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第六話 一

 左手、花束。白、菊、カーネーション。

 後頭部、癖の強い黒い髪。

 左横顔、口元に気力なく。

 墓の前、握りしめる手、揺れる花束。

 唇が、動く。聞こえない、彼の声は、何も。

 灰色の空、灰色の墓、立ち尽くす、灰色の後ろ姿。


 ※


 カラフルに飾り付けられた看板と校門を通り過ぎるなり、瑞葉はバンザイするように両手を上げた。


「やっと来れたー!! 学園祭!!」

「よかったね」


 にこにこ顔の未來の声に、少し前を歩いていた瑞葉が「うん!」と振り返る。

 満面の笑みだ。楽しみで仕方がないのだろう。なにせ瑞葉にとっては、参加できなかった去年のリベンジだ。

 そう、今日瑞葉と未來は、瑞葉の家庭教師――立石直弥が通う大学の学園祭に来ているのである。


「一緒に来てくれてありがとう!!」

「ううん、私も誘ってもらえて嬉しかったから」


 未來は首を傾けながら微笑んだ。

 後ろからは、煌綺と草太の声が聞こえている。

 今日は彼らも一緒なのだ。

 きっかけは、「篠川煌綺も連れてきなよ!」と瑞葉が言ったこと。

 未來としては、正直、草太が一緒に来るとは思わなかったのでびっくりなのだが、二人はずっと、楽しそうに話していた。


「ねえコウキ、お化け屋敷あるよ」


 パンフレットから目を上げず、草太が言えば、


「そこの一人、泣いて逃げるぞ」


 煌綺の目が、少し前に立つ未來を見る。


「あはは! イメージ通り!」


 草太が嬉しそうに笑い、


「も、もう泣かないよ!?」


 未來は振り返った。

 そしてそんな三人を見ることもせず。

 瑞葉は見つけた直弥に向かって、大きく左手を上げた。


「センセー! こんにちはー!」

「瑞葉ちゃん、いらっしゃい」


 直弥は、出し物の手伝いをしているようだ。

 焼きそばの試食をトレイで運びながら、にっこり笑顔でこちらを見た。


「来ましたー!!」


 瑞葉は元気いっぱい、全身から喜びオーラを放っている。

 全員が思い思いに話をしている三者三様に、未來は、みんな自由だなと苦笑したのだった。


 ※


「センセーかっこよかったでしょ?」


 忙しいらしい直弥との挨拶を終え、学園祭を回っていると、瑞葉がそう尋ねてきた。


「うん、優しそうな人だった」


 未來は微笑んだ。

 いつぞや一瞬話題になった、失恋や浮気の心配なんてなさそうだし、元気一杯の瑞葉をお兄さんみたいに受け止めていて、とてもかっこよかった。

 未來の返事に、瑞葉は嬉しそうな笑顔を見せた。


「先生は何やるの?」


 瑞葉の今日一番の目的は、直弥の活躍を見ることだろう。

 そう思い未來が聞くと、瑞葉はすらすら「16時からホールで英語の劇だって!」と教えてくれた。

 今はまだお昼過ぎ、観劇までには時間がある。


「じゃあそれまで屋台で何か食べよっか!」


 後ろを歩く煌綺と草太にも聞こえるように、未來は提案した。

 さっき直弥は焼きそばを配っていたが、店は近くにはないようだ。


「じゃあたこ焼きでも……」


 瑞葉が、未來の後ろにあるたこ焼き屋を指差す。その顔が一瞬にして驚き顔に変わった。


「あれ?」


 声と表情につられ、未來も振り返る。

 と、そこには、見覚えのあるシルエットが。


「たこ焼き一つ」


 そう言う彼は。

 癖のある黒い髪。いつも……今も、Yシャツとスラックス姿のその人は。


「お、岡田先生!?」

「岡田ぁ!?」

「あれー本当だー」

「……」


 思わず大きな声を上げた未來と瑞葉に続き、草太がのんびり言った。

 煌綺はそもそも、ここに渋也がいることに興味がないのだろう。いつも通りの無表情で、ただ目を向けている。


「ど、どうしてここに」


 左手にたこ焼き、右手にイカ焼きを持ち、向かってきた渋也に、聞いたのは未來だ。


「俺はここの卒業生なんだよ」


 渋也が言うと、


「「ええええええ!?」」


 再び、未來と瑞葉の声が、大きく響いた。

 一方で、草太と煌綺は、校門近くの飲食スペースに向かっていく。

 渋也がここの卒業生であろうと、とくに関心がないのだろう。

 しかし瑞葉はとても気になるようで、納得いかなさそうに言った。


「先生、後輩の勇姿とか見るタイプじゃなさそうなのに」

「後輩から誘われたんだからしょうがねえだろ」


 渋也は仕方なさそうに答えた。なんの関係の後輩かと思えば、写真サークルなのだそうだ。

 瑞葉の先生と同じ大学だったこともそうだが、写真サークルなんてものに入っていたことにも、未來は驚きが隠せない。

 しかし瑞葉はそれよりも、渋也が両手に持つ物のほうに意識が向いているようだ。


「でも一人でたこ焼き買って満喫するタイプでもなさそうなのに」

「腹が減ったんだよ」


 渋也は文句あるかと言いたげに、イカ焼きを食べ始めた。

 先生のこんな姿を見る日がくるとは思ってもいなかった、と呆然とする未來と瑞葉。

 普段教壇に立っている渋也と、今目の前にいる渋也のイメージが、どうしても結びつかないのだ。


「ま、ガキはガキなりにハメ外さない程度に楽しむんだな」


 渋也は振り向きもせず、イカ焼きを持つ手を振って、校舎に向かって行った。


