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第五話 二

 やっぱりこの部屋だ。

 病室に入るなり、未來はそう思った。

 普通の病室なのに見覚えがある気がしたし、なにより……。

 大きな窓と平行に置かれたベッドに座っている男の子を、未來は知っていたのである。


蒼陽あおひー、戻ったよー。あと面白いの連れてきた」


 草太は笑顔で、ベッド横のサイドテーブルに、買ってきたものを置いた。

 蒼陽と呼ばれた少年が、未來を見る。


「それ誰? 彼女?」

「あはは、うんそう」


 草太は間髪入れずに肯定した。

 驚く未來。

 動いたのは、草太の隣にいた煌綺だ。

 彼は、草太の後頭部に、ごつんとチョップを落とした。


「ちげーだろ」

「あいた!」


 未來にそうしたときとは違い、なかなかの強さである。

 草太はわざとらしく頭をさすりながら「ひどいなー」などと言っている。

 そんな兄の様子を気にもせず、蒼陽は嬉しそうな顔で煌綺を見上げた。


「お兄さんは、兄ちゃんの友達?」

「ああ?」


 本当なら否定するつもりだったのだろう。

 蒼陽を見る煌綺の顔には、明らかに不満が浮かんでいる。

 しかし、煌綺を見る蒼陽の目は輝いたまま。


「……まあ、そう」


 煌綺は目を瞑り、ため息混じりに、とても嫌そうに、そう肯定した。

 兄を慕う病気の弟の純粋な期待は、さすがに切り捨てられなかったらしい。

 それにすかさず乗るのが、草太という人物である。


「へー? そうなんだ」


 からかうような、楽しむような、納得するような。

 未來からしたら判別のつかないトーンの声は、煌綺には確かな情報を伝えたらしい。


「ニヤニヤしてんじゃねえよ」


 煌綺が鋭い視線で草太を見る。


「あはは、一方通行じゃなくて何よりだと思って」

「よかったな」

「もちろん僕は友達だと思ってるよ?」


 ぶっきらぼうに言う煌綺と、ずっとニコニコ顔の草太。

 未來から見れば、学校でのやりとりそのままだ。

 しかし見守っていた蒼陽は、ほっと息を吐いた。


「よかった。兄ちゃんに友達がいて」

「えー何それ。僕は沢山友達がいるよ?」


 草太は変わらぬ笑顔を、蒼陽に向けた。

 だが、弟はさすがの一言。


「兄ちゃんの言う友達ソレって、絶対普通の意味じゃないもん」


 さらに煌綺が、追加の一言。


「お前、家族にまでそう思われてんのかよ」

「家族に"まで"って、どういうこと?」


 蒼陽を向いていた草太が、煌綺を見上げた。

 煌綺は平然と。


「そのままの意味だろ」


「あはは」と声を上げて蒼陽が笑う。


 コウくん、楽しそうだな。

 未來は微笑ましく、男子三人に目を向けていた。

 蒼陽も明るく元気で、夢の中とは別人だ。

 あんな風に、生きることは諦めてしまいそうには、とうてい見えない。


 きっとあのときは、ちょっとボタンが押せなかったのかな。

 でも、あんなに苦しそうだったのに、押せない理由は何だろう。

 未來の頭の中には、新たな疑問が浮かんでいた。


 ※


「ちょっと見送ってくるね」


 そう草太が言ったのは、未來と煌綺が帰るという話題が出る前だった。


「あ、うん。来てくれてありがとう」


 素直に微笑む蒼陽の言葉に、未來は笑顔を、煌綺はいつもの無表情を返す。

 しかしその後草太が二人を連れて行ったのは、屋上にある庭園だった。

 草太は戸惑う未來をベンチに座らせ、自分は左隣に腰を下ろした。

 煌綺は未來の側の背もたれに、腕を組んで寄りかかっている。

 未來たちのほうは見ていない。


「で? 君たちはどうして僕の弟の病室の前にいたの?」


 隣からにっこり笑顔で草太に問われ、未來は早速、言葉に詰まった。


「ええと……」


 ここに来た理由は、簡単に説明できる話でもなければ、信じてもらえるかどうかもわからない。

 しかも未來は、屋上に来る道すがら、煌綺に「予知夢のことは言うな」と言われていた。

 核心は語らず「うまくやれ」とも。

 できれば、その通りにしたい。したいが……。


「へえ、予知夢ねえ」


 数分後、草太は顔を上げて、実に楽しそうに笑っていた。

 未來は真逆で「気づいたら全部話してた……」とがっくり落ち込み、草太から顔をそむけている。

 というのも、本当にいつの間にか、煌綺が未來に話すなと言った情報が、草太に全て筒抜けになっていたのだ。


「今作ったにしては、かなり上手い作り話だと思うよ」


 やっぱり信じてくれないよねという気持ちと、なんで全部言っちゃったんだろうという気持ちが入り混じり、未來は複雑な心境だ。

 それに、草太の笑顔。

 いつもニコニコ、明るく楽しい人なんだなと思っていたが、とんでもない。


 そういえば前にみっちゃんが、野川君のこと、恐ろしい相手だって言ってた。

 コウくんも「うまくやれ」と言ったけど……。


 野川草太には気をつけろという二人の意見に、未來は完全に同意した。

 なにせ未來が言わないようにしていたことも、草太には全部ばれてしまった。

 草太は、言葉の端から本意を探り、ベールに包んだ事実を暴く。

 それを、未來はこの数分間で実感したのだった。


「君にそんな才能があったなんて驚きだなぁ」


 笑顔のまま、誉め言葉ではないトーンで、草太が告げる。


「はー」


 立ったままの煌綺から、深いため息が聞こえた。

 恐る恐る見上げれば「ま、こうなるよな」というような、見るからに呆れた表情だ。

 しかも。


「コーラ買ってくる」


 唐突に、煌綺は組んでいた腕を解き、屋上の出入り口に向かって歩き出した。


「何で!?」


 反射的に未來は、大きな声を出した。

 こんなに色々なことがばれてしまったのに、一人にされる意味がわからない。

 しかし煌綺は「さーな」と手を振って去っていく。

 背中を向けたまま、未來を一瞥すらしない。

 見放された……?

 未來の唇がひきつった。

 とても勝てそうにない相手と、一対一の空間に置き去りにされて、どうしろというのだ。


「で?」


 突然の呼びかけに、未來の肩がビクッと跳ねた。


「それはいつなの?」


 草太は煌綺が立ち去ったことに、ツッコミのひとつもせず、話を戻した。


「その……それが、わかんないの」


 うつむきつつも、草太の方に体を向けて、未來は答える。


「ふーん?」


 平坦な、草太の声。


「あの、信じられないのは、わかるんだけど……」


 未來は少しだけうつ向いたまま、恐る恐る草太を見た。

 いつもの草太の笑顔が太陽ならば、今の彼は氷である。

 その表情のまま。

 草太はベンチの座面に両手を置いて、空を見上げた。


「――信じるかどうかは置いといてさ」

「え?」


 未來は顔を上げた。

 草太は、遠いところを見ていた。

 あんなに張り付いていた笑顔は、面影すら消えている。

 とても苦しそうな顔だ、と未來は感じた。


「蒼陽なら、いつか、やりそうだよね、そういうこと」


 草太が、つぶやく。

 その言葉は未來にとって、意外でしかないものだった。


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