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第五話 四

「――だとして」


 病院の屋上庭園のベンチに座り、遠くに目を向けていた草太が、未來を見た。


「何で君が僕の弟のことでここまで来るの?」


 草太は今までのように笑っていなかった。

 笑顔が消えただけではない。その視線は冷たく、氷の刃のようだった。


「何でって、だって」


 夢に見たから、と。

 未來の口から、ぽろりと言葉がこぼれ出る。

 今まで目を背けていた予知夢に、向き合うと決めたから。

 それが誰とも知らない人の夢を見て、病院までやって来た唯一の理由だった。


 草太の唇に、冷ややかな笑みが浮かんだ。


「君さあ、夢の中の人、全部救おうとでも思ってる? 自分のことヒーローか何かとでも思ってるのかな」


 目が髪に隠れているせいで、細かな感情まではわからない。

 だがその口調は、さっき病室で話していたときとは、明らかに違っていた。

 これは拒絶だと、未來が察するほどに。


「正直、何様? って感じ。安全なところからやってきて、何も知らずに人を"救う"? 馬鹿にしてんの?」

「馬鹿にしてるつもりは、ないんだけど」


 何とかそう声を絞り出せば、草太は、怜悧な微笑みを浮かべたまま。


「自覚がないだけでしょ。助けを求めてない人を"助ける"って、それだけ自分の立場が上と思ってる証拠じゃん」


 草太が言うことは、未來にとっては予想もしないことばかりで、理解が全然追いつかない。


「余計な世話ってさ、人を見下げて馬鹿にしてるからできるんだよ」


 草太はさっき、助けを求めていないと言った。

 それは、蒼陽が、だろうか。

 それとも、草太が、だろうか。


「まあ真実、どうせ僕には何もできないよ。いてもいなくても蒼陽を追い詰めて苦しめるだけでさ」


 でも、これは、この言葉は、まるで。

 助けたいって、助けてって、言ってるみたいだ。


「――蒼陽くん、ナースコール押すの諦めたんだよ」


 未來が告げると、草太の言葉が止まった。


「間に合わなかったんじゃないんだよ、諦めたんだよ……」


 ただ間に合わなかっただけならば、他人の未來にも、できることがあったかもしれない。

 しかし諦めたのであれば――諦めてしまった心は、未來にはどうにもできない。


 未來は煌綺の夢を見る前に、目を逸らし続けていた予知夢の数々を思い出した。

 それに煌綺とともに駅に駆けつけたときには、全てが終わっていた人身事故。

 夢を見て、なんとかしようと動いたのに、助けられなかったあのとき。


 痛感していた。

 結局、未來はいつだって、見ていることしかできないのだと。

 瑞葉のときだって、解決をしたのは瑞葉自身。

 未來にできたことは、夢の内容を教えることだけだ。


「私は、ただ、できることを探してるだけなんだよ」


 予知夢を生かすための頭も、力も、理解力もなくて。

 何もできないけど、先に知ってしまうなら、せめて、何かできるならと思って。


 制服のスカートの上に置いた手は、いつのまにか拳になっている。

 だって未來は、未來なりに一生懸命なのだ。


「でも、私にできることなんて、いつも何もない。何も、わからないんだよ……!」


 未來の声が震えた。

 語気が強くなっているのは、煌綺に弱音のように吐き出していた想いを、初めて人に伝えようとしているせいだ。

 はっきりと言語化することで、気持ちが自身への言葉にもなっていた。


「野川くんなら、蒼陽くんが諦めた理由わかるんじゃないの!? 助けられるのは野川くんだよ! 私じゃないんだよ!」


 スカートの上の拳に、ぎゅっと力が入った。

 目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 伝えたかったのだ。

 どうしても。この想いを。

 ――しかし。


「……うざ」


 草太が、吐き捨てるようなため息とともにつぶやいた。


「余計何様? って感じなんだけど」


 冷え切った声で、うんざりしたように言われて、言葉に詰まる。

 たしかに、蒼陽について、草太について、何も知らない未來が言うことではないかもしれない。

 でも、私にはこれしかできないのに、と。

 ぐるぐるした思いが、未來の胸を締め付ける。

