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第二話 二

「よお」


 偶然とはいえ、休日に煌綺に会うのは何年ぶりだろう。

 黒と紺、二本の傘を持った煌綺は、襟元と袖口に金のラインが入った白いVネックに、短いスリット入りの黒のパンツを合わせていた。

 鋭い目つきは、学校で会うときと同じ。

 ただ制服姿ではない煌綺は、昔よりもずっとオシャレになっていた。


「何してるの?」

「ババアの迎え」

「エミコさんの?」

「傘忘れたから持って来いって言いやがった」

「あはは、この雨じゃね」


「天気予報くらい見てから行けっての」と、いかにも面倒くさそうに言う煌綺に、未來は笑った。

 依皇子は、母一人子一人で暮らす煌綺にとって唯一の家族だ。

 若くて美人で、かっこいいお母さん。

 未來は彼女のことを、そう認識していた。


「んで、てめえは何してんだよ」

「みっちゃんと、遊んできた」


 予知夢のことを思い出したくなくて、かたい笑顔になった。

「ああ」と返す煌綺は、気づいているだろうか。


「エミコさん、同じ電車だったかな」


 話をしないのもおかしいと思い、未來は聞いた。


「逆のだろ」


 煌綺はいつも通りだ。


「そっか。じゃあ、私、先行くね」

「ああ」


 作り笑いをした未來に、煌綺が答える。

 彼は特に何も言わず、立ち去る未来を見送った。


 駅の外は、電車の中から見たときよりも、ひどい雨になっていた。

 予報はゲリラ豪雨と伝えていたから、少し待てば小降りになるだろうか。

 だが未來は、一刻も早くここを離れたかった。

 鞄から折りたたみ傘を取り出し、開く。

 黒い地の端に白のライン。波の高い部分にドットが描かれた柄が気に入って買ったものだ。

 だがその模様に和む間もなく、未來は強雨の中に足を踏み出した。


 激しい雨は、その他の音をすべて雨音で上書きしてしまった。

 それなのに、未來の耳奥には、ブレーキ音が響いている。

 次第に重くなる足取り。


 そこに、声が聞こえた。

 大きくはない。でも、はっきりと。


「おい」


 未來は、重々しい気持ちのまま振り返り、目を見張った。

 足を止め、尋ねる。


「エミコさんは?」

「どーでもいいだろそんなこと」


 煌綺は不機嫌に顔を歪めた

 左手に黒い傘。

 険しい顔つきのまま、右手をポケットに入れる。

 紺色の傘がなくなっているということは、依皇子に渡してから、追いかけてきたのだろうか。


「でも。じゃあ、どうしたの?」


 未來はこわばった笑顔で尋ねた。

 煌綺は苛立ちを隠さず、「そりゃてめーだろ」と言う。


「さっきから変な顔しやがって」

「……変な顔」


 どんな顔のことを言っているのだろう。

 わからないまま繰り返すと、煌綺は未來の目を見据えて言った。


「友だちと出かけてたって顔かよ、それが」


 ドキッとした。


「どうせ夢のことだろ」

「……うん」


 未來は泣きそうな顔でうなずいた。

 うなずきながら、もしかしたら煌綺は「くだらねえ」とか言うかな、と思った。

 もし言われたら泣く、とも。


 ――しかし。


「今まで見てる夢の共通点、他にねえのか」

「え?」

「もしかしたら、何かわかることあるかもしれねえだろ」


 煌綺はそう言ってくれた。

 未來に踵を向けて、歩きだしながら。

 いつもと変わらないそっけない態度と、そっけない声で。


 ――ほら。やっぱりコウくんは頼りになる。


 未來は、ぱたぱたと煌綺を追いかけた。

 だが並んで歩きながら、どんなに考えても、予知夢の共通点は、人が死ぬことくらいしか思いつかない。

 それをそのまま伝えると、煌綺は前を見たまま尋ねてきた。


「場所や時間、死んだ人間は」

「知ってる場所も見たことない場所もあったし、外も室内もあるし、時間も朝昼晩いつでもあって、知ってる人も、知らない人もいたよ」

「死因」

「事故だったり、殺人だったり、病気だったり……自殺、だったり……」

「あー……」


 煌綺は髪をかき上げ、額に手をやった。

 険しい顔で考え込んでいる。

 その顔を、未來は不安の眼差しでのぞき込んだ。


「な、何かわかりそう?」


 煌綺は頭を押さえたまま、ため息をついた。

 何かに気づいているのか、いないのか。

 察することもできないまま、未來は煌綺の言葉を待つ。

 少しして、煌綺は突然立ち止まり、真剣な顔で未來を見下ろした。


「お前は、どうしたいんだよ」

「え……?」


 未來は一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。

 どうしたいというのは、助けたいということではダメなのだろうか。

 困惑は、そのまま顔に出ていたのだろう。

 煌綺は重ねて尋ねた。


「お前は、最悪の状態を、受け入れられるのかよ」


 最悪の、状態……?

 最悪とは、何を意味するのだろう。

 死ぬ以上に悪いことがあるのだろうか。

 わからない。わからない、が。

 未來はまっすぐに煌綺を見た。


「もし、私にできることがあるなら、やりたいよ」


 不安を抱えたままの表情で告げる。

 煌綺は何も言わなかった。

 じっと未來を見つめたまま、何かを考えている。


「ダメ、なのかな」


 未來は、煌綺の視線から逃れるように目を逸らした。

 黙っているということは、返事を間違えたのだろうか。

 もし煌綺が正しい答えを知っているのなら、教えてほしかった。


 しかし煌綺は「そんなの、てめえで決めることだろ」と。

 驚きに、未來の肩が跳ねる。


「何を優先したいかなんててめえで考えろ。ただ、その責任はてめえでとれるようにしろ。周りに何か言われても揺らぐな。それを選択したのは自分だって自覚を持て」


 煌綺が、自分で考えて選べと言っているのは、わかった。

 でも、 優先? 責任? 自覚?

