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第五話 六

 それから三日後。

 二年A組の教室の前に、ニコニコ笑顔の草太が立っていた。


「やあコウキ。ちょっと幼馴染貸してもらうね」

「あ?」

「え?」


 問答無用とはまさにこのこと。

 いつもどおりに笑った草太が、未來を連れ去っていく。

 行き先は、体育館の裏だった。


 ※


「蒼陽、症状が落ち着いてるって。このままいけばすぐに退院できるかも」


 しゃがんで花壇を見ながら、草太は言った。

 突然の良い知らせに、未來は安堵の息を吐く。


「もう、自分を見放したりしないよ。君のおかげでね」

「野川くんのおかげでしょ?」

「まあ、僕の信頼あってこそだろうけどね」


 草太の背後に立っている未來に、その顔は見えない。

 だが声だけでも、ニコニコ笑っているのがわかる。

 こういう人になれたらどれだけいいか。ちょっと羨ましいなんて考えていると。


「で?」


 草太が立ち上がり、未來を振り返った。


「君はコウキ連れまわして何してるわけ?」

「……え?」

「どうせ予知夢の関係なんでしょ?」


 突然の話題変換は、何もかも見透かしたような笑顔付きだ

「僕にも教えてよ」と言うので、未來は尻込みするように、理由を聞いた。

 すると草太は、相変わらずのニコニコ顔で。


「僕の弱み握ったんだから、君の弱みも見せてもらわないと」


 草太の話のどのあたりが弱みなのだろう。

 それに煌綺の夢の話をするのには、煌綺の許可が必要な気がする。

 つまり、言ってはいけない、と思ったのだが……。


「……ふーん、交通事故ねえ」


 草太相手に、隠し事ができるはずがなかった。

 なにせ彼は誘導がうまいうえに、言葉や表情の綻びを見逃さない。

 ちょっとしたきっかけひとつで、すべてを見通してしまうのだ。


「だからやたら一緒にいるわけね」

「そういうことです……」


 どうなってるの、本当に……。この人、怖すぎる。


 花壇を背に、草太の隣にしゃがんだ未來は、小さく落ち込んでいた。

 そんな未來の落胆に気づかぬはずもないだろうに、草太は平然と問いかける。


「あのさー、君とコウキの望みって、一致してるの?」


 コウくんの望み……?

 この人は、いきなり何を聞くのだろう。

 未來はぽかんと草太を見つめた。


「コウキ、助けてほしそうにしてる?」

「……してないけど」

「正直さ、僕も、蒼陽も、豊守サンも、そんな未来は絶対訪れてほしくなかったと思う」


 草太はあのとき――病院の屋上で、蒼陽のことを話したときと同じ。笑顔の消えた、遠くを見るような目をしていた。


「でも多分コウキは違うよ。望んでるわけじゃないだろうけど、受け入れてる」


 それは、未來も気づいていた。

 まったく草太は、本当に何でもお見通しだ。

 それに、コウくんみたいだ、と未來は思う

 二人は、未來とは違うところを見ている。

 全部がわかっているみたいに。


「それに、少なくとも君に助けてもらいたいとは思ってないんじゃないかなー」

「何で……?」


 だって、死んじゃうのに。

 死んじゃうことを受け入れているから、助けなくていいということ?

 疑問符だらけの未來を、草太が見る。

 理解できていないことは、一目瞭然なのだろう。

 草太は言った。


「君は、自分が死ぬかもしれないときに、誰かを巻き込んで死にたいと思うわけ?」


 それは未來にとって衝撃的な質問だった。

 そんなこと思わない。思うはずがない。


「……じゃあ、どうしたらいいの」


 助けなければいいの?

 コウくんが死んでしまうかもしれないのをわかっていて、放っておけばいいの?


 未來はうつむいた。

 その耳に、草太の声が届く。


「だから、エゴなんだよ」


 ため息のような、うんざりとした感情のこもった言い方だった。

 草太を見ると、彼はとても冷たい表情で未來を見ていた。


「助けたいのって、君の願望でしょ?」


 笑っているのは口元だけ。目には微笑みの欠片もない。


「相手の望みと一致してない以上、君がやろうとしてるのは君自身のエゴ。それなのに、相手が助けてほしいだろうと決めつけて、後先も都合も力量も考えず、自分勝手な感情のままに行動する。それって君がすっきりしたいだけじゃん。子供のわがままと何が違うの?」


 その通りだと、未來は思った。

 その通りだと思ったから、草太の言葉が増えるたび、身が縮まるようだった。

 でも、と言いたいけれど、返す言葉が思いつかず、心まで縮まっていく。

 それでも、草太の言葉は止まらない。


「大体、君の理解力や思考力で物事を正しく判断して処理できるとでも思ってるわけ? 勘違いも甚だしいよ。自分が基準で周りも無能と思っちゃうタイプ? 大半の人間は君より色々できるし、色々考えてると思うけどね。コウキもこんなのの子守りさせられて、同情しちゃうなー」


