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第二話 一

 人がひしめき流れる、駅のホーム。

 混じり合う、会話、雑踏、アナウンス。

 割り裂いたのは、警笛の音。

 止まる足、混乱した声、つんざくようなブレーキ音。


 嫌でもわかる。

 “誰か”が、死んだのだ。


 ※


 予知夢の話をした翌日から、未來と煌綺は、一緒に登校するようになった。

 下校時は、用事がなければ一緒に帰り、予定があれば、別々に行動する。

 いつからか使わなくなっていた連絡先を、煌綺が残してくれていると知ったとき、未來はとても嬉しかった。


 しかし、前より二人の距離が縮んでも煌綺の心情はわからないままだ。


『てめえが代わりに死んで、俺が何も思わねえとでも思ってんのかよ! 俺が心の底から助かったと思えんのか!?』

『大層に人の命助けようってんなら、てめえの命ごと、一緒に生かしやがれ!!』


 未來は、煌綺が言ったこの言葉の意味を、想いを、何度も考えている。


 一方で、なぜか、煌綺が死ぬ夢は見なくなった。

 ただそれは、今日がその日かもしれないという不安を、常に抱えることでもある。


 予知夢を予知夢と認めたがために、楽しい話をする余裕はなく、時間だけが過ぎていく。

 そんな日々に変化が訪れたのは、五月になったある日のことだった。

 未來がまた予知夢を見たのだ。

 今度は、以前と全く違う夢を――。


 ※


 雲ひとつない空が、鮮やかに青く、緑葉の背景を埋めている。

 陽光が照らすのは、きらめく金髪と、二人分の白いシャツ。

 未來が新たな予知夢を見た翌朝の通学時。

 街路樹が並ぶ十字路近くの舗道を歩きながら、煌綺は未來の言葉に顔を歪めた。


「人身事故だぁ?」

「た、多分……?」


 未來は迷いの残る声で返した。

 夢で見たのは、事故そのものではなかった。

 記憶に残っているのは、どこかの混雑した駅と、響く警笛。

 叫び声と、ブレーキ音。


「死んだ人とかは、わからなかったんだけど」


 そう言いながら、未來としては、亡くなったのは人ではないと思いたかった。

 たとえば線路に降りてしまった鳥とか、迷い込んだペットとか。

 かわいそうではあるけれど、そうだと思いたかった。


 でもあの声は――。


 煌綺に説明するため、何度も再生した夢の中に聞こえた台詞に、未來は身を震わせた。

 横目で未來を見ていた煌綺は、今は正面を見つめ、次の言葉を待っている。

 未來はうつむき、口を開いた。


「ただ、少なくとも、死んだのは君じゃない、と思う」

「あ?」


 煌綺の目線だけが未來を向いた。

 未來は気づかぬまま。


「”女の子”って聞こえたから」


 カーテンの隙間から差し込む光を浴びながら、目覚めてすぐ。

 未來はこの夢が予知夢だと確信した。

 右手を持ち上げ、開いたばかりの目を押さえる。

 心臓が早鐘のように鳴っていた。

 全身に汗が滲み、頭がガンガンする。

 他の予知夢を見たときと、同じように。


 ただ、これが予知夢だとしたら、煌綺の夢はどうなったのだろうと思った。

 今までは、夢が現実化する前に別の夢の見ることなどなかったのだ。


「……君の事故の未来、消えたのかな」


 そうであってほしいと願いつつ、未來は言った。


「どーだかな」


 煌綺が少しだけ視線を上げる。


「期間が変わったか、未来が変わったか、まだわかんねえよ」

「ごめん」


 未來はうつむいた。

 もっと情報があればいいのに、と思う。

 だが煌綺の返事は「別に」と、あっさりしたものだった。

 ちらと未來に向いた視線から察するに、彼は強がりでも何でもなく、本気でそう思っているようだった。


 だが、未來はどうしたって考えてしまう。

 もっと早くに予知夢を受け入れていれば、もっと多くの情報を得る術が見つけられたのではないかと。


 脳裏に蘇る、会話、雑踏、アナウンス。

 それを切り裂く、警笛の音。

 止まる足、混乱した声、つんざくようなブレーキ音。


 あれは朝だろうか。それとも夕方だろうか。

