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第四話 一

 公園と神社の間の、坂道を抜けた先。

 街路樹が並ぶ十字路の、青信号を渡る高校生。

 きらめく金髪、白さが際立つワイシャツ姿。

 そこに、まっすぐ向かう大型トラック。


 助けられない。

 そう感じた。


 エンジンとタイヤの音が響く中。


「バーカ」


 君は笑った。

 衝撃音に、全てがかき消される前に。


 また少し、変わった未来。

 でもまた、救えなかった未来。


 ※


「なんで……」


 五月終わりの朝日の中。

 ベッドに座り、布団の上をじっと見つめて、未來はつぶやいた。


 予知夢を見たとき特有の、頭が割れるような頭痛はなかった。

 ただ何とも言えない思いが胸を埋めている。

 昨日、瑞葉の予知夢は変わった。

 未来は変えられるはず、なのに――。


『バーカ』


 寝起きの頭に、夢の中で聞いた声が響いた。

 煌綺だ。

 彼は、前の夢と同じように笑いながら、こちらを見て、そう言った。


「……バカって何さ」


 未來は布団の端を握りしめた。

 世界の全ての音を消してしまうような衝撃音。

 その中でなぜか消えなかった、最期の言葉。


 未来が変わることを知ってしまったから、結末の変わらないこの夢が地獄に思える。

 未來は、両手で目を覆った。

 気持ちを落ち着かせなければ、煌綺と並んで登校することなどできやしない。

 窓の向こうから、ちゅんちゅんと聞こえる鳥の声。

 立ち上がりカーテンを開ければ、爽やかな春空が見えるだろう。

 現実は、まだ地獄ではないのだ。


 ※


 青空の下、煌綺と登校し、授業を受けて、放課後。

 未來は煌綺とともに、あの十字路を渡った。

 今日は木曜日。

 煌綺が塾に行く日なのである。


 個別指導の授業は、十七時過ぎから始まる。終わるのは二十時過ぎだ。

 その間、未來は塾の隣のビルにあるコーヒーショップで、煌綺を待つのが習慣になっていた。

 大体は頼んだものを飲みながら、スマホで適当に動画を見ている。


「おい」


 煌綺の声に、テラス席に座っていた未來は振り返った。


「あ、お疲れさま……」


 と返すと、目の前には、個包装されたお菓子。


「ありがとう?」


 もらっていいの? という疑問符を込めて言いつつ、未來はそれを受け取った。

 でも、お菓子なんてどうしたのだろう。

 その考えは、例のごとく顔に出ていたようだ。

 煌綺は、ポケットに手を入れながら、ぶっきらぼうに言った。


「俺からじゃねえよ。塾講師からだ」

「塾の先生から?」


 未來は見ていたスマホを閉じて、鞄にしまった。

 リュックを背負う未來を、煌綺は待っている。


「長引いたから詫びだとよ」

「別にいいのに」


 未來は煌綺の先生と、直接の面識はない。

 しかしこうして気を遣ってくれるあたり、きっと真面目な人なのだろう。

 そう思いながら、未來は立ち上がった。

 椅子をしまい、いつもの道を歩き始めている煌綺の隣に駆け寄る。


「君も食べる? ガトーショコラだって」

「いらねーよ」

「あはは、そうだよね」


 煌綺は甘いものがあまり好きではない。

 納得の答えに笑いつつ、未來は煌綺の右側を歩いた。


 未來は今朝の夢を、煌綺に伝えていなかった。

 結末が変わっていないから、言っても意味がない気がしたのだ。

 あの夢でわかったことといえば、しばらくの間見なかった事故の未来が、消えていなかったということだけ。

 地獄はまだ、そこにあるということだけ――。


「そういえば今日の席替えどうだった?」


 未來は制服のスカートの後ろで手を組んで、煌綺の横顔を見上げた。


「席替えにどうもこうもねえよ」