 未來は、ずっしりと重いものに押しつぶされたように落ち込んだ。

 未來自身、自分の無力さを自覚していたからだ。

 煌綺や瑞葉への裏切りもわかっていたし、草太の言うことにも、納得しかない。

 これまでの行動は本当に自分勝手だったんだろうと、反省したくなる。


 そのとき。

 もう何も聞きたくないとすら思ったその耳に、ふー、と一呼吸置いた音が聞こえた。

 そして、楽しそうな声が。


「はい。仕返し終わり」

「仕返し?」


 驚いて尋ねれば、草太はきらきらと健やかに笑って。


「そう。僕、君に説教されてムカついたから」


 どうやら、未來が病院の屋上で発言したことが、相当癪に触っていたようだ。

 たしかに、ろくに話したことない、事情を何も知らない関係で、あんなずけずけ言うのは、ちょっとどうかと未來も思う。

 ただ、だからと言って、面と向かって”仕返し”をする人はなかなかいないだろう。

 まったく、草太はすごい。

 そう考えていたら、草太はさらに驚くことを口にした。


「で、次はお礼を返してあげるよ」

「え……」


 お礼って何?

 混乱しかけている未來に、さっきよりも優しく笑んで、草太は語る。


「まずね。さっきも言った通り、コウキは君に助けられたいと思ってないと思う」

「うん」

「でも、それがわかった上でも君が助けたいって言うなら、助けていいと思うよ」


 それは、未來の弱音への返事だった。

 さっきはエゴだと言っていた行為を、"わかった上で"ならしても良いのだと、草太は言っているのだ。


「そもそもさ、人間って自分勝手をぶつけあって生きてるんだよね。思いやりとか優しさとか名前つけてさ」


 ――自分勝手。

 思いやりや優しさが。

 未來にとっては新しい表現で、理解するのが大変だ。


「コウキの望みも自分勝手な願望だし、それを受け入れるか拒むかは君の勝手だから好きにして良いでしょ」


 そう言われると、わかる気もする。


「ただ、コウキを幸せにしたいんだったら、少しは受け入れてあげたほうがいいよ」

「幸せに……?」

「自分だけが代償を負って解決、とかさ。やられる身としては一生モノのトラウマだよ。一方的に守られて、情けなくて、代償に命失って」


 そうか、と。未來は気づいた。

 草太は蒼陽に、同じことをされる可能性があったのだ。

 いや、実際に死んでいないだけで、行動としては同じことだった。

 だから、苦しみがわかるのだろう。


「コウキにトラウマ植え付けたくないでしょ?」

「うん……」

「せっかく未来がわかってるんならさ、僕たちみたいなことにならないようにね」

「うん、ありがとう」


 ニコニコ顔の草太に、礼を告げる。

 と、草太は少しだけ上を見て、冗談めいた不満げな顔で返事をした。


「いいよー。売られた恩を返しただけだから」

「一方的に売りつけたようなものなのに」


 先程までの会話から、そういうことだよねと返すと、草太は口角を上げた。

 本当に、本当に優しそうな微笑みで、草太は言う。


「それでも救われたのは事実だから。君のやってることの全部が間違ってるわけじゃないってことだよ」


 それは、未來にとって、とてもとても嬉しい言葉で。


「っ……ありがとう……」


 そう返すと、草太はニコリと、また笑った。


「さて。そろそろ戻らないと、豊守サンに怒られそう」

「え、何で?」


 なぜみっちゃんが怒るんだろう?

 さっと立ち上がる草太に聞けば、彼は腰に両手を当てて、不満そうな顔で目をつむった。


「さー? 君が素直すぎるからじゃない? あの過保護さって問題だと思うんだよね。だから君そんなに幼いんだよ」


 さっきの優しい言葉とは一転、またズケズケ刺さる言葉の数々だ。

 思わず「ごめん」と反射的射謝って立ち上がる未來を、草太が呆れたように見る。


「もうちょっと自立したほうがいいよ。今だって僕の話簡単に受け入れるし、怒りもせずに嫌味をつらつら聞いてるし。いつか悪い人に騙されるよ」

「それ岡田先生にも言われた」


 未來は草太に目を向けた。

 草太はため息をひとつつき、


「言われたならしっかりしなよね」

「はい……」


 草太はきっと、未來はどうしようもないくらい頼りなくて、不甲斐なくて、幼いと感じているのだろう。

 実際、未來自身も自覚している。

 だから、しっかりしなければと思う。思う、のだが。


 どうしていいかわからないのも、また事実なんだよね……。

 そんなことを考えながら、未來はさっきの草太の言葉を思い出した。


『でも多分コウキは違うよ。望んでるわけじゃないだろうけど、受け入れてる』


 聞いたときも思ったが、草太が言う通り、煌綺は死を受け入れているのだろう。

 でも、どうして?

 煌綺が助かりたいと思わない理由が、未來には、どうしてもわからない。

 予知夢の当事者である本人に、聞くべきだろうか。

 ただきっと、未來にとって望ましい答えは得られないだろう。

 そう考えると、聞くのも怖い。


 未來は、どうしようもできないまま、まるで死に向かって歩いているような煌綺の背中が、頭から離れなかった――。


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