「言われなくても真っ当に楽しむつもりですよーだ!」


 べーっと舌を出す瑞葉。

 賑やかな瑞葉の声を聞きながら、未來の目は、立ち去る渋也を追い続ける。

 脳裏には昨夜の予知夢が蘇っていた。


 ――灰色の空、灰色の墓、立ち尽くす、灰色の後ろ姿。


 あの後ろ姿に――悲しそうな背中に、今の渋也の背が、なぜか重なるように感じられたのだ。


「なーに? 岡田なんて見つめちゃって」


 瑞葉に声をかけられ、未來はやっと、渋也から目を離した。

 理由を話すと、瑞葉は目を丸くして驚いた。


「え、岡田の夢!?」

「……多分」


 未來は自信なく答えた。

 夢の中で顔を見たわけではないから、確信は持てていない。

 でもどうしても……どれだけ考えても。あの背中と渋也の背中は同じに見えた。


「岡田死んじゃうの!?」


 瑞葉の声は、少しだけ悲しそうだった。

 常日頃仲が悪そうに口喧嘩をしていても、死ぬとなったらさすがにショックなのだろう。


「ううん! 死ぬのは多分、別の人、だと思うんだけど……」

「別の人?」


「岡田じゃないの?」とでも言うように、きょとんと未來を見る瑞葉。


「そう。岡田先生が悲しんでるだけなの」


 そう返しながら、未來は自分の言葉に「多分」と付け加えたかった。

 夢の中の背中が、本当に悲しんでいるのかはわからなかったからだ。

 ただ、そう伝わってはきた。だから話したのだけれど。


「ふーん……。じゃあいいじゃん、岡田なんて」


 瑞葉はつまらなそうに言った。

 その表情は、岡田が悲しもうが、未來には関係ないでしょと語っている。

 だが未來は、どうしても納得がいかなかった。


 ――だって。あの後ろ姿は。


 頭の中に、また夢の中の姿が蘇る。

 強く握られた左手の中で、一度だけ揺れる花束。

 灰色のスーツ、菊とカーネーションの白。


 思い出すたびに感じるのは、あの後ろ姿が、心が折れてしまうほど、苦しそうに見えるということ。


「やっぱり私行ってくる!」


 いてもたってもいられず、未來はその場を走り出した。


「あ、ちょっとミライ!!! 一人で行くの!?」


 未來に続こうと、足を踏み出した瑞葉を振り返る。


「うん、みっちゃんはみんなといて!」


 そう言って、渋也が向かった校舎へ向かう。

 だって、気になって仕方がない。放っておけないのだ。

 それにあんな未来は、渋也だって、きてほしくないはずだから。


 ※


「もー、苦手な相手くらい放っておけばいいのに」


 瑞葉は腰に手を当て、頬を膨らませた。

 未來が元来お節介な人間なのはわかってはいるが、あの渋也相手に、自分の時間を使ってまで行動する必要はないだろう。

 そう思いながら未來が向かったほうを見ていると、少し離れた飲食スペースから、声が聞こえた。


「そういう子じゃないでしょ」

「あいつ昔からああだからな」


 草太はニコニコいつもの顔で。

 煌綺もいつもと変わらない平静顔で、さっき買ったたこ焼きをつついている。


「分け隔てないのが良いところではあるんだけどさ」


 少しだけ顔をしかめて言った瑞葉を見上げ、草太が笑顔で毒を吐く。


「それは正しい警戒心のある人にだけ適用されるんじゃないの? あれは騙されて馬鹿を見るタイプでしょ」


 瑞葉は驚きの表情のあと、むっとしたように煌綺を見た。


「ちょっと篠川煌綺!! 言わせていいの!?」

「ああ?」


 煌綺が面倒くさそうに瑞葉に目を向ける。

 鋭い視線は相変わらずで、まるで瑞葉を睨んでいるようだ。

 と、二人のやり取りを見ていた草太が口を尖らせた。


「えー、事実じゃん」

「言い方とか見方とかあるじゃん!!」


 バン! と音が鳴る。瑞葉がテーブルを叩いたのだ。


「お前らどっちもうるせえ」


 呆れたように、煌綺が言い捨てる。

 その後煌綺は、二人を無視して、黙々とたこ焼きを食べ続けたのだった。


 ※


 一方、渋也を追って行った未來は――。


「先生どこ行ったんだろ……」


 探し始めるのが遅かったうえ、学内マップを持ち歩いておらず、さらには大学敷地が予想以上に広いため、絶賛迷子中である。

 きょろきょろとあたりを見回していると、若い男の二人組が声をかけてきた。


「あれ〜! もしかして女子高生!?」

「迷子? 俺たちで案内してあげようか?」


 もしここに煌綺か草太か瑞葉がいたら、一瞬にしてナンパと気づきそうな軽さである。

 しかし未來はまったく気づかずに。


「あ、迷子っていうか人さがし……」


 素直にそう返事をすると、男の一人にがっしりと手首を掴まれた。


「じゃあ俺たちも探してあげるよ!」


 見知らぬ相手である。男の行動にはさすがに驚いたが、特に不快ではなかった。

 ただ、いきなり手首を掴む意味がわからない。

 不思議に思いながらも、男を振り払ったりはせず、未來は尋ねた。


「あの、どこ行くんですか?」

「とりあえず喫茶店の出し物があるからそこ行こうか!」

「喫茶店……?」


 喫茶店でどうやって人を探すのだろう。

 そんなことを考えながらも、男たちに手を引かれるまま、未來は彼らに連れられ、歩き始めたのだった。


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