますか?」


 渋也をまっすぐに見上げて問う。

 が、渋也は何も答えない。


「もしくは、身近で死んじゃいそうな人、とか」


 目を逸らさず続けて聞いても、特に反応はなかった。

 それどころか、渋也の体のどこも動かない。


「あの」


 未來は片手を持ち上げた。

 まるで彫像のようになってしまった渋也の体をポンポンと叩いて、気づいてもらおうと思ったのだ。

 しかし伸ばした手が触れる前に、渋也は深いため息をついた。


「お前、辞書でデリカシーって単語を引いてこい」

「う……」


 やはり、聞き方が悪かったのだろう。渋也を探している間に考えておけばよかった。

 でも、私、そんな器用なことできる人間じゃないし……と思っていると、渋也は呆れたように左手で頭をかきながら、未來にこう尋ねてきた。


「で? 何か変な本でも読んだのか?」

「そういうわけじゃないですけど……」

「んじゃ何だよ」

「その……ええと……」


 未來を見据える渋也の前で、未來は必死に言葉を探した。

 私はこういうやり取りが本当に苦手なんだなあと実感しつつ、なんとか思いついた返事は。


「その内先生がお墓の前に立っているような気がして?」


 予知夢の本筋に触れた内容なので、夢のことがばれないようにと思ったら、こんな言い方になってしまった。


「……変なもん食ったか?」


 怒るでも呆れるでもなく、真顔で聞く渋也に「食べてません……」と答える。

 納得してもらえるはずなんて、もちろんなかった。


 ※


「おいお前ら」


 渋也に連れられて、やっと三人の元に帰ると、瑞葉が嬉しそうに立ち上がった。

 テーブルの上には屋台で買った食べ物がある。

 どうやら、三人でずっと食べていたらしい。


「ミライ!! 遅かったね!!」

「ごめん、お待たせ」


 そんなに時間が経ってしまっていただろうかと、未來は少しだけ困ったような顔をした。

 相変わらず、周りが見えていないのかもしれない。

 そう考える未來を余所に、渋也は瑞葉と煌綺と草太に向かって口を開いた。


「お姫さん一人でほっつき歩かせんな」

「先生、その姫ってやめませんか」


 できれば普通に呼んでほしい。

 そう思い、未來は無表情で言ったのだが。


「だったらもう少し一人で生きていけるようになれ。今日日小学生でも知らない奴について行ったりしねえよ」


 そう追い打ちをかけられて、何も言えなくなってしまった。

 渋也の言葉が正論であることは、理解しているのだ。

 そういえば、野川くんにもしっかりしろって言われたなぁ……と、つい先日、草太の弟・蒼陽の予知夢を見たときのことを思い出す。

 と、隣から。


「君って岡田先生にも馬鹿にされてるんだね」


 声の主に目をやれば、近づいてきた草太が、ニコニコ笑顔で未來を見ていた。


「にも……」


 "にも"という言葉には、渋也以外の人間――つまり草太が未來を馬鹿にしているという意味を含んでいるのだろう。

 草太は変わらぬ笑顔で言った。


「だって嫌味じゃん、姫」

「やっぱり……」


 草太から見てもそうなら、嫌味なのは確実だ。

 だからと言って、渋也に対して特にマイナスの気持ちが生まれるわけではない。

 しかし瑞葉は違ったのか。


「あの! あたし達別にミライを姫扱いしてるわけじゃないんだけど!」


 突然大きな声を出し、渋也に右手人差し指を突きつけた。


「無自覚な世話っつーのが一番害悪だな」


 渋也がニヤリと笑う。

 余裕の態度に、瑞葉は両手を下に伸ばして、こぶしを握った。


「まじムカ!!!」

「何でもかんでもやってっから成長しねえんだよ」


 しっしと犬を追いやるような渋也の態度に、瑞葉は怒り心頭だ。


「なーんで岡田先生はそんなにミライに敵意剥き出しなの!!」

「るせーな。アホにアホって言って何が悪いんだよ」

「小学生みたいな言い分!!! 先生教師でしょ!?」


 顔だけ横を向いたまま腕を組み、平然としている渋也を、瑞葉の指がびっ! と差す。

 そのやりとりを、未來は当初、両手を上げたなだめるポーズで見守っていた。

「まあまあ」と言う隙間がなかったからだが、今はかける言葉もわからずに、立ち尽くしている。

 そしてこんな未來と瑞葉と渋也を何も気にすることなく、草太はいつの間にやらうどんを二つ買ってきて、煌綺と二人で食べていた。


「ねえ、このうどんって美味しい?」

「美味い」

「なるほど、これは美味しいうどん」


 食に興味がないゆえに味について確認する草太と、淡々と返して麺をすする煌綺。

 本当に、みんな自由だ。

 自由はいいが……。


 どうしたらいいの、この状況……。


 未來が困り果てていると、全く思いもよらないところから、聞いたことのない声が聞こえた。


「渋也くん……?」


 優しくそうな女性の呼びかけは、一瞬にして、一堂に沈黙をもたらした。

 渋也が振り返る。


「……お前、何でここに」


 未來と瑞葉、煌綺、草太の四人が、これほどまでに驚いている渋也を見たのは初めてだった。


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