 煌綺は相変わらずそっけない返事である。


「えー。君はずっと後ろだからそう言えるんだよ」


 未來は不貞腐れたような声を出した。

 新学期は、出席番号順の座席になることが多い。

 つまり、暁未來は必ず前の方。

 席替えをしなければ、後部席に行ける確率は少ないのだ。


 それに比べ篠川煌綺は、最初から後部席になることもある。

 今年度なんて、当初は後ろから二番目。席替え後は一番後ろの列だ。


「お前また前だったもんな」


 煌綺は視線だけを未來に向けて言った。

 未來は相変わらずちょっと拗ねたような顔のまま「後ろがいいな」とつぶやく。

 だが煌綺は平然と。


「真面目に授業受けてたらどこでも変わんねーよ」

「うわあぐさっときた」


 冷静かつ至極正しい煌綺の言葉に、未來は左手で胸を押さえた。

 うぅっとうなってもおかしくない、いかにもな演技。

 しかしその仕草にも、煌綺は眉ひとつ上げず「学生の本分だろ」と言った。


「そうだけど」


 胸を押さえた手を離し、未來は顔を上げた。

 こんなくだらないことをできるようになったことを、ちょっとだけ嬉しく思う。

 だが続く話題は、嬉しいものではない。テストの結果のことだ。


「つーかお前赤点取ってねえだろうな。補習とか待ってられねえからな」


 こちらを向いた煌綺の言葉に、未來は自分の顔がこわばったのがわかった。

 しかしすぐに、


「あはは、大丈夫大丈夫。今回はどうにか」


 と笑顔を作る。


「今回はじゃねえよ」


 煌綺はため息混じりにつぶやいた。

 たしかに放課後に補習があったら、煌綺に待つ時間はないだろう。

 木曜は、十六時四十分に授業が終わって、十七時過ぎには塾についていなければいけない。


 でも今回のテストは本当に、未來にとって悪くはないのだ。

 煌綺に比べたら良くないだろうが、教科によっては平均点を超えているものもあるし、赤点も、赤点ギリギリのものもない。

 そう言い訳じみたことを考えている未來に、煌綺が言った。


「次もしっかりしろよ」

「ハイ、ガンバリマス」


 未來はカタコトの発音で答えた。

 もちろんふざけているわけではない。

 ただ、次も同じ点数が取れるかと言われると、自信はなかった。


 ――今日の夢では、夜じゃなかった。


 好きではない勉強のことを話しながらも、一日を無事終え、日常のことを話している安心感が未來を包んでいる。

 煌綺があの十字路を渡るのは、この塾に来るときだけ。

 帰りには、あの道は通らない。


 そして瑞葉の夢は、結末は変わったが、状況は変わらなかった。

 ということは、夢はいきなり大きく変化するものではないのだろう。


 このふたつの事実をもとに、推測できることはひとつ。

 煌綺は、次の塾の日にまたあの十字路を通るまでは、事故に遭わないのではないか、ということだ。


 だったら……今くらいは目を背けてもいいよね、と。


「体育祭、期待されてたね」


 未來は、不安をもたらす沈黙を恐れるように、会話を続けた。

 再来週の体育祭で、煌綺はクラス対抗リレーの選手に選ばれている。

 そのことを話題に出すと、煌綺はいつもと同じ平然とした顔で言った。


「どいつもこいつもビビった顔してたけどな」


 確かに、と、未來は、選手を選ぶ際の状況を思い出した。

 煌綺がリレーに参加することになったのは担任が推薦したからだった。

「篠川、出ないか」と担任が言ったとき、一瞬クラスの空気が固まった。

 クラスメイトとしては、運動神経の良い煌綺が出てくれたらありがたいが、頼みづらいし、メンバーになったとしてもちょっとやりづらいというのが正直なところだろう。


 とはいえ、煌綺は特に問題を起こす人物というわけではない。

 幼少時は同年代の男の子たちと喧嘩をすることもあったが、中学になる頃には、周りの子たちよりも、大人びていた気がする。

