左手、花束。白、菊、カーネーション。
後頭部、癖の強い黒い髪。
左横顔、口元に気力なく。
墓の前、握りしめる手、揺れる花束。
唇が、動く。聞こえない、彼の声は、何も。
灰色の空、灰色の墓、立ち尽くす、灰色の後ろ姿。
※
カラフルに飾り付けられた看板と校門を通り過ぎるなり、瑞葉はバンザイするように両手を上げた。
「やっと来れたー!! 学園祭!!」
「よかったね」
にこにこ顔の未來の声に、少し前を歩いていた瑞葉が「うん!」と振り返る。
満面の笑みだ。楽しみで仕方がないのだろう。なにせ瑞葉にとっては、参加できなかった去年のリベンジだ。
そう、今日瑞葉と未來は、瑞葉の家庭教師――立石直弥が通う大学の学園祭に来ているのである。
「一緒に来てくれてありがとう!!」
「ううん、私も誘ってもらえて嬉しかったから」
未來は首を傾けながら微笑んだ。
後ろからは、煌綺と草太の声が聞こえている。
今日は彼らも一緒なのだ。
きっかけは、「篠川煌綺も連れてきなよ!」と瑞葉が言ったこと。
未來としては、正直、草太が一緒に来るとは思わなかったのでびっくりなのだが、二人はずっと、楽しそうに話していた。
「ねえコウキ、お化け屋敷あるよ」
パンフレットから目を上げず、草太が言えば、
「そこの一人、泣いて逃げるぞ」
煌綺の目が、少し前に立つ未來を見る。
「あはは! イメージ通り!」
草太が嬉しそうに笑い、
「も、もう泣かないよ!?」
未來は振り返った。
そしてそんな三人を見ることもせず。
瑞葉は見つけた直弥に向かって、大きく左手を上げた。
「センセー! こんにちはー!」
「瑞葉ちゃん、いらっしゃい」
直弥は、出し物の手伝いをしているようだ。
焼きそばの試食をトレイで運びながら、にっこり笑顔でこちらを見た。
「来ましたー!!」
瑞葉は元気いっぱい、全身から喜びオーラを放っている。
全員が思い思いに話をしている三者三様に、未來は、みんな自由だなと苦笑したのだった。
※
「センセーかっこよかったでしょ?」
忙しいらしい直弥との挨拶を終え、学園祭を回っていると、瑞葉がそう尋ねてきた。
「うん、優しそうな人だった」
未來は微笑んだ。
いつぞや一瞬話題になった、失恋や浮気の心配なんてなさそうだし、元気一杯の瑞葉をお兄さんみたいに受け止めていて、とてもかっこよかった。
未來の返事に、瑞葉は嬉しそうな笑顔を見せた。
「先生は何やるの?」
瑞葉の今日一番の目的は、直弥の活躍を見ることだろう。
そう思い未來が聞くと、瑞葉はすらすら「16時からホールで英語の劇だって!」と教えてくれた。
今はまだお昼過ぎ、観劇までには時間がある。
「じゃあそれまで屋台で何か食べよっか!」
後ろを歩く煌綺と草太にも聞こえるように、未來は提案した。
さっき直弥は焼きそばを配っていたが、店は近くにはないようだ。
「じゃあたこ焼きでも……」
瑞葉が、未來の後ろにあるたこ焼き屋を指差す。その顔が一瞬にして驚き顔に変わった。
「あれ?」
声と表情につられ、未來も振り返る。
と、そこには、見覚えのあるシルエットが。
「たこ焼き一つ」
そう言う彼は。
癖のある黒い髪。いつも……今も、Yシャツとスラックス姿のその人は。
「お、岡田先生!?」
「岡田ぁ!?」
「あれー本当だー」
「……」
思わず大きな声を上げた未來と瑞葉に続き、草太がのんびり言った。
煌綺はそもそも、ここに渋也がいることに興味がないのだろう。いつも通りの無表情で、ただ目を向けている。
「ど、どうしてここに」
左手にたこ焼き、右手にイカ焼きを持ち、向かってきた渋也に、聞いたのは未來だ。
「俺はここの卒業生なんだよ」
渋也が言うと、
「「ええええええ!?」」
再び、未來と瑞葉の声が、大きく響いた。
一方で、草太と煌綺は、校門近くの飲食スペースに向かっていく。
渋也がここの卒業生であろうと、とくに関心がないのだろう。
しかし瑞葉はとても気になるようで、納得いかなさそうに言った。
「先生、後輩の勇姿とか見るタイプじゃなさそうなのに」
「後輩から誘われたんだからしょうがねえだろ」
渋也は仕方なさそうに答えた。なんの関係の後輩かと思えば、写真サークルなのだそうだ。
瑞葉の先生と同じ大学だったこともそうだが、写真サークルなんてものに入っていたことにも、未來は驚きが隠せない。
しかし瑞葉はそれよりも、渋也が両手に持つ物のほうに意識が向いているようだ。
「でも一人でたこ焼き買って満喫するタイプでもなさそうなのに」
「腹が減ったんだよ」
渋也は文句あるかと言いたげに、イカ焼きを食べ始めた。
先生のこんな姿を見る日がくるとは思ってもいなかった、と呆然とする未來と瑞葉。
普段教壇に立っている渋也と、今目の前にいる渋也のイメージが、どうしても結びつかないのだ。
「ま、ガキはガキなりにハメ外さない程度に楽しむんだな」
渋也は振り向きもせず、イカ焼きを持つ手を振って、校舎に向かって行った。