 青空も、夕焼けも見えなかった。

 ただ、人混みだった。

 制服を着た学生も、スーツ姿のビジネスマンも、カジュアルな服装の人もいた。

 どこの駅かはわからない。

 いつのことかもわからない。

 どの電車かもわからない。

 わかることのほうが少ないくらい、わからないことだらけだ。


「何もわからねえんじゃ、あんまり気にしてもしょうがねえだろ」


 煌綺がため息とともに呟いた。


「……うん」


 視線は足元のまま、未來はうなずく。


「今までだって気にしてこなかったんだろ」

「……うん」


 煌綺の指摘は正しい。

 正しすぎて、苦しい。

 未來は、予知夢を見た後、何もしないまま知った多くの結末を思い出した。

 正確には、結末を知り、絶望したことを思い出した。


 予知夢の出演者たちが迎えた悲しい結末は、もしかしたら、避けられたのかもしれない未来でもあった。

 未來が、行動を起こしていたら。


 私が逃げていなかったら、助かった人がいるかもしれないのにと、そればかりを考える。

 でも、本気で向き合うのが怖くて。

 落ち込む度に「グーゼンだ」と自分に言い聞かせた。

 思い込ませた。

 本当は、逃げているだけだとわかっていたのに。


 煌綺は黙っていた。

 視線は未來に向いていたが、うつむいている未來は気づかない。

 今彼女を満たすのは、長い間ため込んできた後悔ばかりだ。


 ※


「やっぱ白雪物語はかっこいいなぁ! あのダークな感じ! ボーカルのミステリアスな感じ! この世界観が堪らないんだよ〜!」


 日曜日。

 未來は瑞葉に誘われ、駅のホームに来ていた。


 白雪物語は、瑞葉が好きなアーティストだ。

 童話的な世界観をもとにした外見と楽曲が、SNSで話題になり、人気に火がついた。

 そんな彼らのアルバム発売記念のラッピング車両が走るということで、二人は初めて訪れた駅で、その車両の通過を待っているのである。


 瑞葉はスマホで、ホームドアに貼られたポスターの写真を撮っている。


「あはは、本当にかっこいいね」


 と未來が言うと、


「でしょ!」


 瑞葉は満面の笑みで振り返った。


「でもほんと良かったー! 終わる前に見に来れて!!! 明日で終わりだったからさー!!!」

「部活忙しかったもんね」

「そうっ!」


 瑞葉は深くうなずいた。

 陸上部に所属している瑞葉は、練習漬けの毎日を送っている。

 特に最近は、休みらしい休みはほとんどない。

「大会があるからしょうがないんだけどさ!」と瑞葉は笑っていたが、やっと手にした休日に、この喜びよう。

 このアーティストが、心底好きなのだろう。


「うーん! このフードがまた、良さを引き出しているような気がする! いいね!!」

「フードかぁ……」


 未來は呟いた。

 そのときだ。

 ホームに、電車到着のアナウンスが流れた。


「やった~! 来るよ、来る!」


 いよいよ電車が到着すると、未來は、ラッピングされた車体をぼーっと眺めた。

 各車両にそれぞれ一人、メンバーが描かれている。

 未來の正面に止まった車両の絵柄は、瑞葉がボーカルだと教えてくれた人物だ。

 その顔の大半は、瑞葉が良いと言った黒いフードで隠れている。

 ただ、端から茶髪がのぞいていた。

 ニヤリと笑んだ、真っ赤な唇。

 手には真っ赤なリンゴを持っている。


 白雪物語という名前から白雪姫を連想していたが、もしかしたら、魔女のほうがテーマなのだろうか。

 未來は何気なく視線を動かした。


 と、目に入るのは、車両に引かれた緑のライン。

 どうやらこれが、いつもは乗らないこの路線のラインカラーらしい

 そんなことを思いつつ、未來は再び周囲を見る。

 まばらに人がいるだけのホームは、本来よりも広く感じた。


 ――広く?


 未來の脳裏に、不意に、駅の映像が思い浮かんだ。

 緑のラインが引かれた車両は、頭の中の列車と重なり、目の前の空間は、人ごみへと変わっていく。

 まるで昨日の予知夢が、目の前で再生されたかのように。


 耳奥で、警笛が響いた。


 轢かれた。

 ヒカレタ。

 何が?

 誰が――?