 ――と。


「僕、君のこと誤解してたよ」


 草太が、先程と違う静かな、呼吸のようなため息をついた。


「いつもニコニコ笑って自分の意思も持たない無害な子かと思ってたのに」


 残念そうに上がる視線。

 そんな言葉を聞いても、未來の中に怒りは生まれなかった。

 実際、煌綺の予知夢を見るまでの未來は、その通りだったからだ。

 それよりも草太が、ろくに話したこともない未來のことを、性格まで認識していたことが驚きであり、不思議だった。


「いきなり出てきて好き勝手言った上に怒ってくるとか、本当に何様? って感じだし」


 言われてみればたしかに、とても失礼なことをした気がする。


「ご、ごめんなさい」


 思わず謝ると、草太は「いいよ」と呟いた。


「何か、怒鳴られたのとか久しぶりで、ちょっとすっきりした」


 怒鳴ったつもりはない未來としては、複雑な心境だ。

 しかし言い返す間もなく、草太はベンチから立ち上がった。


「コウキ戻ってきたね。僕はもう行こうかな」


 そう言って、屋上の出入り口に向かって歩き出す。

 途中、煌綺とすれ違ったが、二人の間に会話はなかった。

 それを、未來は不思議だとは思わない。

 なんとなく、二人らしい気がしたのだ。

 実際は、その場でそう考えることもなく、ただありのままを見ていただけなのだけど。


「珍しいな」


 煌綺は草太が座っていた場所――未來の隣に腰を下ろすと、開口一番そう言った。


「え?」

「デカい声」

「き、聞こえてた?」


 未來は急に恥ずかしくなった。

 しかし煌綺はいつもどおり。

「ああ」と答えて、手にしていた二本のペットボトルのうち、一本を差し出してくれる。ウーロン茶だ。


「……ありがとう」


 未來はそれを両手で受け取り、膝の上に置いた。


「で?」


 煌綺はもう一本のペットボトル――こちらは当初の宣言通りコーラだ――の頭部分を持って、背もたれに肘をかけた。

 珍しく大きな声を出したことについて、説明を促されているのだろう。

 だがそれは草太の事情に関することでもあり、どこまで言っていいのかがわからない。


「……せっかくできることがあるのになって、思って」


 未來はあえて、詳細を告げなかった。

 しかし煌綺は、草太の事情を知っているのか、あるいは察しているのか。

 問い返すこともなく、返事をする。


「それをするかどうかは本人の意思によるだろ。あんま押し付けんな」


 そのとおりだと、未來も思う。

 でも、それでも。

 未來はどうしても、割り切れないのだ。

 できることがあるのに、しないという選択を。


「そもそも、できることをすることが正解なのかもわかんねえし」


 そう煌綺が言っても、心の底から納得できない。

 大切な人を助けたくてする行動に、正解も間違いもあるのだろうか。

 その気持ちは、いつものように表情に表れていたのだろう。

 煌綺は告げた。


「相手が自分のことどう思ってるかも、それが相手のためになるかも、何もわかんねーからだろ」


 未來は目を見開いた。

 相手のためを思ってする行動が、どうして相手のためにならないことがあるの?

 言われたことが衝撃的すぎて、思考と感情がごちゃごちゃだ。

 一方、煌綺は冷静に。


「野川は、わかってっから、行き詰ったんだろうけどな」


 なんて、すべてを知っているかのような言い方をするものだから、未來は思わず尋ねてしまった。


「……君、本当は聞いてた?」

「聞こえるわけねえだろ」

「……じゃあエスパーが使える」

「使えたらお前の話もっと理解できるな」


 ため息とともに、皮肉と思えることを言う煌綺。

 冗談半分の軽いやり取りに、負けましたの意味を込めて「……ごめん」と言いつつ。

 未來は、草太の言葉を思い出していた。


『まあ真実、どうせ僕には何もできないよ。いてもいなくても蒼陽を追い詰めて苦しめるだけでさ』


 余計なお世話だとはわかっていても、うざいと言われても、どうしても、草太のことが気になった。

 いつもニコニコ笑っていた草太の、明るくていい人だと思っていた草太の、苦しそうな顔が、頭から離れなくて。


 帰る前にこっそり様子を見てみようと、未來は思った。


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