「言われなくても真っ当に楽しむつもりですよーだ!」
べーっと舌を出す瑞葉。
賑やかな瑞葉の声を聞きながら、未來の目は、立ち去る渋也を追い続ける。
脳裏には昨夜の予知夢が蘇っていた。
――灰色の空、灰色の墓、立ち尽くす、灰色の後ろ姿。
あの後ろ姿に――悲しそうな背中に、今の渋也の背が、なぜか重なるように感じられたのだ。
「なーに? 岡田なんて見つめちゃって」
瑞葉に声をかけられ、未來はやっと、渋也から目を離した。
理由を話すと、瑞葉は目を丸くして驚いた。
「え、岡田の夢!?」
「……多分」
未來は自信なく答えた。
夢の中で顔を見たわけではないから、確信は持てていない。
でもどうしても……どれだけ考えても。あの背中と渋也の背中は同じに見えた。
「岡田死んじゃうの!?」
瑞葉の声は、少しだけ悲しそうだった。
常日頃仲が悪そうに口喧嘩をしていても、死ぬとなったらさすがにショックなのだろう。
「ううん! 死ぬのは多分、別の人、だと思うんだけど……」
「別の人?」
「岡田じゃないの?」とでも言うように、きょとんと未來を見る瑞葉。
「そう。岡田先生が悲しんでるだけなの」
そう返しながら、未來は自分の言葉に「多分」と付け加えたかった。
夢の中の背中が、本当に悲しんでいるのかはわからなかったからだ。
ただ、そう伝わってはきた。だから話したのだけれど。
「ふーん……。じゃあいいじゃん、岡田なんて」
瑞葉はつまらなそうに言った。
その表情は、岡田が悲しもうが、未來には関係ないでしょと語っている。
だが未來は、どうしても納得がいかなかった。
――だって。あの後ろ姿は。
頭の中に、また夢の中の姿が蘇る。
強く握られた左手の中で、一度だけ揺れる花束。
灰色のスーツ、菊とカーネーションの白。
思い出すたびに感じるのは、あの後ろ姿が、心が折れてしまうほど、苦しそうに見えるということ。
「やっぱり私行ってくる!」
いてもたってもいられず、未來はその場を走り出した。
「あ、ちょっとミライ!!! 一人で行くの!?」
未來に続こうと、足を踏み出した瑞葉を振り返る。
「うん、みっちゃんはみんなといて!」
そう言って、渋也が向かった校舎へ向かう。
だって、気になって仕方がない。放っておけないのだ。
それにあんな未来は、渋也だって、きてほしくないはずだから。
※
「もー、苦手な相手くらい放っておけばいいのに」
瑞葉は腰に手を当て、頬を膨らませた。
未來が元来お節介な人間なのはわかってはいるが、あの渋也相手に、自分の時間を使ってまで行動する必要はないだろう。
そう思いながら未來が向かったほうを見ていると、少し離れた飲食スペースから、声が聞こえた。
「そういう子じゃないでしょ」
「あいつ昔からああだからな」
草太はニコニコいつもの顔で。
煌綺もいつもと変わらない平静顔で、さっき買ったたこ焼きをつついている。
「分け隔てないのが良いところではあるんだけどさ」
少しだけ顔をしかめて言った瑞葉を見上げ、草太が笑顔で毒を吐く。
「それは正しい警戒心のある人にだけ適用されるんじゃないの? あれは騙されて馬鹿を見るタイプでしょ」
瑞葉は驚きの表情のあと、むっとしたように煌綺を見た。
「ちょっと篠川煌綺!! 言わせていいの!?」
「ああ?」
煌綺が面倒くさそうに瑞葉に目を向ける。
鋭い視線は相変わらずで、まるで瑞葉を睨んでいるようだ。
と、二人のやり取りを見ていた草太が口を尖らせた。
「えー、事実じゃん」
「言い方とか見方とかあるじゃん!!」
バン! と音が鳴る。瑞葉がテーブルを叩いたのだ。
「お前らどっちもうるせえ」
呆れたように、煌綺が言い捨てる。
その後煌綺は、二人を無視して、黙々とたこ焼きを食べ続けたのだった。
※
一方、渋也を追って行った未來は――。
「先生どこ行ったんだろ……」
探し始めるのが遅かったうえ、学内マップを持ち歩いておらず、さらには大学敷地が予想以上に広いため、絶賛迷子中である。
きょろきょろとあたりを見回していると、若い男の二人組が声をかけてきた。
「あれ〜! もしかして女子高生!?」
「迷子? 俺たちで案内してあげようか?」
もしここに煌綺か草太か瑞葉がいたら、一瞬にしてナンパと気づきそうな軽さである。
しかし未來はまったく気づかずに。
「あ、迷子っていうか人さがし……」
素直にそう返事をすると、男の一人にがっしりと手首を掴まれた。
「じゃあ俺たちも探してあげるよ!」
見知らぬ相手である。男の行動にはさすがに驚いたが、特に不快ではなかった。
ただ、いきなり手首を掴む意味がわからない。
不思議に思いながらも、男を振り払ったりはせず、未來は尋ねた。
「あの、どこ行くんですか?」
「とりあえず喫茶店の出し物があるからそこ行こうか!」
「喫茶店……?」
喫茶店でどうやって人を探すのだろう。
そんなことを考えながらも、男たちに手を引かれるまま、未來は彼らに連れられ、歩き始めたのだった。