やっぱりこの部屋だ。
病室に入るなり、未來はそう思った。
普通の病室なのに見覚えがある気がしたし、なにより……。
大きな窓と平行に置かれたベッドに座っている男の子を、未來は知っていたのである。
「
草太は笑顔で、ベッド横のサイドテーブルに、買ってきたものを置いた。
蒼陽と呼ばれた少年が、未來を見る。
「それ誰? 彼女?」
「あはは、うんそう」
草太は間髪入れずに肯定した。
驚く未來。
動いたのは、草太の隣にいた煌綺だ。
彼は、草太の後頭部に、ごつんとチョップを落とした。
「ちげーだろ」
「あいた!」
未來にそうしたときとは違い、なかなかの強さである。
草太はわざとらしく頭をさすりながら「ひどいなー」などと言っている。
そんな兄の様子を気にもせず、蒼陽は嬉しそうな顔で煌綺を見上げた。
「お兄さんは、兄ちゃんの友達?」
「ああ?」
本当なら否定するつもりだったのだろう。
蒼陽を見る煌綺の顔には、明らかに不満が浮かんでいる。
しかし、煌綺を見る蒼陽の目は輝いたまま。
「……まあ、そう」
煌綺は目を瞑り、ため息混じりに、とても嫌そうに、そう肯定した。
兄を慕う病気の弟の純粋な期待は、さすがに切り捨てられなかったらしい。
それにすかさず乗るのが、草太という人物である。
「へー? そうなんだ」
からかうような、楽しむような、納得するような。
未來からしたら判別のつかないトーンの声は、煌綺には確かな情報を伝えたらしい。
「ニヤニヤしてんじゃねえよ」
煌綺が鋭い視線で草太を見る。
「あはは、一方通行じゃなくて何よりだと思って」
「よかったな」
「もちろん僕は友達だと思ってるよ?」
ぶっきらぼうに言う煌綺と、ずっとニコニコ顔の草太。
未來から見れば、学校でのやりとりそのままだ。
しかし見守っていた蒼陽は、ほっと息を吐いた。
「よかった。兄ちゃんに友達がいて」
「えー何それ。僕は沢山友達がいるよ?」
草太は変わらぬ笑顔を、蒼陽に向けた。
だが、弟はさすがの一言。
「兄ちゃんの言う
さらに煌綺が、追加の一言。
「お前、家族にまでそう思われてんのかよ」
「家族に"まで"って、どういうこと?」
蒼陽を向いていた草太が、煌綺を見上げた。
煌綺は平然と。
「そのままの意味だろ」
「あはは」と声を上げて蒼陽が笑う。
コウくん、楽しそうだな。
未來は微笑ましく、男子三人に目を向けていた。
蒼陽も明るく元気で、夢の中とは別人だ。
あんな風に、生きることは諦めてしまいそうには、とうてい見えない。
きっとあのときは、ちょっとボタンが押せなかったのかな。
でも、あんなに苦しそうだったのに、押せない理由は何だろう。
未來の頭の中には、新たな疑問が浮かんでいた。
※
「ちょっと見送ってくるね」
そう草太が言ったのは、未來と煌綺が帰るという話題が出る前だった。
「あ、うん。来てくれてありがとう」
素直に微笑む蒼陽の言葉に、未來は笑顔を、煌綺はいつもの無表情を返す。
しかしその後草太が二人を連れて行ったのは、屋上にある庭園だった。
草太は戸惑う未來をベンチに座らせ、自分は左隣に腰を下ろした。
煌綺は未來の側の背もたれに、腕を組んで寄りかかっている。
未來たちのほうは見ていない。
「で? 君たちはどうして僕の弟の病室の前にいたの?」
隣からにっこり笑顔で草太に問われ、未來は早速、言葉に詰まった。
「ええと……」
ここに来た理由は、簡単に説明できる話でもなければ、信じてもらえるかどうかもわからない。
しかも未來は、屋上に来る道すがら、煌綺に「予知夢のことは言うな」と言われていた。
核心は語らず「うまくやれ」とも。
できれば、その通りにしたい。したいが……。
「へえ、予知夢ねえ」
数分後、草太は顔を上げて、実に楽しそうに笑っていた。
未來は真逆で「気づいたら全部話してた……」とがっくり落ち込み、草太から顔をそむけている。
というのも、本当にいつの間にか、煌綺が未來に話すなと言った情報が、草太に全て筒抜けになっていたのだ。
「今作ったにしては、かなり上手い作り話だと思うよ」
やっぱり信じてくれないよねという気持ちと、なんで全部言っちゃったんだろうという気持ちが入り混じり、未來は複雑な心境だ。
それに、草太の笑顔。
いつもニコニコ、明るく楽しい人なんだなと思っていたが、とんでもない。
そういえば前にみっちゃんが、野川君のこと、恐ろしい相手だって言ってた。
コウくんも「うまくやれ」と言ったけど……。
野川草太には気をつけろという二人の意見に、未來は完全に同意した。
なにせ未來が言わないようにしていたことも、草太には全部ばれてしまった。
草太は、言葉の端から本意を探り、ベールに包んだ事実を暴く。
それを、未來はこの数分間で実感したのだった。
「君にそんな才能があったなんて驚きだなぁ」
笑顔のまま、誉め言葉ではないトーンで、草太が告げる。
「はー」
立ったままの煌綺から、深いため息が聞こえた。
恐る恐る見上げれば「ま、こうなるよな」というような、見るからに呆れた表情だ。
しかも。
「コーラ買ってくる」
唐突に、煌綺は組んでいた腕を解き、屋上の出入り口に向かって歩き出した。
「何で!?」
反射的に未來は、大きな声を出した。
こんなに色々なことがばれてしまったのに、一人にされる意味がわからない。
しかし煌綺は「さーな」と手を振って去っていく。
背中を向けたまま、未來を一瞥すらしない。
見放された……?
未來の唇がひきつった。
とても勝てそうにない相手と、一対一の空間に置き去りにされて、どうしろというのだ。
「で?」
突然の呼びかけに、未來の肩がビクッと跳ねた。
「それはいつなの?」
草太は煌綺が立ち去ったことに、ツッコミのひとつもせず、話を戻した。
「その……それが、わかんないの」
うつむきつつも、草太の方に体を向けて、未來は答える。
「ふーん?」
平坦な、草太の声。
「あの、信じられないのは、わかるんだけど……」
未來は少しだけうつ向いたまま、恐る恐る草太を見た。
いつもの草太の笑顔が太陽ならば、今の彼は氷である。
その表情のまま。
草太はベンチの座面に両手を置いて、空を見上げた。
「――信じるかどうかは置いといてさ」
「え?」
未來は顔を上げた。
草太は、遠いところを見ていた。
あんなに張り付いていた笑顔は、面影すら消えている。
とても苦しそうな顔だ、と未來は感じた。
「蒼陽なら、いつか、やりそうだよね、そういうこと」
草太が、つぶやく。
その言葉は未來にとって、意外でしかないものだった。