 未來が黙り込んでいることで、混乱が伝わったのだろう。

 煌綺は小さなため息をついた。


「……とりあえず一人で突っ走んな」

「う……はい」


 わかりやすく、もっともな言葉に、未來は肩をすくめた。


「何か思い出したら言ってみろ。一緒に考えるくらいしてやらあ」


 傘を下ろし、踵を返して、煌綺が歩きだす。


「うん、ありがとう」

「別に」


 煌綺はいつものように前を向いたまま、声だけが返った。

 彼に倣い傘を下ろして見上げれば、雨はいつしかやんでいた。

 嘘みたいな青い空。

 だが未來は晴れぬ顔のまま、歩む煌綺に目を向けた。

 その背がなぜか、とても遠く、懐かしく感じられた。


 ※


 その日の夜、未來は昔の夢を見た。


『カギなくしたぁ?』


 五歳か、六歳か。

 金色の前髪の下、幼い煌綺の鋭い眼差しが未來を見た。

 小さな両手は、ズボンのポケットにしまわれていた。


『うん……』


 未來の目には、大粒の涙がたまっていた。


『んなことくらいで泣いてんじゃねえよ』


 呆れたように言って、煌綺は歩き出した。

 その背に向けて、未來は言った。


『だってお母さんが失くさないでって』

『探せばいいだろ』

『どこにもないんだもん』


 未來はボロボロと泣きながら、ひっくり返した鞄を突き出した。

 足を止めた煌綺が振り返った。


『ああ? 今日何してたか言ってみろよ』

『ええと……みんなでお菓子買いに行って、そのあと公園で遊んで』


 一生懸命思い出して、たどたどしく告げた未來の前に、差し出されたのは煌綺の手。


『じゃあ、コンビニから行くぞ』


 店員に聞いたり、通った道を見て回ったり。

 いっぱい歩いて、公園で泥だらけになったりもしながら、二人でいろいろな場所を探した。

 鍵は、かくれんぼで隠れた草むらに落ちていた。


『あったー!!』


 喜び叫んだ未來に、煌綺はいつもの声で、


『よかったな』


 と言った。


『ありがとう!!』


 未來は満面の笑みで振り返った。


『別に』


 煌綺はすぐに目を逸らした。

 鋭い視線のまま、ニコリともしなかった。

 しかし未來は、ツンとしたその態度に、煌綺の優しさを感じたのだった。


 ※


 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。

 庭にやって来た小鳥の鳴き声を聞きながら、未來はベッドの上に起き上がった。

 寝起きの脳に、夢の余韻が残っている。


 未來はぼんやりと窓に目をやった。

 ガラスの向こうに細く、日差しの溶け込んだ青空が見える。

 泣いた未來に煌綺が言った言葉も、探すために入った草むらの中に虫がいたことも、未來はしっかり覚えていた。

 一生懸命だった煌綺の顔も、全部ちゃんと覚えている、のに。


 ――どうして予知夢は、うまく思い出せないんだろう。


 未來は、うつむいた。

 ぼんやりと布団を見ながら、それにしても懐かしい夢だった、と思う。

 予知夢なんかより、こんな夢ばっかりならいいのになぁ……と。

 未來はため息をついた。


 ※


 瑞葉が二年A組の教室に飛びこんできたのは、遅刻ギリギリの時刻だった。


「おっはよー!ミライ!」

「みっちゃんおはよー」


 未來はいつも通り元気な瑞葉に笑顔を向けた。

 と、瑞葉がスマホを突き出してくる。


「昨日の電車の写真が良すぎて、さっきめっちゃ加工した! 見て!!」

「あ、本当だ。すごい。キラキラしてる」

「でしょー! 愛がこもってるから!」


 腰に手を開け、スマホを高らかに掲げた瑞葉は得意顔だ。

 ハートのスタンプとふわふわライトで飾った推しアーティストの電車の写真は、瑞葉にとっては宝物だろう。

 だが今の未來にとって、電車から連想するものは、瑞葉のような楽しみではなく、あの予知夢であり、夢の中の事故であった。


 ※


 一時間目は、数学だ。

 渋也が、生徒に背を向け板書している。

 いつもの未來なら、当然しっかりノートをとる。

 だがこの日、未來の手は止まっていた。


 電車、電車、電車。

 あの夢の詳細を思い出さなくてはいけないと、未來の頭は、予知夢のことでいっぱいだった。

 にもかかわらず、未來の耳奥では、警笛や叫び声、ブレーキ音が鳴っている。

 パニックになっている人々の声が、重大な事故の雰囲気が、怖い。

 思い出すべきは映像なのに、音声に心が引っ張られている。


 未來は自分に、何でもいいのだと言い聞かせた。

 駅名標でも、電光掲示板に表示された時間でも、電車の色でも、何でもいい。


 電車の色。

 ライン。


 無意識にノートに書きこんでいた単語を見、未來は息を止めた。

 脳裏に突然、緑色の光が走ったのだ。

 その中にぼんやり見えるのは。

 ……黒い、人?


 そういえば。

 あの、電車、どこかで。


 頭の中で、夢と現実、二つのイメージが重なっていく。

 そして――。


「あ!!!」


 未來は立ち上がった。

 どうしてこんなにも、あの電車が気にかかるのか。

 やっとわかったのだ。



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