「ミライ?」


 呼び声に、未來ははっと顔を上げた。


「顔色悪いよ? 大丈夫?」

「う、うん。平気」


 心配そうな瑞葉に、なんとか笑顔を向ける。

 だがきっと、上手く笑えてはいないのだろう。

 瑞葉は何も言わないが、スマホを片手に握ったまま、覗き込むように未來を見ている。

 そして曖昧で歪な笑顔のまま、未來は動けない。


 思い出したくなかった。

 あんな、恐ろしい夢など。

 だが、思い出さなければならないのだ。

 誰かが死んでしまう前に。

 また、繰り返さないために。


 ――だって、そうしないと、君すらも。


 いつしか、未來の顔から表情が消えた。

 黙ったまま、ただ立ち尽くす未來に、瑞葉が声をかける。


「そういえば、最近よく篠川煌綺と一緒にいるよね」

「え!? あ、うん? 急だね?」


 未來は驚き、声を上げた。

 気づけば瑞葉はいつの間にか、写真を撮り終えたようだ。


「ずっと気になってたんだけどさー、本人が近くにいるときに聞くのはさすがにマズいかなーと思って」

「マズいことはないと思うよ?」


 悩んだ顔で言う瑞葉に、未來は首を傾げた。

 瑞葉は時々、訳がわからない。

 今もなぜか急に笑顔になって「一体、何がきっかけで仲良くなったの?」と聞いてくる。


「あ、元々幼馴染なんだよ」

「へえ〜。全然そんな風に見えなかったけどなー」


 未來は、それはそうだろうと思った。

 なにせ入学した後、煌綺は未來が話しかけるたびに、嫌な顔をした。

 次には名前で呼ぶなと言われ、そのうちに、二人はどんどん距離を置くようになってしまったのだから。

 瑞葉と仲良くなる頃には、偶然二人だけで顔を合わせない限り、会話することもなくなっていた。


「昔はよく遊んでたんだよ」


 微笑み話す未來に、瑞葉は興味津々に尋ねた。


「どんな感じで?」

「どうって、普通に……。よく後ろにくっついて回ってた、かも。私が懐いてたっていうのかな。嫌がらないし、話しかけたら聞いてくれるし、たまに遊びに行くとき迎えに来てくれたし」


 未來は当時を思い出して答えた。

 無意識にくるくる回っている右手の人差し指は、かつての楽しさを物語るようだ。


「ほうほう。全然イメージできないね!」


 瑞葉は納得顔でうなずいた。

 その後はニコニコ楽しそうに、頭の後ろで手を組んでいる。


「あはは。誤解されがちだけど、結構頼りになるんだよ」


 言いながら、未來もニッコリ微笑んだ。


『んなことで泣いてんじゃねえよ』


 煌綺はつっけんどんな物言いをすることも多いが、最終的にはいつだって未來の話を聞いてくれて。


『じゃあ、コンビニから行くぞ』


 いつだって、手を引いてくれた。

 思い出したことで、当時に感じた温かな想いが、また胸を満たすようだ。


「ふ〜ん?」

「どうかしたの?」


 ニヤニヤと目元を綻ばせる瑞葉を、未來はきょとんと見つめた。

 しかし聞いても瑞葉は、話すつもりはないようで、


「ううん! もうちょっと見てようかなーと思って!」


 と、ホームに視線を動かした。


「うん? 付き合うよ」


 次に電車が来るのはいつだろうと、未來は電光掲示板を見上げた。

 その隣で。


「ミライは、子供だね」


 ぽつりと声が聞こえた。


「え?」


 未來は瑞葉に目を向けた。

 まるで遠くを見るような、瑞葉の目線。

 一瞬、瑞葉がとても大人びて見えた。

 しかし。


「うん、未成年だしね?」


 未來がそう答えた後「……そうだね」と苦笑した彼女は、もういつもの瑞葉だった。


 その後、未來は瑞葉と並んで、電車を見た。

 頭の中では、人が命を亡くす瞬間が、死に向かって行く時間が、繰り返し再生されている。

 それは同時に、これまでの夢の結末を、未來に思い出させた。


 ――煌綺のあの未来が消えたなら、また予知夢から目を逸らせるのだろうか。

 黒いフードをかぶった魔女は、今未來の目の前で、毒リンゴを手に妖しく笑っている。


 ※


 帰路につく途中の駅で瑞葉と別れる頃には、外は土砂降りの雨になっていた。

 通り雨だと誰かが言った。


 今までは、通り過ぎるのを待っていただけの雨。

 それが一番楽だった。

 ただ目的地に向かうには、傘をさして歩いて行かなくてはいけない。


「天気予報あってたな。折りたたみ傘持ってきてよかった」


 未來は最寄り駅の改札を抜けた。

 そのときだ。


「よお」


 知る声が聞こえたことに驚き、未來は顔を向けた。

 そこには、煌綺が立っていた。

 駅の出口。

 いつものようにポケットに手を入れて、壁にもたれた格好で。


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