 ただその分、みんなと距離ができてしまったのかもしれない。


 しかし、クラスメイトが煌綺に近づかない理由はそれだけではない。

 幼馴染だからこそ、未來にはわかるのだ。

 ゆえに、未來はつぶやいた。


「ちょっとは笑えばいいのに」


 多分、それだけのことなのだ。

「ああ?」とか言うのをやめて、鋭い目つきも控えめにして、もっと感じよく人と接すれば、勉強も運動もできる煌綺が、あんな目で見られることなどないはずなのである。


 しかし煌綺は、未來の意見を気にするつもりはないらしい。


「お前はよく笑ってんな」


 そんなふうに言ってきた煌綺に、未來は笑顔を向けた。


「あはは。私、楽しそうな人見るの好きだから」

「昔からな」

「そうそう。だから体育祭も楽しみだよ」


 コウくんもみっちゃんもいっぱい応援しなきゃ! と考える。

 煌綺は「お前何に出んだよ」と聞いてきた。


「借り物競争。君はリレー以外に二百メートルも出るんだよね」

「みてえだな」


 みたいって他人事だなあ、と思いながら、未來はまた、選手選抜のときのことを思い出した。

 体育祭の実行委員の女子が「二百メートル走でもいい?」と、恐る恐る煌綺に聞いたとき、煌綺は一言、「ああ」と答えた。

 それであっさり参加が決定したのだが、実行委員女子の笑顔は固まっていた。

 おそらく、彼女を見た煌綺の視線が鋭かったからだ。


 ――コウくんの目つきが良くないのはいつものことだけど、普段あまり話をしない子はびっくりしちゃうよね。


 実際未來が、実行委員の女子と煌綺が話しているところを見たのは、今回が初めてだった。

 だが、こんな調子で去年はどうしていたのだろう。

 未來は煌綺と違うクラスだったから、全然わからない。

 とはいえ、煌綺が自分から、何に出たいと主張したとは思えなかった。


 未來は不思議に思い「去年ってどうやって決めてたの?」と煌綺に聞いた。

 返事はいたってシンプルで、煌綺らしかった。


「ああ。野川が勝手に決めてたな」


 未來の頭の中に、サラサラストレートヘアの同級生の顔が思い浮かぶ。

 野川草太は、毎日昼休みに煌綺のところにやってくる、いつもニコニコ、明るくかわいい雰囲気の男子だ。

 その彼が、体育祭実行委員だったということだろうか。

 そうだとしても、勝手に決めるというのは、なかなかだ。


「あはは、野川くんすごいね」


 未來は笑った。

 ただ煌綺は平然とした顔のまま、こう付け加えた。


「あいつぶっ飛んでるからな」

「ぶっ飛……?」


 あんなにいい人そうなのに?

 意味がわからず、未來は繰り返した。

 しかし煌綺は、特別説明する気はないらしい。

 草太の話はそこで終わり、その後二人は――というか未來が話し、煌綺が聞くのだが――去年の体育祭の話をしながら帰った。


 日常として、煌綺と並んで歩きながら、未來は思う。

 未來がこうやってまた煌綺と過ごすことになったのは、事故の予知夢を見たからだ。

 つまりあの夢がなければ、こんなふうに煌綺と帰ることはなかったかもしれない。

 そう考えると、あの夢は、二人の距離を縮めるいいきっかけになった。


 ただ、楽しい話をするのに、悲しい結末ばかりを見せる夢は邪魔だった。

 夢から目を背けている今、あの夢がなければいいのにと思う。

 学校に行って、瑞葉やクラスメイトと話して、勉強をして、煌綺とくだらない話をしながら帰路につく。

 そんな幸せの先にあるものが、煌綺が死ぬ結末だなんて。


 考えたくない――。


 未來は足を止め、半歩先を行く煌綺の背中を見つめた。

 白いワイシャツは、街灯の光で薄まった夜闇を映していた。


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